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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第2章 絵札戦 第2節 もう一人の男

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三つ巴の街

東都の均衡は、目に見えないところから少しずつ軋み始めていた。

黒い霧の連続襲撃だけではない。

第三区では紅叉と月砂の緊張が抜けきらず、夜になるたびに小さな火花が散る。

そこへ公安特東部が本格的に踏み込み始めたことで、街の空気そのものが別の硬さを帯びていた。


学連本部では、その日も第三区の地図が壁一面に投影されていた。

巡回経路。 構成員の移動。 衝突が起きやすい地点。

黒い霧の出現履歴まで重ねると、もう偶然と片づけられる配置ではない。


吾妻は腕を組んだまま、投影された地図を見ていた。

鷹取シズクが端末を操作しながら言う。


「月砂は北側で人数を絞ってます。その代わり、紅叉の出入りに合わせて要所だけ押さえてる。正面衝突じゃなくて、削るつもりです」


「紅叉は?」


と、吾妻が訊く。


「苛立ってます。この二日で、小競り合いだけなら三件。どれも大きくなる前に止めてますけど、止めてるだけです」


吾妻は小さく舌打ちを飲み込んだ。

抑え込んでいる。

だが収まっているわけではない。

むしろ止められるたびに、次の熱だけが溜まっていく。


「黒い霧の方は」


と、吾妻が続ける。


シズクの表情がわずかに曇る。


「散発です。でも、第三区周辺の目撃が増えてます。勢力の境目に沿うみたいに」


「やっぱり、別件じゃないか」


その時、部屋の扉が開いた。

入ってきたのは公安特東部の蒲村姫菜だった。

後ろには藤原もいる。

無断で乗り込んできたというより、すでに顔を出すのが当然になり始めている気配があった。


「別件じゃない、で済ませてる時点で遅いのよ」


と、蒲村が言う。


「学連はまだ“均衡が崩れかけてる”って認識でしょ。こっちはもう“崩しに来てる誰かがいる”前提で動いてる」


「言い方の問題だ」


と、吾妻が返す。


「崩れかけてるから抑えてる。それだけだ」


「抑えてる、ね」


蒲村は鼻で笑うでもなく、ただ冷たく繰り返した。


「その抑え方が手ぬるいって言ってるの。紅叉も月砂も、今のうちに線を引き直させるべきよ。半端に顔を立て続けるから、余計に火種が残る」


「外から来た連中はすぐそう言う」


吾妻の声は低かった。


「東都の勢力は、締め上げれば黙るほど単純じゃない」


「黙らせるんじゃなくて、従わせるの」


と、蒲村が返す。


「秩序ってそういうものでしょ」


シズクの目つきが鋭くなる。

空気が張る。

だがその場を割ったのは、後ろから入ってきた一ノ瀬護だった。


「もう議論の段階じゃない」


と、一ノ瀬が言う。


「東都は組み替えが必要だ。学連の自治と勢力均衡を前提にした秩序は、外部浸透に弱すぎる」


吾妻の目が細くなる。


「またそれか」


「事実だ」


一ノ瀬は平坦に答えた。


「黒い霧、第三区の軋み、TEBESの潜入。全部が別件に見えるなら、見る側が遅れてる」


部屋の空気がさらに冷える。

一ノ瀬は声を荒げない。

それでも、その言葉は真正面から学連の土台を否定していた。


「お前は東都を守りたいんじゃない」


と、吾妻が言う。


「作り替えたいだけだ」


「守るために作り替える」


と、一ノ瀬は返す。


「壊れると分かってる形を残す意味はない」


その言葉を、シズクがきつく睨む。

だが吾妻はそれ以上の言い合いには乗らなかった。

今ここでぶつかっても、現場の火種は消えない。

それが分かっているからだ。


「勝手にやるなよ」


と、吾妻は低く言う。


「第三区はまだ学連の持ち場だ」


「今はな」


と、一ノ瀬が返した。


その一言が、妙に長く残った。


同じ頃、白神研究所でも空気は重かった。

研究所の長机には被害記録と現場資料が並べられ、冷花が霊気波形を照合している。

志乃は目撃証言をまとめ、水島桃李は中央図書館から引っ張ってきた古い記録と見比べていた。

コウは少し離れた席で、端末を見ながら黙って考え込んでいる。


「もう怪異単体の話じゃないですね」


と、志乃が小さく言った。


「黒い霧が出る場所も、人がぶつかる場所も、全部どこか繋がってるみたいで」


「みたい、じゃなくて繋がってるんだろうな」


と、水島が言う。


「霊気干渉体ってだけなら、もっと閉じた事件で終わる。でも今回は違う。街の人間関係とか、勢力のぶつかり方とか、そういう“構造”の上に乗ってる」


冷花が端末を見たまま言う。


「第三区周辺だけ、波形の乱れ方が不自然に揃ってる。自然発生の霊障じゃない。誰かが騒ぎやすい場所をなぞってる」


コウはそこで目を閉じた。

使徒再生の後から得た、あの曖昧な感覚へ意識を沈める。

黒い霧の残滓。

人が衝突しそうな場所に漂うざらつき。

第三区周辺で強まる人工的な歪み。

どれも質感が似ている。

