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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第10節 使徒再生

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遺された霊気

志乃はコウを抱え直し、ひばりの淡い光を追って崩れた通路へ踏み出した。

足元には砕けた石材と、半ば溶けた術式板が散らばっている。

白塔の内部は、もはや建物というより傷口だった。

壁は脈打つように赤黒く明滅し、裂け目の奥では濁った霊気が血管のように流れている。

どこを見ても、塔そのものが壊れながら生きているようにしか見えなかった。


背後では、まだ戦いの音が続いていた。

鋭い斬撃音。

氷の砕ける音。

銃声。

半屍人のうめき。

振り返らなくても分かる。

みんなが、志乃のためではなく、それぞれの役目のために、だが確かにこの時間を繋いでいる。


「この先です」


ひばりの声は、さっきよりもさらに薄くなっていた。

淡い輪郭が通路の先に揺れる。

その姿を見失うまいとするたび、志乃は胸の奥がざわついた。

ひばりはここにいる。

けれど、いつ消えてもおかしくない。

その事実が、歩みを急かした。


「近くにあるの?」


「はい。でも、強くは残っていません。白塔の歪みと混ざって、見えにくくなっています」


志乃はコウの重みを腕に感じながら、荒い息を整える。

走れる状態ではない。

それでも遅すぎる。

もっと速く進みたいのに、瓦礫と霊気の濁流がそれを許さなかった。


「ひばりさん。俵屋の霊気って、見れば分かるものなの?」


ひばりは少し黙ってから答える。


「志乃さんには、まだ難しいかもしれません。でも、私が導けます。俵屋の痕跡は、ただの霊気ではありません。あの人が白塔に残した執着そのものです」


執着。

その言葉に、志乃は苦いものを飲み込むような気持ちになった。


俵屋がひばりへ向けていた想いは、綺麗なものではなかった。

守りたいだけではなかった。

手に入れたい、縛りたい、届かないものを無理やりでも引き寄せたい。

そんな歪みを含んでいた。

それが悲劇を広げた。

多くを壊した。

消えない罪として、確かにそこにあった。


けれど最期の俵屋を思い出すと、それだけではなかった気もする。

最後の最後で、あの男の中に残っていたものは、もっと別の――届かなかったことそのものへの痛みだったようにも思えた。


「俵屋は……」


志乃が呟く。

それが疑問なのか、確認なのか、自分でも分からなかった。


「最後まで、何を望んでたんだろう」


ひばりの背が、かすかに揺れる。

振り返らないまま、彼女は静かに言った。


「たぶん最初は、奪うことだったと思います」


その言葉は冷静だった。

過去を美化する響きはない。


「私を、自分の側に繋ぎ止めること。白塔を、自分のものにすること。届かないものを無理にでも手の中へ入れること。俵屋は、そういう人でした」


志乃は何も言えなかった。

否定できない。

それが事実なのだろう。


「でも……」


ひばりはそこで一度、言葉を切る。

崩れた柱の向こう、薄暗い回廊へと滑るように進む。

その背中は、あまりにも軽く、あまりにも消えそうだった。


「最後は少しだけ、違った気がします」


志乃は顔を上げる。


「違った?」


「はい。私にも、全部は分かりません。でも、あの人が最後に残したものは、もう奪うためだけの形じゃなかった」


白塔の奥から、低い震動が響いた。

どこかの区画がまた崩れている。

天井から細かな砂が落ち、志乃は反射的にコウを庇った。

ひばりは振り返る。

その眼差しは静かで、哀しみと、どこか諦めに似たものを含んでいた。


「俵屋はずっと、届かなかったんです。私にも、白塔にも、自分が望んだ形では」


その声は責めているようでも、庇っているようでもなかった。

ただ、残された事実をそのまま見つめている響きだった。


「だから最後に、せめて何かを遺したかったのかもしれません」


志乃は胸の奥が重くなるのを感じた。

遺したかった。

その言葉は、今ここで自分たちが辿ろうとしている霊気の残滓と、奇妙なほど重なっていた。


