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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第10節 使徒再生

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怪物退治

鍵は、深く沈み始めていた。

その現実が、志乃の胸の奥に鉛のように沈んでいた。

腕の中のコウはまだ温かい。

呼吸もある。

鼓動も消えていない。

それなのに、どれだけ名を呼んでも、意識だけが遠い場所へ落ちてしまったように戻ってこない。


白塔の地下は、休むことなく軋み続けていた。

床下を走る霊脈は不規則に明滅し、壁面の紋様は赤黒く脈打ちながらひび割れている。

崩れた通路の奥からは半屍人たちのうめきが途切れず響き、そのたびに空気の温度まで下がっていくようだった。

防衛機構の誤作動も止まらない。

どこかで隔壁が閉じ、どこかで術式が爆ぜ、白塔そのものが自分の内部を制御しきれず暴れている。


「右からも来る!」


冷花の鋭い声と同時に、氷色の霊気が通路の曲がり角を走った。

這い出してきた半屍人の足元がまとめて凍りつき、その直後に吾妻の斬撃が閃く。

首が飛ぶ。

腕が裂ける。

胴が断たれる。

だが、それでも数が減ったようには見えなかった。


「ちっ……本気でキリがない」


吾妻が吐き捨てる。

返す刃で次の一体を両断しながらも、その声には焦りが混じっていた。

倒した先から別の通路で物音がする。

床の裂け目から白く濁った腕が覗く。

壁際に積もった血と霊気の染みが膨れ、また別の半屍人が形を取り始める。


白神教授は志乃とコウの周囲に展開した防壁を維持しながら、険しい顔で中枢方向を見ていた。

術式光が眼鏡のレンズに反射し、その表情をいっそう冷たく見せている。

だが実際には、その額にははっきりと汗が浮いていた。


「教授!」


志乃が声を上げる。


「分かっている」


白神教授は短く答え、結界の位相を切り替えた。

志乃たちを覆う薄青い防壁が一段濃くなり、飛び込もうとした半屍人の腕が弾かれる。

しかし完全ではない。

何度も衝突を受けた面には細かな亀裂が走り、術式そのものが軋んでいた。


「このままでは保たん。半屍人の発生と流入が増え続けている。防ぐだけでは、いずれ押し潰される」


「じゃあ……下がるしか……」


言いかけた志乃の声を、教授は首を振って断った。


「下がれればそうしている。だが無理だ」


その声音には、希望的観測の入る余地がなかった。

外周通路は霊気逆流で死んでいる。

中継区画も半屍人に食われ始めている。

塔の構造そのものが魔泉道の霊気に引きずられている以上、コウを抱えての撤退など現実的ではない。


分かっていた。

頭では、とっくに。

逃げ道があるなら、もう誰かがそうしている。

それでも口にせずにはいられなかったのは、コウをこの場所に置いたまま戦うことが、あまりにも怖かったからだ。


そのときだった。


通路の奥の空気が、ひどく重く沈んだ。

半屍人たちの動きが、わずかに止まる。

統率されたわけではない。

だが猛獣が上位個体の気配を感じ取ったときのように、群れ全体が一瞬だけ萎縮した。


志乃は顔を上げる。

崩れた柱の向こう。

濁った霊気の靄を押し分けるように、魔泉道がゆっくりと歩いてきた。


その姿は、つい先ほどよりもさらに人から遠ざかっていた。

胸元では白い核が露出し、その周囲を何本もの霊脈が脈打ちながら巡っている。

肩口から背へかけては、腕とも触手ともつかない白い突起が揺らぎ、足元から滲む濁った霊気が床へ染み込むたび、そこから新しい半屍人が這い出していた。

見れば分かる。

あれが中心だ。

あれがいま、白塔を病巣に変えている本体なのだ。


「……なるほど」


魔泉道はコウを見下ろし、静かに言った。


「本格的に沈んだか」


「見るな!」


志乃の声は反射だった。

