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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第2章 絵札戦 第3節 魔獣箱

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花の檻

学連本部に戻った報告は、どれも嫌な形で繋がっていた。

白神教授の失踪。

その直後、白神研究所の面々が独自に月砂の隠れ拠点へ向かったこと。

第三区周辺での黒い霧の散発的な目撃。

さらに公安特東部の人間まで、今夜は妙に東都のあちこちをうろついている。


鷹取シズクは端末の画面から顔を上げるなり、吾妻を見た。

「行かないんですか?」

その声には焦りが滲んでいた。

「白神が攫われて、研究所の連中まで動いてるんですよ」


吾妻は壁に投影された第三区の地図を見たまま、すぐには答えなかった。

紅叉と月砂の小競り合いは、まだ完全には止まっていない。

黒い霧の出現地点も、嫌なほどに散っている。

そこへ公安まで鼻を利かせているとなれば、今学連が大きく持ち場を空けるのは危険だった。


「行けない」

ようやく吾妻はそう言った。

「今こっちが抜ければ、第三区も黒い霧も後手に回る。公安がいる以上、遅れをとるわけにはいかない」


「でも」

シズクは食い下がる。

「白神教授は東都のキーパーソンの一人でもあります。研究所側だけに任せるのは危険すぎるかと」


「分かってる」

吾妻の声は低かった。

「分かってる上で、今は向かえない」


シズクは唇を引き結ぶ。

正しい判断だということは分かる。

だが、正しいから納得できるとは限らなかった。


吾妻は端末へ目を落としながら続ける。

「今夜は黒い霧も、いざこざも、全部が妙に散らされてる」

「こっちの足を止めるために配置されてるみたいだ」

「もし白神の件がその一部なら、なおさら簡単には乗れない」


「じゃあ、研究所の方達は?」

と、シズクが問う。


「彼たちに任せるしかない。こちらはコウの保護も一度打診した身だ」

吾妻はそう返した。

「こっちはこっちで、できるだけ早く片づける」

「それまで持ちこたえてもらうしかない」


その言葉は冷たく聞こえるかもしれなかった。

だが吾妻自身、その判断を軽いものとして口にしているわけではない。

誰かを見捨てるためではなく、東都全体が崩れるのを防ぐために、あえて手を伸ばせない。

そういう夜だった。


シズクはそれ以上何も言わなかった。

言えなかった。

ただ、端末に映る白神研究所側の反応記録を見つめながら、胸の奥で嫌な予感だけが膨らんでいくのを感じていた。


一方その頃、月砂の隠れ拠点の奥では、冷花たちがようやく目の前の霊気力者たちを退けたところだった。

完全に倒したわけではない。

だが少なくとも、追撃してくるだけの余力は奪った。

薄暗い通路には、崩れた壁材と術式の焦げ跡が残っている。

荒い呼吸の音だけが、妙に大きく響いていた。


志乃は肩で息をしながら、周囲を見回した。

「……コウの気配、やっぱり遠い」

不安を押し殺した声だった。


冷花はすぐに壁際の札を回収しながら言う。

「ヤスもいない」

「分断されたままね」


朝葉陸は通路の先へ目を向けたまま、小さく言った。

「追うべきかと。でも、白神教授の所在も並行して探さないといけない。ここまで来て空振りだと、意味がない」


志乃は頷いた。

コウのことが気にならないわけがない。

むしろ、今この瞬間も胸の奥ではそちらばかりがざわついている。

それでも、白神教授の安否を無視して動くわけにもいかなかった。


三人は通路のさらに奥へ進んだ。

建物の中は外から見た印象よりもずっと広い。

継ぎ足したような廊下。

妙に空いた空間。

物のない部屋。

どこも人が使っている気配は薄いのに、完全な廃墟とも違う。

まるで最初から、誰かを迷わせるために空間ごと組み替えたみたいだった。


「月砂の拠点っていうより」

志乃が小さく呟く。

「舞台装置みたい」


「ええ」

と、冷花が答える。

「誰かを隠す場所じゃなくて、誰かを迎える場所に見える」


その言葉に、志乃の背筋が冷えた。

迎える。

つまり、自分たちは来ることを前提に待たれていたのかもしれない。


やがて通路の先に、微かな光が見え始めた。

蛍光灯の白さではない。

もっと柔らかく、湿った色だった。

三人は顔を見合わせ、気配を殺してそこへ近づく。


次の瞬間、志乃は思わず息を呑んだ。


そこは、建物の内部とは思えないほど開けた空間だった。

天井は高く抜けていて、ところどころ崩れた箇所から夜気が入り込んでいる。

床はコンクリートのままのはずなのに、その一面を雑草が覆っていた。

しかも雑草だけではない。

色とりどりの花が、無秩序に、けれど異様なほど鮮やかに咲いている。

赤。

青。

黄。

紫。

湿った土もないはずの場所で、季節も品種も無視した花々が咲き乱れていた。


「……なに、これ」

志乃の声は掠れていた。


