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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第4節 もう一人の零

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保護対象

「中心にいる、と言っても、あなたが原因だと断定したわけではありません」


平間飛鳥は、先ほどと同じ静かな口調で言った。机上の端末には、湾岸連絡デッキ、学区屋上、保守通路、そしてその周辺の監視記録が薄い線で結ばれている。線の中央に近い位置へ、志乃の行動時間帯が重ねられていた。


東都研究都市では、出来事はすぐに記録へ変わる。再建後の都市機構は、災害と暴動の再発を防ぐため、監視と統計を平穏の基礎に据えている。だからこそ、その記録の中心に自分の名前があることは、保護と同時に拘束にも等しかった。


「では、何なんですか」


志乃は地図から目を離せないまま聞いた。


「私は、事件の被害者なんですか。それとも」


言い切る前に、網走連が腕を組んだまま答えた。


「今のところは、保護対象だ」


その言葉はまっすぐだった。


けれど、志乃の胸は少しも軽くならない。


保護対象。


それは東都では、危険に巻き込まれた者にも、危険を引き寄せる者にも使われる呼び名だった。


「……監視対象と、あまり違わないですね」


志乃がそう言うと、飛鳥の目がわずかに細くなった。


「理解は早いですね」


否定しないのだ、と志乃は思った。


網走が小さく息を吐く。


「言い方の問題だ。君を締め上げに来たわけじゃない」


「でも、行動は見られるんですよね」


「必要ならな」


短く返してから、網走は少しだけ声を落とした。


「見てないと、死ぬことがある」


その一言だけは、経験の重さを含んでいた。


部屋の空気が少し沈む。


飛鳥は端末を閉じ、今度は紙の記録用紙を一枚だけ志乃の前へ置いた。


「順番に確認します。湾岸の件より前からでいい。最近、日常から外れたことはありましたか」


志乃は喉の奥で言葉を探した。


白塔。


あの白い内部。女の声。助けたければ、零を探せ。図書館の棚の奥にあった本。水島桃李の警告。海に近づかないこと。返事をしないこと。


どこから話しても、全部がつながってしまう気がした。


「……湾岸の前に、学区の近くで変な気配を感じたことはあります」


結局、志乃はそう答えた。


「屋上にも、誰かいました」


飛鳥の視線が少しだけ深くなる。


「誰か、ですか」


「顔は見えませんでした。フードをかぶっていて」


「声は」


その問いに、志乃は一瞬だけ黙った。


低い声で言われた二文字を思い出す。


違う。


「……少しだけ」


「内容は」


志乃は机の縁を見つめた。


「よく、聞こえませんでした」


嘘ではない。


だが、本当でもなかった。


飛鳥はその沈黙を記録ごと見るように、数秒だけ志乃を見た。


「白塔については」


不意に出た単語に、志乃の肩がわずかに強張った。


その反応を見て、飛鳥は何も逃さなかった。


「心当たりがある顔をしましたね」


「……東都に住んでいれば、誰でも名前くらいは知っています」


志乃はなるべく平らに答えた。


白塔は東都の都市景観の一部として知られている。旧時代の再建前研究棟、あるいは慰霊施設、あるいは封鎖区画。人によって説明の違う場所だ。その曖昧さを盾にできると、一瞬だけ思った。


だが飛鳥は頷いただけで、追及の仕方を変えた。


「綾崎さん。あなたは、話していない出来事を持っていますね」


言い切りだった。


志乃は思わず顔を上げる。


飛鳥の表情は変わらない。責めるでも、挑発するでもない。ただ観察結果を机に置くように告げているだけだった。


「回答の間が一定じゃない。屋上の人物の件だけでなく、その前段に何かある。しかも、あなたはそれを“嘘として隠す”より、“話さないことで守る”ほうを選んでいる」


志乃の指先が冷えた。


この人は、人の声を聞いているのではない。沈黙の形を見ている。


「……全部話したほうがいいんですか」


ようやく出た声は、少しかすれていた。


飛鳥が答える前に、網走が口を開いた。


「怖いなら、無理に今すぐ全部言わなくていい」


志乃は意外そうにそちらを見る。


網走は椅子にもたれず、前へ少しだけ身を乗り出した。


「ただし、危険に直結することなら別だ。隠したせいで君か、君の近くにいる誰かが死ぬかもしれない」


率直すぎる言い方だった。


けれど、その言葉は志乃の胸にまっすぐ入った。


「今、東都で動いてる連中は、ただの噂好きじゃない」


網走の視線が端末の地図へ落ちる。


「紅叉は、使える力を武器として確保したがる。月砂は、人ごと抱え込んで囲う。どっちも“保護”とか“救済”とか言い換えることはあるが、やってることは大差ない」


飛鳥が静かに補足した。


「学連は少なくとも、学区の人間を勝手に連れ去らせるつもりはありません」


「少なくとも、って言いましたね」


志乃が思わず返すと、飛鳥はほんの少しだけ口元を動かした。


「正直でいたいので」


その返答は、冷たいのに妙に信用できた。


網走が机上の用紙を指先で軽く叩く。


「だから確認する。知らない番号からの接触、追跡、呼びかけ、変な誘導。何かあったか」


志乃のポケットの中で、端末と紙片が同時に重くなった気がした。水島から渡された番号。昨夜届いた無署名のメッセージ。返事をしなかったね、という湿った文面。


言うべきだと思う。


けれど、水島桃李の名前をここで出すことには、別の扉を開く感じがあった。あの人は学連にも知られているはずなのに、なぜか簡単に渡してはいけない情報に思えた。


「……追跡は、ありました」


志乃はそこで止めた。


「メッセージも、少し」


「見せられますか」


飛鳥の問いに、志乃は一拍だけ迷い、それから昨夜の文面だけを表示した。


《零じゃないなら、君は何だ》


網走の眉が動く。


飛鳥は画面を見て、数秒だけ黙った。


「送り主は一人ではないかもしれませんね」


その言い方に、志乃ははっとする。


飛鳥は視線を上げた。


「あなたには、別の接触経路もある」


「……どうしてそう思うんですか」


「今、その文面より先に、隠している相手のほうを気にした顔をしたからです」


志乃は返す言葉を失った。


網走がそこで立ち上がる。面談の区切りをつける動作だった。


「今日はこれでいい」


「いいんですか」


志乃が聞くと、網走は頷いた。


「全部吐かせるのが目的じゃない。君を一人にしないのが先だ」


飛鳥も端末を閉じる。


「綾崎さん。あなたは自分で思っているより、いくつかの勢力に近い位置へ入っています。何か一つでも思い出したら、些細でも共有してください」


そして少しだけ間を置き、言った。


「隠すなら、隠しきれる情報だけにしたほうがいい」


それは脅しではなかった。


観察者からの、静かな忠告だった。


扉の前まで来たところで、網走が最後に振り返る。


「一人になるな」


短い言葉だった。


だが、今までのどの説明よりも強く残った。


面談室を出た志乃は、廊下の白い光の中でしばらく立ち止まった。学区の窓の向こうには、整然とした東都の街並みが見える。管理され、監視され、再建された安全な都市。


そのはずなのに、志乃には今、そのどこに立っても見えない手が伸びてくるように思えた。


全部は話せなかった。


話さなかったことで、かえって浮かび上がったものもある。


学連に知られたくないことがあるのではない。


先に確かめなければならない相手がいる。


中央図書館の、あの穏やかな司書の顔が脳裏に浮かぶ。


水島桃李。


志乃はゆっくり息を吸い、教室へ戻る前に一度だけ端末を握り直した。


次に会うべき相手は、もう決まっていた。

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