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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第2節 霊気力

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抗争

綾崎志乃は、ほとんど衝動だけで東へ向かっていた。


自分でも無茶だとわかっている。ついさっきまで校舎の前でふらついていた人間が、そのまま危険のありそうな区画へ足を向けるなど、正気の沙汰ではない。アリサに止められたのも当然だし、美世の忠告のほうがよほど正しい。


それでも、足は止まらなかった。


第三地区から流れ込んでくる四つの色が、志乃の感覚をずっと引っぱり続けていたからだ。


赤。


銀。


深緑。


青紫。


色というより、性質そのものが遠くから身体へ触れてくる。


赤は膨張する。


ただ燃えるのではなく、空気ごと押し広げながら、何もかもを巻き込んで破裂しようとする。


銀は走る。


小さく、鋭く、留まることを知らない刃先みたいに、何度も軌道を変えながら隙間を探している。


深緑は這う。


地面の裏から、見えない根がじわじわと広がるみたいに、触れたものを絡め取ろうとしていた。


青紫は貫く。


一本の意志が、三つに裂けたまま前へ出る。まっすぐで、冷たく、退くという発想のない色だった。


その四つが、同じ場所でぶつかっている。


志乃には、それがほとんど位置情報みたいにわかってしまう。頭の中に地図があるわけではない。けれど、どの道を曲がれば圧が強くなるか、どこで空気が張りつめるか、足が勝手に選んでしまうのだ。


大学区画を離れるにつれて、街の表情も少しずつ変わっていく。


白い研究棟は数を減らし、代わりに倉庫や整備施設、古い低層建築が目立ちはじめる。大通りの照明はまだ整っているが、一本裏へ入るだけで人通りは急にまばらになった。シャッターを半分閉めた店。急ぎ足で帰路をたどる住民。何が起きるのか正確には知らなくても、何かが起きそうだという空気だけは、もう区画全体へ薄く広がっているらしかった。


何度か、引き返そうとも思った。


駅へ戻って、電車にでも乗って、今日はもう部屋へ閉じこもってしまえばいい。誰にも迷惑をかけず、危険なものから距離を取るのは正しい判断だ。


けれど、正しい判断をしようとするたび、第三地区の色がまた強く脈打つ。


来るな、ではない。


見ろ、とでも言うように。


志乃は息を整えながら、川沿いの整備道へ出た。


ここまで来ると、さすがに第三地区周辺の緊張が目に見えはじめる。交差点脇の表示パネルには一部歩道閉鎖の案内が浮かび、物流関連の車両は遠回りへ誘導されている。学連の腕章をつけた補助要員らしき人影も、遠くに二、三見えた。


だが、完全に封鎖されているわけではなかった。


生活区画に近いぶん、街を丸ごと止めることはできないのだろう。だからこそ余計に危ない。危険の匂いだけが先に漂い、その輪郭だけが曖昧なまま人が残る。


志乃は高架の影へ入った。


その瞬間、赤が大きく膨らんだ。


遠くで、腹の底へ響くような低い破裂音が鳴る。


空気が遅れて揺れた。


志乃の肩がびくりと跳ねる。


いまのが、爆発。


目で見ていないのに、身体がそう理解していた。


次の瞬間には銀が閃き、深緑が地を這い、青紫が鋭く返す。色のぶつかり合いが断片的な動きとなって志乃へ流れ込んでくる。遠い。まだ直接見える距離ではない。なのに内側が先に反応して、胃のあたりがひっくり返りそうになる。


高架を抜けた先に、旧物流ヤードの外周フェンスが見えた。


コンテナ群と倉庫壁面に囲まれた広い空き地だ。ふだんなら機械的で無機質なだけの場所が、いまはひどく生き物じみて見える。見えない圧がうねり、夜の空気そのものが歪んでいるみたいだった。


志乃はフェンス沿いの陰へ身を寄せる。


そこから先は、完全に非日常だった。


先に視界へ飛び込んできたのは、火花ではなく、空気の破裂だった。


ヤード中央付近で、何もないはずの空間が不自然に膨らみ、次の瞬間、圧縮された熱と衝撃が周囲のコンテナを叩いた。金属板が悲鳴みたいな音を立て、コンクリート片が跳ねる。


赤だ、と志乃は思う。


あの膨張する色の正体。


その向こうで、大柄な男が肩を揺らしているのが見えた。


輪郭は遠い。


だが、その場の中心が彼の周囲にあることだけは、嫌でもわかった。空気を押し広げるような圧が、男の動きに合わせて波打っている。


「派手にやるじゃあないのぉ」


風に乗って、間延びした声がかすかに届く。


檀長吉。


名前だけ先に知っていた相手が、ようやく人の形を持つ。


その脇を、銀色の線が走った。


早すぎて、最初は人影だと認識できなかった。コンテナの影から影へ、小さな刃物みたいな軌道が跳ねる。赤の大柄な男を軸に、その外周を守るように、しかし縛られすぎない距離で動いている。


