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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第11節 終焉と始発

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役者

空間の歪みは、白塔の霊脈とは明らかに別の理屈で生じていた。

霊気の流れに沿って裂けているわけではない。

中枢の構造に干渉しているのでもない。

まるでそこだけが、別の座標から無理やり重ねられているみたいに、空気の層が薄く捩れていく。


白塔の正常化が進みつつあるこの場で、その歪みだけが異物だった。


白神教授の声が低く落ちる。


「転移系統か……」


水島はその揺らぎを見つめたまま、皮肉の薄い笑みを消した。


「相変わらず手際がいいね。嫌になるくらいに」


相模は答えない。

ただその歪みを見ている。

待っていたものが予定通り届くのを確認するような目だった。


志乃はコウの隣で、無意識に肩へ力を入れる。

戦いは終わったはずだ。

魔泉道はひれ伏し、半屍人は消え、白塔は戻り始めている。

それなのに、空気はまた別の意味で冷たくなっていく。

この場に現れるものが、味方であるはずがないと、本能が先に告げていた。


コウもまた、歪みの中心を見据える。

使徒再生の反動がまだ奥底に残っていて、霊気の揺れに神経が刺さるように痛む。

それでも分かる。

この現象は白塔の流れではない。

誰かが意図して開いている“門”だ。


歪みが、さらに深くなる。


空間の縁が音もなく裂けた。

そこから現れたのは、長身の人影だった。

黒を基調とした衣服。

どこか芝居がかった立ち姿。

白塔中枢という凄惨な現場に似つかわしくないほど、足取りには迷いがない。

いや、迷いがないどころか、まるで整えられた舞台へ降り立つような所作だった。


人影は一歩、白塔の床へ降り立つ。

そして周囲を見回し、軽く肩をすくめる。


「あらぁ。思ったよりずいぶん片付いてるじゃない」


その声に、志乃は一瞬だけ面食らった。

柔らかい。

だが軽いわけではない。

語尾や抑揚に、わずかにおかまじみた調子がある。

けれどそれがふざけた印象になる寸前で、妙な鋭さが芯に残る。

気を抜けば、すぐに喉元を切られそうな声だった。


「ご苦労さま、相模。ちゃんと終盤までは持っていったみたいねぇ」


相模はその言葉に、ようやく小さく頷く。


「予定通りだ」


「予定通り、ね」


現れた人物――MCは、床にひれ伏す魔泉道を見下ろす。

次に白塔の中枢、白神教授、水島、吾妻、冷花、志乃、コウへと順番に視線を滑らせた。

その目は笑っていない。

何を見てもまず価値と配置を量る、そういう種類の目だった。


「まあでも、ここまで綺麗に盤面が整理されるとは思わなかったわ。鍵ちゃんもちゃんと戻ってきてるし」


“鍵ちゃん”という呼び方に、コウの眉がわずかに動く。

相手はこちらを知っている。

しかも、情報としてではなく、既に盤上の駒として認識している声音だった。


吾妻が一歩前へ出る。

刀は下ろさない。


「誰だ、てめえ」


MCはそちらを向き、ほんの少し口元を上げた。


「名乗るほど親切でもないんだけどぉ、もう知ってる人もいるかしら。MCよ」


その名を聞いた瞬間、白神教授の表情がわずかに険しくなる。

水島の目も細まった。

やはりただの新顔ではない。


「移転能力者か」


教授が低く言う。

MCは楽しげに片手を広げた。


「ご名答。こういう“片づいた頃”に呼ばれることが多いのよねぇ、あたし」


「趣味の悪い登場だな」


水島が吐き捨てるように言う。

MCはそれを笑って受け流した。


「褒め言葉として受け取っとくわ」


クリスは少し離れた位置で銃を構え直すでもなく、ただMCを見ていた。

無干渉なまま観察している。

虺竜文もまた得物を肩に預けたまま、品定めみたいにその姿を眺めている。

二人とも飛び出さない。

相手の出方を見ているのではなく、まだ“斬る価値があるか”を測っているような距離感だった。


冷花は明確に警戒を強めていた。

すでに霊気はかなり削れている。

それでも、次に何かが起これば即応するつもりで姿勢を保っている。


「相模。あんた、どこまで仕込んでたの」


問いは冷たい。

相模は振り返らずに答える。


「必要な分だけだ」


「そういう答えが一番嫌いなのよ」


「知っている」


その短いやり取りすら、二人のあいだに共有されているものの薄気味悪さを強めた。


志乃はMCと相模を見ながら、胸の奥にじわじわと嫌なものが広がるのを感じていた。

白塔の戦いは、自分たちにとっては死ぬか生きるかの極限だった。

ひばりも、俵屋も、コウも、全部そこに懸かっていた。

なのにこの二人は、そのすべてを“盤面”とか“終盤”とかいう言葉で扱っている。

それがたまらなく腹立たしかった。


