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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第2節 霊気力

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第三地区担当長

第三地区は、東都研究都市の中でも少しだけ顔つきが違う。


中央区画のようにガラスと白壁で揃えられた景観ではない。物流倉庫、河川沿いの古い再整備住宅、改修を重ねた工業用建屋、そして昔の町の輪郭を半端に残した生活圏が、無理やりひとつの区画として繋がっている。北川辺町、大利根町、加須市――再編の過程でまとめられたその一帯は、整えられているようでいて、東都の中ではまだ“生のまま”の部分が多かった。


だからこそ、揉め事の匂いも立ちやすい。


第三地区担当長、師崎宇連は、その匂いに慣れていた。


夜へ向かう空の下、宇連は高架脇の細い管理通路を軽快な足取りで走っていた。移動用の小型電動バイクを使うこともあるが、今日は自分の足のほうが早いと判断したらしい。細身の体がやたらとよく跳ねる。動きそのものが落ち着かない。遠目には学生が急いでいるだけにも見えるが、近くで見れば、あれは急いでいるというより、止まっていられない人間の走り方だった。


右手にはグラブ。


左手にもグラブ。


見た目は軽装だ。だが宇連を知る者ほど、それが油断ならないとわかっている。


端末の簡易通信が耳元で震える。


宇連は走ったまま通話を開いた。


「はいはいはーい、第三地区担当、師崎宇連ちゃんでーす」


甲高い声が、夜気の中へ弾ける。


緊張感の薄い第一声だった。


だが、その直後の返答は速い。


「東側境界、旧物流ヤード前を第一接触候補に設定して」


現場補助員の報告を聞きながら、宇連は足を止めない。


「一般人の残留は」


問い返す声だけは、少し低くなった。


軽い調子の奥にある仕事の顔が、そこでようやく覗く。


返答が返る。


宇連は小さく舌打ちした。


「まだいるのかあ」


次の瞬間には、彼は高架脇のフェンスを軽々と掴み、身をひねって下のメンテナンス歩道へ飛び降りていた。着地は静かだ。うるさいのは声だけで、動きそのものは驚くほど無駄がない。


「わかった、俺が先に掃く」


通話を切る。


第三地区は、危険が起きると一気に人が消える区画ではない。生活があるからだ。中央区画や大学周辺のように、規制一本で人流を止められる場所ばかりではない。店を閉めるにも時間がいるし、帰宅途中の人間も多い。だから現場対応で最優先になるのは、強い霊気力者をどうにかすることではなく、その前に一般人を外へ出すことだった。


宇連は角を曲がる。


倉庫街の前を抜けた先に、小さな商店列があった。まだ明かりの点いている総菜屋の前で、店主の老女が看板を片づけている。


「おばちゃーん」


宇連は走ったまま声を張った。


「今日は早じまいしてー」


店主が顔を上げる。


「あら、宇連くん」


この区画では、学連の顔がそのまま地区の顔になることも多い。宇連も例外ではなかった。


「また何かあるのかい」


宇連は笑って手を振る。


「あるかもだから、念のため念のため」


軽い言い方だった。


だが店主は、その“念のため”が軽くないことを知っているらしい。


「わかったよ」


彼女はすぐに看板を抱え直した。


「ありがとー」


礼だけは妙に明るい。


宇連はそのまま次の路地へ滑り込む。


区画の空気は、もう目に見えないところで変わり始めていた。風が止んでいるわけではない。匂いがあるわけでもない。けれど、霊気力の衝突が近づくとき特有の、圧の歪みみたいなものが低く地面へ張っている。普通の人間なら、なんとなく居心地が悪い程度で終わるかもしれない。


だが宇連は、その“なんとなく”を何度も現場で嗅いできた。


「やだねえ」


彼はひとりごちる。


「こういう前ぶれ、ほんっとやだ」


口ではそう言う。


けれど足は速い。


曲がり角をひとつ抜けるごとに、区画の外周へ近づいていく。旧物流ヤードは第三地区の東端近くにある広い空き地だ。いまは定期便の積み替えにしか使われないが、囲いが多く、倉庫とコンテナが入り組み、人目の届きにくい場所が多い。揉め事をするには最悪で、だからこそ、そういう連中に好まれる。


