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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第3節 ロストテクノロジーは誰のためにあるの?

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零がすべてを奪う

――そのとき、零が現れる。


その一文を見た瞬間、綾崎志乃の指先がぴたりと止まった。


零。


ついにこの本の中へ、その名前が出てきた。


白塔の地下で、あの男が自分に探せと命じた名前。


東都の裏側で、絵札の外にいると囁かれている名前。


噂の中では姿も能力も定まらず、誰もが知っているようで誰も本当には知らない名前。


それが、いま目の前の本には、まるで最初からそこへ置かれるべき言葉だったみたいに書かれている。


志乃は一度だけ顔を上げた。


図書館は相変わらず静かだった。


誰も立ち上がらない。


誰も騒がない。


遠くでページをめくる音がして、端末の操作音が控えめに鳴る。そのどこまでも普通の空気の中で、自分だけが本の中身に息を詰めているのが、ひどく場違いに思えた。


志乃は唇を引き結び、続きを読んだ。


そこから先の文章は、それまで以上に妙だった。


物語として書かれているはずなのに、急に記録文めいた硬さが増すのだ。誰かの感情や会話を追うというより、これから起こる出来事を、順序立てて冷たく並べているように見える。


白い塔を巡って争いが起きること。


札の名で呼ばれる者たちが、それぞれの思惑で動くこと。


その激突によって、市民にも死傷者が出ること。


東都の均衡は、見えないところですでに崩れ始めていること。


どの行も断定的だった。


予測ではない。


想像でもない。


起きると知っている者が、その事実だけを順に書き置いているような不気味さがある。


志乃は喉が乾くのを感じた。


四天王同士の戦いによって死傷者が出る。


その内容そのものも恐ろしいが、それ以上に怖いのは、本がそれを“街で起こるひとつの段階”として当然みたいに扱っていることだった。第三地区の抗争を見たあとだからこそ、その文が絵空事に読めない。


ページをめくる。


青年の記述がまた現れる。


名はまだない。


顔も書かれていない。


けれど、白塔を巡る戦いが極まったところで、その青年が現れ、鉄槌を下すとだけある。


鉄槌。


その言葉に、志乃の中で昨夜までに集めた噂がいくつも繋がる。


能力を消す者。


奪う者。


終わらせる者。


零はただ強いだけの存在ではない。戦いの勝敗を塗り替えるというより、その戦いが成り立つ前提そのものをひっくり返してしまうものとして語られていた。


そして、その数ページあとに、志乃の呼吸を止める一文があった。


文章の流れの中にあるはずなのに、そこだけ妙にはっきりと浮いて見える。


まるでその行だけ、他の文字より重いみたいだった。


――零がすべてを奪う。


志乃は無意識にその一文を目でなぞった。


もう一度読む。


零がすべてを奪う。


曖昧な言葉だ。


何を奪うのか、ここではまだ書かれていない。


命なのか。


街なのか。


力なのか。


あるいは全部なのか。


けれど、東都で囁かれている零の噂を思い出すには十分すぎた。能力を消す、奪う、流れを断ち切る。どれも本当かどうかわからない断片だったはずなのに、この本の一文は、その断片へ別の重みを与えてしまう。


「……奪うって、何を」


小さく呟く。


もちろん答えはない。


ページの上には静かな文字だけが並んでいる。


志乃はさらに読み進めた。


そして次の段落で、指先がまた止まる。


――その零の能力を奪うものが頂点に立つ。


今度こそ、背筋を冷たいものが走った。


零が奪う。


そして、その零の能力を奪うものが頂点に立つ。


言葉の構造が、嫌になるほどはっきりしている。零は終点ではない。奪われる対象でもある。つまりこの街で起きる争いは、零そのものを巡るものになるのだと、そう読めてしまう。


志乃は本から目を離し、机の上へ置いた自分のノートを見た。


白塔。


霊気力。


零。


別々に書いたはずの三つの言葉が、この本の中では最初からひとつの流れとして配置されている。


白塔を巡る争い。


四天王の衝突。


現れる青年。


零が奪う。


その零を奪う者が頂点に立つ。


偶然にしては、線が繋がりすぎていた。


「これはこれから本当に起こる未来の話?」


自分でも気づかないうちに、そんな言葉が漏れていた。


読み終えていないのに、すでに“誰かが盤面を知っている”感じが強すぎるのだ。


図書館の冷えた空気の中で、志乃の額にうっすら汗が滲む。


それでも、ページを閉じることはできなかった。


知ってしまった以上、最後まで見なければもっと嫌な形で後悔する。そんな予感があった。


そして、次に現れた一文が、その予感を最悪の形で裏切った。


それまでの文章とは少し離れて、ぽつりと置かれたような短い記述だった。


日付のようでもあり、予告のようでもある。


――十二月初旬、この東都は滅びる。


志乃は本を持つ手に力を入れすぎて、紙の端が小さく鳴るのを聞いた。


十二月初旬。


いまはまだ十月の終わりだ。


十一月に入るまで、あとほんの数日しかない。そこから数えても、一か月と少し。そんな近い未来に、東都が滅びる。


滅びる、とは何を意味しているのか。


物理的な崩壊か。


統治の崩壊か。


白塔を中心にした何かの大規模災害か。


わからない。


なのに、その一文だけは妙に現実味を持って喉へ落ちてくる。白塔の地下を知っているからか。第三地区の抗争を見たからか。零という名前を探し続けてきたからか。理由はひとつではないのだろう。


志乃は勢いよく本を閉じた。


乾いた音が、静まり返った図書館の中で思ったより大きく響く。


数秒遅れて、自分が音を立てたことに気づく。


まずい、と反射的に思った。


心臓が跳ねる。


周囲に顔を向ける。


けれど、さっきまでと同じだ。端末を見ている院生はまだ画面の前にいるし、窓際の女子学生も顔を上げていない。誰も、自分の机の上の本へ気づいていないように見える。


それでも志乃は、すぐには安心できなかった。


自分だけが知ってしまったものを、世界のほうもすでに知っているのではないか。そんな馬鹿げた考えが浮かんでしまうくらい、本の中身は嫌な形で現実へ近づいていた。


白塔。


零。


東都の滅び。


全部が繋がっている。


そしてそのことを、誰かはもう知っている。


志乃は本の表紙へ手を置いたまま、もう一度だけゆっくり辺りを見回した。


少なくとも、この一角には誰もいない。


そう思って、小さく息を吐いた、その瞬間だった。

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