冷花も一瞬だけ言葉を失っていた。

術式による擬装か。

霊気干渉による空間改変か。

どちらにしても、まともな景色ではない。


陸だけは目を細め、その空間の上方を見た。

「来ます」


次の瞬間、二階部分の回廊に人影が現れた。


レイシアだった。


白塔の時に並んで戦った、あのレイシア。

だが今、彼女の纏う空気はあの時とはまるで違っていた。

温度がない。

気怠さすらどこか薄れ、代わりに研ぎ澄まされた冷たさだけが残っている。

彼女は回廊の手すりへ片手をかけたまま、下の三人を見下ろしていた。


そして、その少し後ろ。

もう一つの人影があった。


副長練馬。

その手には拘束具のようなものが握られている。

その先には、白神教授の姿があった。

白衣は乱れ、片腕を後ろへ取られている。

表情は崩れていないが、完全に自由を奪われていた。


「教授!」

志乃が思わず叫ぶ。


白神教授は一瞬だけこちらを見た。

だが何も言わない。

いや、言えないのではなく、あえて言わないように見えた。


レイシアはそのまま、ゆっくりと階段を下りてきた。

ヒールでもないのに、足音が妙に乾いて響く。

花の咲き乱れる異様な空間を、まるでそこが自分の庭であるかのような顔で歩いてくる。


「久しぶりだな」

その声は静かだった。


志乃はその言葉に何も返せなかった。

目の前にいるのは間違いなくレイシアだ。

だが、白塔の時に見せたあの距離感とも違う。

共闘の中で交わした、最低限の信頼のようなものも、今はまるで感じられない。


冷花が一歩前へ出る。

「目的は?」


レイシアは冷花を見る。

その目に敵意はない。

だが、味方へ向ける温度もない。

ただ冷たく、必要な駒の位置を確かめるような視線だった。


「簡単だ」

と、レイシアは言った。

「零--虚西コウの引き渡し」

「そしたら教授は返す」


志乃の背筋が凍る。

あまりにも露骨だった。

しかも、その理由が見えない。

なぜコウなのか。

なぜ今なのか。

ヤスの裏切り。

月砂の拠点。

池面の消失。

全部がどこかで繋がっている気はする。

だが、まだ一枚も全体像が見えない。


「ふざけないで」

志乃が絞り出すように言う。

「それにコウが今どこにいるか、こっちだって分かってない」


「ここに迷い込んでるんでしょ?」

レイシアは表情を変えない。

「なら話は早い」


「あなた、何を考えてるの」

と、志乃は言った。

「白塔の時、一緒に戦ったじゃない」

「俵屋も、ひばりも、あの場で……」


そこまで言って、言葉が詰まる。

記憶に触れた痛みより先に、レイシアの目の冷たさが刺さったからだった。


「だから?」

レイシアは静かに返す。

「それとこれとは別の話でしょ」


その一言が、白塔での共闘を根元から切り捨てるように響く。

志乃は息を詰めた。

嘘だったのか。

少なくとも、あの場で並んだことに意味はなかったのか。

そんな考えが頭をよぎる。


冷花は感情を抑えた声で言う。

「教授を攫ってまでコウを求める理由は」


「それを今ここで教える義理はない」

と、レイシアは言った。

「ただ、こっちは交渉してる」

「無駄に殺すつもりはないってこと」


その後ろで、副長練馬は一言も発さなかった。

ただ無言のまま白神教授を押さえつけている。

そこに個人的な感情は見えない。

命じられた通りに動く、硬い実務だけがあった。


陸がそこで初めて口を開いた。

「レイシアさん」

その呼び方に、志乃はわずかに目を見開く。

だが陸は視線を逸らさない。

「あなた自身の意思で動いているようには見えませんね」


レイシアの目が、わずかに細くなった。

それだけだった。

肯定もしない。

否定もしない。

その沈黙が、かえって厄介だった。


「余計なこと」

レイシアは淡々と答える。

「だが悪くない」


「教授を返してください」

と、陸は静かに言う。

「コウを条件にするのは、話として歪みすぎてる」


レイシアは少しだけ口元を緩めた。

「真っ直ぐな交渉で済むなら、最初からこんな場所使わない」


花の匂いが、やけに濃かった。

自然の匂いではない。

どこか甘すぎて、むしろ不快な匂いだった。

雑草と花が咲き乱れるこの空間は、美しいというより、異常だった。

そして、その中心に立つレイシアの姿もまた、同じくらい異常だった。


志乃は固唾を飲むしかなかった。

白塔の時の共闘が、今は遠い幻みたいに思える。

あの時のレイシアと、今目の前にいるレイシアは、本当に同じ人間なのか。

そう疑いたくなるほど、彼女は冷酷だった。


そしてコウはここにいない。

どこでヤスとぶつかっているのかも分からない。

助けるべき教授は目の前で拘束されている。

なのに、条件として突きつけられたのは、そのコウだった。


この場ではまだ、誰も動けない。

花の檻のような空間で、息を潜めるように次の一手を待つしかなかった。

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