途中、路地裏から二人の若い男が飛び出してきた。


片方は赤い識別布を腕に巻いている。


もう片方は灰色の細いタグを首から下げていた。


紅叉と月砂。


末端同士がすでに入り込んでいる証拠だ。


「おっと」


宇連は勢いを殺さず、そのまま二人の間へ割り込んだ。


「そこまでにしときなって」


男たちが反応するより早く、宇連の右拳が片方の鳩尾へめり込む。


乾いた音がした。


もう一人が身を引く前に、左のグラブが顎を跳ね上げる。


二人はそろって壁際へ崩れ落ちた。


派手な技でも何でもない。


ただ、速かった。


そして躊躇がなかった。


宇連は倒れた二人を見下ろし、片眉を上げる。


「今日は上の人たちの遊び場だからさあ」


彼は肩をすくめる。


「チンピラくんたちは帰んな」


返事はない。


片方は意識を飛ばし、もう片方は呻きながら動けずにいた。


宇連は端末を開く。


「第三補助班、南路地に二名転がしといたから拾ってー」


通話越しに「了解」が返る。


それで終わりだ。


彼は倒した相手を必要以上に見もしない。


このあたりが、学連の人間らしい。現場での暴力は手段であって目的ではない。片づけるべきものを片づけ、次へ行く。その切り替えが異様に速い。


旧物流ヤードが見える高架下まで来たとき、宇連はようやく足を止めた。


そこから先は、むやみに飛び込む場所ではない。


広い。


暗い。


遮蔽物が多い。


そして、もう気配が濃すぎた。


コンテナ列の向こう側、使われなくなった搬送レーンの下で、複数の霊気力が静かに角を立てている。末端のざわつきとは明らかに違う。圧が深い。雑ではない。むしろ、各々が自分の輪郭を保ったまま、一定距離で睨み合っている。


宇連は倉庫壁面の影に身を寄せ、目を細めた。


いた。


まず目に入ったのは、紅叉側の二人だった。


大柄な男がひとり。


立ち方そのものが場を占有している。少し離れた位置で揺れるように立っているのに、その周囲の空気だけがやけに熱を孕んで見えた。檀長吉。噂だけなら何度も聞いた顔だ。


その脇には、痩せた小柄な影がいる。


年若い。


だが気配は軽くない。じっとしているのに、いつでも飛び込める刃物のような細さがある。チョウヤンだろう。


向かいには月砂。


細身の長身がひとり、静かに立っている。地面のひび割れから、妙に湿った気配が這っていた。植物系の霊気力使いだという噂と一致する。宇都宮寿。


その斜め後ろに、槍のような長物を提げた影が見えた。女だ。立ち姿の重心が低く、殺気だけが冷えている。千賀峰咲。


「うわあ」


宇連は思わず顔をしかめる。


「ほんとに来てんじゃん」


冗談みたいに言ったが、声はひどく小さかった。


幹部同士。


しかも、どちらも引く気配がない。


まだ大きくぶつかってはいない。だがそれは、嵐の前に空気が止まっているだけに過ぎなかった。


長吉がゆっくりと肩を鳴らすのが見える。


「ようやくお出ましじゃあないのぉ」


間延びした声が、夜のヤードに妙に気色悪く響いた。


その語尾に甘ったるさがあるぶん、余計に内容の危うさが際立つ。


対する宇都宮はほとんど動かない。


だが、足元のコンクリートの割れ目から、黒い蔓のような影がじわりと這った。


チョウヤンが短く笑う。


千賀峰咲は槍先をわずかに傾けるだけだった。


そこで宇連は、ようやく理解した。


これはもう、睨み合いの段階を越えかけている。


あと一手で始まる。


彼は即座に回線を開いた。


「第三担当より本部」


さっきまでの軽い調子を少しだけ引っ込める。


「当たり」


数秒置いて、シズクの声が返ってきた。


「顔は」


宇連は視線を切らずに答える。


「紅叉、団長吉とチョウヤン」


コンテナの影で、長吉の肩越しに火花めいた揺らぎが走った。


「月砂、宇都宮寿と千賀峰咲」


通話の向こうが一瞬だけ静まる。


それだけで十分だった。副隊長も、この組み合わせの重さを理解している。


「接触状態」


宇連は続ける。


「まだ切ってないけど、秒読みだねえ」


シズクの返答は簡潔だった。


「一般人は」


宇連はヤード外周へ視線を流す。


倉庫側の路地、川沿いの整備道、旧搬入口の裏手。まだ完全には空いていない。


「七割」


彼は舌打ちした。


「いや、六割かな」


その返答に、シズクの声が冷える。


「時間を稼いで」


宇連は小さく笑った。


「言うと思った」


通話を切る。


さてどうする、と彼はヤードを見下ろした。


この四人のあいだへ、正面から割って入るのは愚策だ。学連は無謀を美徳にはしない。だが放っておけば、衝突の余波だけで周辺の生活圏が吹き飛ぶ。


「めんどくさー」


宇連はぼやく。


そのくせ、目だけは笑っていなかった。


右のグラブを握る。


革が軋む。


彼の声は甲高くて、騒がしくて、いつだって場違いなほど元気だ。だが第三地区では、それがかえって頼りにされていた。この男はうるさいまま現場へ飛び込み、うるさいまま揉め事のど真ん中へ立ち、そして大抵、本当にどうにかしてしまうからだ。


下では、長吉が一歩だけ前へ出る。


空気が変わる。


宇都宮の足元の影が、逆に深く沈む。


千賀の槍先が上がる。


チョウヤンの輪郭がぶれる。


始まる。


宇連は倉庫の縁を蹴った。


その瞬間だった。


同じ頃、大学区画では、綾崎志乃が何の前触れもなく足を止めていた。

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