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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第4節 もう一人の零

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水島の見立て

面談室を出たあとも、平間飛鳥の言葉は志乃の耳に残っていた。


隠すなら、隠しきれる情報だけにしたほうがいい。


その通りだと思う。


思うのに、中央図書館の司書の名だけは、どうしても学連へそのまま渡す気になれなかった。学連を信用していないわけではない。けれど、水島桃李について口にした瞬間、いま自分が立っている足場まで別の意味を持ってしまう気がした。


午後の授業はほとんど頭へ入らなかった。


東都研究都市の学区は相変わらず整っていて、窓の外には研究棟の白い外壁と、高架歩廊を行き交う無人搬送車が見える。講義では再建経済の物流最適化が扱われ、湾岸と内陸の流通再編が図表で説明されていたが、志乃にはどの線も、いまは追跡経路か包囲網にしか見えなかった。


放課後になると、アリサと美世がすぐに席へ来た。


「志乃、さっきの呼び出し、何だったの」


アリサが声を潜める。


「学連の人、感じ悪くなかった?」


志乃は鞄の口を閉じながら、小さく息を吐いた。


「感じ悪いっていうより、よく見てる人たちだった」


「それ、いちばん疲れるやつじゃん」


アリサは顔をしかめた。


美世は少し考えてから、静かに言う。


「今日はどこか寄るの?」


「……図書館」


その一言で、二人とも意味を察した顔になった。


「また、あの司書さん?」


アリサが問う。


志乃はうなずいた。


「少しだけ確認したいことがある」


「一人で?」


今度は美世が聞く。


「館内なら、まだ大丈夫だと思う」


言いながら、志乃自身はその“大丈夫”をあまり信じていなかった。


中央図書館は、夕方の光のなかでも静けさを崩さなかった。東都の情報中枢とも呼ばれるこの建物は、研究都市の他施設より一段温度が低い気がする。記録された知識は、街の騒ぎとは別の時間で生きている。自動返却棚を流れる資料ケースの音と、検索端末の低い駆動音だけが、広い閲覧空間に薄く響いていた。


受付奥で、水島桃李は返却された大型本の背をひとつずつ確かめていた。


銀縁眼鏡の奥の目は穏やかだが、指先の動きには一切の無駄がない。角の潰れ、糸綴じの緩み、紙口の乱れ。そのどれもを見逃さない手つきだった。近くの学生が不用意に本を机へ滑らせると、水島はすぐに顔を上げる。


「置くんじゃなくて、下ろして」


声音は柔らかい。


なのに学生はぴたりと動きを止め、慌てて両手で持ち直した。


「本は、机と喧嘩させないで」


それだけ言ってから、水島は志乃へ視線を移した。


まるで最初から来ると知っていたみたいだった。


「綾崎さん」


軽く名を呼ばれただけで、志乃は少し救われた気がした。


「少し、お時間いいですか」


「相談だね」


水島は最後の一冊を棚車へ戻し、受付の若い職員に短く引き継ぎを伝えた。


それから志乃を、前に案内された参考資料室よりさらに奥の小部屋へ通す。窓のない室内には、港湾地図、旧研究都市計画書、物流統計の製本資料が整然と並んでいた。机上には開いたままの資料があるが、乱雑さはない。すべてが分類された途中経過のように見える。


