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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第2章 絵札戦 第2節 もう一人の男

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保護という名の管理

白神研究所の応接室には、朝から妙に乾いた緊張が満ちていた。

窓の外はいつも通りの東都なのに、その部屋の中だけ別の論理が持ち込まれている。

そんな感じがした。


長机を挟んで、向かい合うように座っているのは学連側の人間だった。

吾妻。

そして鷹取シズク。

公安特東部が表へ出てきたことで、学連もまた黙っていられなくなったのだろう。

それは志乃にも分かった。


白神教授は机の奥の席に腰掛け、いつも通り気だるげな顔をしていた。

だが、その目だけは完全に起きている。

冷花は教授の少し後ろに立ち、無言のまま場を見ていた。

水島桃李は椅子に浅く座り、くたびれたジャケットの襟を指で整えながら、いかにも面倒そうな顔をしている。


コウは部屋の端にいた。

当事者であるはずなのに、まるで少し外側からこの場を眺めているような静けさだった。


志乃はその隣に立ちながら、胸の奥に薄い嫌さが広がっていくのを感じていた。

話の内容は、もう来る前からだいたい分かっている。

それでも、実際に口にされた時の重さは別だ。


最初に切り出したのは吾妻だった。


「単刀直入に言う。虚西コウくんの身柄を、一定期間学連の保護下に置きたい」


その言葉に、部屋の空気がさらに一段、硬くなる。


志乃は思わずコウを見た。

コウは表情を変えない。

だが、その目だけがわずかに細くなった。


白神教授はすぐには返事をしなかった。

湯気の立たないコーヒーカップを指先で軽く回し、それから吾妻を見る。


「理由を聞こう」


「いくつもある」


と、吾妻は言う。


「白塔の件、使徒再生、黒い霧事件での断片読み、そしてTEBESだ。今のコウくんは、どう見ても狙われる側だ。同時に、何かを引き出せる“鍵”にもなっている」


鷹取がその言葉を引き取る。


「研究所にいるのが危険だと言いたいわけじゃありません。ただ、守るための体制としては脆い。学連なら人員も動かせます。夜間警備も、移動経路の管理も、対外遮断もできる。狙われる可能性が高いなら、今のうちに囲うべきです」


囲う。

その言い方に、志乃の眉がわずかに寄った。


吾妻もその響きに気づいたのか、言い直すように続ける。


「保護だ。拘束じゃない。だが現実問題として、行動には一定の制限が必要になる」


「それを管理と言うんだよ」


と、水島が横から言った。


場の空気に似合わない、力の抜けた声だった。

けれど、その一言で話の芯が露わになる。


吾妻は視線だけを水島へ向ける。


「言葉遊びをする気はない。守るために必要な枠組みだ」


「そういうのを一番きれいに言うのが、だいたい一番危ないんだ」


と、水島は言う。


「管理される側からすれば、保護も拘束もそんなに綺麗に分かれない」


「危険が目前にあるなら、分けて考える余裕はないだろ」


と、吾妻が返す。


志乃はそのやり取りを聞きながら、喉の奥が少し詰まるのを感じた。

吾妻の言い分は分かる。

合理的だ。

むしろ筋が通っている。

黒い霧の件だけでも、コウが普通の立場にいないことは明らかだった。

そこへTEBESの影まで重なっている。

学連が危機感を抱くのは当然だ。


それでも。 それでも何かが違うと感じる。


白神教授がようやく口を開いた。


「私は反対だ」


はっきりした声だった。

曖昧に濁す余地のない言い方だった。


吾妻の表情がわずかに動く。

鷹取も言葉を挟みかけたが、教授はそれより先に続けた。


「先に言っておくが、これは研究所の利を守るためじゃない。研究対象だから手放さない、という話でもない。コウを一個人として扱うなら、外部が勝手に囲うべきではない。それだけだ」


「白神教授」


と、鷹取が身を乗り出す。


「感情論では済まない段階です。相手がTEBESなら、研究所一つで抱え切れる話じゃない」


「感情論ではない」


と、教授は淡々と返す。


「むしろ逆だ。危険だから囲う。守るためだから制限する。その理屈は、だいたい一人の人間を“物”として扱う時に一番滑らかに機能する」


言葉が静かな分だけ、重かった。


吾妻が低く言う。


「物扱いするつもりはない」


「つもりの話はしていない。構造の話をしている。お前たちは東都を守る立場から合理を言っている。それ自体は分かる。だがその合理は、本人の自由を削る方向にしか働いていない」


