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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第4節 もう一人の零

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三人の帰り道

中央図書館の正面ロビーには、もう夜の照明が落ちていた。


ガラス壁の向こうでは、東都研究都市の歩廊灯が一本ずつ点き始めている。再建都市の夜は暗くなりきらない。研究棟の表示灯、物流レーンの誘導灯、上空を行く監視ドローンの航行光が、街の輪郭を薄く浮かび上がらせ続ける。安全のための光なのに、志乃には今、それが見張りの目みたいに思えた。


「遅かったね」


正面ロビーのベンチから立ち上がったアリサが、そう言って鞄を肩へ掛け直した。


隣には古本美世もいる。二人とも先に帰らず待っていたらしい。


「ごめん」


志乃は短く答えた。


水島桃李と話した内容を、そのまま全部は言えなかった。けれど、何もなかった顔もできない。その半端さが、自分の声にそのまま出ている気がした。


「司書さん、何て?」


美世が静かに聞く。


志乃は少し迷ってから、答えた。


「今日は寄り道しないほうがいいって」


「それ、私たちも同意」


アリサが即答した。


冗談っぽく言ったつもりなのだろうが、目は笑っていない。


「学連の人にも似たようなこと言われたんでしょ」


「……うん」


「じゃあ決まり。今日は三人で、内側のルートで帰る」


アリサは確認ではなく決定として言った。


志乃は小さくうなずく。


本当は一人で考えたい気持ちもあった。けれど、水島の忠告を思い出すたび、その考えはすぐに冷えていった。本当に危ない日は、日常の形をして来る。なら、日常の中に誰かがいてくれることは、それだけで少し救いになる。


三人は図書館前の広場を抜け、学区と居住区をつなぐ内側回廊へ向かった。湾岸側を避けた、比較的人通りの多いルートだ。歩廊の床面には蓄光材が埋め込まれ、足元へ淡い青が流れている。自動販売機や学内売店の端末には、学生用生活クレジットの残高表示が浮かび、下校途中の学生たちが飲み物や軽食を買っていた。


「なんか、こういう普通の景色見ると混乱するね」


アリサが売店の前を通りながら言う。


「こっちは普通に肉まん買うかどうか悩んでるのに、裏で変な組織とか学連とか動いてるんでしょ」


「悩んでるなら買えばいいと思う」


美世が即座に返す。


アリサは一瞬だけ真顔になってから、吹き出した。


「そういうとこだよね、美世」


そのやりとりに、志乃も少しだけ口元を緩めた。


笑える。


まだ、こうして笑える。


それだけで胸の奥の強張りがほんのわずかにほどける気がした。


「志乃も何か食べる?」


アリサが端末をかざしながら聞く。


「顔色、朝からずっと悪いし」


「大丈夫。あんまり食欲ない」


「大丈夫って言う人ほど大丈夫じゃないんだけど」


言いながら、アリサは結局三つ肉まんを買った。ひとつを美世へ、もうひとつを半ば無理やり志乃へ押しつける。


「持ってるだけでも違うから」


志乃は断りきれず、温かい紙包みを受け取った。


掌にじんわり熱が移る。その小さな温度が、現実へつなぎとめてくれる気がした。


三人は再び歩き出した。回廊の向こうには、中層居住区の住宅棟が並んでいる。災害と経済崩壊のあとに再設計された東都は、学区と居住区の距離が短い。生活と研究と管理が、最初から相互監視を前提に組み込まれているからだ。便利さと息苦しさが同じ設計思想から生まれている街だった。


「今日、教室の後ろの子たち、また動画の話してた」


美世がぽつりと言った。


志乃の指先が、肉まんの包みの上で少し固くなる。


「……何て」


「“零の子”って」


美世は余計な言い換えをしなかった。


それがかえって痛かった。


「まだ顔もちゃんと映ってないのに、そういう呼び方だけ先に広がるんだね」


「名前つけると安心するんだよ」


アリサが少し強い声で言った。


「わかんないものを、わかった気になれるから」


その言葉に、志乃は昨夜の端末画面を思い出した。


《零じゃないなら、君は何だ》


名前をつけたがる側と、名前を確かめたがる側。


どちらも結局、自分を“何か”にしたがっている。


「私、自分でもまだわからない」


気づけば、志乃はそう口にしていた。


二人が同時に足を少し緩める。


「何が起きてるのかも、何を見られてるのかも、どこまで本当なのかも」


声は小さかったが、止まらなかった。


「ただ、私が知らないところで、もう決まってることがある気がする」


「じゃあ、決めさせなきゃいい」


アリサがすぐに言う。


志乃が見ると、彼女はまっすぐ前を向いたままだった。


「噂でも、組織でも、知らない誰かでも。志乃のことを志乃より先に決めるの、むかつくし」


乱暴な言い方なのに、変に優しかった。


美世も静かに続ける。


「全部わからなくても、今わかることはあるよ」


「……何」


「志乃が、今ここにいるってこと」


その一言は、派手ではないのに深く残った。


白塔で呼ばれた声も、屋上の影も、湾岸の弾丸も、どれも現実感を削っていくものばかりだった。だからこそ、その言葉は少しだけ重力みたいに胸へ戻ってくる。


三人は居住区へ近い分岐まで来た。ここから先は、アリサの家と美世の家が同じ方向、志乃の寮棟はひとつ内側へ折れる。街灯は十分に明るく、人通りもまだある。見た目には、安全そのものだった。


「ここから先、ほんとに大丈夫?」


アリサがまた聞く。


「送ってく?」


「そこまではいいよ」


志乃は答えたが、自分の声の頼りなさに気づいていた。


美世が何か言いかけ、そのときだった。


志乃の足が止まる。


「志乃?」


アリサが振り返る。


返事の前に、志乃は視線を右へ向けていた。住宅棟のあいだを抜ける保守車両用の細い通路。その暗がりの奥に、乾いた赤があった。


霊気力の色だった。


燃えた鉄みたいに硬く、ひどく攻撃的な赤。人の感情というより、用途を持った力の色。しかも一つではない。二つ、三つ、まだ奥にいる。


「どうしたの」


今度は美世が聞く。


志乃は唇を引き結んだ。


赤い気配は、こちらを見つけたようにわずかに揺れた。通路の奥で、金属が壁へ軽く触れるような、小さな音がする。


日常の形をして来る。


その言葉が、遅れて胸の奥で鳴った。


「……来た」


志乃の声は、自分でも驚くほど低かった。


「え?」


アリサが問い返す。


次の瞬間、保守通路の暗がりで、赤い気配が一斉に動いた。

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