後始末
相模の言葉が落ちた瞬間、白塔中枢の空気は再び張りつめた。
戦いのあとの静けさではない。
まだ終わっていないものを、誰かが別の論理で終わらせようとする前触れの沈黙だった。
魔泉道は床に手をついたまま、ゆっくりと顔を上げる。
胸元から漏れる白い光は弱まりつつある。
再生は起きない。
白塔との接続も戻らない。
それでも完全に消えたわけではない。
終わりきれていない残滓が、まだそこにある。
「貴様……」
掠れた声が相模へ向く。
怒りとも怯えともつかない、ひどくみっともない声音だった。
つい先ほどまで他者を素材としか見なかった男が、いまは自分の終わりだけを恐れている。
相模はその視線を受けても足を止めない。
白い床を踏み、魔泉道の数歩手前で立つ。
手にした剣を上げるでもない。
ただ、そこにあるものの価値を最終確認するように見下ろしていた。
「お前はここで終わる」
その口調には勝者の昂りも、復讐の熱もない。
ただ、決定事項を告げているだけだった。
「終わる……だと……」
魔泉道がかすかに笑う。
いや、笑おうとして失敗したような歪みだった。
「貴様に……私を処理する権限でもあるのか」
「権限で動いているわけじゃない」
相模は即答した。
「必要だからやる」
そのあまりの平坦さに、志乃の背筋が寒くなる。
敵だから殺す、でもない。
憎いから止めを刺す、でもない。
ただ“必要だから”。
それだけで片づけようとしている。
その感覚は、魔泉道の歪みと似ているのに、別種の冷たさがあった。
「待って」
志乃が思わず声を上げる。
相模の視線がわずかにこちらへ動く。
「魔泉道はもう終わってる。白塔も戻ってる。今ここで、あんたたちが手を出す必要なんて――」
「ある」
遮ったのは相模だった。
「終わりきっていないものは、いずれ別の形で再利用される。白塔が戻り始めた今ならなおさらだ。残留した核を拾う者が出れば、同種の事故は繰り返される」
その理屈に、白神教授は眉を寄せたままも否定しない。
正しい部分があるからだ。
ロストテクノロジーの世界では、終わったはずのものが別の誰かに拾われ、また悲劇になる。
白塔編そのものがそうだった。
けれど、だからといって相模に処分を委ねる理由にはならない。
「それでも」
コウが前へ出る。
まだ疲労の色は濃い。
だが声ははっきりしていた。
「お前たちの都合で決める話じゃない」
相模はコウを見た。
その眼差しに感情は薄い。
だが無関心ではない。
むしろ、以前よりはっきりとコウを“見ている”。
「君たちは世界を守った。そこは認める」
その言葉に、志乃は逆に苛立つ。
認める。
評価する。
それすら盤面の確認みたいな言い方だった。
「だが、後始末の手順まで君たちの感情に任せるわけにはいかない」
「感情で言ってるんじゃない!」
志乃の声が強くなる。
自分でも、どこまで怒りでどこまで反発なのか分からない。
けれどただ従うのだけは違うと思った。
「ひばりさんも、俵屋も、魔泉道も、全部あんたの“手順”で片づけられるものじゃない!」
その言葉に、相模は一瞬だけ黙る。
だが返した声は、やはり平坦だった。
「そう思えるのは、君がまだ健全だからだ」
「何それ」
「褒め言葉ではない」
その返答に、志乃は息を呑む。
相模は本気でそう言っている。
こちらの怒りも抵抗も、“まだこちら側に留まっている証拠”として処理している。
その見方がたまらなく気味悪かった。
吾妻がとうとう刀の切っ先を相模へ向けた。
「そこまでだ」
低い声。
本気の警告だった。
「今さら好き勝手やらせると思うなよ」
冷花も動く。
ただし相模ではなく、キョウカを見据えた。
姉がどこまで関与するか分からない以上、まずそこを見なければならない。
「姉さん」
呼びかける。
今度は揺れを殺した声だった。
「相模に従うつもりなの」
キョウカはしばらく無言だった。
やがて、ごく短く答える。
「必要なら」
その一言が、冷花の顔から別の色を奪った。
怒りでも悲しみでもない。
もっと冷たい失望に近いものだった。
「……そう」
短く返す。
それ以上はもう言わない。
言えないのかもしれない。
姉が自分の意思でそこにいると分かってしまったからこそ、言葉が続かない。
水島が小さく頭を振る。
「本当に、最悪だね君たちは」
MCが軽く笑う。
「褒め言葉、二回目よぉ」
「三回でも四回でも言ってあげるよ」
その軽口の応酬すら、空気は緩めなかった。
白神教授が前へ出る。
消耗で足元はわずかにふらついている。
それでも、その視線は相模から一歩も退かない。
「魔泉道の処分が必要だという理屈自体は否定せん」
その言葉に、場が一瞬止まる。
志乃もコウも教授を見る。
だが教授は続けた。
「だが、それをお前たちに委ねる理由もない」
相模は静かに返す。
「では、あなたがやりますか」
「必要ならそうする」
教授の声は鋭い。