部屋の中が静まる。

誰もすぐには言い返せなかった。


志乃は胸の奥で、少しだけ救われるような気持ちになった。

教授の言葉は冷たい時もある。

突き放して聞こえることも多い。

けれど今のそれは、たしかにコウを“もの”として扱っていなかった。


吾妻は数秒黙ったあと、コウへ直接視線を向けた。


「君自身はどう思ってる」


コウはしばらく何も言わなかった。

その沈黙が長くなりすぎる前に、志乃は自分の指先が少し強く握られていることに気づく。


やがてコウが答えた。


「あんたらが言っていることもわかる」


吾妻の目がわずかに和らぐ。 だがコウはそのまま続けた。


「けど俺は囲われたくない。気ままなのがいいからな」


短い。 けれど、はっきりしていた。


鷹取が息をつく。


「感情で決めていい話じゃないよ」


「感情じゃない」


と、コウは返す。


「学連に入ったら、見えなくなる」


「何がだ」


「いろいろ」


曖昧な返答だった。

だが、それはコウなりの本音なのだと志乃には分かった。

守られる側の枠に入った瞬間、見えるものが変わる。

近づけなくなるものがある。

コウが追っているのは、ただの安全ではない。

黒い霧の正体。 TEBESの影。 ヤスの違和感。 その全部だ。


志乃は一歩だけ前へ出た。


「私も、反対です」


吾妻が志乃を見る。

責めるような目ではない。

だが、軽くは受け取っていない目だった。


「理由は?」


「コウを守りたいっていう気持ちは、学連とたぶん同じです。でも、だからって勝手に管理していいとは思わない。危ないから自由を減らすのは、正しいように見えて、たぶんすごく危ういです」


言いながら、自分でもどこまでうまく伝わっているか分からなかった。

それでも止まれなかった。


「白塔の時も、私たちは何が正しいのか分からないまま動いた。だからこそ、今度は“正しそうだから”で全部決めたくないんです」


鷹取が静かに言う。


「志乃さんは甘い」


「そうかもしれません」


志乃は頷いた。


「でも、守るって名目で本人の意思を飛ばすのは、もっと嫌です」


冷花がそこで初めて口を開く。


「私も教授と同意見です。警備強化や連携は必要、でも管理下に置くのは別問題。学連にも公安にも、全面的には預けられない」


その声音はいつも通り平坦だった。

だが言葉の切れ味は鋭い。


吾妻が視線を巡らせる。

教授。 志乃。 冷花。 そして水島。


「水島さんは」


と、吾妻が問う。


水島は少し肩をすくめた。


「俺か。俺はもともと、誰かを丸ごとどこかへ預けるって発想が嫌いなんだ。学連にも渡さない。公安なんてもってのほか。白神研究所だって、本人の意思抜きに囲うなら同じように反対する」


「徹底してるな」


と、吾妻が言う。


「中年は面倒くさいんだよ」


と、水島は気の抜けた調子で返す。


「大義名分ってやつが、どこで人間を潰し始めるか、若い頃よりよく見えるからな」


その言葉に、部屋の空気が少しだけ沈む。

誰も笑わなかった。


吾妻は腕を組み、しばらく考え込んでいた。

彼も頭ごなしに押し通そうとしているわけではない。

そのことも志乃には分かった。

分かった上で、なお学連の理屈は強い。

東都全体を守る立場にいる者の言葉だからだ。


だからこそ厄介だった。


「分かった」


と、吾妻が言った。


「現時点で強制はしない」


鷹取が驚いたようにそちらを見る。

だが吾妻は手で制した。


「ただし、提案は取り下げない。コウくんが狙われる可能性は高い。それは変わらない。少なくとも移動の連絡、夜間行動の制限、接触者の記録、このあたりは今まで以上に共有してもらう」


「共有はする」


と、白神教授が答える。


「合理的な範囲でならな」


「その“合理的”が問題なんだが」


と、水島がぼやく。


「お前が言うな」


と、教授が返した。


そのやり取りに、ほんのわずかだけ空気が緩む。

けれど本質的には何も解決していなかった。

学連の危機感も。

研究所側の拒絶も。

どちらも本物だ。


吾妻は最後にもう一度コウを見た。


「君はもう、自分一人の問題じゃない。それだけは忘れるな」


「分かってる」


と、コウは言う。


その返事に偽りはなかった。

だからこそ重かった。


学連側が席を立つ。

鷹取はまだ何か言いたげだったが、最後には口を閉じた。

扉が開いて、廊下の空気が少しだけ流れ込む。


その時だった。


志乃は部屋の入口の近くに、いつからいたのか分からない人影を見つけた。


ヤスだった。


壁にもたれかかるでもなく。

扉を開けたまま入ってくるでもなく。

ただ静かに、その場に立っていた。


さっきまでのやり取りを、どこから聞いていたのかは分からない。

けれど少なくとも途中からは、全部耳に入っていたはずだった。


「ヤス」 と、志乃が思わず名前を呼ぶ。


ヤスはいつものようにすぐ笑わなかった。


明るい顔も。 軽い調子も。 人懐っこい空気もない。


ただ妙に静かな顔で、部屋の中を見ていた。


その表情は長くは続かなかった。

次の瞬間には、いつもの調子へ戻っている。

だが、志乃にははっきり見えてしまった。


一瞬だけ覗いた、あの無音みたいな顔を。


「……なんか、すごい話してましたね」


と、ヤスが言う。


「入るタイミング、完全に間違えた気がする」


軽い声だった。

いつもの調子だった。

けれど今の志乃には、その自然さが逆に怖かった。


コウもまた、ヤスをじっと見ていた。

何も言わない。

だが、その沈黙の中で何かがまた一つ積み上がったのが分かった。


保護。 管理。 自由。 大義。

その全部の議論が終わったあとで、最後に残ったのは別の不穏だった。


東都を巡る思惑は、もう学連と研究所だけのものではない。

そして研究所の内側にいるこの男もまた、まだ正体の見えないまま、そこに立っていた。

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