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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第2節 霊気力

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東都の裏側

第三地区、緊張高まる。


端末の画面に浮かんだその見出しを、綾崎志乃は何度も見返した。


大げさな煽り文句にも見える。だが、続けて表示された関連情報の断片は、どれも嫌になるほど具体的だった。交通規制。立入注意。民間警備機構の巡回強化。匿名掲示板ではさらに露骨で、紅叉、月砂、接触、幹部、という単語が並んでいた。


東都研究都市は、表から眺めるぶんには綺麗な街だ。


大学と研究棟と企業施設が整然と並び、区画ごとに植栽が管理され、夜でも歩道の照明は切れない。開発特区の成功例として紹介されるとき、映るのはいつもガラス壁面の白さや、物流網の効率、霊気力研究の最先端といった華やかな面ばかりだった。


けれど、少しだけ掘れば別の顔が見える。


再建の街であるということは、同時に、力を求める人間が集まる街でもあるということだ。仕事、技術、保護、食料、居場所、そして力。失われたものが多かった時代を通り抜けてきた土地では、それを取り戻す手段が綺麗なものだけで済むはずもない。


志乃は講義棟の廊下を歩きながら、周囲の会話へ自然と耳を向けていた。


今日の東都は、噂の流れ方がいつもと違う。


誰もが大声では話さない。けれど皆、同じ方向を薄く気にしている。第三地区。その区画名だけが、廊下のあちこちで小石みたいに転がっていた。


「また規制入るって」


すれ違った男子学生が、連れへ向かって言った。


その声には呆れと慣れが混じっている。


「どこ?」


隣の学生が訊き返す。


「第三」


返答は短かった。


「紅叉と月砂の線、濃いらしい」


志乃は足を止めないまま、その会話を背中で聞いた。


紅叉。


月砂。


昨夜から何度も検索結果の中で見かけた名前だ。だが、目にするたびに印象が揺れる。組織、武装勢力、研究所の私兵、半ば公然の犯罪集団。書く場所によって呼び方が違い、どれも完全には間違っていないように見える。


次の空き時間、志乃は図書検索ではなく、東都の過去記事アーカイブを漁っていた。表向きの学術データベースではなく、地域ニュースや行政発表、企業広報の魚拓が集められた古い公開ログだ。


そこには、紅叉も月砂も正式な意味では“武装組織”としては記されていなかった。


樋口研究所・外縁治安支援部門。


丹波研究所・区域安定運用部門。


そんな、ひどく整った肩書きが並ぶ。


いかにも東都らしい言い換えだと志乃は思う。危険なものを危険なまま置いておくのではなく、制度の棚へ仮置きし、綺麗な名称を貼って流通させる。そうして街は、自分の裏側まで機能の一部として抱え込んできたのだろう。


だが、広報文の外側では呼び名が違う。


紅叉。


月砂。


名前だけで、もう十分に刃物めいている。


放課後、学食で向かい合ったアリサは、志乃の端末に並ぶ検索履歴をちらりと見て、露骨に顔をしかめた。


「ほんとにそっち行くんだ」


彼女はトレイの紙コップを持ち上げながら言った。


志乃は端末を少しだけ伏せる。


「そっちって」


言い返したつもりだったが、声に力はなかった。


アリサはため息をつく。


「紅叉とか月砂とか、そういうやつ」


彼女は周囲を一度見回してから、少しだけ声を落とした。


「面白半分で触る話じゃないよ」


志乃は否定しようとした。


だが、面白半分ではないからこそ厄介なのだと、自分でもわかっている。


「何者なの」


そう訊くと、アリサは少しだけ言葉を選んだ。


「研究所の名前はついてるけど、研究だけしてる連中じゃない」


彼女はそう言ってから、紙コップの蓋を指先でいじる。


「外で揉め事が起きたとき、先に動くのがああいうところって話もあるし、逆に、揉め事を増やしてるのもあいつらだって話もある」


どちらにしても、まともではない。


その含みが、短い言葉の中にあった。


美世は向かいでスプーンを止めていた。


彼女はしばらく何も言わなかったが、やがて静かに口を開く。


「東都って、外から来た人には綺麗に見えるから」


その声はいつも通り穏やかだった。


「綺麗なものだけで回ってる街だと思いやすい」


志乃は思わず美世を見る。


まさに自分がそうだったからだ。


四月に東都へ来たばかりの頃、この街は整いすぎていて、ほとんど未来そのものに見えた。過去の混乱を乗り越えた場所。再建の象徴。努力すればどこまでも上へ行ける街。少なくとも、大学へ通う学生として眺めるぶんにはそうだった。


