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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第9節 夢

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白塔の主

俵屋が崩れ落ちたあと、白塔の地下には奇妙な静寂が落ちた。


もちろん本当に静かになったわけではない。

儀式装置はなお軋み、壁面の紋様は赤黒く明滅を繰り返し、空間の裂け目からは不安定な霊気が噴き出し続けている。

東都全域から引きずり込まれた流れも、完全には収まっていない。


それでも、一つの時代が終わったあとのような空白が、たしかにそこにあった。


志乃はその場で膝をつきかけながら、なお前を見ていた。


視界の端では、俵屋の身体が少しずつ白い粒子へ崩れていく。

最後まで冷たい策士として立っていた男は、結局、ひばりの名だけを胸に残したまま消えようとしていた。


あまりにも遅くて、あまりにも取り返しがつかなくて、あまりにも人間らしい終わり方だった。


けれど、それを悼む暇すら与えぬように、目の前には別の現実が立っている。


魔泉道。


彼はもはや“死に損ない”の延命体ではなかった。

胸の傷は完全に閉じ、肉体の輪郭は安定し、全身を巡る霊気はひとつの完成された循環を帯び始めている。

先ほどまでの人工不死とは違う。無理やり死を先送りするだけの歪な延命ではない。

本物の不死に、限りなく近い何か。


白神教授が低く言った。


「……定着したか」


その声には、研究者としての理解と、人間としての嫌悪が同時に滲んでいた。


魔泉道は自分の掌を見つめ、ゆっくりと握る。

その動きに合わせるだけで、地下を漂う霊気が従うように揺れた。


「完全ではない」


静かな声だった。


「まだ白塔中枢との同調率に揺らぎがある。東都全域の流れも固定には至っていない。だが――」


彼は顔を上げる。


「ここから先は、私の領域だ」


その言葉とともに、白塔の壁面を走る紋様が一斉に発光した。


今までの暴走とは違う。

不規則ではない。

明確な命令系統を得たかのように、白塔そのものが応答している。


「まずい!」


白神教授が叫ぶ。


「中枢の主導権が再編されるぞ!」


魔泉道は白い器へ向かって一歩踏み出す。

その足取りは静かで、揺るぎがない。


俵屋は奪った。

魔泉道は継いだ。

その差が、ここで決定的になる。


不死の力をただ手にしたのではない。

白塔という巨大な実験場の中で、それを“運用する側”へ回ろうとしているのだ。


志乃は歯を食いしばる。


「……やめて」


魔泉道は止まらない。


白い器――ひばりを核とする中枢の原型――は、いまも不安定に揺れていた。

俵屋との接続の傷跡が残り、白と黒の筋が入り混じり、完全には安定していない。

それでも魔泉道は、その不安定さごと支配しようとしている。


「戸塚ひばり」


彼はその名を、ごく自然に口にした。


志乃の胸の奥で、怒りが跳ね上がる。


「その名前を使うな!」


叫びは地下に響く。


魔泉道はようやく振り返り、志乃を見る。

その目は静かだった。

前のような狂気じみた高揚ではない。

もっと危険だ。

自分の優位を確信した者の、冷えた落ち着きがある。


「名前は識別にすぎない」


「違う!」


志乃は立ち上がる。

足元はふらつき、記憶の流入の反動で頭も痛む。

それでも、止まれなかった。


「ひばりさんは人です! あんたの成果の部品でも、核でも、素材でもない!」


魔泉道はそれを正面から受け止め、淡々と答える。


「人だった。だが今は違う」


その一言が、ひどく冷たい刃のように志乃の心を切った。


「白塔中枢に固定され、意識を保ちながら崩壊せず、なお核として機能しうる。そこまで来れば、もはや個人ではない。機構だ」


「そんなもの――!」


「だから価値がある」


志乃の喉が詰まる。


この男は本気で言っている。

本気で、人が人であることより、機構として使えることのほうに価値を見る。


虚西コウが、そこでふらつきながらも顔を上げた。


「……違う」


かすれた声だった。


だが魔泉道の視線が、すぐにコウへ移る。


「虚西コウ」


その呼び方には、明らかな認識の変化があった。

ただの起動鍵ではない。

白塔を開き、中枢に届きうる者として、いまや最大の対抗因子として見ているのだ。


コウは呼吸を整えるようにしながら、なお言う。


