断ち切る者
崩れゆく白塔中枢のただ中で、コウは魔泉道を真正面から見据えていた。
足元では霊脈が痙攣するように明滅し、裂けた床の隙間から白く濁った霊気が噴き上がっている。
壁面の紋様はひび割れながらなお赤黒く脈打ち、まるで塔そのものが苦悶しているようだった。
半屍人たちのうめきは四方から響き、崩落音と術式の炸裂音がその上に幾重にも重なる。
魔泉道の胸元で白い核が脈打つ。
その背から伸びた無数の触手はゆっくりとうねり、獲物を見定める蛇の群れみたいに空間を這っていた。
白塔と半屍人と東都の霊気。
それらすべてを繋ぎ、吸い上げ、再生の循環へ組み込んでいる異形。
だがコウにはもう見えていた。
あれは完成した不死ではない。
壊れた構造を無理やり継ぎ足し、終われないまま延命し続けている欠陥の連鎖だ。
「来るか、鍵」
魔泉道が静かに言った。
その声はいつもと同じように冷たく、どこまでも感情が薄い。
だが目だけは違った。
コウを、もう単なる器や媒介としては見ていない。
不快な誤算として。
自分の構造へ触れてしまった異物として。
確かに警戒していた。
コウは一歩、前へ出る。
その隣に志乃も並んだ。
肩が触れそうな距離。
庇うのではない。
支え合うためでもない。
同じ敵に向かう者同士として、自然に並ぶ位置だった。
「今度は壊されるためじゃない」
コウの声は大きくない。
それでも戦場のざわめきの中で、真っ直ぐ魔泉道へ届いた。
「終わらせるために来た」
魔泉道の白い核がわずかに明滅する。
次の瞬間、床下の霊脈が一斉に軋み、半屍人の群れが二人の進路を塞ぐように湧き上がった。
裂け目から這い出す腕。
崩れた天井から落ちてくる異形。
壁に染みついた霊気が膨れ、また新しい肉塊が形を取る。
押し寄せる数は、まだ衰えていない。
「コウ、行ける?」
志乃が短く問う。
視線は正面から逸らさない。
半屍人の跳躍。
触手の軌道。
魔泉道の足元の濁流。
全部を見ながら、それでも声だけは静かだった。
「行ける」
コウも短く返す。
完全に身体が戻ったわけではない。
頭の奥ではまだ、使徒再生の反動みたいな熱がくすぶっている。
ひばりと俵屋の残響も、消えたわけではなく胸の底に沈んでいる。
それでも立てる。
見ることができる。
そして今、自分がやるべきことも分かっていた。
「なら、一緒に行こう」
志乃はそれだけ言って、先に半歩踏み出した。
その瞬間、正面から飛びかかってきた半屍人の腕を拾った刃で弾き上げる。
返す動作で喉元へ突き込み、体勢の崩れた個体を蹴り飛ばした。
以前のように無我夢中で飛び出しているわけではない。
コウの進路を空けることだけに意識を絞っている。
その迷いのなさに、コウの胸の中で何かが静かに噛み合った。
「前は任せろ!」
吾妻の怒声が響く。
次の瞬間、鋭い斬撃が群れの中央を切り裂いた。
半屍人の胴がまとめて断たれ、白い腕が宙を舞う。
吾妻は血に濡れた刀を構えたまま、さらに前へ踏み込む。
肩口も脇腹も裂けている。
けれどどれも浅い。
刃の冴えはまだ死んでいなかった。
「今のうちに詰めろ! 真正面はこっちで抑える!」
その横から冷花の氷槍が走る。
吾妻の斬撃で崩れた群れの奥、床下の裂け目へ突き刺さり、後続の半屍人ごと凍りつかせた。
冷花の顔色は悪い。
霊気の消耗は明らかだ。
それでも彼女は一切ためらわず、新しい陣を展開する。
「志乃、コウを止めないで。通すわ」
「うん!」
短いやり取り。
それだけで十分だった。
左右通路では相模が月砂の戦闘員たちを叱咤している。
防衛線はもう何度も崩れかけていた。
それでも副長である彼の声が飛ぶたび、列は辛うじて持ち直す。
足元に倒れた戦闘員を後ろへ蹴り戻し、自分がその穴へ入る。
血を流しても動きは鈍らない。
消耗はある。
だが崩れてはいない。
「月砂、入口を飲ませるな! 一歩でも下がれば終わりだ!」
相模の一閃が、通路へなだれ込んできた半屍人の首をまとめて飛ばす。
その声と刃が、まだ戦線を繋いでいた。
その外側では、クリスが相変わらず誰にも合わせずに撃ち続けていた。
二挺の短銃が交互に火を噴く。
額。
喉。
胸。
半屍人の密度が高い場所だけを正確に削っていく。
ただ、自分の射線に入る邪魔を消しているだけ。
けれどその淡々とした射撃が、結果として群れの圧を散らしていた。
虺竜文もまた別の側面で、自分の前に湧く半屍人をひたすら斬り潰していた。
誰かの道を作るためではない。
連携もない。
ただ群れているから叩き割る。
その暴力だけで、一つの通路が別の戦場になっている。
足も止まっていない。
