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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第10節 使徒再生

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使徒再生

指先の震えは、あまりにも小さかった。

それでも志乃は見逃さなかった。

見間違いではないと確かめるみたいに、コウの手を両手で包み込む。

温かい。

生きている。

そして今、確かに戻ろうとしている。


「コウ……!」


呼びかける声が震える。

喉の奥が詰まり、うまく息が継げない。

それでも志乃は何度も名を呼んだ。

ここにいる。

帰ってこい。

その思いだけを声へ乗せるように。


コウの瞼が、わずかに揺れた。

長い沈黙の底で、ようやく水面が震えたみたいに。

次いで、胸元へ流れ込んだひばりと俵屋の残響が、彼の霊気の内側でゆっくり噛み合い始める。

閉じかけていた構造が、軋みながらも再び開いていく。

白塔の残響。

ひばりの導き。

俵屋の執着。

志乃の呼び声。

それらが一本の線になって、深く沈んでいた意識へ届いていた。


コウの唇がかすかに動く。

空気を探すような浅い呼吸のあと、閉じていた瞼がゆっくりと開いた。


焦点はすぐには合わない。

ぼやけた視線が揺れ、白塔の天井を、崩れた壁を、そして最後に志乃を映す。

その瞬間、志乃の胸の奥で張りつめていたものが一気に崩れた。


「……志乃……?」


声は掠れていた。

今にも消えそうなほど弱い。

けれど確かに、コウ自身の声だった。


「コウ……!」


志乃は泣きそうな顔で笑った。

笑っているのに、涙が止まらない。

頬を伝い、ぽたぽたとコウの手へ落ちる。

それでも止めようともしなかった。


「よかった……ほんとに……戻ってきた……」


コウはまだ状況を掴みきれていない顔で、ゆっくりと瞬きをする。

意識は戻っている。

だが肉体も霊気も、深い場所から一気に引き戻されたばかりだ。

立ち上がるどころか、呼吸を整えるだけでも精一杯に見えた。


「……俺……」


掠れた声が途中で止まる。

その直後、コウの身体がびくりと強張った。


視界の奥へ、断片が流れ込む。


白い春の光。

窓辺。

少女の横顔。

届かない背中を見つめる男の目。

白塔の静寂。

積み重なった後悔。

終われなかった執着。

そして最後に、誰かへ託して消えていく安堵。


コウは息を呑んだ。

胸の奥に、他人の人生の熱が一気に流れ込んでくる。

記憶ではない。

だが記憶に近い。

感情の濃度と、そこに積み重なった因果だけが、断片として刻み込まれていく。


「……ひばり……」


無意識に、その名が漏れた。

続けて、もう一つ。


「俵屋……」


志乃が目を見開く。

コウの瞳の奥には、まだ白い残光が揺れていた。

それは白塔の残響とも、ひばりの光とも違う。

もっと複雑で、もっと深いもの。

誰かの霊気に触れたとき、その奥に積み重なった歴史そのものを覗き込んでしまうような、不穏な深さだった。


コウは苦しげに額を押さえる。

頭痛ではない。

流れ込んでくる情報量が多すぎるのだ。

ひばりが残した最後の静けさ。

俵屋が抱え続けた執着と後悔。

白塔そのものに沈殿した長い因果。

それらが一度に、自分の中へ噛み合っていく。


「コウ、大丈夫!?」


志乃が支えようと身を乗り出す。

コウは荒い息のまま、志乃の手首をそっと掴んだ。

その力はまだ弱い。

だが意識は、はっきりしていた。


「……見えた」


「え……?」


「ひばりと、俵屋の……最後が」


志乃は息を止める。

コウの瞳はまだ遠くを見ていた。

今この場ではなく、ほんの少し前に消えていった二人の断片を見届けているみたいに。


「ひばりは、最後に俵屋を呼んだ。許したわけじゃない。けど……終わらせたんだ」


その言葉は、不思議なほど確信に満ちていた。

志乃が見たものとは違う。

もっと深く、もっと内部まで踏み込んで、二人の残響に触れた者だけが言える声だった。


「俵屋も……最後に残したのは、奪うための力じゃなかった。届かなかったものを、せめて誰かに託そうとしてた」


志乃の目からまた涙が零れる。

ひばりも、俵屋も、もういない。

でも、その最後だけは無駄じゃなかったのだと、コウの声が教えてくれていた。


そのとき、白塔全体を揺るがす轟音が響いた。

現実が一気に戻ってくる。

半屍人の咆哮。

鋼のぶつかる音。

崩落。

悲鳴。

戦いは続いている。

むしろ、さらに悪化している気配すらあった。


志乃がはっと顔を上げる。


「まずい……! みんなが……」


コウもまた、ゆっくりと上体を起こした。

その動きに、志乃は思わず支えを入れる。

だが触れた瞬間、コウの霊気が以前とは明らかに違うことに気づいた。


深い。

前よりもずっと、他者の気配と重なりやすい。

境界が薄いというのではない。

むしろ逆だ。

自分という核を保ったまま、他者の霊気構造と接続できるようになっている。

白塔。

