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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第10節 使徒再生

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半屍人

俵屋が消えたあとも、白塔は止まらなかった。


それどころか、むしろ状況はさらに悪化していた。


地下の最深部を満たす霊気は、すでに濃すぎる霧のように視界を曇らせている。壁面を走る紋様は赤黒く脈動し、床下の儀式装置は断続的に耳障りな唸りを上げ続けていた。白く裂ける光と、底の見えない黒い亀裂が、空間のあちこちに同時に生まれては消えていく。


本来なら、あり得ない現象だった。


白塔は巨大な霊気制御装置だ。

不安定な力を集積し、変換し、抑え、一定の形へ留めるための塔であるはずだった。

それが今は、制御するどころか、自分の内側から溢れたものを押さえきれずにいる。


志乃は荒い息をつきながら、なお立っていた。


視界の端では、俵屋の残した白い粒子がようやく空気へ溶けきろうとしている。

その最後を見届けたはずなのに、感傷に浸る余裕はまるでなかった。


目の前にいる魔泉道が、それを許さないからだ。


「……なるほど」


魔泉道は白い器の前に立ち、自分の掌を静かに見つめていた。

胸の傷はもう完全に消えている。血に濡れた衣服だけが、ついさっきまで彼が死にかけていたことを辛うじて証明していた。


「不死とは、固定ではない。流動だな」


その独り言のような声に、白神教授が顔を歪める。


「まだ飽き足らんのか」


「飽きる?」


魔泉道は振り返り、薄く笑った。


「ようやく入口に立ったのだぞ。ここから先を見ずして、何を得たことになる」


その言葉とともに、地下を満たす霊気の流れがまた変わった。


志乃はぞっとする。

先ほどまでは暴走の中心が“魔泉道”と“白塔中枢”のあいだでせめぎ合っていた。

だが今は違う。


白塔の奥から引きずり出された不死の力が、魔泉道の肉体にいったん馴染み、そこから再び外側へ溢れ始めている。


うまくいっていないのだ。


魔泉道は確かに、不死の力を手にした。

俵屋よりは安定している。

けれど、完全に掌握しきれているわけではない。


その証拠に、彼の足元から滲み出た白く濁った霊気が、床の紋様へ触れた瞬間、異様な変質を起こした。


ぶくり、と。


それは液体が膨れるような音だった。


床に落ちた血と霊気の混じった染みが、まるで生き物のように蠢く。

赤黒く、白く、濁った霊気を孕んだ塊が、一度沈み、それから急に膨れ上がった。


「何……」


冷花が身構える。


吾妻も刀をわずかに引き上げた。

学連の残存戦闘員たちが一斉に警戒を強める。


次の瞬間、その塊から腕のようなものが生えた。


人の腕に見えた。

だが皮膚の色がおかしい。灰色に近く、ところどころがただれ、肉の下で白い光が脈打っている。続いて肩、頭部、胴体が歪んだ形のまま持ち上がり、やがて“それ”は四肢で床を掴んだ。