笑うでも喚くでもなく、ただ前へ出るたび半屍人が砕けていく。
白神教授は、そのすべてを視界の端に収めながら術式を重ねていた。
複数の防壁、位相攪乱、白塔中枢との干渉。
足元の術式陣は何枚も砕け、再構成の遅れも隠せない。
だが教授は印を切る手を止めない。
呼吸は荒く、唇の端には血が滲んでいる。
それでもなお、声だけは鋭かった。
「コウ君!」
コウは応じるように視線だけを向ける。
「見えているな」
「断片です。でも、前よりずっと」
「十分だ。なら迷うな」
白神教授は魔泉道を睨んだまま言う。
「あれは今、白塔と中継し続けている。核そのものを落とせずとも、接続と再生の流れを断ち続ければ崩せる。君の目で支点を拾え。我々がそこを叩く」
「分かりました」
返した瞬間、コウの感覚が戦場全体へ広がる。
使徒再生。
触れた霊気だけではない。
近くを流れる霊気の偏り、その因果の端までもが、今はかすかに見えていた。
半屍人たちはただ湧いているわけじゃない。
魔泉道の核から零れた断片が、白塔の霊脈へ入り込み、ひび割れた箇所で形を持ち、それがまた核へ還流する。
白塔そのものが、魔泉道の延命装置になっている。
「左後方の床下!」
コウが叫ぶ。
白神教授が即座に反応する。
「冷花!」
「ええ!」
冷花の氷槍が、コウの示した一点へ突き刺さる。
次の瞬間、床下を走っていた濁流が軋んだ。
白い核へ向かっていた流れがわずかにずれる。
魔泉道の肩口に走った再生の立ち上がりが、一瞬だけ遅れた。
吾妻がそこを見逃さない。
「もらった!」
踏み込み。
一閃。
胸元を庇おうとした触手ごと、魔泉道の左肩が深く裂ける。
血ではない、白く濁った肉片が飛び散った。
いつもなら即座に盛り上がるはずの再生が、今は半拍遅れる。
それだけで十分だった。
吾妻はさらに二撃、三撃と畳みかける。
「効いてるぞ!」
魔泉道の目が細まる。
それは痛みに対する反応ではない。
構造へ干渉されたことへの明確な不快だった。
「小賢しい」
低い声と同時に、背後の触手が扇のように開く。
次の瞬間、それが前線へ一斉に襲いかかった。
吾妻が刀で捌く。
冷花が氷壁を立てる。
白神教授の防壁が二重に重なる。
けれど全部は防ぎきれない。
一本が相模の頬を掠め、もう一本が月砂の戦闘員を吹き飛ばした。
さらに左右から半屍人が雪崩れ込む。
「まだ来るかよ……!」
吾妻が舌打ちする。
だがその声の裏には、逆に火がついていた。
やっと崩せる手応えが見えたからだ。
コウは息を整える。
見える。
けれど、まだ浅い。
白塔との接続の流れは拾える。
しかし魔泉道そのものに刻まれた“欠陥の核”までは、もっと近づかなければ届かない。
「志乃」
「うん」
呼ぶ前に、志乃はもう分かっていたみたいに頷いた。
「もっと近づくんでしょ」
「触れないと、本体の奥までは読めない」
「だったら通す」
それだけ言って、志乃は再び前へ出た。
跳ねてきた半屍人の腕を避け、足を払って崩し、刃を突き立てる。
完璧じゃない。
袖が裂ける。
頬にも浅い傷が増える。
それでも彼女は止まらなかった。
今、自分がやるべきことは一つしかない。
コウを、魔泉道へ届かせること。
それだけだった。
「コウ!」
志乃が道を開く。
その声に押されるように、コウも踏み込んだ。
正面。
魔泉道の白い核。
そこへ至る直前、半屍人の群れが最後の壁みたいに立ち塞がる。
だが横合いから銃声。
クリスの弾が前列の頭部を正確に撃ち抜き、密度を崩す。
別の側面では虺竜文が大きく振りかぶった一撃で群れそのものを叩き割った。
二人ともこちらを見ない。
名前も呼ばない。
けれど進路だけは、確かに一瞬開いた。
吾妻が吼える。
「今だ、行け!」
冷花が氷鎖を走らせる。
白神教授が最後の位相制御を差し込む。
相模が左右から寄る半屍人を押し返す。
皆が最後の一秒を捻り出していた。
コウは走る。
志乃もその隣で走る。
崩れた床を踏み越え、濁った霊気を突っ切り、魔泉道の懐へ。
魔泉道が腕を振り下ろした。
志乃が身を投げるようにその軌道へ入る。
刃で逸らす。
完全には受けきれない。
衝撃が腕を痺れさせ、肩へ鋭い痛みが走る。
それでも、ほんの一瞬だけ軌道がずれた。
その一瞬で十分だった。
コウの手が、魔泉道の胸元へ伸びる。
白い核を覆う肉の盛り上がり。
そこへ、あとわずか。
「見せてみろ」
魔泉道が低く言う。
その声には、もはや嘲りだけではない緊張が混じっていた。
「使徒再生の真価を」
コウの指先が、ついに魔泉道へ触れる。
次の瞬間。
白塔全体が、軋むように鳴いた。