通路の先で、ひばりが足を止めた。

正確には、止まったように見えた。

淡い輪郭が、崩れた壁際の一点へ向けられる。


「ここです」


志乃は急いで近づく。

壁面は黒ずみ、霊気の染みが幾重にもこびりついていた。

その中央に、他とは違う揺らぎがある。

赤黒い濁りの中に、わずかに異質な光が沈んでいた。

金色とも、薄紫ともつかない、不安定な色。

確かに白塔の霊気と混ざっている。

けれど完全には飲まれていない。

何かがまだ、ここに残っている。


「これが……」


「俵屋の痕跡です」


ひばりが答える。

その声に、ごくわずかな震えが混じった気がした。


志乃はコウを壁際にそっと預け、膝をつく。

手を伸ばしかけて、止まる。

怖かった。

これがただの力ではないと、ひばりが言っていたからだ。

俵屋が遺した執着そのもの。

そう聞いてしまった以上、軽々しく触れていいものには思えなかった。


「どうすればいいの?」


「触れてください。強く握る必要はありません。流れを拒まず、受け止めるだけでいいです」


「拒まず……」


ひばりは頷く。


「俵屋の残響は、まだ行き場を失っています。だから、受け皿が必要なんです」


志乃は深く息を吸う。

それから、壁に沈んだ異質な光へ手を伸ばした。


触れた瞬間、頭の奥で鈍い音がした。


視界が揺れる。

冷たいはずの壁が、妙に熱い。

いや、熱ではない。

感情の濃度みたいなものが、一気に流れ込んできたのだと気づくまでに数秒かかった。


焦燥。

渇望。

怒り。

悔恨。

届かないものを追い続けた長い年月の、擦り切れた感情。

そのどれもが、ひとつの名前へ向いていた。


――ひばり。


胸が詰まる。

息が苦しい。

目を閉じると、白塔の古い回廊が見えた。

まだ崩れていない頃の壁。

まだ澄んでいた霊気。

その中を、一人の男が歩いている。

俵屋だった。

若いわけではない。

けれど今よりはまだ、人の形を強く残している。

その横顔には疲れがあり、苛立ちがあり、それでもどこか諦めきれない熱があった。


志乃ははっとして目を開ける。

呼吸が乱れる。

手のひらにまとわりつく霊気が、脈のように脈打っていた。


「今の……」


「見えたんですね」


ひばりの声は驚きではなく、確信に近かった。


「俵屋の記憶そのものではありません。けれど、近い断片です。あの人が白塔に残した因果が、痕跡として触れてきている」


志乃は手を離さなかった。

怖い。

でも、ここで逃したくなかった。

コウを起こすためには必要なものだ。

それに、今の断片の中に、ただ醜い執着だけではない何かが混じっていた気がした。


「集められるの?」


「はい。ただし、そのままでは散ります。あなたの霊気で包んで、形を保ってください」


志乃は頷き、慎重に自分の霊気を流し込む。

優しく包むように。

刺激しすぎず、逃がさないように。

すると壁の中の異質な光が、少しずつ志乃の掌へ移ってきた。

淡い粒子となって剥がれ、細い糸のように絡みついていく。

冷たくも熱くもない。

ただ、妙に重い。

人ひとりの執着と後悔をそのまま受け取っているみたいな重さだった。


「……これで、いいの?」


「はい。最初のひとつです」


ひばりの輪郭が、ほっと息をついたみたいにわずかに柔らぐ。

その変化がかえって志乃を切なくさせた。

ひばりもまた、俵屋の痕跡に触れるたび、何かを思い出しているのかもしれない。


そのとき、通路の奥から濁ったうめき声が近づいてきた。

半屍人だ。

一体ではない。

複数。

志乃は反射的にコウを庇うように立ち上がる。

だが戦う余裕はない。

今ここで足止めされれば、せっかく掴んだ痕跡も失いかねなかった。


「来る……!」


壁の裂け目から、白く濁った腕が這い出す。

続いて崩れた床の隙間から、頭蓋の歪んだ半屍人が身を起こした。

眼窩の奥で赤黒い光が揺れている。

志乃は息を詰める。

逃げ道を探す。

だが狭い。

コウを抱えたままでは捌ききれない。


次の瞬間、通路の横合いから氷槍が飛んだ。

半屍人の額を貫き、そのまま後方の個体ごと壁へ縫い止める。

続けて、もう二本。

床から這い出しかけた腕ごと凍りつき、砕け散った。


「こんなところで止まらないで」


冷花だった。