「何しに来たの」


志乃がはっきり言う。

声は疲れている。

けれど、引いてはいない。


MCは志乃へ顔を向けた。

その視線には一瞬だけ、軽い面白がりが混じる。


「あら、元気ねぇ。いいことじゃない」


「答えて」


MCは肩をすくめる。


「回収と確認、ってところかしら。魔泉道の件はひとまず収束。白塔は正常化。鍵ちゃんは新しい力を獲得。ここまでは上々」


その言い方に、コウの奥で何かが冷たくなる。

やはり見られていた。

どこまでかは分からない。

だが少なくとも、自分が使徒再生を得たことまで把握されている。


「上々、だと?」


今度はコウが低く返す。


「ひばりも俵屋も、ここでたくさんの人が傷ついた。そういうのも全部込みで、上々って言うのか」


MCはその視線を真正面から受けて、少しだけ目を細めた。

笑ってはいない。


「嫌いじゃないわ、その顔。でもそういうのって、視点が変われば評価も変わるものなのよ」


「ふざけるな」


志乃が噛みつくように言う。

MCは軽く片手を振った。


「怖い怖い。今のあたし、戦うために来たわけじゃないのよぉ」


「信用できると思う?」


「思わなくていいわよ。別に」


その返しは軽い。

だが内容はまるで譲っていなかった。


白神教授が前へ出る。

消耗しきっていても、その声だけはまだ鋭い。


「お前たちは何を回収しに来た。魔泉道か。それとも成果か」


MCは教授を見て、わずかに感心したように眉を上げる。


「さすが白神先生。話が早いわねぇ」


「答えろ」


「両方、と言いたいところだけど」


そこでMCは相模へ視線を流す。

相模もまた静かに応じる。


「今は後者の比重が大きい」


“後者”。

成果。

その言い回しが、白塔で起きたことすべてを実験結果みたいに扱っていて、志乃には吐き気がした。


水島がそこで口を挟む。


「相変わらず気味が悪いね、君たちは」


その声には、もはや皮肉では済まない冷たさがあった。


「世界の歪みを片づけに来た顔じゃない。歪みの形を測りに来た顔だ」


MCはわざとらしく片手を胸へ当てる。


「あらぁ、ひどい。昔からほんと、あたしには手厳しいわね」


「褒める理由が一つもないからね」


その間にも、空間の歪みは完全には閉じていなかった。

MC一人が来ただけではない。

志乃は直感する。

まだ何か来る。

そしてその予感は、すぐに現実になった。


MCがふっと笑う。

それは今までで初めて、少しだけ本題へ触れる顔だった。


「それでねぇ。今日はもう一人、連れてきてるのよ」


その言葉に、場の空気がまた変わる。


冷花が目を細める。

クリスの視線が歪みの残る空間へ向く。

相模は何も言わない。

水島だけが、ごくわずかに嫌そうな顔をした。


「……やっぱり、それも込みか」


MCは答えず、歪みの中心へ向けて軽く指を鳴らすような仕草をした。

すると空間の裂け目がもう一段深く開く。

白塔の白い床へ、静かな影が落ちた。


そこから現れたのは、女だった。


背は高い。

立ち姿に無駄がない。

だが何より、空気が違った。

静かすぎる。

気配を殺しているのではない。

最初から余計なものを持ち込まないまま、そこに存在しているような静けさだった。


彼女は一歩、こちらへ出る。

長い髪が揺れる。

表情は薄い。

目だけが静かに前を見ている。

そして何も言わない。


その姿を見た瞬間、冷花の呼吸が止まった。


「……え」


あまりにも短い声。

けれど、その一音に凍りつくような衝撃が詰まっていた。


女は冷花を見ても、特に表情を変えない。

ただそこに立っている。

沈黙したまま。

まるで再会の感傷なんて、自分の領分ではないとでも言うように。


冷花の唇が震える。

いつもの鋭さも、冷静さも、その一瞬だけ綺麗に抜け落ちた。


「……姉さん……?」


その言葉が白塔中枢へ落ちた瞬間、誰もすぐには動けなかった。


キョウカ。

その存在が何を意味するのかを理解するより先に、まず冷花の表情がそれを物語っていた。

ここにいるはずがない人間。

現れてはいけない人間。

その衝撃だけで十分すぎた。


MCはそんな空気をどこか楽しむみたいに、けれど声だけは軽く言う。


「はい、お届けもの。ご対面の時間ってやつよぉ」


キョウカは何も言わない。

ほんのわずかに視線を動かしただけだった。

冷花へ。

それだけ。

そこに感情があるのかどうかすら、判然としない。


志乃は息を呑む。

コウもまた、無言でその女を見ていた。

白塔の戦いが終わった直後に投げ込まれた新たな火種。

しかも、それは単なる敵ではない。

誰かにとって、取り返しのつかない過去そのものだ。


相模がその場を見渡し、静かに言った。


「これで役者は揃った」


その一言が、不吉なほど自然に響いた。

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