人間だったもの。

けれどもう、人ではない。


片側だけが異様に膨れた顔。

眼窩の奥で揺れる乳白色の光。

口元は裂け、息ではなく濁った霊気を吐いている。

死体のようでいて、死体よりもずっと落ち着きがない。

生きているものの衝動だけを残し、形だけ不完全に繋ぎ止められた化け物だった。


白神教授が、低く息を呑む。


「……半屍人か」


その呼び名は、思いつきではなかった。

かつて文献の中でだけ見た禁忌の例に近いのだろう。


志乃は、背筋の奥が氷のように冷えるのを感じた。


半ば死に、半ば生き、不死になりきれず、霊気だけに縫い止められた存在。


それが一体、二体ではなかった。


魔泉道の周囲に落ちた血。

白塔の床へ染み込んだ濁った霊気。

儀式装置から漏れた不安定な余剰。

そのすべてが、次々と膨れ、蠢き、人の形を歪に真似た何かへ変わり始める。


「下がれ!」


吾妻が叫ぶより早く、最初の一体が動いた。


速い。


死体がもたつくような鈍さはない。

むしろ関節の制限を忘れたように異様な角度で床を蹴り、学連戦闘員の一人へ飛びかかる。


「ぐっ――!」


戦闘員はとっさに防御術式を張った。

だが半屍人の腕がそれを爪のように切り裂き、そのまま肩口へ食い込む。


血飛沫。

悲鳴。


冷花が即座に霊気を撃ち込み、その半屍人の首を吹き飛ばした。

頭部が転がり、胴体が二、三歩よろめく。


だが、倒れない。


切断面から白い霊気が糸のように伸び、頭部を引き戻そうとする。


「嘘でしょ……!」


冷花の声に、誰も否定できなかった。


不死の失敗作。

あるいは不死の副産物。

まともな生でも、まともな死でもないものが、白塔の中で“増殖”し始めている。


魔泉道はその光景を見て、わずかに目を細めた。


「……不完全だな」


その声音には失望と興味が混ざっていた。

怪物が生まれたこと自体に動揺はない。

ただ、それを成果としてどこまで評価できるかを冷静に見ているだけだ。


志乃はその無感動さに、思わず叫んだ。


「何が不完全よ! こんなの……!」


だが魔泉道は、彼女のほうを向きもせずに答える。


「不死の外縁だ。器に収まりきらなかった力が、周辺の死と生の境界を曖昧にしている」


「境界を曖昧に……?」


白神教授が苦々しく言う。


「ふざけた理屈だ。余剰霊気と死体、あるいは瀕死の肉体に、不完全な再生構造が強制的に噛み合わされているのか」


「近い」


魔泉道はあっさりと認めた。


「死を拒む力だけが先に働き、完成した器も自我の保持も追いつかなかった。ならば当然、こうなる」


「当然じゃない!」


志乃の怒声が地下に響く。


「こんなの、人を壊してるだけじゃない!」


「壊れたかどうかは、まだ分からん」


魔泉道の返答は、どこまでも冷たかった。


その会話のあいだにも、半屍人は増え続ける。


床。

壁際。

儀式装置の端。

崩れた柱の影。

東都から集積された霊気が濁り、魔泉道の不死の力に触れ、半端な死と生のあいだから次々に“何か”が這い出してくる。


人型ばかりではない。

四肢の数が合わないもの。

胴体だけを引きずるもの。

顔の代わりに白い裂け目だけを持つもの。

そのどれもに共通するのは、肉の奥に不自然な再生の脈動を抱えていることだった。


「数が多すぎる!」


吾妻が斬り伏せながら叫ぶ。

刀で断たれても、半屍人たちは完全には止まらない。動きを鈍らせても、白い霊気の糸が身体を無理やり繋ぎ直そうとする。


白神教授が即座に指示を飛ばす。


「頭部か中枢霊気核を同時に潰せ! 再生の起点を残すな!」


「言うのは簡単なんだけど!」


冷花が霊気槍を叩き込みながら吐き捨てる。


クリス・レイシアも少し離れた位置でレイピアを閃かせ、半屍人を次々と貫いていた。

その背後に揺らめくケルトの影が、獣の口で霊気核ごと食いちぎる。


虺竜文は逆に愉悦すら滲ませながら笑う。


「いいな。混ざってる。死に損ないの色だ」


彼の勾玉が赤く明滅し、周囲の瓦礫や金属片が一斉に凶器へ変わって半屍人へ降り注ぐ。


だが押し返しても押し返しても、増える。


白塔そのものが、半屍人の培養槽になりかけていた。


そのときだった。


ぐらり、と。


コウの身体が大きく揺れた。


志乃ははっとして振り向く。


「コウ!」


虚西コウは、白塔との接続が深すぎるまま、どうにか立っていた。

だが顔色はすでに紙のように白く、瞳の焦点も不安定だ。

俵屋の記憶、ひばりの声、白塔の起動、魔泉道との中枢争奪、そのすべてを受けた反動が、今になって一気に押し寄せている。


「……だめだ」


コウは掠れた声で言う。


「流れが、多すぎる……」


その言葉の直後、彼の膝が折れた。


志乃が駆け寄る。

半屍人の一体が横から飛びかかってきたが、冷花がそれを弾き飛ばす。


「志乃、下がって!」


「コウ、しっかりして!」


志乃はコウの肩を抱き起こす。

だが彼の身体は驚くほど軽かった。霊気が抜けていく。いや、抜けているのではない。白塔へ引かれすぎて、彼自身の内側に留まる力がなくなりつつあるのだ。


コウは薄く目を開き、志乃を見る。


その目は、まだ辛うじて自分を認識していた。


「……悪い」


「謝らないで!」


「たぶん、もう……」


言い切る前に、コウの意識がふっと遠のく。

力が抜け、身体が完全に志乃へ預けられる。


「コウ!」


返事はない。


志乃の胸が凍りつく。


白神教授が半屍人を払いながら叫ぶ。


「命はまだ繋がっている! だが限界だ、そのまま接続負荷が続けば霊気構造が閉じる!」


その言葉の意味を、志乃は十分に理解できなくても、致命的だということだけは分かった。


コウはまだ死んでいない。

けれど、このままでは戻れなくなる。


そのすぐ傍で、魔泉道は半屍人の群れを眺めながら、静かに口を開いた。


「なるほど」


白い器と、自らの手と、這い出す半屍人たちを交互に見て、彼は薄く笑う。


「完全な不死に至る前の副次相か。悪くない」


「悪くない、ですって……」


志乃はコウを抱きしめるようにしながら、震える声を漏らす。


魔泉道はようやく彼女を見た。


「見ろ。生と死の境界がほどけている。これは破綻ではない。門だ」


その言葉とともに、さらに奥の通路で悲鳴が上がった。


地下の別区画へ半屍人が流れ込んだのだ。


この場だけではない。

白塔内部の各所で、同じことが始まっている。


白神教授の顔色が変わる。


「まずい……内部全域へ広がっている!」


吾妻が舌打ちする。


「完全に混乱を起こす気か」


「違う」


魔泉道は静かに言った。


「起きているのは、進化の自然な揺らぎだ」


その一言に、志乃の中で怒りが限界まで膨れ上がる。


進化。

門。

揺らぎ。

そんな言葉で、この惨状を言い換えるな。


だが怒りだけでは届かない。

コウは倒れ、半屍人は増え、白塔は閉じ、魔泉道はなお強くなっている。


そして志乃は直感する。


もう、ここから逃げることはできない。


半屍人の群れを前に、白塔の深部は完全に戦場へ変わった。

脱出も、立て直しも、交渉も、もはや現実的ではない。


この惨劇を止める方法は、ひとつしかない。


魔泉道を、ここで止めること。


志乃はコウの身体を支えながら、顔を上げた。


白塔の主を気取り、怪物を生み出し続ける男を、まっすぐに睨む。


そのとき白塔の奥から、ひばりの声がかすかに響いた。


「……志乃」


弱い声だった。

消えかけた灯のように頼りない。

それでも確かに、届いた。


「まだ……終わっていない」


志乃は歯を食いしばる。


終わっていない。

終わらせてはいけない。


その想いだけを胸に、彼女は意識を失ったコウを抱え直した。


白塔の深部で、半屍人たちの咆哮が重なる。


そして崩壊の塔は、さらに深い混乱へ沈んでいった。

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