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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第2節 霊気力

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絵札たち

零を知りたいなら、まず絵札を知れ。


その言葉は、綾崎志乃の頭の中に思った以上に強く残った。


学生ラウンジで話を聞いたあと、志乃はしばらくその場を離れられなかった。窓の外では、夕方へ傾き始めた光が研究棟の白い壁を撫でている。行き交う学生たちの足音や話し声は絶えないのに、自分だけがひとつ深いところへ沈み込んでいく気がした。


絵札。


キング、ジャック、クイーン、エース。


東都のどこかに実在するらしい、強力な霊気力者たち。


そして、そこへ割り込むように置かれた例外の一枚が、零――ジョーカー。


志乃は端末を開き、検索欄へ新しく文字を打ち込んだ。


東都 絵札。


結果は、昨夜の“零”よりいくらか絞られていた。だが、そのぶん内容は妙に生々しい。匿名掲示板、裏論壇めいた個人サイト、霊気力適性の噂を集めたページ、削除済みログの魚拓。どれも正式な資料ではない。けれど、完全な与太話として切り捨てるには、同じ単語が繰り返し現れすぎていた。


東都四天王。


絵札。


都市を四つに裂いても立っている者たち。


そんな、いかにも誰かが面白がって盛ったような文句の中に、一定の共通項がある。


四人いること。


呼び名がキング、ジャック、クイーン、エースであること。


そしてその四人は、単に喧嘩が強いとか霊気力が大きいとか、そういう程度ではないらしいこと。


志乃はひとつひとつの記事を開いては閉じた。


キングについては比較的記述が多かった。


支配する者。


東都の武装勢力の一角に君臨する王。


正面からぶつかって勝てる者はいない。


そんな物騒な言葉が並んでいる。


逆にジャックは断片的だった。処刑人、切り札、王の手足、戦場だけに現れる影。どの書き込みも印象がばらばらで、ひとつの人物像へ収束しない。


クイーンはさらに奇妙だった。女だという話もあれば、女ではないという話もある。戦う者というより、場を支配する者。直接手を下さずとも勝敗を決める者。そんな書かれ方が目立った。


エースは最もわかりやすく、最も曖昧だった。


純粋な最強。


そう書いてある場所もあれば、どの陣営にも属さない孤高の札とする記述もある。結局のところ、誰も正体を掴めていないのだとわかるだけだった。


「ただの噂、だよね……」


志乃はそう呟いてみる。


言葉にしたところで、まるで現実感がない。


けれど、あの白塔の地下を見たあとでは、“ただの噂”の一言で片づけることができない自分もいた。


講義棟を移動する途中、志乃は階段の踊り場で足を止めた。


前方の廊下で、数人の学生がまた似たような話をしていたからだ。今日の東都では、絵札や第三地区の話題がいつもより少しだけ浮いている。大きな事件の前後には、こうして街全体の空気がわずかに同じ方向を向くのかもしれない。