叫んでから、自分でも喉が焼けるように痛んでいることに気づく。


魔泉道は、その声にわずかに目を細めただけだった。


「まだ吠える力は残っているらしいな」


「コウから離れて」


「なぜだ」


その問いには、本当に分からないという響きしかなかった。

挑発ですらない。

人の感情というものを、最初から計算の外に置いている声音だった。


「彼は鍵だ。沈もうが壊れようが、その価値は消えない」


「価値って言うな!」


志乃はコウを庇うように一歩前へ出る。


「人を壊して、使って、捨てることのどこに価値があるの!」


「壊れるなら、その程度だったというだけだ」


魔泉道は淡々と返した。


「器に足るものだけが次へ進む。研究とは常にそういうものだ」


「ふざけるな」


低く割り込んだのは吾妻だった。

いつの間にか志乃の前へ出て、刀の切っ先を魔泉道へ向けている。


「貴様の理屈は聞いてるだけで反吐が出る」


冷花もまた位置を変え、志乃とコウを背に庇う形で術式を展開した。

氷色の陣が幾つも重なり、半屍人の接近経路を塞いでいく。


「志乃。コウのそばを離れないで」


「でも……」


「今のあんたが前に出ても、できることは少ない」


その言葉は厳しい。

けれど責めてはいなかった。


「だったら、できることをやるのよ」


志乃は息を呑み、拳を握る。

悔しい。

何もできない自分が。

コウを抱えて立っていることしかできない自分が。

でも、それでも今は折れるわけにいかなかった。


白神教授が前へ出る。

その声は鋭く、地下に響いた。


「全員、聞け」


その一言で、この場の意識が集まった。

左右の通路で半屍人を抑えていた相模が振り向く。

その後方では、月砂の戦闘員たちが息を荒げながら陣形を保っていた。

少し離れた瓦礫の上では、クリスが短銃の薬室を確かめながら口の端を上げる。


「我らに指図するというのか?」


さらに別方向では、虺竜文が足元の半屍人の頭蓋を踏み砕き、愉快そうに笑っていた。


「はっ。御託はもういい。斬るか、斬らねえかだろうが」


白神教授は構わず続けた。


「現状を再確認する」


白神は死人をあしらいながら続ける。


「脱出経路は実質消滅した。塔の構造そのものが魔泉道の霊気に侵食されている。半屍人の発生源も、中枢の混線も、すべてあいつを中心に回っている」


教授の指が魔泉道を示す。


「このまま退避を優先しても、逃げ切る前に包囲される可能性が高い。加えて、コウ君は離脱した。鍵としての主戦力も現時点では期待できん」


その一言一言が、現実を容赦なく削り出していく。

志乃は胸の奥が痛むのを感じながらも、目を逸らせなかった。


「結論を言う。方針を切り替える。ここから先の最優先は脱出ではない。魔泉道の討伐だ」


その宣言のあと、一瞬だけ空気が止まった気がした。

逃げるのではなく、倒す。

それはあまりにも明確だった。

そして同時に、退路を捨てることでもあった。


最初に笑ったのは吾妻だった。


「当然そのつもりだ」


冷花は短く息を吐く。


「異論はないわ。もうあれを止めない限り、何も終わらない」


相模も重く頷いた。


「月砂の戦力も動かす。このまま削られるより、核を断つ」


クリスは肩を竦める。


「いいんじゃない。逃げるより早い」


虺竜文は獰猛に笑い、肩に担いだ武器を回した。


「上等だ。あの出来損ない、正面から叩き潰す」


魔泉道は、その反応を前にしても表情をほとんど変えなかった。


「愚かだな」


「愚かで結構」


白神教授は即座に返した。


「少なくとも、お前のように人を素材としか見ない愚行よりはましだ」


魔泉道の胸の核がわずかに脈打つ。

怒りというより、不快なノイズを認識したような反応だった。


教授は続けて指示を飛ばした。


「吾妻は前衛固定。魔泉道本体への圧力を維持してくれ。冷花は半屍人の流入抑制と前衛支援。相模君は月砂の戦力をまとめて左右通路の封鎖を維持。クリス、虺竜文は自由裁量で構わない」


