対峙
白塔は、限界を迎えつつあった。
床下を走る霊脈は痙攣するみたいに明滅し、壁面の紋様は何度もひび割れては赤黒く再生している。
崩落と再構成を同時に繰り返す塔の内部は、もはや建築物ではなく、生きながら腐り続ける巨大な臓腑そのものだった。
半屍人のうめきが絶え間なく響き、その中心に魔泉道が立っている。
白い核を脈打たせ、無数の断片を垂らし、白塔の歪みと一体化しながら。
だが、コウはもう目を逸らさなかった。
触れたときに見えた断片は、まだ頭の奥に焼きついている。
白い研究室。
積み上がる失敗。
不死という名の欠陥。
終わりを拒み続けた結果、自分自身すら終われなくなった存在。
魔泉道の力は、永遠の生なんかじゃない。
終われない破綻を継ぎ足し続けた、醜い連鎖だ。
そして今、その連鎖は白塔も、東都も、ここにいる全員も呑み込もうとしている。
「コウ」
隣から志乃の声がする。
短い呼びかけ。
けれど、それだけで十分だった。
コウは横を見る。
志乃の頬にも、肩にも傷がある。
服は裂け、血も滲んでいる。
それでもその目は真っ直ぐだった。
怯えていないわけじゃない。
怖くないわけでもない。
それでもここまで来た。
逃げないと決めて、隣に立っている。
「……うん」
コウは小さく頷いた。
その一言で、二人の間に余計な言葉はいらなかった。
前線では、なお戦いが続いていた。
吾妻が斬る。
冷花が凍らせる。
相模が月砂の戦闘員たちを支え、崩れかけた左右通路を辛うじて維持している。
白神教授の術式はすでに何枚も砕けていた。
それでも教授は印を切るのをやめない。
クリスは誰にも干渉せず、自分の射線に入る半屍人だけを淡々と撃ち抜き続ける。
虺竜文もまた別の側面で、自分の前に群がる敵をひたすら叩き割っていた。
皆が、自分の流儀のまま、最後の力を削っている。
そのすべてが、コウと志乃のためだけの戦いではない。
けれど今この瞬間だけは、確かに二人を魔泉道へ届かせるための時間になっていた。
白神教授が血の混じる息を吐きながら叫ぶ。
「コウ君! 今のうちだ! もう長くは持たん!」
「分かってる!」
コウは答え、足元に流れる霊気へ意識を向ける。
使徒再生の感覚が、白塔全体の軋みをなぞる。
魔泉道の核から流れ出る濁った力。
それが床下の霊脈へ入り込み、半屍人を通じて再び核へ還っていく循環。
歪みの道筋。
欠陥の縫い目。
そして、そのもっと奥。
魔泉道という存在そのものに刻まれた、終われない歴史の傷跡。
全部を読み切れるわけじゃない。
だが、もう十分だった。
どこを断てばいいのか。
何を終わらせなければならないのか。
それだけは見えている。
魔泉道が二人を見下ろし、静かに言う。
「来るか。ようやく、そこまで辿り着いたか」
その声は冷たい。
だが前までのような無関心ではない。
コウの変化を、本物の脅威として認識した響きがあった。
志乃は一歩前へ出る。
コウの少し斜め前。
庇うためではない。
並ぶための立ち位置だった。
「もう、あんたに奪わせない」
その声は震えていなかった。
「ひばりさんも。俵屋が最後に残したものも。コウも。全部、あんたの実験の材料なんかじゃない」
魔泉道はその言葉を聞いても、表情を大きくは変えない。
だが胸元の核だけが、わずかに不快そうに脈打った。
「感情論だな」
「そうだよ」
志乃は即座に返す。
「でも、その感情を踏み潰してきたから、あんたはこんなふうにしか残れなかったんでしょ」
その一言で、空気が変わる。
魔泉道の触手が一斉にざわめいた。
怒りではない。
だが、否定しがたい何かへ触れられた反応だった。
コウはその横顔を見ながら、ゆっくりと前へ出る。
