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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第2章 絵札戦 第3節 魔獣箱

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魔獣箱

崩れた通路の奥で、コウ、ヤス、そして学連の制服を着た謎の男は、互いに間合いを探り合っていた。

誰も先に決めきれない。

誰かが踏み込めば、残る一人がその隙へ牙を立てる。

そんな三すくみが、薄暗い空間の中で張りつめたまま続いていた。


最初に動いたのはヤスだった。

「邪魔なんだよ」

吐き捨てるようにそう言うと、バットを横薙ぎに振り抜く。

狙いはコウではない。

学連の男だった。

だが男は半歩だけ身体をずらし、その一撃を紙一重で外す。

同時に掌をこちらへ向けた。

霊気が収束する。

次の瞬間、圧縮された光弾のようなものが一直線に走った。


「っ」

コウは咄嗟に身を沈める。

背後の壁が抉れ、コンクリート片が弾け飛んだ。

遠距離。

しかも牽制の威力ではない。

あの男は近接だけでなく、霊気力を遠隔で撃ち出すことまでできるらしかった。


「学連のくせにえげつないっすね」

ヤスが舌打ち混じりに笑う。

だが、その軽口の裏で明らかに警戒が増していた。

バット一本で間合いを支配する戦い方にとって、遠距離から打ち込まれる霊気弾は相性が悪い。

コウにとっても同じだった。

一対一ならまだしも、ヤスを捌きながらこの男の射線まで読むのはきつい。


男は何も言わない。

ただ、感情のない目で二人を見ていた。

まるで敵味方の区別がない。

いや、区別した上で両方を潰すつもりなのかもしれなかった。


コウが一歩前へ出る。

ヤスも同時に動く。

二人の軌道が交差した瞬間、男の霊気弾がその中心へ打ち込まれる。

コウはヤスの肩を掴んで強引に引き寄せ、自分も横へ転がった。

光の軌跡が床を裂く。


「助けたつもりですか」

着地したヤスが低く笑う。

「違う」

コウは短く返す。

「巻き込まれたくなかっただけだ」


そのやり取りの直後、ヤスのバットが足元を払うように来る。

コウは跳んで避ける。

だが空中へ浮いた瞬間、今度は学連の男の霊気弾が飛んだ。

完全に読まれている。

コウは無理やり体を捻り、肩口を掠めさせて着地した。

熱い。

布が裂け、皮膚が焼けたような痛みが走る。


「はは」

ヤスが笑う。

「いいっすね、ちゃんと死にそうだ」

「黙れ」

コウは息を整えながら睨み返す。

だが実際、状況は悪かった。

ヤスも苦戦している。

学連の男は近づけば近づいたで、無駄のない体捌きで打点を逸らしてくる。

しかも一度距離が空けば、霊気弾で強引に盤面を作り直してくる。

こちらもヤスも、攻め切る寸前で必ず横槍が入る。


ヤスが舌打ちする。

「マジで面倒くさいな、お前」

男は答えない。

代わりに、両手の間へ霊気を集めた。

今までより濃い。

嫌な圧だった。


「下がれ!」

コウが叫ぶと同時に、男がそれを放つ。

弾というより、槍に近い。

細く鋭い霊気の束が一直線に通路を貫いた。

コウとヤスは左右へ散る。

直後、背後の壁が大きく崩れた。

粉塵が視界を埋める。


「……次から次へと」

ヤスが低く呟く。

「ほんと、退屈しないな」


コウは答えなかった。

粉塵の向こうで、男の輪郭が揺れる。

ヤスもまた、バットを低く構え直している。

誰も余裕はない。

だが誰も退かない。

一進一退。

ほんのわずかの読み違いが、そのまま致命傷になる戦いだった。


その頃、花の咲き乱れる異様な空間では、冷花、志乃、陸がレイシアと対峙していた。

甘すぎる花の匂いが、かえって空気を不快にしている。

雑草と色とりどりの花に埋め尽くされたその空間の中心で、レイシアは冷たい目のままこちらを見ていた。

その後ろでは、副長練馬が白神教授を拘束している。

教授は表情を崩さない。

だが自由を奪われていることは明らかだった。


「コウを引き渡せば返す、だったわね」

冷花が静かに言う。

「ええ」

レイシアは頷く。

「話は簡単でしょ」


簡単なはずがない。

志乃は奥歯を噛んだ。

白塔の時に見たレイシアの姿が、今目の前の彼女とまるで結びつかない。

あの時は少なくとも、同じ方向を向いて戦っていた。

だが今のレイシアには、そうした温度が一切ない。

ただ必要な条件だけを置き、こちらの反応を待っている。


時間を稼がなければならない。

正面から戦えば厳しい。

相手は東都の絵札の一角だ。

しかもこの空間自体が、すでに相手の支配下にある気配が濃い。

なら少しでも言葉を重ねて、状況を読むしかない。

志乃はそう思って口を開いた。


「どうしてそこまでコウにこだわるの」

「教授まで攫って」

「あなたに何の得があるの」


レイシアはわずかに目を細めた。

「時間稼ぎ?」

その一言で、志乃の喉が詰まる。


冷花も表情を動かさなかったが、空気は完全に読まれていた。

陸が静かに視線を上げる。

レイシアはその三人を順に見渡し、軽く肩をすくめた。


「まあ、そうするしかないよね」

「でも、もうその段階じゃない」


「何をするつもり」

と、冷花が問う。


レイシアは少しだけ笑った。

それは楽しげな笑みではなかった。

もっと冷たく、処理の順番を決めた時の顔だった。


「貴様らも捕えてから話すのが早かろう」


その瞬間、空間の気配が変わった。

花の匂いが急に濃くなる。

足元の雑草がざわめき、花弁が風もないのに揺れ始める。

レイシアの周囲へ霊気が集まり、その輪郭を大きく膨らませていく。


冷花が息を潜めた。

「来る……!」


レイシアが片手を上げる。

指先が空間そのものを撫でるみたいに動いた。

次の瞬間、その周囲へ暗い箱庭のような結界が展開する。

花と草の空間が、さらに深く、さらに広く、現実から半歩ずれたみたいに歪んでいく。


「“魔獣箱”――マビノギオン・ルーム」


低く、静かな宣言だった。


直後、空間のあちこちが裂けるように軋んだ。

花の海の向こう。

崩れた二階の回廊。

雑草の影。

そこから現れたのは、人ではなかった。

獣。

だがただの獣ではない。

鹿の角を持ちながら狼じみた顎を備えたもの。

巨大な黒犬のようでいて、目の数が合わないもの。

鳥の翼を持つ獣影が、草の上を滑るように走る。

ケルト神話の獣神たち。

そう呼ぶしかない異形が、花の檻の中へ次々と姿を現していく。


「……っ」

志乃が息を呑む。

理屈で理解するより先に、本能が拒絶する光景だった。

陸でさえ、その目に初めてわずかな驚きを宿している。


冷花がすぐに札を抜いた。

「下がって」

その声は鋭い。

だが、下がる場所があるのかすら怪しかった。

空間そのものが、もうレイシアのものになりつつある。


レイシアはその中心で、少しも動かない。

ただこちらを見下ろしながら、冷たく言った。

「さて」

「ここからは、少し素直に話せるでしょ」


花の檻の中で、獣神たちが低く唸る。

交渉の時間は終わった。

そう言わんばかりに。

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