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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第2節 霊気力

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空振り

 北側高架でフードの若い男を見た。


 その一文を見つけた夜、綾崎志乃はほとんど考えるより先に部屋を出ていた。


 時間は遅かったが、東都ではそれほど不自然ではない。研究棟も物流線もまだ動いているし、遅い講義帰りの学生だって珍しくない。けれど、普段なら夜の一人歩きにそこまで積極的ではない志乃が、高架のほうへ足を向けるのは明らかに“いつも通り”ではなかった。


 北側高架は、大学区画から少し離れた輸送線の縁にある。


 昼間は搬送車両と保守ドローンの気配が強いが、夜になると急に人気が薄くなる場所だった。照明はある。道も整っている。けれど人の流れが少ないぶん、音が反響しやすく、足音ひとつでも妙に大きく聞こえる。


 志乃は高架下の歩道へ入ったところで、無意識に足をゆるめた。


 第三地区で感じたような激しい色はない。


 赤も、深緑も、青紫も、銀も。


 あの夜のような暴力的な圧は、この場所には残っていなかった。


 その代わり、ごく薄いざらつきがある。


 人が複数通ったあとの、感情の残り香みたいなもの。


 恐怖、苛立ち、警戒。


 どれも小さい。


 だからこそ、本当にここで“何かがあった”のか、ただ誰かが勝手に盛った噂なのか、判別がつかなかった。


 高架柱の影に、一人の男が座り込んでいた。


 作業着姿の中年だった。脇には工具箱があり、缶コーヒーの空き缶が足元に転がっている。志乃が近づくと、男は少しだけ顔を上げた。


「何」


 警戒というより、面倒くさそうな声だった。


 志乃は一瞬だけ迷ってから、できるだけ自然に尋ねる。


「ここで昨日、何かありました?」


 男は眉をひそめる。


「何かって」


「フードを被った若い男を見たって話を聞いて」


 そこまで言うと、男はああ、とだけ短く息を吐いた。


「見たよ」


 志乃の胸が小さく跳ねる。


 だが次の一言で、その高まりはすぐにしぼんだ。


「保守班の新人だろ」


 男は工具箱を足先で小さく寄せた。


「夜勤のやつ、みんなパーカー着てるし」


 志乃は言葉を失う。


 たしかに高架の保守班なら、フードつきの作業着を着ていてもおかしくない。


「でも、近くにいた霊気力者が急に黙ったって」


 食い下がるように言うと、男は肩をすくめた。


「そりゃ黙るだろ」


 彼は面倒そうに笑った。


「学連の巡回が来たんだから」


 志乃はその場で完全に立ち止まった。


 噂は、こうしてすぐ別の意味へ変わる。


 若い男。


 フード。


 霊気力者が黙った。


 その断片だけを繋げば、いかにも“零っぽい”話になる。けれど実際には、ただ保守班の新人が通って、そこへ学連が巡回に来ただけかもしれないのだ。


 その夜は、それ以上何も掴めなかった。


 翌日、志乃は別の書き込みを追った。


《中央地下モールで能力を消されたやつがいる》


 講義の合間にその文を見つけたときには、もう自分でも嫌になるくらい反射的にメモを取っていた。


 中央地下モールは、人が多い。


 人が多いぶん、霊気力に鈍い者でもなんとなく疲れる場所だと志乃は思っている。生身の感情が絶えず行き交い、端末の通信と広告表示と、わずかな霊気力の名残が空気の中で混ざり合う。感知に敏感な志乃には、長居したい場所ではなかった。


