↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第2章 絵札戦 第1節 西風のバットマン

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
140/155

交差する違和感

東都の中を流れる空気は、もう誤魔化しようのないところまで軋み始めていた。

黒い霧の連続襲撃。

第三区で起きた月砂と紅叉の衝突未遂。

どちらもまだ決定的な破綻には至っていない。

だが、それは無事という意味ではなかった。

崩れる寸前で辛うじて形を保っているだけだ。


白神研究所でも、その感覚は共有されていた。

誰も口にはしなくても、日常の手つきが少しずつ固くなっている。

記録をめくる指先。 端末を叩く速度。 扉の開閉のわずかな間。

そんな細部にまで、街のざらつきが移っていた。


志乃は資料室の棚からファイルを抜き出し、机へ運んだ。

その隣では冷花が新しくまとめた観測記録を整えている。

コウは窓際の席で、端末に映る東都各地の霊気波形を黙って見つめていた。


そこへ、水島桃李がくたびれたジャケット姿のまま入ってくる。

手には中央図書館から持ち出してきたらしい古い記録束が抱えられていた。


「学連側の報告が回ってきた。第三区の件、やっぱりただの小競り合いじゃ済まないな」


志乃が振り向く。


「吾妻さんたちの方でも、黒い霧が出たんですか」


「出たみたいだ。しかも、よりにもよって紅叉と月砂が睨み合ってる場のすぐ近くでだ。偶然にしては、できすぎてる」


水島は資料を机に置き、そのまま紙束を広げる。

被害現場の位置。 時間帯。 周辺で確認された勢力の動き。

そして、研究所側で追ってきた黒い霧の出現履歴。

別々の情報を重ねると、妙な規則性が浮かび上がってくる。


冷花が静かに口を開く。


「人がぶつかりやすい場所をなぞってる。霊気が乱れやすい地点でもあるけど、それだけじゃない。争いが起きる直前か、起きた直後を狙ってる」


「火に油を注いでるみたいなものか」


と、志乃が言う。


「その方が近いかもしれないね」


と、水島が頷く。


「黒い霧そのものが主目的というより、騒ぎを広げるための道具に見える」


志乃は息を呑んだ。 黒い霧の事件。 第三区の不穏。

別々に見えていたものが、急に一本の線へ寄り始める。


コウは黙ったまま端末を閉じた。

その表情はいつも通り薄い。

だが、視線だけがひどく鋭い。


「ヤス」 と、コウが言う。


部屋の空気がわずかに止まった。


志乃はすぐには返せなかった。

もう名前を避けては通れないところまで来ている。

それは分かっていた。


水島がコウを見る。


「君も、そこへ戻るのかい?」


「戻るんじゃない。最初からそこにあった」


コウの声は低く平坦だった。

感情がないわけではない。 むしろ逆だ。

抑え込んでいるからこそ、余計に冷える。


「黒い霧の残滓、第三区での出現位置、新都の研究式みたいな均された霊気。全部、ヤスの周りの違和感に似てる」


志乃がゆっくりと口を開く。


「でも、まだ……。まだ直接つながったわけじゃない」


「分かってる、だから見てる」


それだけ言って、コウは立ち上がった。

窓の外へ視線を向ける。

昼の東都はいつも通りに人が行き交っている。

平穏そうに見える。

だがもう、その表面が本物ではないことを知ってしまっていた。


その日の午後。

研究所には珍しく、ヤスが少し遅れて顔を出した。


「すみません、ちょっと買い出し頼まれてて。…って、うわ、なんかまた空気重いですね」


明るい笑顔。 軽い声。 何も知らない側の顔。

それを見た志乃の胸の奥で、何かが鈍く軋んだ。


「おつかれ」 と、彼女は返す。

それだけで精一杯だった。


ヤスは自然な足取りで室内へ入り、机の端に積まれた資料を覗き込む。


「また黒い霧ですか? ほんとしつこいですね、あれ」


「しつこいで済めばいいけどね」


と、水島が言う。


「第三区まで荒れ始めてる。東都全体がきな臭くなってきた」


「第三区って、紅叉とか月砂の…うわ、それ面倒そうっすね」


返答は淀みない。

知っていて当然の範囲でしか触れない。

軽すぎず、重すぎず。

まるで、最初から“怪しまれない答え方”を知っているみたいだった。


コウはヤスを見た。

その視線に気づいたヤスが、苦笑いを浮かべる。


「なんですか? また疑ってます」


「疑ってる」


即答だった。


志乃が息を詰める。

冷花は何も言わない。

水島も止めない。


ヤスは数秒だけ黙ったあと、肩をすくめた。


「いやあ、そこまで真正面から来ると逆に清々しいですね。俺、そんな怪しいですか?」


「怪しい。事件への距離感が不自然だ。現場にお前の物も落ちてた」


最後の一言に、ヤスの目がほんのわずかに細くなった。

笑みは消えていない。

だが、その奥で一枚、別の顔が動いた気がした。


「物って、何の話ですか?」


「言う必要あるか? 自分で分かってるだろ」


部屋の空気が張る。

志乃は思わず口を開きかけた。