相模はそれを聞いても、わずかに目を細めるだけだった。
「今のあなたに、その余力があるとは思えません」
事実だった。
教授は術式を酷使しすぎている。
吾妻も冷花も、戦えるが消耗は大きい。
コウは使徒再生の反動を抱えたばかり。
志乃も傷を負っている。
今ここで相模たちと正面衝突すれば、白塔決着直後のこちらが不利なのは明らかだった。
その現実を突きつけるように、相模は視線を一巡させる。
「無用な戦闘は避けたい。だから手短に終わらせる」
そして、キョウカへ向けて言った。
「やれ」
その一言で、空気が変わる。
キョウカは躊躇しなかった。
一歩、前へ出る。
それだけの動きが異様に速い。
無駄がない。
ただ距離を詰めるためだけに設計された移動みたいだった。
魔泉道が目を見開く。
避けようとする。
だがもう遅い。
再生を失い、霊気構造も崩れた今の魔泉道に、その一歩を凌ぐだけの力は残っていない。
「待て――」
声は最後まで続かなかった。
キョウカが魔泉道の目前で立ち止まる。
右手を静かに持ち上げる。
術式らしい大仰な構えはない。
詠唱もない。
ただ、触れる。
指先が、魔泉道の胸元の白い核へ触れた。
その瞬間、白い光が反転した。
志乃は思わず息を呑む。
コウも目を見開く。
見たことのない術だった。
いや、術ですらないのかもしれない。
核の内部に残っていた最後の霊気構造が、外側から圧縮されるみたいに沈み込んでいく。
崩すのではない。
逃がさない。
残響としてすら残さないように、中心から“閉じる”。
魔泉道の顔が、初めて明確な恐怖に歪んだ。
「やめろ……!」
声が裏返る。
情けないほどに。
それでもキョウカは何も言わない。
顔色ひとつ変えず、指先を核へ当てたまま微動だにしない。
白い光が細くなる。
収束する。
あれほど周囲へ漏れ出していた霊気が、今は逆に一か所へ閉じ込められていた。
魔泉道の身体全体にひびが走る。
肩口。
胸元。
頬。
白く濁った肉の表層が、乾いた殻みたいに剥がれ落ちていく。
「な……ぜ……」
魔泉道の声はもうかすれている。
目だけが必死に動き、相模を、水島を、コウを、志乃を、何か理解できるものを探している。
だが誰も答えない。
キョウカの指先に、最後の光が吸われる。
次の瞬間。
魔泉道の胸元の白い核が、音もなく消えた。
崩壊は一瞬だった。
異形の身体は中心を失い、その場で静かに砕けた。
血も肉も飛ばない。
ただ、乾いた白い粒子となって崩れ落ちる。
指先から、肩から、顔から。
最後に、あの目だけが何かを言いかけるみたいに揺れて、そして全部が灰のように床へ積もった。
それで終わりだった。
白塔編を通して積み上がった、すべての歪みの中心。
ひばりを囚え、俵屋を狂わせ、コウを鍵として狙い、白塔と東都を呑み込もうとした張本人。
その最後は、あまりにもあっけなく、そしてあまりにも冷たかった。
誰もすぐには声を出せなかった。
志乃は魔泉道のいた場所を見つめたまま、うまく呼吸ができない。
終わった。
確かに終わった。
でも、自分たちが終わらせたわけじゃない。
相模たちの論理で、“処理”された。
その割り切れなさが、胸の奥に重く沈む。
コウもまた黙っていた。
使徒再生で見た魔泉道の過去。
終われなかった欠陥の連鎖。
それを断ち切ったのは自分だ。
だが最後の死そのものは、今この場で別の手によって回収された。
必要だと言われれば、理屈は分かる。
それでも、納得とは程遠かった。
冷花はキョウカを見ている。
魔泉道ではない。
その処理の手つき。
一切の感情を見せず、ただ命を閉じた姉の姿を。
「姉さん……」
声はごく小さかった。
届いたかどうかも分からない。
キョウカは魔泉道の残滓から手を離し、一歩だけ下がる。
それだけ。
やはり何も言わない。
その無言が、冷花の胸をさらに深く抉った。
吾妻が舌打ちする。
苛立ちと、割り切れなさと、だが今すぐ斬りかかるには状況が悪すぎるという現実認識。
その全部が混じった音だった。
「くそっ……」
クリスは離れた位置で、ただ静かに一部始終を見ていた。
表情はほとんど変わらない。
だが相模へ向ける目の温度だけが、さらに一段低くなっていた。
虺竜文は口元をわずかに歪めた。
面白がっているというより、盤面が大きく動いたことを嗅ぎ取った獣の顔だった。
水島は、魔泉道が崩れた場所をしばらく見つめたあと、相模へ向けて言った。
「本当に、どこまでも容赦がない」
相模は振り返らない。
床に残った白い残滓を一瞥し、静かに答える。
「そうしなければ残る」
「そうやって、君は何でも正当化する」
「正当化ではない。判断だ」
その言葉に、水島は短く息を吐く。
反論する言葉はいくつもあるはずなのに、それでもなお完全には否定しきれない現実があることを知っている者の沈黙だった。
そして相模は、ようやく一同へ向き直る。
「これで駒は揃った」
その一言が、白塔中枢に冷たく響いた。