 それでも行った。


 零が“能力を消す”という噂に、どうしても引っぱられたからだ。


 地下モールへ下りた途端、頭の奥が少し重くなる。


 雑多な色が多すぎる。


 通行人一人ひとりの輪郭は弱いのに、数が多いせいで全体が濁流みたいになっていた。ここへ強い霊気力者が混じれば、たしかに何かを見落としても不思議ではない。


 志乃は案内板の前で立ち止まり、辺りを見回す。


 噂の出所らしい店名も時間帯も曖昧だった。こういう情報はいつもそうだ。肝心なところだけ、都合よくぼやけている。


 やがて通路の向こうに、ひときわ強い色が見えた。


 灰青色。


 人混みの中ではっきり輪郭を持つ、冷たい霊気力。


 フードを被っている。


 細身。


 若い男にも見える。


 志乃の心臓が跳ねた。


 考えるより先に足が動く。


 人の波を縫って、その背中を追う。相手は早歩きだ。だが慣れているのか、通行人にぶつかりそうでぶつからず、最短で人の少ない通路へ抜けていく。


 志乃はその背を追って角を曲がった。


「待って」


 思わず声が出る。


 相手が振り返る。


 フードの下から現れたのは、志乃より少し年上に見える男だった。整備会社のロゴが入ったジャケット。肩には工具ケース。目元には明らかな疲労。


「……何ですか」


 不審者を見る顔だった。


 志乃は立ち尽くす。


 灰青色の正体は、強い霊気力者ではなかった。電磁設備の近くで長く働いている人間に時々ある、機械系のノイズを帯びた気配だったのだ。志乃が焦りすぎたせいで、輪郭を勝手に“零っぽく”見誤っただけだった。


「ごめんなさい」


 それしか言えず、志乃は頭を下げた。


 男は露骨に訝しみながらも、急いでいたらしく、そのまま去っていく。


 残された志乃は、地下通路の隅でしばらく動けなかった。


 恥ずかしかった。


 そして何より、自分の感覚が当てにならないことが苦しかった。


 探知できる。


 位置もなんとなく掴める。


 けれど、そこへ焦りが混じった瞬間、見たいものを見てしまう。そうなれば、能力は手がかりではなくただのノイズになる。


 三つ目の空振りは、学内で起きた。


 霊気力適性の高い学生同士が実習棟の裏で揉め、片方の能力が突然“落ちた”という噂が流れたのだ。


 今度こそ何かあるかもしれない、と志乃は思った。


 だが実際には、単に教員が簡易制圧用の減衰装置を使っただけだった。


「零?」


 そう言って笑ったのは、実習棟前にいた上級生だった。


「いるわけないでしょ、こんなとこに」


 その言い方には、妙な確信があった。


「零が出るなら、もっとやばいとこだよ」


 志乃は何も言えなかった。


 否定も、肯定も。


 もっとやばいところ。


 たぶん、その通りなのだろうと思ってしまったからだ。


 数日のあいだに、志乃のメモは増えた。


 そして同じくらい、×印も増えた。


 北側高架――保守班の新人。


 地下モール――設備整備員。


 実習棟裏――教員の減衰装置。


 その他にも、裏路地の目撃談、夜間バス停の噂、研究棟の非常階段で見たという書き込み、駅前の乱闘で能力が消えたという話。追えば追うほど、似た断片だけがいくつも現れ、そのたびに実体は指のあいだからすり抜けていった。


 零は噂の中で、あまりにも便利に使われすぎていた。


 人が急に黙れば零。


 能力が不発なら零。


 強い相手が一瞬ひるめば零。


 姿が見えなければ零。


 そうやって何もかもへ名前だけが貼られていく。


 志乃はベッドの上でノートを開き、増えすぎたメモを見つめた。


 断片。


 断片。


 断片。


 どこにも芯がない。


 あるいは芯だけが、意図的に見えなくされている。


 喉の奥が、うっすらと冷えた。


 白塔のことは話せない。


 あの女のことも、静かな男のことも言えない。


 なのに手元にあるのは、誰かが勝手に膨らませた噂ばかりだ。


「違う」


 志乃は小さく呟いた。


 端末の画面を閉じる。


 都市伝説を集めたいわけじゃない。


 自分が知りたいのは、零という単語がどこから来て、どうして白塔の地下と繋がっているのか、その根っこのほうだ。


 噂を追えば追うほど、むしろ遠ざかっている気がする。


 零の輪郭ではなく、東都の人間が零へ貼りつけた願望や恐怖ばかりが見えてくるのだ。


 窓の外では、研究都市の灯りが今日も同じように点いている。


 白く、整って、清潔な街。


 その裏側を噂だけで掘ろうとしても、たぶん限界がある。


 志乃は静かにノートを閉じた。


 もう、追い方を変えなければならない。

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