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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第9節 夢

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ジョーカーを探せ

白塔の記録は、長い年月をかけて幾重にも塗り潰されていた。


俵屋は魔泉道の傍らで研究を続けながら、その事実を嫌というほど思い知らされていく。

ひばりの接続記録は断片化され、都合の悪い実験経過は消され、残されたログでさえ何重もの権限階層に閉ざされている。

白塔は研究施設であると同時に、隠蔽の塔にもなっていた。


志乃は俵屋の視界の奥で、その長い時間を追体験していた。


季節がいくつも過ぎる。

白塔の内部構造は更新され、管理者権限はさらに魔泉道へ集中し、かつて研究員たちが自由に議論していた区画は、今や報告と承認だけが行き交う場所へ変わっていく。


その間も、俵屋はひばりを追い続けた。


中枢ログの揺れ。

応答波形の癖。

白塔奥からごく稀に漏れる微細な霊気のゆらぎ。

完全に消えていない証拠を拾い集め、つなぎ合わせ、彼女がまだ“そこにいる”ことだけを確認し続けた。


だが、確認するだけでは何も変わらない。


不老不死の理論は進む。

魔泉道の実験は深くなる。

ひばりの状態は、死でも生でもない曖昧なまま白塔に固定され続ける。


ある夜、俵屋は一人で白塔の古い保管層へ降りていた。


そこは今ではほとんど使われていない区画だった。

古い遺物の記録媒体、使用停止になった観測機器、上層部ですら価値を見失った資料が埃をかぶって眠っている。


俵屋が探していたのは、白塔の正規記録ではなかった。


正規の系統では辿り着けないもの。

魔泉道の理論の外にある、旧い失敗記録や禁則指定の断片。

そこにしか残っていない“穴”を探していたのだ。


記録棚の奥で、彼は一つの封印箱を見つける。


白塔創設初期の規格。

管理権限の継承系統からも外された、古代式に近い封印。

今の白塔では、こういうものを開けようとする研究者はほとんどいない。


俵屋は迷わず術式を組み、封印を解く。


中に入っていたのは、オーパーツ研究初期の接続失敗例と、適性外の感応者に関する古い報告書だった。


その一文を見た瞬間、俵屋の意識が鋭く動く。


“中枢系統に対し、理論適合ではなく感応的横断によって接触しうる例あり”


俵屋は目を細める。


理論適合ではない。

感応的横断。


つまり、白塔の設計や術式を正面から理解し、適合する者だけではなく、もっと別のやり方で“向こう側”へ触れてしまう者がいるということだ。


正規の鍵ではない。

だが、鍵穴そのものに別の手段で指をかけるような存在。


俵屋の胸に、久しぶりに別種の熱が灯る。


突破口だ。


魔泉道は白塔を理論で開こうとしている。

自分もそれに従うふりをしながら、結局は同じ枠組みの中でもがいてきた。

だが、もし理論の外から白塔へ触れられる者がいるなら――ひばりのいる“奥”へ、別の経路で届けるかもしれない。


「ジョーカー……」


その言葉が、俵屋の中で形を持つ。


理論の外側。

盤面の外から割って入る一枚。

白塔も魔泉道も計算しきれない、異物のような存在。


それを見つけなければならない。


それからの俵屋は、表向きは魔泉道の忠実な協力者であり続けながら、裏では別の探索を始める。


対象は、正規の研究者ではない。

白塔の訓練を受けた術者でもない。

むしろ逆だ。


夢を見る者。

残留思念と接触する者。

他人の記憶へ引き込まれる者。

霊気構造を理屈ではなく“感覚で渡ってしまう”者。


記録の端。

地方の報告。

学連の補助資料。

民間に埋もれた異能の逸話。

そうしたものを拾い集めていくうちに、一人の少女の名が、何度も引っかかるようになる。


志乃。


その名を見た瞬間、志乃自身の胸がどくりと鳴った。


俵屋の記憶の中に、まだ若い自分の断片が混ざる。

はっきりした出会いではない。

報告書の行間に残る印象。

“夢告”

“残響との高感応”

“本人にも説明不能な接続事例あり”