志乃と肩が並ぶ。
二人で立つ。
それだけで、不思議なくらい身体の芯が定まった。
「お前の不死は、完成なんかじゃない」
コウははっきりと言った。
「終われない欠陥だ。壊れた器に壊れた術を継ぎ足して、白塔も半屍人も他人の命も食いながら延びてるだけだ」
魔泉道の目が細まる。
今度は明確な反応だった。
「見たか」
「一端だけ。でも十分だ」
コウの胸の奥で、使徒再生の感覚が静かに脈打つ。
触れた霊気の歴史と因果を視る力。
ひばりと俵屋から託されたもの。
ただ強くなるための力じゃない。
過去に積み上がった歪みを見抜き、その歴史ごと断つための力だ。
「お前はずっと終われなかった。だから周りを巻き込んで、循環って言い換えて、ごまかしてきた」
魔泉道の背後で、白塔の霊脈がひときわ大きくうねる。
半屍人たちが吼えた。
王の感情に引きずられるように、群れ全体の密度が跳ね上がる。
だが、その前へ吾妻が滑り込む。
「おい、よそ見してんじゃねえぞ」
一閃。
半屍人の前列がまとめて断たれる。
返す刃で二体、三体。
血飛沫の向こうで、吾妻は肩で息をしながらも笑っていた。
「そっちはそっちで決めろ。こっちはこっちで、道を持たせる」
冷花もまた、最後の氷陣を展開する。
淡く、ひび割れた氷色の壁が二人の左右へ立ち上がった。
長くは持たない。
けれど、今だけは十分だ。
「行きなさい!」
その声が背を押す。
相模の怒声も飛ぶ。
月砂の戦闘員たちが歯を食いしばり、左右通路を食い止める。
白神教授は咳き込みながらも術式の位相を上書きし、魔泉道と白塔の接続へ最後の妨害を差し込んでいた。
「今だ、コウ君……!」
戦場のすべてが、最後の一秒を捻り出している。
コウは深く息を吸う。
志乃もまた、隣で呼吸を合わせる。
ここまで来た。
巻き込まれる側では終わらない。
奪われるだけでも終わらない。
ひばりと俵屋から託されたものを、ただ受け取るだけで終わらせない。
二人は同時に踏み出した。
魔泉道の触手が襲いかかる。
志乃が一歩前へ出て、それを刃で弾く。
衝撃で腕が痺れる。
それでも退かない。
右から来る突起を避け、左の薙ぎ払いを紙一重でかわす。
完璧じゃない。
肩口が裂ける。
血が流れる。
それでも、コウの前を塞がせないために立ち続ける。
コウはその間に、さらに魔泉道へ近づく。
胸元の白い核。
そこへ至る霊気の流れ。
白塔との接続。
半屍人との還流。
そして、その奥にある歴史の傷。
全部が、一本の歪んだ糸で繋がっているように見えた。
魔泉道が腕を振り下ろす。
だがそこへ、横合いから銃声。
クリスの弾が節を穿ち、軌道をずらす。
別方向では虺竜文が群れの厚い場所を叩き割り、魔泉道の側面へ圧をかけていた。
誰も二人を守るために動いているわけじゃない。
それでも今この瞬間だけは、その孤高の戦い方すら追い風になる。
コウの手が、再び魔泉道の核へ届く間合いへ入る。
魔泉道は低く告げた。
「ならば見せてみろ。使徒再生の真価を」
その声に応じるみたいに、白塔全体が唸った。
床が裂ける。
壁が軋む。
半屍人の群れが雪崩れ、触手が奔る。
すべてが崩壊へ傾いていく。
それでも、コウは止まらなかった。
隣には志乃がいる。
背後には、まだ戦い続ける仲間たちがいる。
胸の奥には、消えていった二人の残響が確かに残っている。
使徒再生が脈打つ。
霊気の歴史が開く。
断ち切るべき歪みが、そこにある。
コウは魔泉道を真正面から見据え、はっきりと言い放った。
「お前の歴史ごと終わらせる」
崩れゆく白塔中枢を背に。
志乃とコウは、ついに魔泉道へ真正面から対峙した。