「了解」


相模が即答する。


「ふん。言われるまでもない」


クリスは二挺の銃を構えた。


「おい教授」


虺竜文がにやりと笑う。


「首は獲ったもん勝ちでいいな?」


「それでいい」


そして、白神教授は最後に志乃を見る。


「君はここを動くな」


「……!」


志乃は反射的に顔を上げる。


「でも、私も――」


「駄目だ」


教授ははっきりと言い切った。


「今の君が前へ出れば、コウ君を守る手がなくなる。それに、君には別の役目がある」


「別の、役目……?」


「コウ君を戻す方法を探せ」


その言葉に、志乃は息を止めた。

白神教授はなおも続ける。


「戦況を変える可能性があるとすれば、まだそこだ。我々は魔泉道を削る。君はその間に、わずかでも目を覚まさせる手段を探れ」


「そんなの……」


今すぐ見つかる保証なんてない。

何をどうすればいいのかも、まだ分からない。

それでも。

それでもコウの手に残る温度が、諦めることだけは許さなかった。


志乃は唇を噛み、強く頷く。


「……分かりました」


コウの手を握り直す。


「私、絶対に見つけます」


「それでいい」


その直後だった。


魔泉道の足元から、白く濁った霊気が爆発するように噴き上がる。

来る。

そう思った瞬間には、吾妻が床を蹴っていた。


「散れ!」


先制の斬撃が、真正面から魔泉道の胸元へ叩き込まれる。

凄まじい踏み込みだった。

だが魔泉道は避けない。

背から伸びた白い触手の一本が前へ出て、刀を正面から受け止める。

耳障りな硬音が弾けた。


「硬ぇな……!」


「不死の器を、鉄と同列に見るな」


「だったら砕けるまで斬るだけだ!」


吾妻が二撃、三撃と畳みかける。

同時に冷花の氷鎖が左右から走り、魔泉道の足元と背の触手を拘束した。


「止まりなさい!」


その隙へ、クリスの霊弾が横合いから炸裂する。


「どけ」


爆炎と白煙が通路いっぱいに膨れ上がった。

相模たちがその間に左右の半屍人を押し返す。

だが、煙の奥で白い核が明滅した次の瞬間、弾けた肉片が逆再生のように集まり、魔泉道の身体を元の形へ引き戻した。


「再生してる……!」


志乃が息を呑む。

しかも早い。

先ほど見たときより、明らかに。


拘束を引き千切り、魔泉道の背から新たな触手が生える。

そのうち二本が床に突き刺さった。

するとその場所から、また半屍人が押し出されるように湧き上がる。


「くそっ、増やしながら戦う気かよ!」


吾妻が舌打ちした、その横を黒い影が突っ切った。

虺竜文だ。


「ならまとめて斬るだけだ」


吼えるような声とともに、虺竜文は真正面から魔泉道へ飛び込んだ。

振り下ろされた一撃が白い触手をまとめて叩き割る。

返しの触手が脇腹を裂き、血が飛ぶ。

それでも虺竜文は笑っていた。


「そうだ。その程度じゃ足りねえ。もっと来い、魔泉道!」


「勝手に前へ出ないで」


クリスが吐き捨てる。

だが次の瞬間には、その突撃で生まれた隙へ正確に銃撃を撃ち込んでいた。


「……でも、その線は使う」


冷花は前衛支援と半屍人の抑制を同時に回している。

相模たちも通路を死守していた。

だが数が多すぎる。

一体倒しても、別の裂け目からまた新しい半屍人が這い出してくる。

月砂の戦闘員の一人が組みつかれ、相模が即座に斬って救い出す。

別の一人は壁から伸びた腕に足を取られ、転倒しかけたところを冷花の氷槍がかろうじて救った。


戦線は保っている。

だが押し切れてはいない。

これは防戦だ。

いつ崩れてもおかしくない綱渡りの上で、どうにか持たせているだけにすぎない。


志乃はコウの傍らで、その現実を噛みしめるしかなかった。

前へ出たい。

自分も戦いたい。

でも、今ここを離れたら。

もし次の瞬間、コウに何か変化が起きても、そのそばにいられない。

それだけは駄目だった。


だから周囲を見る。

必死に。

コウを戻せる手掛かり。

白塔の残響。

ひばりの痕跡。

俵屋が残した何か。

何でもいい。

何かひとつでも。


そのとき、魔泉道が大きく両腕を広げた。

胸の核が、これまでで最も強く脈動する。

嫌な予感が、骨の奥から這い上がった。


「全員、防げ!」


白神教授が叫ぶ。


次の瞬間、床と壁と天井の裂け目という裂け目から、半屍人が一斉に噴き出した。

それはもはや“現れる”という量ではなかった。

白塔そのものが腐った肉を吐き出したとしか思えない勢いで、死に損ないの群れが雪崩れ込んでくる。


「なっ……!」


クリスが目を見開く。

月砂の戦闘員たちが迎撃に移るが、数が違いすぎる。

冷花の氷も、吾妻の斬撃も、虺竜文の突撃も、一瞬で圧殺されかねない量だった。


魔泉道はその中心で、静かに、愉しむように告げる。


「見えるか。これが新しい循環だ」


半屍人たちが、うめきながらにじり寄る。

生者でも死者でもない、失敗したまま動き続ける軍勢。

白塔の歪みそのものが形を持って迫ってくるようだった。


志乃はコウを庇うように立ち上がる。

膝は震えていた。

喉も乾いていた。

怖くて仕方がなかった。

それでも、ここで目を逸らしたら本当に終わる。


魔泉道はそんな志乃を見下ろし、薄く笑った。


「ここで全員、素材になれ」

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