↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第2章 絵札戦 第2節 もう一人の男

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
150/155

知識を集める男

「遅かったですね。もう少し早く来るべきだった」


その一言で、白神研究所の夕方の空気は完全に変わった。

朝葉陸という見知らぬ青年は、脅すでもなく、焦らせるでもなく、ただ事実を確認するみたいにそう言った。

それがかえって不気味だった。


白神教授は表情を動かさないまま、朝葉を見た。

冷花は入口側へ半歩だけ重心を寄せる。

水島桃李は椅子に座ったまま、目だけを細めていた。

志乃は息を整えながら、その青年の立ち方を見ていた。

柔らかい。 静かだ。

それなのに、部屋の中の誰よりも場の温度を奪っている気がした。


「何が遅かった」


と、白神教授が言う。


朝葉はすぐに答えた。


「ここへ来るのがです。東都の流れが変わり始めている。だから、もっと早く見ておくべきだった」


「見ておくべきだった」


と、水島が繰り返す。


「見物人みたいな言い方だな」


「半分はそうです」


と、朝葉は言った。


「僕はもともと、霊気力に関する知識を集めるのが趣味なので」


その答えは拍子抜けするくらいあっさりしていた。

だが、あっさりしているからこそ余計に引っかかる。


「趣味」


と、志乃が思わず言う。


「はい」


朝葉は志乃を見た。


「昔から、そういうものに惹かれるんです。術式そのものより、それがどう伝わって、どこで歪んで、誰に使われるのか。そういう流れを見るのが好きで」


「好きで済ませるには、うちに辿り着きすぎてる」


と、冷花が言う。


朝葉は少しだけ頷いた。


「それはそうですね。普通の興味本位なら、ここまでは来ません」


コウは黙って朝葉を見ていた。

この男はヤスと違う。

人の輪の中へするりと入り込む感じはない。

むしろ一歩引いたまま、最初からこちらの輪郭だけを把握しているみたいだった。

危うさの質が違う。

嫌な感じはある。

だがそれは敵意というより、こちらの中身を勝手に観察されているような不快さだった。


「どこから来た?」


と、コウが言う。


朝葉の視線がそちらへ移る。


「東京です。東都とは別のところで、断片的に情報を拾っていました」


「誰から」


と、白神教授が問う。


「いろいろです。表に出ている記録もあれば、消えた研究者の残したメモもある。古書店に流れた報告書の切れ端とか、昔の観測記録とか。人づてにしか回らない噂もありました」


「ずいぶん丁寧に拾ってるな」


と、水島が言う。


「趣味にしちゃ執念がある」


「趣味って、だいたい執念でできてるでしょう」


朝葉は静かに返した。


その言い方に、志乃は少しだけぞくりとした。

軽口ではない。

本気でそう思っている人間の言い方だった。


白神教授が腕を組む。


「それで、お前は何を知っている?」


朝葉は少しだけ視線を落とした。

考えるというより、どこまで話すか順番を整えているような間だった。


「白塔の件は東京でも完全には隠しきれていません。もちろん、そのままの形では伝わっていないです。事故だとか、大規模霊障だとか、いろいろ言い換えられてました。でも、異常な情報統制が入った時点で、逆に気づく人は気づく。そこから辿ると、東都の白神研究所に行き着く」


「それだけでコウの名前まで知ったの?」


と、冷花が言う。


「普通は無理です。でも、記録は完全には消えていない。断片だけなら残っている。それに、白塔以後の東都で、明らかに“見る側”へ回っている人間が一人いる。だったら候補は絞れます」


部屋の空気が少し沈んだ。

消したつもりの痕跡。

隠したつもりの記録。

そういうものが、どこかで誰かの手に渡っている。

朝葉の存在は、その事実そのものでもあった。


「要するに、勝手に嗅ぎ回ってきたわけね」


と、志乃が言う。


「そうなります」


朝葉は否定しなかった。


「失礼なのは分かっています。でも、知りたかった」


「何を?」


と、コウが言う。


朝葉はまっすぐコウを見た。

その目には妙な熱がない。

だからこそ、余計に本気に見えた。


「あなたの見ているものをです。白塔の事件を受けた人間が、何を読み取れるのか。それが術式の延長なのか、別の何かなのか。あと、白神研究所がそこへどう手を伸ばしているのか」


志乃は眉をひそめた。

敵意があるわけではない。

むしろ知識欲としては筋が通っている。

だがそれを本人の前で、ほとんど躊躇なく言ってしまうところが普通ではない。


「ずいぶん率直だな」


と、水島が言う。


「隠しても仕方がないので」


と、朝葉は返した。


「協力を申し出るにしても、最初にそこを濁すと信用されないでしょう」


「協力?」


と、白神教授が目を細める。


「はい」


朝葉は頷く。


「研究員になりたいとか、今すぐ中へ入れてほしいとか、そういう話ではないです。ただ、僕の持っている断片と、そちらが見ているものを照らせば、分かることがあるかもしれない。特に最近の東都は、怪異一件の話じゃ済まなくなっているので」