だが止めた。

ここで中途半端に庇えば、逆に全部が曖昧になる。


水島が静かに割って入る。


「決めつけるにはまだ足りない。が、警戒はする。それだけの話だ」


ヤスは水島を見る。

そして、ふっと笑った。


「中年って、そういう言い方しますよね。怖い怖い」


軽口だった。

けれど、その軽さはわずかに作り物めいていた。


冷花が淡々と言う。


「笑って流せる段階じゃない。東都で人が傷ついてる」


「分かってますって。俺だって、そんなの嫌ですよ」


その言葉に嘘が混じっているのかどうか。

志乃には、もう判断がつかなかった。

だから余計に苦しかった。


夕方。 コウは一人で研究所の屋上へ出ていた。

風が強い。

白塔の一件を思い出すような高所の冷たさだったが、今はあの時ほど明確な敵影があるわけじゃない。 だからこそ厄介だった。


背後の扉が開き、志乃が姿を見せる。


「やっぱりここにいた」


コウは振り返らない。


「どうした」


「それ、私の台詞。ずっと一人で考えてるから」


しばらく風の音だけが流れた。

やがて志乃が、少しだけ躊躇ってから隣に立つ。


「私も、もう分かってる。ヤスが怪しいのは。たぶん、ほんとは前から気づいてた」


コウは黙って聞いていた。


「でも、また間違えたくなかった。白塔の時みたいに、見えてるもの全部を敵だと思いたくなかった」


志乃は続ける。


「疑うことで、取り返しがつかなくなるのが怖かった」


その言葉は、そのまま彼女の傷跡だった。

ひばり。 俵屋。 白塔で失ったもの。

託されたもの。 あの戦いを越えてなお残った、疑うことへの恐れ。


コウはようやく口を開く。


「俺も同じだ。でも、今度は見誤りたくない」


志乃が横目で彼を見る。


「……うん」


短い返事だった。 けれどそれで十分だった。

二人の中で、認識のずれは完全には消えていない。

それでも今、同じ方向を見ることはできている。


コウは目を閉じた。

最近ずっと続いている、あのざらつきへ意識を沈める。

使徒再生の後から、ときどき霊気の流れに混じる歪みが見えるようになった。

明確な映像ではない。 断片だ。

だがその断片が、最近はやけにはっきり重なる。


黒い霧の現場に残る人工的な空白。

第三区で感じた不自然な攪拌。

そして、ヤスのすぐ近くに立った時にだけ生まれる、皮膚の裏を薄く削るみたいな違和感。


コウの眉が寄る。


「……同じだ」


「えっ……」 と、志乃が振り向く。


「最近の事件の流れ。全部、歪み方が似てる。黒い霧も、第三区の火種も。ヤスの周りにある感触と同じだ」


志乃の顔から色が引いた。

そこまで来れば、もはや偶然と言い張るのは苦しい。


「じゃあ、やっぱり」


「まだ確定的な証拠はない。けど、十分だと思う」


「十分って」


コウは屋上の柵へ手を置いた。

風に髪が揺れる。

その横顔は静かだった。

静かなまま、決意だけが硬い。


「追う。次は、直接」


志乃が息を止める。

それが何を意味するのか分からないほど、彼女も甘くはない。

監視ではなく、尾行。

観察ではなく、接触の手前まで踏み込むということだ。


「危ないよ。相手が本当に関わってるなら、向こうも気づく」


「気づかせるつもりはない。けど、もう待ってもいられない」


その言葉には焦りもあった。

東都全体が軋んでいる。

第三区だけでは終わらない。

黒い霧も止まらない。

もしヤスがその芯にいるなら、これ以上放置する方が危険だ。


志乃は迷った。

迷って、それでも最後には頷いた。


「……一人では行かせない。私も行く」


コウは少しだけ目を細める。

それが拒絶ではないことを、志乃はもう知っていた。


「分かった」


その返事は短い。

けれど、確かに受け入れていた。


夜。

研究所へ戻ると、ヤスはすでにいなかった。

机の上には、雑に置かれたメモと、飲みかけの缶コーヒーだけが残っている。

ついさっきまでそこにいた気配があるのに、肝心の本人だけがきれいに消えている。


水島がメモを一瞥して鼻で笑った。


「“先に帰ります”か。ずいぶん普通だな」


「普通に見せたいんでしょ」


と、冷花が言う。


その言葉に、誰も反論しなかった。


普通。 無害。 明るい好青年。

ヤスはずっと、その顔で研究所へ出入りしてきた。

だからこそ厄介だった。 正体を隠しているのか。 まだ何もしていないのか。

そこすら曖昧なまま、人の中心へ入り込んでくる。


コウはメモを見下ろしながら、静かに息を吐いた。


次は、自分の目で確かめる。 もう違和感だけで立ち止まるつもりはない。


東都の夜は今日も平然と灯っている。

だがその裏側で、火種は確かに広がり続けていた。

黒い霧。 第三区の不穏。 研究所へ紛れ込んだ異物。

それらはもう、別々の話ではいられない。


そしてコウは、ついに決意を固める。


ヤスを、直接追う。


その瞬間から、物語は“待つ側”ではなく、“追う側”へ移り始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。