「ひばりさんは……まだ、ここにいる」


「それがどうした」


「機構なんかじゃない」


コウの瞳には、白塔の最深部が映っていた。

ひばりの声。

苦しみ。

助けを求めた願い。

それを直接受け続けているのは、いまこの場では彼しかいない。


「聞こえてるんだよ」


コウは言う。


「終わらせてって。もう繰り返したくないって。ずっと、そう言ってる」


その言葉に、白塔の奥から、かすかな震えが返ってきた。


ひばりの声だった。


「……コウ」


弱く、掠れている。

けれど確かに、そこにある。


志乃の目が揺れる。

魔泉道の眉が、ごくわずかに動いた。


「まだそんな強度が残っているか」


感心したような、苛立ったような声だった。


「だが、残っているなら好都合だ」


彼は再び白い器へ向き直る。


「核の自意識が完全に失われていないなら、なおさら再構成効率は高い」


「やめろ!」


今度は冷花が叫び、前へ出た。

同時に吾妻も踏み込む。


「白神!」


「分かっている!」


白神教授が術式を展開する。

俵屋が消え、主導権が魔泉道へ移った今なら、さきほどまでの複雑な干渉よりも、狙うべき対象は明確だ。

中枢へ届く前の、一瞬の足止め。


吾妻の刀が閃く。

冷花の霊気が槍のように走る。

白神教授の術式陣が空間を縫う。


三方向からの干渉。

そのどれか一つでも刺されば、数秒は稼げるはずだった。


だが、魔泉道は振り返りもしなかった。


彼の周囲に、白い膜のようなものが一瞬で立ち上がる。

それは防御術式ですらない。

不死の力と白塔中枢との同調が、自動的に彼を守ったのだ。


吾妻の斬撃が弾かれる。

冷花の霊気槍が霧散する。

白神教授の術式文字列が、逆に飲み込まれて消える。


「……っ!」


白神教授の顔が険しく歪む。


魔泉道はようやく、少しだけ笑った。


「理解しただろう。もう以前の私ではない」


その笑みは傲慢ではあった。

だが単なる虚勢ではない。

事実として、彼はこの白塔の中心に近づいてしまっている。


「白塔は私を拒んでいない」


魔泉道はゆっくりと言う。


「戸塚ひばりを核とし、虚西コウを鍵とし、東都を炉とする。そこへ最も深く手を入れ、最も長く理論を積み上げたのは私だ。ならば、主となる資格も私にある」


主。


その言葉に、地下空間全体が応じるように低く鳴動した。


志乃は唇を噛む。

認めたくない。

絶対に認めたくない。

けれど現実として、白塔はいま魔泉道の命令に近いものを受け始めている。


俵屋が死に、ひばりは中枢に囚われたまま、魔泉道が不死の力を継いだ。

この章の果てに立っているのは、最悪のかたちで“白塔の主”に近づいた男なのだ。


そのときだった。


崩れゆく俵屋の傍から、最後の光がふっと舞い上がる。


ほんの小さな粒子。

けれど志乃には、それが何かの残響だと分かった。


俵屋の最期の残滓。

ひばりを想い続けた執念の、消え残り。


それが白塔の空気に溶けるより早く、白塔の奥からひばりの声がわずかに強く響いた。


「……志乃」


名を呼ばれる。


志乃の身体が震える。


「次は、あなたが選んで」


その一言に、時間が止まったように感じた。


俵屋は選びきれなかった。

救うのか、終わらせるのか、取り戻すのか、壊すのか。

すべてを抱えたまま、怪物の側へ堕ちていった。


なら次は、自分だ。


コウがいる。

ひばりがいる。

白塔がある。

そして目の前には、最悪の主となりつつある魔泉道がいる。


選ばなければならない。


何を救い、何を断ち切り、何を終わらせるのかを。


魔泉道はその声を聞いても、歩みを止めない。


「選ばせる必要はない」


彼は白い器へ手を伸ばす。


「ここから先は、私が完成させる」


その手が中枢へ触れようとした瞬間、白塔全体が大きく脈打った。


それは拒絶か、受容か。

まだ誰にも分からない。


ただ一つはっきりしているのは、ここで終わりではないということだけだった。


志乃は涙の跡を乱暴に拭い、まっすぐ魔泉道を見た。


コウもまた、光に縛られながら顔を上げる。

白神教授、吾妻、冷花、誰もが次の瞬間へ備えていた。


白塔の地下。

崩れゆく塔の最深部で。


俵屋の夢は終わった。

だが、その果てに残された悲劇は、まだ終わっていない。


そして今、白塔の主を名乗る男を前にして、

本当に問われるべき“選択”の時が、ついに始まろうとしていた。

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