コウはその言葉にわずかに反応した。

最近の東都。

黒い霧。 第三区。 公安。 学連。

相模の言った盤面。

それらをこの朝葉もまた、別の場所から見てここへ来たのだろうか。


「黒い霧のことも知ってるの」


と、志乃が訊く。


「詳しくはないです。でも、流れは見えます。怪異が主役じゃない時の広がり方をしている。誰かが街全体の継ぎ目を使ってる。それくらいなら」


その見立ては、研究所の中でたどり着いていた仮説と大きくは違わなかった。

だからこそ、簡単に無視もできない。


白神教授はしばらく朝葉を見ていたが、やがて低く言った。


「話は分かった。だが、だからといって信用はしない」


「それで構いません」


と、朝葉は言う。


「初対面の人間に信用を求めるほど、こちらも鈍くはないので」


「随分、自分の立ち位置が分かってるんだね」


と、水島が言う。


「分からないと、こういう場所には来ません」


落ち着いている。

若いのに、妙に落ち着きすぎている。

ヤスの軽さとは真逆だった。

だが、どちらも別の意味で輪郭が掴みにくい。


その時だった。

廊下の向こうで、やや軽い足音が近づいてきた。

次の瞬間、扉が開く。


「戻りましたー」


というヤスの声が、部屋の緊張を一瞬だけ外から切った。


ヤスは紙袋を片手に入ってきて、室内の空気にすぐ気づいたらしい。

足を止める。

その視線が朝葉に向く。


「……あれ、お客さんですか?」


「そうだ」


と、白神教授が答える。


「朝葉陸。東京から来たらしい」


ヤスは一瞬だけ目を細めた。

ほんの一瞬だった。

だがコウは見逃さなかった。


「へえ、どうも」


ヤスはいつもの調子で笑う。


「鑢谷朋大です。ヤスって呼ばれてます」


「朝葉陸です」


と、朝葉も言った。


「はじめまして」


二人の間に流れた空気は、表面上は穏やかだった。

だが志乃には、まるで種類の違う異物が同じ部屋へ置かれたように感じられた。

ヤスは人の温度へ寄せて入ってくる。

朝葉は距離を保ったまま、その外側から入ってくる。

どちらも普通ではない。

だが違う。

違いすぎて、並んだことで余計に不穏だった。


ヤスが紙袋を持ち上げる。


「なんか、タイミング悪かったですか。飲み物だけ置いといた方がいい感じですかね?」


「置いといて」


と、冷花が短く言う。


「了解です」


ヤスはそれ以上踏み込まず、奥の机へ紙袋を置いた。

その引き際の自然さも、相変わらず上手い。

朝葉はそんなヤスを静かに見ていた。

値踏みしているようにも見えない。

ただ、記憶しているような視線だった。


コウはその二人を順に見た。

ヤス。 朝葉。

片方は自然すぎる好青年。

片方は静かすぎる知識の蒐集者。

どちらもまだ正体は見えない。

だが、どちらもこの研究所の外に置いておける感じがしなかった。


「今日は帰れ」


と、白神教授が朝葉に言った。


「連絡先だけ置いていけ。必要ならこちらから呼ぶ」


「分かりました」


朝葉は素直に頷いた。


「来た意味はあったので、それで十分です」


「何が十分なんだ」


と、水島が言う。


朝葉は少しだけ目を細めた。

それは笑みというほど明確ではなかった。


「ちゃんと中心に近かったからです」


その言葉を最後に、朝葉は連絡先を書き残し、研究所を出ていった。

足音は来た時と同じように静かだった。

扉が閉まる。

夕刻の研究所に、少し遅れて張りつめた沈黙が落ちた。


志乃が最初に息を吐く。


「……なに、あれ」


「知識欲の塊だな」


と、水島が言う。


「しかも遠慮がない。敵意が薄いぶん、余計に扱いづらい」


「でも嘘は少なそうだった」


と、冷花が言う。


「少なくとも、目的の軸はぶれてない」


ヤスが少し首を傾げる。


「なんか面白い人ですね。ちょっと変わってるけど」


その軽い感想に、志乃は思わずヤスを見る。

ヤスは本当にそう思っているのか。

それとも、いつも通りの顔を置いているだけなのか。

もう簡単には読めない。


コウは扉の方を見たまま、低く言った。


「ヤスとは違う」


志乃が振り向く。


「違うって」


「危ない感じの種類」


コウは短く答える。


「でも、どっちも分からない」


その言葉が、この部屋の今を一番正確に表していた。


白神研究所には、すでにヤスという読み切れない新参者がいる。

そこへさらに朝葉陸という、別種の正体不明が辿り着いた。

しかも彼は東京から独自のルートでここまで来て、コウの能力と研究所の研究へ明確な興味を向けている。


東都の外側と内側が、またひとつ噛み合った。

そんな感覚があった。


窓の外では、東都の夕暮れがゆっくりと夜へ沈んでいく。

黒い霧も。 第三区の火種も。 学連と公安の軋みも。

その全部のただ中へ、また新しい男が足を踏み入れた。


そしてコウは、もうひとつだけはっきり理解していた。


この街の盤面は、まだ増える。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。