違う事件に見えて、奥の感触だけが同じだ。


「噛み合わせてる」


と、コウが低く言う。


志乃が振り返る。


「え」


「事件を、人と場所を、わざと、ぶつかるように」


その言葉に、水島がゆっくり頷いた。


「TEBESっぽいな。正面から潰すより、混ぜて崩す方が連中は好きそうだ」


志乃は息を呑んだ。

黒い霧だけならまだ追えた。

ヤスの違和感だけなら、まだ研究所の中で見張れた。

だが今は違う。

街全体が盤みたいに使われ始めている。


白神教授が資料から目を上げた。


「なら、研究所の仕事も変わる。怪異の分析だけでは足りない。東都のどこに火種が配置されているかまで見ろ」


「公安がそれを先にやろうとしてますよね」


と、志乃が言う。


「だろうな」


と、水島が気だるげに返す。


「一ノ瀬あたりは、もう東都の秩序そのものを組み替える気でいる。学連の顔も、勢力同士の距離感も、全部いったん潰して作り直すつもりだ」


「そんなことしたら、もっと荒れる」


と、志乃が言う。


「荒れても、再編できるならいいって考え方もある」


と、水島は肩をすくめた。


「役所側の発想ってのは、時々そういう無茶をする」


コウは黙ったままだった。

一ノ瀬の顔。

吾妻の反発。

相模の言った“ゲーム”。

それらが頭の中で別々に浮かび、しかし同じ盤上の駒みたいにも見える。


研究所の外では、その頃も第三区の夜がざわついていた。

紅叉の構成員が狭い通りで睨み合い、月砂側も引かずに立っている。

学連が割って入り、公安がその後ろから状況を見ている。

どこも決定的には動かない。

だが動かないこと自体が、かえって次の衝突を濃くしていた。


一ノ瀬は現場の高台側からその様子を見ていた。

吾妻が隊員へ指示を飛ばし、シズクが月砂側を抑え、紅叉の苛立ちがじわじわと広がっていく。

東都の秩序は、たしかに回っている。

だがそれは、一瞬ごとの継ぎ接ぎでもある。


「保ってる、ように見えるだけだ」


と、一ノ瀬は小さく呟く。


藤原が隣で言う。


「学連のやり方を全部否定するのは危険だ。この街を回してきた実績はある」


「分かっています」


と、一ノ瀬は答える。


「だから厄介なんです。壊れてるなら切れる。でも半分機能してるから、誰も手放せない」


「お前はそれでも切る気でいる」


「必要なら」


その答えに迷いはなかった。


少し離れた場所では、前島辰典が車にもたれながら煙草も吸わずに夜空を見ていた。

普段の軽薄そうな顔は薄い。

第三区のざわめきの奥に、別の流れを読んでいる目だった。


蒲村が近づく。


「学連、まだ持たせるつもりですか」


「持たせるっていうか、持つだけ持たせるしかないだろ」


と、前島は言う。


「向こうが崩れた瞬間に全部こっちへ来る。それはそれで面倒だ」


「じゃあ介入を早めるべきです。一ノ瀬の言う通り、もう再編前提で動くしかない」


前島はすぐには答えなかった。

第三区の通りの向こうで、またひとつ怒鳴り声が上がる。

学連がすぐに押さえる。

だが、その一手一手が後手に回り始めていることは、公安側の誰の目にも明らかだった。


「黒い霧も混ざってる」


と、前島が言う。


「紅叉と月砂だけ見てりゃいい段階は、もう過ぎた。その上で、外からの潜り込みもある」


蒲村が低く言う。


「TEBESですね」


前島は頷きもしなかった。

否定もしなかった。

その沈黙が、むしろ答えだった。


研究所では、ヤスがその夜もいつも通りに姿を見せていた。

資料を運び。

冷花に備品の場所を聞き。

志乃へ軽く笑いかける。

見える範囲では何も変わらない。

だが、コウにはもうその“何も変わらなさ”自体が不気味に思えた。


街は学連と公安で軋んでいる。

紅叉と月砂も限界に近い。

黒い霧はその継ぎ目をなぞるように出る。

そして研究所の中には、正体の見えないまま笑っているヤスがいる。


全部が少しずつ噛み合い始めている。

その噛み合い方が、人の意志だけでできるものには見えなかった。


夜も更けた頃、研究所へ一報が入った。

第三区近辺でまた黒い霧の目撃。

負傷者一名。 学連が対応中。 公安も現場へ入ったらしい。


「また」 と、志乃が息をつく。


「また、じゃない」


と、水島が言う。


「続いてるんだよ。もう一つの事件が増えたんじゃない。最初から一本なんだ」


その言葉に、誰も反論しなかった。


東都は今、学連と公安と研究所の三者だけで揺れているわけではない。

紅叉と月砂が互いを睨み。

黒い霧がその境目を這い。

見えないTEBESの手が、さらに奥から糸を引く。


三つ巴。

いや、実際にはもっと多い。

見える勢力と見えない意思が重なり合い、街全体が多層的に崩れ始めていた。


その夜の遅く。

第三区から戻ってきた前島が、学連本部前で空を見上げながらぼそりと呟いた。


「東都に来るのは、ネズミだけじゃない」


その声は小さかった。

だが、妙に重く残った。

次にこの街へ入ってくるものは、もう潜入者程度では済まないのかもしれなかった。

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