けれど実際には、その整然とした地表の下に、力と利害と縄張りが幾重にも走っている。


「裏側って、隠れてるわけじゃないのかもね」


美世はそう続けた。


「見ようとしなかったら見えないだけで」


アリサが「それはそう」とだけ返す。


珍しく、すぐに否定しなかった。


志乃は自分の味噌汁へ視線を落とした。


湯気は立っているのに、食欲はまだ完全には戻らない。昨夜から、自分の感覚はずっとどこか半歩ぶんずれていた。白塔の中で刻まれた呪いが、そのまま世界との距離感まで狂わせているようだった。


昼食のあと、志乃はひとりで中央通りのほうへ回った。第三地区へ行くつもりはない。ただ、その方向の空気がどんなふうに変わっているのか、見ておきたかった。


夕方前の街は、一見いつも通りだった。


だが注意して見ると、いつもより警備ドローンの巡回が多い。交差点脇の表示パネルには、第三地区周辺の一部歩道閉鎖が静かに告知されている。大学生や研究員たちは足早に通り過ぎるが、地元の者ほどその文面を見ても驚かないようだった。


慣れているのだ。


こういう種類の“いつも通り”に。


志乃は立ち止まり、遠くの高架道路の向こうを見た。


第三地区の輪郭そのものはここからは見えない。けれど、霊気力に敏感な彼女の感覚の奥では、街の一角だけ色が違うようなざわめきがあった。ごく薄いのに、無視しづらい。熱ではなく圧。色で言えば、赤に近い鈍い黒と、乾いた灰色が、遠くで擦れ合っているみたいな不快さだった。


人の気配を感じるときの感覚に似ている。


だが人数が多い。


しかも、質が揃っていない。


鋭いもの、重いもの、ざらついたものが、一箇所へ寄せ集められている。


志乃は無意識に眉をひそめた。


これが、街の裏側の“動き”なのかもしれない。


見えないのに、確かにある。


そして、普通に暮らしている人間のすぐ隣で、こういうものがぶつかり合っている。


端末が震えた。


新しい通知が上がっている。


地域掲示板の速報だった。


《第三地区にて紅叉・月砂双方の上位戦力接触の噂》


その下には、さらに断片的な書き込みが続く。


《団長吉が出たらしい》


《チョウヤン確認》


《いや月砂側も宇都宮と千賀峰が動いてる》


《学連も来るぞ》


固有名詞が一気に増えたせいで、かえって現実味が増す。


紅叉の団長吉。


チョウヤン。


月砂の宇都宮寿。


千賀峰咲。


どの名も志乃にはまだ人の顔として結びつかない。けれど、ただの構成員ではなく、“幹部”と呼ばれる連中なのだと文字の熱が伝えていた。


そして最後の一文だけが、妙に冷たく目へ残る。


《今夜、第三地区は荒れる》


志乃は端末を持つ手に、じわりと汗が滲むのを感じた。


東都の裏側は、もう噂の中にだけあるものではなかった。


いま、この瞬間にも、どこかで動いている。


そしてその動きは、零や絵札の噂とは無関係ではない。


そう思った途端、白塔の地下で聞いた声が、ひどく遠い場所からまた耳の奥に蘇る。


助けたければ、“零”を探せ。


志乃はゆっくりと顔を上げた。


夕方の東都は相変わらず白く、整って、美しかった。


その街の皮膚のすぐ下で、見えない牙が何本も擦れ合っている。

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