「絵札って結局、誰が決めたんだろうな」


そう言ったのは、背の高い男子学生だった。


連れのひとりが笑う。


「裏の連中でしょ。賭場とか掲示板とか」


もう一人が肩をすくめた。


「でも、あれ便利じゃん」


その軽い口調に、志乃は少しだけ眉を寄せた。


「便利って?」


背の高いほうが聞き返す。


「強い奴を四枚で呼べる」


言った本人は冗談のつもりらしかった。


だが別の学生は、少し真面目な顔になる。


「四枚、ってのが気持ち悪いんだよ」


その言葉に、志乃の足が止まる。


「なんで?」


軽口の空気が、ほんの少しだけ薄れた。


「トランプって、ちゃんと揃ってるときほど不気味だろ」


男はそう言って笑ったが、その笑いは少し硬かった。


「しかも、絵札の外にジョーカーがいるって話までつく」


志乃は胸の奥がひやりとするのを感じた。


ジョーカー。


零。


やはり、その呼び名は完全な都市伝説ではない。少なくとも、この街では何人もの人間が同じ札の話をしている。


廊下を抜け、講義のあとにアリサと合流したときも、志乃の頭の中はまだ絵札のことでいっぱいだった。


アリサは端末を鞄にしまいながら、横目で志乃を見る。


「今日は昨日よりはマシ」


それが挨拶代わりみたいな言い方だった。


志乃は苦笑する。


「ひどい基準」


アリサは肩をすくめた。


「昨日がひどすぎたの」


その言い方に少しだけ救われる。


アリサが普段通りに接してくれるだけで、自分もまだ“こちら側”にいられる気がした。


だが、志乃が考え込んでいたせいだろう。


数歩歩いたところで、アリサがまたこちらを見る。


「なんか調べてる?」


その問いに、志乃は一瞬だけ身構えた。


白塔のことは言えない。


けれど、零は言える。


絵札も、たぶん言える。


「ちょっと、東都の噂みたいなの」


慎重にそう答える。


アリサは露骨に嫌そうな顔をした。


「またろくでもないやつだ」


その反応があまりにも予想通りで、志乃は少しだけ笑った。


「ろくでもないのは否定しない」


アリサは歩きながら前髪をかき上げる。


「で、何」


問われて、志乃はほんの少しだけ迷った。


何をどこまで言うか。


「絵札って知ってる?」


アリサの歩幅がわずかにゆるむ。


「……東都の?」


その返しに、志乃は目を瞬いた。


知っているのだ。


「知ってるんだ」


アリサはすぐに顔をしかめた。


「知ってるっていうか、聞いたことある程度」


彼女はそう前置きしてから、声を少しだけ落とす。


「強い霊気力者を勝手にそう呼んでるって話でしょ」


やはり同じだ。


呼び名だけが独り歩きしているわけではない。


「本当にいるのかな」


志乃がそう言うと、アリサは即答しなかった。


しばらく考えるように口を閉じ、それから曖昧に言う。


「“いる”の定義によるんじゃない」


その答え方は、アリサにしては珍しくぼかしていた。


「東都って、力がある人が集まる街じゃん」


彼女は視線を前へ向けたまま続ける。


「だから、何人か飛び抜けたやつがいてもおかしくはない」


そこで一度、志乃の顔を見る。


「でもそれを誰がどうやって四枚に分けたのかは、たぶん別の話」


なるほど、と思った。


実在する強者たちと、それを“絵札”として整理した誰かの視線は、同じものではないのだ。


「じゃあ、ジョーカーは」


その単語を口にした瞬間、アリサの眉がぴくりと動く。


「そこまで行くの?」


半ば呆れたような声だった。


それでも、完全に知らないわけではなさそうだった。


「それも噂」


アリサは短く言った。


「ただ」


言いかけて、彼女は少しだけ周囲を見る。廊下にはまだ学生が多い。誰かに聞かれて困る話でもないはずなのに、その仕草には妙な慎重さがあった。


「零って言うと、変に嫌がる人いるよ」


志乃は息を止めた。


「嫌がる?」


アリサは頷く。


「冗談にしたくない感じ」


彼女自身も、そこから先はよく知らないのだろう。


「うまく言えないけど、都市伝説として消費していい名前じゃない、みたいな空気」


その言葉は、志乃の胸へ重く落ちた。


まさに自分は今、その名前を掴みどころのない噂として追っている。


けれど白塔の地下であの男が口にしたとき、“零”は噂でも遊びでもなかった。


あれはもっと直接的で、切実で、現実的な命令だった。


夕方、帰宅してからも志乃は検索をやめなかった。


昨夜見た怪しげな掲示板とは別に、今日は霊気力研究の周辺で使われている論壇や学生フォーラムも漁ってみる。表向きは真面目な議論をしている場所でも、過去ログを遡ると時折、“絵札”や“零”への言及が紛れていた。


そのひとつに、こんな書き込みがあった。


――絵札は都市の均衡そのものだ。


なんだそれ、と思う。


けれど、少し下に続く文を読んだとき、志乃は無意識に姿勢を正した。


――キングは力で支配する。


――クイーンは配置で勝つ。


――ジャックは局地をひっくり返す。


――エースは単独で戦況を変える。


――零は、そのどれにも収まらない。


志乃は画面を見つめたまま動けなくなった。


零は、そのどれにも収まらない。


つまり絵札に並ぶのではなく、最初から別の理屈で存在している、ということになる。


「……何なの、それ」


答えのない問いが漏れる。


同時に、白塔の地下で見た男の目が脳裏に浮かんだ。


あの男は、絵札ではないのか。


それとも、その外にいるのか。


いや、そもそもあの男が零を探していたのは、自分では辿り着けないからだと言っていた。なら彼自身は零ではないのだろう。


考えれば考えるほど、輪郭は曖昧になる。


だが、ひとつだけ明らかになってきたことがある。


零は単なる強者ではない。


絵札という都市の強さの基準が先にあり、その外側に、説明のつかない例外として語られている。


そのことが、志乃には妙に怖かった。


強い人間ならまだわかる。


危ない人間でも、想像はつく。


けれど“分類の外”にいる存在は、何を基準に恐れればいいのかすらわからない。


端末の画面を閉じようとした、そのときだった。


通知欄に、新しく流れてきた地域掲示のタイトルが目に入る。


第三地区、緊張高まる。


その下にはさらに、見慣れない単語が並んでいた。


紅叉。


月砂。


幹部接触か。


志乃の指先が止まる。


絵札の外にいる零を知るには、まず絵札を知れ。


そしていま、東都の裏側で動いているのは、絵札に繋がるかもしれない連中だ。


志乃は静かに息を吸った。


この街は、自分が思っていたよりずっと深い。


白塔の地下だけが異常なのではない。


その異常を抱えたまま、東都という街そのものが動いているのだ。

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