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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第2節 霊気力

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零探し

その夜から、綾崎志乃の“零探し”は本格的なものになった。


第三地区の抗争を見てしまったせいだった。


いや、正確には、最後に野次馬の中から聞こえた一言のせいかもしれない。


――零でもいなきゃ止まらねえよ。


あれは冗談ではなかった。


少なくとも、あの場にいた人間の口ぶりはそうだった。学連が介入し、師崎宇連が間へ割って入り、最悪を食い止めていた。それでもなお、「零なら」という言い方が出てくる。


つまり東都では、零という存在がただの怪談ではなく、危機の規模を測る基準としてすでに機能しているのだ。


部屋へ戻るなり、志乃は鞄も下ろしきらないまま端末を開いた。


検索履歴はもう“零”だらけだった。


東都 零。


東都 ジョーカー。


霊気力 零位。


絵札 ジョーカー。


昨夜までとは違う。


今日はもう、半信半疑ではいられなかった。第三地区でぶつかっていたあの四つの色を見たあとでは、東都の裏側に“説明のつかない例外”がいても不思議ではないと思えてしまう。


最初に見たのは、また匿名掲示板のまとめだった。


第三地区の件で新しい書き込みが増えている。


《学連入った》


《師崎が割った》


《総長はまだ出てない》


《いや、あれ零案件だろ》


《零ならそもそも始まる前に止める》


志乃は指を止めた。


始まる前に止める。


その表現が妙に引っかかる。


強い霊気力者なら、戦いを制する、圧倒する、勝つ、そういう書き方になりそうなものだ。なのに零に関しては、“起きたあとに勝つ”より“起きる前に終わらせる”という言い回しが多い。


「……止める側」


呟いてみる。


喉は締まらない。


やはり零の名は、呪いの外側にある。


次に志乃は、霊気力研究系のフォーラムへ移った。こちらは表向き真面目な議論が多いぶん、逆に断片的な噂の混じり方がいやに生々しい。


《零は対霊気力特化だって聞いた》


《違う。奪うんだよ》


《消すんじゃなくて、流れを断ち切る》


《見られただけで動けなくなったって証言あっただろ》


《それ別件》


証言はことごとく食い違う。


能力を消す。


奪う。


断ち切る。


視線だけで止める。


どれか一つなら誇張された都市伝説で済む。だが複数の場所で、少しずつ違う言い方をされるせいで、逆に輪郭が濃くなっていくのが不気味だった。


誰も正確には知らない。


けれど、何かを“無効化する側”だと多くの人間が認識している。


志乃は端末のメモ機能を開き、初めて自分なりに情報を整理し始めた。


零=ジョーカー?


絵札の外側?


存在は不確定。


能力は「消す」「奪う」「止める」系?


姿は一定しない。


その最後の一行で、志乃の手が止まる。


姿は一定しない。


今日までに読んだ目撃談は、年齢も性別も服装もまるで一致していなかった。若い男。女。学生。もっと年上。フードを被っていた。顔が見えなかった。目だけが印象に残った。細身。長身。逆に小柄だったという証言まである。


「こんなの、探せるわけ……」


思わず漏れた言葉は、途中で消えた。


探せるわけがない。


本来ならそう思う。


けれど自分は探さなければならない。白塔の地下の女を助けるために。喉に刻まれた呪いを解くために。あるいはそのどちらでもなく、もう“零を探せ”という命令を知ってしまったから。