俵屋はその資料を、何度も読み返していた。


「理論がない」


低く呟く。


「だからこそ、使える」


その言葉に、志乃の胸が痛む。


利用される。

その感覚は嫌というほど分かる。

だが同時に、俵屋の中にある切迫も伝わってくる。


時間がないのだ。


ひばりは白塔の奥にいる。

魔泉道は着実に不死の理論を前へ進めている。

正面からでは届かない。

なら、理論の外から白塔へ触れる手段を持つ者が必要になる。


その先で、俵屋は志乃と実際に接触する。


記憶は少し飛んで、薄暗い応接室のような場所へ変わった。

白塔ではない。

外部の中立区画か、あるいは学連と民間のあいだにあるような半端な施設だ。


俵屋は机を挟んで志乃の前に座っていた。


今の志乃より少し幼い。

まだ白塔の因縁の全体像も知らず、自分の能力を持て余している頃の自分だ。


記憶の中の志乃は、明らかに警戒していた。


「……で、何の用ですか」


ぶっきらぼうな声。

俵屋の印象は最悪だったのだろう。無理もない。

表向きには魔泉道側の人間として動いているのだから。


俵屋は単刀直入に言った。


「人を探してほしい」


「は?」


「いや、“人”という言い方は正確じゃないな」


俵屋は少し考えるように目を伏せ、それから続けた。


「理屈の外から、白塔へ届ける存在だ」


志乃は眉をひそめる。


「何言ってるのか分かりません」


「分からなくていい。お前にはできる」


「勝手に決めつけないで」


「決めつけではない。記録を見た」


その瞬間、志乃の警戒が一段強まる。

当然だ。自分でも整理しきれていない能力を、知らない男が勝手に把握しているのだから。


俵屋は淡々と続ける。


「お前は夢を介して残留思念へ触れる。記録の層が曖昧な場所にも入り込める。説明できなくても構わない。その“説明できなさ”が必要なんだ」


志乃は不快そうに目を逸らす。


「能力のこと、勝手に調べたんですか」


「必要だった」


「最悪……」


そう言った記憶の中の自分に、今の志乃は少しだけ苦いものを覚える。


あのとき、自分は何も知らなかった。

俵屋が何を背負っていたのかも、白塔の奥に誰がいたのかも。


俵屋は感情を表に出さなかった。

出せなかったのかもしれない。


「お前に頼みたいのは、“ジョーカー”を見つけることだ」


「ジョーカー?」


「白塔の理論の外に立てる存在」


志乃は訝しげに彼を見る。


「そんな人、本当にいるんですか」


「いる」


俵屋はそう言い切った。

だが、その確信は実証から来たものではない。

ほとんど祈りに近い執念だった。


「いなければ困る」


その一言に、志乃の胸が締めつけられる。


いなければ困る。

つまり俵屋は、そのジョーカーがいなければひばりに届かないところまで追い詰められていたのだ。


記憶の中の志乃は、まだその重さを知らない。


「断ったら?」


そう聞いたとき、俵屋は少しだけ沈黙した。


その短い沈黙に、今の志乃は気づく。

彼は脅す言葉を探したのではない。

本当のことをどこまで言うか、迷っていたのだ。


けれど結局、俵屋は真実を言わない。


「お前が断れば、別の手を探す」


淡々とした声。

嘘ではない。

実際、彼は別の手も探し続けるつもりだったのだろう。


だがその裏で、志乃に強く賭けていたことも、今なら分かる。


「ただ、お前が一番可能性が高い」


「都合いいこと言わないでください」


「都合よくなければ、誰も頼みに来ない」


その返しは、あまりにも俵屋らしかった。


今の志乃は、そのときの自分がさらに嫌な顔をしたのを見て、少しだけ泣きたくなる。

あのときは分からなかった。

この男が、どれだけ必死に理屈の外の一手を探していたのか。


やがて記憶は飛ぶ。


志乃が完全に頷いた場面までは映らない。

だが断りきれずに巻き込まれていったことは、空気で分かる。


俵屋は志乃にジョーカーを探させた。

白塔へ届くために。

ひばりへ手を伸ばすために。

そしてその過程で、虚西コウという存在へ至る布石もまた、打たれていったのだ。


つまり志乃自身もまた、俵屋の計画の一部だった。


利用されていた。

その事実は重い。


けれど、怒りだけでは終われない。

なぜなら記憶の奥で、俵屋がそのあと一人になったとき、ぽつりと漏らした言葉を、志乃は聞いてしまうからだ。


薄暗い部屋。

誰もいない。

俵屋は机に手をついたまま、深く息を吐く。


「……すまない」


それは志乃に向けた言葉だった。


直接言えないまま飲み込んだ謝罪。

利用することを自覚しているからこそ、誰にも届かぬ場所でしか口にできない言葉。


志乃の胸の奥に、熱いものがこみ上げる。


俵屋は最初から善人ではない。

もうとっくに怪物の側へ踏み込んでいた。

多くを利用し、多くを犠牲にする道も選んだ。


それでも、そのたびに自分が何をしているのかを分かっていた。

分かったうえで、止まれなかった。


ひばりを取り戻したいという一心だけで。


記憶の最後、俵屋は窓の外を見ていた。


白塔は遠く、夜の向こうに白く立っている。

その姿は神聖にも見えるし、墓標のようにも見えた。


「もう、戻れない」


独り言のように呟く。


その声には諦めがあった。

自分がどこまで来てしまったのかを知っている人間の、乾いた諦め。


「それでも……行くしかない」


その決意の重さが、志乃の胸へそのまま落ちてくる。


ジョーカーを探すこと。

理論の外から白塔へ触れる手を見つけること。

それは俵屋にとって最後の賭けだった。


そして、その賭けに志乃を巻き込んだことこそが、彼の最後の罪のひとつでもあった。


記憶の景色が、ゆっくりと揺らぎ始める。


過去が終わろうとしている。

俵屋の奥底に沈んでいた真実が、ひとつずつ志乃の中へ刻まれていく。


利用された怒り。

知ってしまった悲劇。

そして、それでも単純には憎みきれない感情。


その全部を抱えたまま、志乃の意識は少しずつ現実へ引き戻されていった。

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