額に汗を浮かべ、肩で息をしながらも、なお術式を維持している。

その背後には、血のついた刀を下げた吾妻の姿もあった。


「ったく、勝手に奥まで行きやがって」


言葉は荒い。

だが、責める響きではなかった。

通路の入口に立ち、吾妻は半屍人の群れを睨む。


「教授が言ってたぞ。鍵を起こす方法があるなら、そっちを通せってな」


志乃は目を見開く。

吾妻はそれ以上説明せず、迫ってきた半屍人の首を一撃で飛ばした。

刀筋は相変わらず鋭い。

呼吸は荒いが、傷はまだ浅い。

前線に立ち続けてなお、この強さを保っているのはやはり別格だった。


「冷花さん、吾妻さん……」


「礼は後でいいわ。時間がない」


冷花が短く言う。

その声にはいつもより硬さがあった。

消耗が隠しきれていない。

それでも彼女は一歩も引かず、通路に氷陣を展開して半屍人の侵入を抑え込む。


「志乃。集めたなら次へ行って。ここは少しだけ持たせる」


「でも……」


「今のあんたがここで立ち止まるほうが無駄よ」


返す言葉がない。

悔しさではなく、もうその通りだと分かってしまうからだ。


ひばりが静かに進路の先を示す。


「次があります。俵屋の痕跡は、まだ残っています」


吾妻が鼻を鳴らす。


「聞こえただろ。さっさと行け」


言うなり、彼は前へ出た。

通路を埋める半屍人の群れへ、迷いなく踏み込む。

白い腕が何本伸びようと、かまわず斬り伏せる。

裂傷は増えても浅い。

血は流れていても、まだ崩れない。

その背中が、志乃に立ち止まることを許さなかった。


志乃はコウを抱き上げ、掌に包んだ俵屋の残留霊気を確かめる。

そこにはまだ微かに脈打つような感触があった。

消えていない。

確かに掴んでいる。


「行こう、ひばりさん」


ひばりは頷く。

その表情は穏やかだった。

けれどどこかで、ほんの少しだけ遠くを見ている気がした。


「はい。次はもっと深い場所です。俵屋が長く留まっていた痕跡があります」


志乃は一度だけ、吾妻と冷花の背中を見た。

二人とも振り返らない。

それぞれのやり方で、ただ志乃たちの退路を繋いでいる。

その事実を胸に刻み、志乃は再び崩れた通路の奥へ足を踏み出した。


進むごとに、白塔の気配が変わっていく。

濁った霊気の中に、古い残響が混じり始める。

誰かが歩いた跡。

誰かが留まり続けた時間。

崩壊の最中にあるはずなのに、もっと昔の記憶が壁の奥から滲み出してくるみたいだった。


「ひばりさん」


志乃は歩きながら、ぽつりと訊いた。


「あなたは……俵屋のことを、どう思ってたの?」


ひばりの淡い背がわずかに揺れる。

答えはすぐには返ってこなかった。

静かな沈黙だけが、崩れた回廊に落ちる。


やがて、ひばりは前を向いたまま言った。


「許してはいません」


その声は、あまりにも静かだった。

怒りも、涙も、そこにはない。

だからこそ重い。


「私から奪ったものも、壊したものも、消えません。俵屋がしたことは、なくならない」


志乃は黙って聞く。


「でも……最後まで憎み続けるだけでは、たぶん終われないんです」


ひばりの輪郭が、白塔の薄闇に溶けるように揺れる。


「俵屋は間違っていました。何度も。取り返しがつかないくらいに。でも最後に残したものまで、全部が同じだったとは思いたくない」


その言葉は、ひばり自身がようやく辿りついた答えなのだろうと、志乃には分かった。

簡単に許したわけじゃない。

美談にしたわけでもない。

それでも最後の残響だけは、誰かを起こすために使えると認めた。

それが、ひばりの選んだ終わり方なのだ。


通路の先に、また異質な光が見え始めた。

今度は先ほどより濃い。

壁だけではない。

床にも、天井にも、糸を引くように残っている。

まるで誰かが何年もここに立ち続け、手を伸ばし続けた痕のようだった。


ひばりが立ち止まる。


「ここです」


志乃は息を呑む。

掌の中の最初の残留霊気が、目の前の痕跡へ呼応するように微かに震えた。


まだある。

まだ集められる。

そしてその先に、コウを起こすための道がある。


志乃はコウを抱く腕に力を込め、もう一度前を向いた。

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