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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第4節 もう一人の零

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紅叉来襲

「……来た」


志乃の声は、自分でも驚くほど低かった。


住宅棟のあいだを抜ける保守車両用通路の暗がりで、乾いた赤が一斉に揺れた。霊気力の色として見えるそれは、怒りや恐怖の赤ではない。もっと用途に徹した、武器として研がれた色だった。一本ではない。二本、三本、そのさらに奥にもある。


「え、何が」


アリサが振り返る。


美世も志乃の視線の先を追うが、彼女たちにはまだ何も見えていないらしい。通路の奥は、整備灯の届きにくい死角になっている。東都研究都市の内側ルートは本来、人通りも多く安全なはずだった。だからこそ、その暗がりだけが街の設計から切り離された穴みたいに見えた。


「二人とも、下がって」


志乃はそう言いながら、一歩前へ出た。


その瞬間、保守通路の壁に赤い火花が散った。


小さな破裂音。


次いで、霊気力を圧縮した弾が歩廊の床を削る。一般の銃火器より静かで、だが空気に焦げた金属臭だけを残す、嫌な音だった。


「しゃがんで!」


志乃が叫ぶより早く、美世がアリサの腕を引き、二人で歩廊脇の案内柱の陰へ身を伏せた。次の一撃がその頭上を抜け、案内板の表示を一瞬だけ白く乱す。


暗がりから、四人の人影が出てきた。


全員が一般の作業服か配送員のジャケットを着ている。東都の居住区で見かけても、ぱっと見では違和感のない格好だ。だが歩き方が違った。市民を装っていても、中心線が前へ倒れている。いつでも踏み込める人間の重心だった。


先頭の男が、低く言う。


「動くな」


短い命令の声と同時に、彼の手元で赤い霊気力が薄く燃えた。


拳銃に似た小型霊装器。違法改造の匂いが志乃にもわかる。研究都市では登録武装しか持てない。なら、こいつらは最初から表の人間ではない。


「……紅叉」


志乃は、ほとんど無意識にその名を口にしていた。


男たちの一人が口の端を上げる。


「学連にでも聞いたか」


その反応だけで十分だった。


アリサが柱の陰から顔を上げかける。


「志乃、こいつら――」


「出ないで!」


志乃は振り返らずに言った。


赤い気配が、今はっきりと自分へ焦点を結んでいる。友人たちは目障りではあっても標的ではない。標的は最初から自分だ。そう理解した瞬間、胸の奥がひどく冷えた。


「綾崎志乃」


別の男が、端末を見ながら名前を読んだ。


読み上げ方に、個人への興味はない。ただ確認対象を照合するだけの響きだった。


「湾岸連絡デッキの件、学区屋上への誘導反応、保守通路での追跡。記録は一致」


「本人確認、終わりだな」


先頭の男が言う。


その後ろで、痩せた男がぼそりと続けた。


「報告どおりなら、候補は二つある」


志乃の呼吸が止まりかける。


候補は二つ。


それはつまり、自分のほかにも同じように零と結びつけられている存在がいる、ということだった。


「片方が本命でも、片方は反応を見る価値がある」


その言い方は、人間に向けるものではなかった。


アリサが息を呑む気配がする。美世も状況の異常さをようやく完全に理解したらしい。案内柱の陰で、二人の気配が強く強張った。


「あなたたち、何なんですか」


志乃は時間を稼ぐために問うた。


先頭の男は答えない。


代わりに、斜め後ろの短髪の男が赤い霊気を指先へ集め、薄い刃みたいなものを形成する。霊気力を刃状に圧縮した近接武装だった。


「確認対象に質問は不要だ」


冷たい声だった。


その瞬間、歩廊の外側で誰かの悲鳴が上がった。通りすがりの住民が異変に気づいたのだろう。だが紅叉の男たちは振り向きもしない。一般人の動揺など、最初から計算の外にある。


「君らまで巻き込まれたくなければ、そこから動くな」


先頭の男が、案内柱の陰の二人へ視線だけを送る。


その一言でアリサが歯を食いしばったのがわかった。反発している。けれど出て来れば、それこそ相手の思うつぼだ。


「志乃」


美世が小さく呼ぶ。


その声には、怯えより先に何かを測る冷静さがあった。


「走れる距離、作る?」


志乃は一瞬だけ考える。


内側回廊の先には、交番型警備端末と夜間売店がある。人もいる。そこまで辿り着ければ、少なくともここほど一方的にはならない。だが、紅叉もそれをわかっているはずだ。


「やってみる」


志乃がそう答えた瞬間、男たちの気配が一斉に沈んだ。


来る。


そう感じた次の瞬間には、短髪の男が踏み込んでいた。赤い刃がまっすぐ志乃の肩口を狙う。殺す軌道ではない。切り落とすでもない。逃げられない程度に壊して確保する、そういう嫌な正確さだった。


志乃は反射的に体をひねる。刃が制服の袖をかすめ、布が熱で焼け縮んだ。遅れて頬を風圧が裂く。あと一拍遅ければ、腕が使い物にならなくなっていた。


「避けるか」


男の目が細くなる。


同時に、別方向から第二射。赤い弾が二発、低く地を這うように飛んだ。志乃は足元の感覚でそれを捉え、跳ねるように回避する。一発は壁へ、もう一発は案内柱の基部へ当たり、火花とともに表示灯を落とした。


歩廊の一角が暗くなる。


それを待っていたかのように、先頭の男が低く言い放つ。


「やれ。力を使わせろ」


志乃の背筋が凍る。


試す気だ。


こいつらは最初から、自分を連れ去る前に“零に似た現象”が出るかどうかを確認するつもりでいる。


「志乃、こっち!」


アリサが柱の陰から叫ぶ。


だが、その声へ向けて赤い光が走った。威嚇ではない。脅しの射線だった。


「やめて!」


志乃は考える前に手を伸ばしていた。


胸の奥が、ひやりと冷える。


白塔の底で感じた空白。


湾岸で弾丸を消したときの、あの何もない感触が手のひらにひらきかける。けれど今は、まだ届かない。掴みきれない。焦るほど、空白は形を持たなかった。


赤い弾がアリサの足元へ迫る。


その刹那、志乃は前へ飛び出した。


衝撃。


爆ぜるような音と熱。


だが、爆発の中心で何かが不自然に抜け落ちた。火花だけが散り、破片になるはずの運動が途中で薄くほどける。完全ではない。けれど直撃の威力だけが削られ、床へ残ったのは焦げ跡だけだった。


紅叉の男たちの目が変わる。


「……今のを見たか」


痩せた男が呟く。


先頭の男の口元が、初めて明確に歪んだ。


「当たりだ」


志乃は膝をつきかけながら、息を荒くした。


出た。


けれど自分の意思で使ったわけではない。ただ、友人に当たるのを拒んだ結果として、また空白が勝手に開いたにすぎない。


「確保する」


先頭の男が一歩前へ出る。


その背後で、別の男が通信機へ低く告げた。


「こちら確認班。女のほうで反応あり。繰り返す、反応あり。候補二件、継続――」


言い終える前だった。


回廊の向こう、夜の人混みの先から、鋭い金属音が一つ響いた。


赤ではない、硬質な別の気配が高速で近づいてくる。


紅叉の男たちの視線が一斉にそちらを向いた。志乃も顔を上げる。


次の瞬間、誰かの低い声が、夜気を断ち切るように響いた。


「そこまでだ」


その声には、迷いがなかった。

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