端末が震えた。


アリサからのメッセージだった。


『今日はもう部屋いる?』


志乃は数秒迷ってから、短く返す。


『いる』


すぐに返事がくる。


『ならよかった』


それだけだった。


問い詰めるでもなく、説教するでもなく、ただ無事だけを確認して引く。その距離感が、今の志乃にはありがたかった。


白塔のことも、呪いのことも、第三地区で見たことも言えない。


それでもこうして繋がっていてくれる人がいると、まだ日常へ戻れる気がする。もっとも、その日常から自分がどんどんずれていることも、同時に痛いほどわかっていた。


翌日から、志乃は検索だけでは足りないと思うようになった。


講義の合間、学内の噂話にわざと混ざる。


食堂の隅で霊気力の話をしている上級生へ、何気ない顔で耳を傾ける。


サークル棟の前で、第三地区の件を得意げに語る男子学生に近づく。


聞き方は慎重だった。


いきなり白塔や呪いの話へ触れる必要はない。


零という名前だけなら出せる。


「ねえ、零ってそんなに有名なの?」


志乃がそう訊くと、相手はたいてい少しだけ驚いた顔をした。


「有名っていうか」


ある先輩は苦笑した。


「名前だけ一人歩きしてる感じかな」


別の学生は肩をすくめた。


「実在するなら怖すぎるし、しないなら噂の育ち方が気持ち悪い」


また別の誰かは、もっと露骨だった。


「零の話するやつって、だいたい盛ってるから」


そこに笑いが混ざることもある。


だが完全に笑い話で終わらないのが、やはり東都らしかった。


「でも、能力を消されたって話は何件か聞いた」


霊気力工学科らしい男子学生が、真顔でそう言ったこともある。


「暴走寸前のやつが、一瞬で沈んだとか」


「沈んだ?」


志乃が訊き返すと、彼は少しだけ言葉を探した。


「切れたみたいに」


その表現に、志乃は寒気を覚えた。


切れた。


霊気力の流れが。


あるいは能力そのものが。


白塔で志乃へ呪いをかけたあの男とは真逆の性質に思える。あの男は“刻む”側だった。零はもし本当にそういう力を持つなら、“断つ”側なのかもしれない。


ただ、話を聞けば聞くほど、零は人というより現象めいていく。


同じ人物像へ収束しない。


同じ能力にも収束しない。


なのに誰もが、自分なりの“零像”を持っている。


志乃は講義ノートの裏へ、小さく噂を書き溜めていった。


フードの男。


視線だけで止める。


能力を消す。


能力を奪う。


絵札の外。


現れ方が不定。


戦場だけに出る?


そのうち、自分でも何を書いているのかわからなくなってくる。


断片ばかりで、芯がない。


あるいは、芯だけが見えないようにできているのかもしれなかった。


昼休み、珍しく美世がそのメモを覗き込んだ。


「増えたね」


彼女は静かに言った。


志乃は慌ててノートを閉じかける。


「見えるように置いてたあたしが悪い」


自嘲気味にそう返すと、美世は否定しなかった。


ただ、閉じきる前のページに残った“能力を消す”という文字を見て、少しだけ目を細めた。


「消す力って、怖いよね」


その一言が、志乃には妙に重く聞こえた。


「壊すより、静かだから」


志乃は何も返せなかった。


美世はそれ以上踏み込まず、いつもの調子で牛乳パックのストローを折り曲げている。けれど、今の発言だけで十分だった。彼女はやはり、こういう話の輪郭を直感的に掴むのがうまい。


その夜、志乃はさらに深い場所まで潜った。


検索結果の表面ではなく、削除済みログの保管庫、裏市場の監視板、半ば違法めいた投稿サイト。そこまで行くと、零の噂はもっと危うい熱を持ち始める。


《零を手に入れたやつが東都を取る》


《零そのものより、零の能力の複製が問題》


《零は一人じゃない説ある》


《零を見たやつは大体消える》


最後の一文で、志乃の指先が止まった。


消える。


単なる比喩かもしれない。


だが、白塔の地下の女を思い出すには十分だった。


あの人は、消えた人間の成れの果てなのだろうか。


あるいは、零と何か関係があるのだろうか。


問いは増えるばかりで、答えはひとつも近づいてこない。


夜更け、端末の画面を閉じたとき、志乃の目はひどく疲れていた。


だがそれでも、初日のような完全な暗闇ではなくなっている。


零という名前は、東都のそこかしこにある。


誰も正しく知らないのに、誰も完全には否定しない。


そして噂の芯には、どうやら一つの共通項がある。


零は“戦う者”というより、“奪う者”あるいは“終わらせる者”として語られている。


志乃はベッドに腰を下ろし、窓の外を見た。


東都の灯りは今夜も白い。


白塔はここから見えない。


それなのに、目を閉じると、あの地下の冷たい部屋と、静かな男の声が蘇る。


助けたければ、“零”を探せ。


「探してるよ」


誰に向かってでもなく、志乃は小さく呟いた。


「でも、どこにいるの」


答えはない。


ただ、端末の通知欄に、新しい書き込みがひとつだけ上がっていた。


《昨夜、北側高架でフードの若い男を見た。近くにいた霊気力者が急に黙った》


志乃は画面を見つめたまま、ゆっくりと息を止めた。

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