チョウヤン。


小柄な影が、一瞬だけ月明かりを反射した。細い刃。少年じみた輪郭。だが動きだけはひどく殺伐としている。


対する月砂側では、地面が先に動いていた。


ひび割れたコンクリートの隙間から、黒ずんだ蔓のようなものが次々に這い出てくる。植物というには生々しすぎて、根の群れが意思を持ってのたうっているようだった。それが爆発で散った破片を避け、コンテナの足元を這い、銀の軌道を封じるように広がっていく。


あれが宇都宮寿なのだろう。


本人はむしろ静かだった。


大きく身体を動かさないぶんだけ、足元から伸びるものの異様さが際立っている。


そしてその横。


青紫の線が夜気を切り裂いた。


三つ又の穂先が街灯を受けて一瞬だけ光る。槍――いや、トライデントと呼ぶべき形状だと、志乃はなぜかそう思った。持ち主の女は前へ出るたびに、空間へ細い裂け目を入れるみたいに冷たい軌道を残していく。深緑の広がりに守られるのではなく、それを足場にして前へ出るタイプだ。


千賀峰咲。


四人とも、遠い。


なのに近い。


目で見ている情報と、感覚として流れ込んでくる霊気力の色が重なりきらず、志乃の頭の中でずれていた。視界ではヤードの中央なのに、身体の奥ではもう自分のすぐ脇にいるみたいに感じる。遠近感が狂う。


また赤が膨らんだ。


今度はさっきよりも低く、重い。


爆ぜた圧が地面を叩き、這っていた蔓の半分を吹き散らす。だが吹き散らされたはずの深緑は、その場で終わらない。破れた先からまた別の根が伸び、散った破片ごと地面へ縫い止めていく。


銀がその合間を抜けた。


チョウヤンの軌道が、深緑の網目のあいだへ何度も差し込まれる。刃先は小さいのに、動きには躊躇がない。ひとつでも急所に届けば十分だと言わんばかりの細さと速さだった。


それを青紫が弾く。


千賀の三叉槍が、銀の軌道へ真正面から割り込んだ。金属が擦れるような高い音が、遅れて外周まで届く。火花が一瞬散り、そのたびに青紫の輪郭がさらに鋭くなる。


これは喧嘩なんかじゃない、と志乃は思った。


ニュースの片隅にある揉め事でもない。


人間が人間のまま戦っているように見えて、実際にはもっと別のものがぶつかり合っている。街そのものを傷つける力が、四人の身体を通して剥き出しになっている。


足がすくんだ。


ここへ来たことを、ようやく本気で後悔する。


けれど目が離せない。


零を知りたいなら絵札を知れ、と言われた。


だがいま見ているのは絵札そのものではないのかもしれない。ただ、その周縁にいるだけでも、これほどまでに街が歪むのだとしたら、絵札や零が噂になる理由も少しわかる気がした。


そのときだった。


ヤードの端で、新たに何かが弾けた。


四人ではない。


外周にいた末端同士の小競り合いが、余波で一気に崩れたらしい。逃げ遅れていた誰かが悲鳴を上げる。一般人か、構成員か、遠すぎて判別できない。ただ、その悲鳴が現実感を一気に引き戻した。


志乃の肩が強張る。


次の瞬間、赤の衝撃が想定以上に外へ広がった。


空気が押し寄せる。


フェンスが軋む。


志乃は反射的に身を伏せたが、遅かった。圧の波が高架下の陰まで届き、肺の中の空気が半分押し出される。世界が一瞬だけ白くなった。


「……っ、ぁ」


声にならない息が漏れる。


視界が揺れる。


遠くの四つの色が、今度は輪郭を保ったまま志乃の頭の中へ流れ込んできた。赤は熱を持ち、銀は耳元で擦れ、深緑は足首へ絡みつき、青紫は喉元を掠める。


近い。


いや、違う。


自分の感覚が、勝手に距離を失っている。


強すぎる霊気力に晒されたせいで、内と外の境目が曖昧になり始めていた。第三地区にいる四人の動きが、まるで自分の身体の中で起きているみたいに感じられる。どこまでが現場で、どこからが感知なのか、わからない。


志乃はフェンスに手をついた。


冷たい金属の感触だけが、かろうじて自分を現実へ繋ぎとめる。


吐き気がこみ上げる。


頭の奥が白く焼ける。


このままではまずい、と理性だけが遅れて警告した。


帰らなければ。


ここにいてはいけない。


そう思うのに、膝へ力が入らない。


遠くで再び爆発が起きる。


銀が走る。


深緑が締める。


青紫が落ちる。


色の激突が一斉に流れ込んできて、志乃の視界はついに大きく傾いた。


そのとき、夜のヤードのどこかで、ひどく甲高い声が弾けた。


四つの色とは違う、もうひとつの輪郭が乱暴に割り込んでくる。


熱い橙。


拳の形をした、まっすぐな色だった。

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