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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第3節 ロストテクノロジーは誰のためにあるの?

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止まった弾丸

「志乃、今日ほんとに大丈夫?」


昼休みの教室で、西野アリサは紙パックのミルクティーを片手に、向かいの席の志乃をのぞきこんだ。窓の向こうには、東都研究都市の再建高層群が白く光っている。研究棟と学区をつなぐ空中歩廊を、学生輸送の無人カートが滑るように通り過ぎていった。


志乃は弁当の卵焼きを箸でつついたまま、曖昧にうなずいた。昨夜からずっと、水島桃李の声が頭の奥に残っていた。海に近づかないこと。たったそれだけの忠告なのに、白塔で聞いた女の声と同じくらい、耳から離れない。


「図書館、何かあったの?」


古本美世が静かに聞く。彼女はいつもより少しだけ声を落としていた。志乃の顔色が悪いことに、二人とも気づいているのだろう。


「ううん。ちょっと、調べものが思ったより変で」


そう答えたあとで、志乃は自分の言葉の曖昧さに気づいた。変だったのは資料だけではない。自分の周りの空気も、昨日から少しずつ歪んでいる気がする。けれど、それをそのまま言葉にするには、まだ何も掴めていなかった。


「また一人で無茶しないでよ」


アリサは冗談めかして言ったが、その目は本気だった。


志乃は笑おうとして、うまく笑えなかった。


放課後、志乃は二人と別れて一人で帰路についた。本当は内陸側のルートを通るつもりだった。海風の入る運河沿いは避ける。そう決めていたのに、大学区画から中央居住区へ向かう高架通路で、輸送線の一部停止を知らせるアナウンスが流れた。


「設備点検のため、第三連絡橋は一時閉鎖中です。湾岸連絡デッキをご利用ください」


立ち止まった志乃の頬を、冷たい風がなでた。塩の気配が混じっている。遠くに水面があるとわかる匂いだった。


行きたくない、と体が先に思った。


それでも、迂回路はそこしかない。学生や研究員たちも同じ方向へ流れていく。志乃は人波に押されるようにして、透明な防風壁に囲まれた湾岸連絡デッキへ足を踏み入れた。


夕暮れの運河は鈍い鉛色だった。物流用の小型艇が、静かな航跡だけを残して進んでいる。対岸には、旧港湾施設を改修したエネルギー倉庫群が並び、そのさらに向こうで、東都湾の海面が薄く光っていた。


嫌な感じがした。


霊気力の色を見るようになってから、志乃は場所ごとの濃淡に敏感になっていた。このデッキの先、倉庫街の端に、乾いた赤と、ぬめるような緑が絡み合っている。人目を避けて擦れ合う、争いの色だった。


そのとき、前方で子どもの泣き声がした。


「やだ、そっち行っちゃだめ!」


母親らしい女の悲鳴が、夕方の空気を切り裂いた。


小さな男の子が、デッキ脇の非常通路へ転がっていく赤いボールを追って、柵の外れた保守用スペースへ飛び出していた。ちょうどその先、倉庫街との境目で、二人の男がもみ合っているのが見えた。片方は黒い上着の下に武装を隠している。もう片方は腕を押さえ、よろめきながら後退していた。


次の瞬間、鈍い破裂音が響いた。


普通の銃声とは少し違う、霊気力を圧縮した弾丸特有の、空気を焦がすような音だった。


志乃には、その弾道が見えた。


細く白い線が、男の手元からまっすぐ伸びる。その先にいるのは、立ち尽くした子どもだった。


「危ない!」


叫んだ自分の声が、ひどく遠く聞こえた。


志乃は考えるより先に走っていた。足が勝手に床を蹴り、腕が伸びる。世界が一瞬だけ、音を失ったように静かになった。風も、人の悲鳴も、運河の水音も、すべてが遠ざかる。


指先の前に、弾丸があった。


小さく、熱を帯びて、しかしありえないほど遅い。時間ごと削られたみたいに、その弾は志乃の前で止まりかけていた。


胸の奥で、何かが冷えた。


白塔で感じた空白に似たものだった。形も名前もない、空白だけが、志乃の手のひらからひらいた。


弾丸が、消えた。


砕けたわけでも、弾かれたわけでもない。ただ、そこにあった運動と熱と音だけが抜き取られたように、白い粒子になってほどけ、床へ落ちる前に見えなくなった。


男の子の肩を抱き寄せた志乃は、そのまま床へ膝をついた。遅れて周囲のざわめきが一気に戻ってくる。


「……え」


子どもを追ってきた母親が、息を呑んだまま立ち尽くしていた。


発砲した男も、追われていた男も、同じ顔でこちらを見ている。理解が追いつかない、という顔だった。安全管理ドローンの警告灯が回り始め、上空から機械音声が降ってくる。


「武装行為を検知。付近の市民は退避してください」


志乃の腕の中で、男の子が震えていた。無事だ。怪我はない。それを確かめた瞬間、膝が遅れて震えた。今、自分が何をしたのか、本人にもわからない。


「お姉ちゃん、いま……」


子どもが見上げる。


志乃は答えられなかった。


代わりに、母親が駆け寄って男の子を抱きしめ、何度も頭を下げた。礼の言葉は聞こえたが、意味としては入ってこない。倉庫街の男たちは、ドローンの接近を見て反対側の搬入口へ逃げていく。その背を追うように、遠くで別の足音がいくつも重なった。


人が集まりはじめる前に、志乃は立ち上がった。


「だ、大丈夫です。早く、離れたほうが」


それだけ言って、彼女は人混みの外へ身を滑らせた。背中に視線が突き刺さる。怖かった。助けられたはずなのに、何か取り返しのつかないものを見せてしまった気がした。


デッキの端まで来たとき、志乃は思わず振り返った。


運河の向こう、倉庫の屋上に、一人の影が立っていた。逆光で顔は見えない。細身の体つき。フードをかぶったまま、こちらを見ているようだった。


その影は、逃げもしない。ただ、志乃が振り返るのを待っていたかのように、じっと立っている。


次の瞬間、警備ドローンの光が横切り、視界が白くちらついた。


目を戻したときには、もうそこに人影はなかった。


水面だけが、夕闇の色を吸いこんでいた。


志乃の耳の奥で、水島の声がまたよみがえる。


海に近づかないこと。


遅すぎた、と志乃は思った。


そして同時に、もう何かに見つかってしまったのだとも。

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