「学連に会ったんだろう」


椅子に座る前に、水島が言った。


志乃は目を見張った。


「どうして」


「朝から館内の検索制限が一部変わっていた。学連は来ると、図書館回線の一部を監視照合に借りる癖がある」


水島は淡々としている。


そこには大げさな自慢も秘密めかした演出もなかった。ただ、知っているから知っていると告げているだけだった。


「遅すぎるが、来ないよりはいい」


彼はそう言って、机の端に置かれた東都湾岸の地図を閉じる。


「……やっぱり、何か起きてるんですか」


「起きているよ」


即答だった。


志乃の喉が乾く。


「海側ですか」


「主にね」


水島は細い指で机上を二度ほど叩いた。


「湾岸倉庫、運河沿いの搬入口、夜間輸送の抜け道。最近の紅叉は、陸より海に近い場所を好んで動いている。荷の流れに紛れるのがうまい連中だから」


「紅叉……」


志乃はその名を胸の中で反芻した。


学連の網走も言っていた。東都の武装組織。そのひとつ。


「彼らは、零を“現象”としてだけじゃなく、“人”として探している」


水島の声は低く、しかしよく通った。


「力だけなら奪えば済む。でも人として見つければ、癖も限界も、反応の出方も手に入る。兵器として扱う連中にとっては、そのほうがずっと都合がいい」


志乃は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「じゃあ、私は」


その先が言えなかった。


水島はすぐに答えなかった。


代わりに、棚から一枚の古い港湾写真を抜き出し、卓上灯の下へ置く。再建前の東都湾。まだ壊れる前の岸壁と、いまは存在しない施設群。志乃には、その写真を見せる意味がすぐにはわからない。


「潮目というのは、不思議でね」


水島は写真から目を離さずに言った。


「大きなものが動く前ほど、表面は静かに見える」


そしてようやく志乃を見た。


「君は“答え”そのものではないかもしれない。でも、答えへ近づく線の上にいる」


その言い方は、安心にも絶望にもならなかった。


ただ、曖昧なまま現実味だけを増す。


「学連には、どこまで話したの」


「全部じゃありません」


「だろうね」


水島は少しだけ笑った。


責める調子ではない。


むしろ、そうだと思っていた、という顔だった。


「それでいい場合もある。ただ、今日は帰りを早くしたほうがいい」


「今日、ですか」


「今日」


水島ははっきり言い切った。


そのあと、机上の資料をひとつずつ重ね直す。物流表、警備障害記録、公開されていないはずの停船時刻一覧。志乃には読み切れない情報量なのに、水島はそれらをひとまとまりの景色として見ているようだった。


「本当に危ない日は、日常の形をして来る」


静かな声だった。


だからこそ、重かった。


「事件みたいな顔では来ない。いつも通りの下校時間、いつも通りの帰り道、いつも通りの会話の途中で、急に始まる」


志乃は指先を握る。


白塔で呼ばれた声も、湾岸で止まった弾丸も、屋上の影も、どれも前触れの形だけは曖昧だった。


「アリサさんたちと帰ります」


「それがいい」


水島はうなずく。


それから、少しだけ言葉を選ぶ間を置いた。


「もし、また“あれ”を見ても、追わないこと」


「あれ、って」


「君に『違う』と言った子だよ」


志乃は息を呑んだ。


水島は知っていた。


どこまで見ているのか、やはりわからない。


「……何者なんですか」


問うた声は、自分でもわかるほど小さかった。


水島は眼鏡の位置を直し、ほんの少しだけ視線を落とした。


「まだ、名前を先に与えないほうがいい類の存在もいる」


それは答えを拒んだ言い方だった。


だが、完全な否定でもなかった。


「今日は寄り道をしないこと。海側も、高い場所も、人気の薄い連絡路も避ける」


最後の忠告を告げると、水島はいつもの穏やかな司書の顔へ戻った。


「それと、借りた本は期限内に返して」


志乃は思わず目を瞬かせ、それから少しだけ笑ってしまった。


この人は本当に、どんな話のあとでも最後は本へ戻るのだ。


小部屋を出ると、図書館の照明はもう夜の明るさに切り替わっていた。閲覧席では学生たちが普通に端末を開き、参考書を広げ、静かな時間を過ごしている。


どこから見ても、日常だった。


それなのに志乃には、その日常の輪郭が少し薄く見えた。


本当に危ない日は、日常の形をして来る。


水島の言葉を胸に残したまま、志乃はアリサたちの待つ正面ロビーへ向かった。次の帰り道が、いつも通りでは終わらないような気がしていた。

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