ひばり。

俵屋。

そのすべてに触れたことで、コウの内側に新しい回路が開いたのだと、志乃にも直感で分かった。


コウ自身も、それを感じていた。


「……これ、前と違う」


自分の掌を見つめる。

指先に残る微かな残光。

そこへ意識を向けた途端、床に染みついた霊気の痕から断片が立ち上がる。

少し前にここを通った半屍人の濁り。

壁際に散った血の名残。

冷花の氷の残滓。

吾妻の斬撃の軌道。

断片的だ。

けれど確かに見える。

触れた霊気が、そこに至るまでの流れと履歴を語ってくる。


「……使徒再生」


知らないはずの言葉が、自然に口をついて出た。


志乃が聞き返す。


「しと、さいせい……?」


コウは自分でもその名の由来を説明できなかった。

だが理解だけが先にあった。

触れた霊気をただ感じるのではない。

その存在が歩んだ歴史や因果を、断片として視る力。

吸収し、共鳴し、その奥に刻まれたものへ至る力。

ひばりと俵屋の残響を通ったからこそ、形になった能力だった。


「触れた霊気の……中にある流れが見える。何を経て、ここにあるのか……その断片が」


言いながら、コウはゆっくり立ち上がる。

膝がまだ少し揺れる。

完全回復ではない。

けれど、立てる。

戦場へ戻れる。

それだけで十分だった。


「無理しないで!」


志乃が慌てて支えようとする。

コウは小さく首を振った。


「無理はする。でも、無茶はしない」


その言い方があまりにもコウらしくて、志乃は一瞬だけ泣き笑いのような顔になる。

ほんの少し前まで、もう戻らないかもしれないと怯えていた相手が、今こうして自分の足で立っている。

それだけで胸がいっぱいになる。

けれど、泣いている暇はない。


「ひばりさんと俵屋がくれたんだ」


コウは静かに言う。

その視線は、もう前を向いていた。


「ここで止まるためじゃない。先へ進むために」


志乃は息を呑む。

その言葉に宿る重みが分かった。

ただ目を覚ましただけじゃない。

コウは二人の最後を受け取り、その意味ごと背負ったのだ。


遠くで、白神教授の怒声が響く。

続いて吾妻の斬撃音。

冷花の術式が砕ける音。

戦線はまだ保っている。

だが長くは持たない。

戻るなら今しかなかった。


コウは一歩、踏み出す。

その瞬間、床を伝う濁った霊気が足元でざわめいた。

半屍人の流れ。

白塔の傷。

中枢へ続く不自然な再生の循環。

それらが以前よりはっきり感じ取れる。

触れずとも近くにある霊気の偏りが、輪郭を持って浮かび上がってくる。


「魔泉道……」


その名を口にした瞬間、コウの中で不快なざらつきが脈打った。

白塔の流れを逆撫でする異物。

再生し続け、他を呑み込み、終われないまま循環だけを増やす欠陥。

まだ完全には読めない。

けれど前よりは分かる。

あれがただ強いだけの存在じゃないことを。


志乃がコウの隣へ立つ。

涙はまだ乾いていない。

けれど、その目はもう揺れていなかった。


「行ける?」


「行く」


即答だった。

迷いはなかった。


「でも、今度は一人で抱えないで」


志乃の声はまっすぐだった。


「私も一緒に行く。今度こそ、隣で」


コウは一瞬だけ目を見開き、それから小さく笑った。

弱々しいけれど、ちゃんとコウの笑い方だった。


「うん」


短い返事。

それで十分だった。


次の瞬間、崩れた通路の向こうから半屍人が二体、三体と這い出してくる。

コウは反射的に手を伸ばす。

以前のような大技はまだ使えない。

けれど今は、それ以上に鮮明な感覚があった。

前へ踏み込んできた一体の濁った霊気へ触れた瞬間、その内部の歪みが断片として見える。

どこで白塔の霊気と混線し、どこが崩れ、どこが再生の核になっているか。

そのほんの一瞬の把握だけで、動きが読めた。


「右!」


コウが叫ぶ。

志乃が即座に横へ踏み、伸びてきた腕を避ける。

同時に近くに落ちていた術式刃を拾い上げ、半屍人の喉元へ叩き込んだ。

もう一体が跳ぶ。

コウはそいつの腕を掴む。

触れた霊気の流れが視界の奥へ走る。

ねじれた核。

そこへ志乃の刃が入る。

半屍人は崩れた。


志乃が息を呑む。


「今の……」


「見えた」


コウは短く答える。

まだ荒い。

だが確かに使えている。

これが使徒再生。

完全ではなくても、戦況を変えるだけの芽だった。


遠くでまた大きな衝撃音。

魔泉道の霊気が脈打つ。

白塔がきしむ。

急がなければならない。


コウは拳を握りしめる。

ひばりの静かな眼差し。

俵屋の痛々しい執着。

志乃の泣き顔。

全部が胸の奥に残っていた。


もう逃げている場合じゃない。

巻き込まれているだけでもない。

受け取ったなら、進むしかない。


コウは前を向き、はっきりと言った。


「もう逃げない。魔泉道を止める」


その声は大きくない。

けれど、今までのどんな叫びよりも強かった。


崩壊する白塔の中で。

消えていった二人の想いを背負って。

志乃はその隣に立ち、強く頷く。

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