40. 戦いの前夜
霧の里の奥深く、陣十郎の屋敷に一人の使者が到着したとき、里の運命を左右する冷たい緊張が走った。
彼が差し出した封書には、ゲリスの領主ベルモンド家の一番槍、ジェクトの名で、翌日の日の出までに「混血の男」ことユウトの身柄引き渡しと降伏を行わなければ、里を反逆者の拠点と見なし攻撃を開始する、という最後通牒が記されていた。
陣十郎はその書簡を一瞥するなり、迷うことなく全師範に対して即時出撃を命じた。
平和な夜は一瞬にして終わりを告げ、里の静寂は武具の触れ合う音と、戦場となる北の砦へと急ぐ門下生たちの足音によって破られた。
--- (マーヤ視点) ---
斬刃流の道場で必死に木刀を振っていた私は、その知らせを聞いて心臓が止まるかと思った。つい一か月前まで、私はただの医者の娘だった。それが今、本当の戦争の渦中に放り出されようとしている。 私はすぐさまサリアンさんの医局へ駆け込み、この日のために二人で準備してきた大量の薬と医療道具を荷車に詰め込んだ。
昼頃、私は重い荷車を押し、里の中心を貫く商店街を歩いていた。いつもなら活気に溢れ、誰かの笑い声や威勢のいい呼び込みが聞こえる場所なのに、今は不気味なほど静まり返っている。
戦う力を持たない町の人々は、陣十郎様の命によって南の広場へと集められ、避難していた。
「……陣十郎様、本当にどこまで考えてるんだろう...」
誰もいない街並みを眺め、私は独り言を漏らした。
私たちの少し前には、赤を基調とした道着を纏った斬刃流の門下生たちが、整然と歩いていた。数ヶ月前、この里に来たばかりの私を温かく、あるいは厳しく迎え入れてくれた仲間たちだ。ソクリュウ先生や、監視役だったコルンさんの姿も見える。
死なせない。絶対、私が全員治してみせる。
強く握りしめた荷車の取っ手から、自分の決意が伝わっていくような気がした。
夕方、ようやく里の入り口を守る巨大な石造りの北の砦に到着した。
砦は高くそびえ立ち、その威容は外部からの侵入者を拒む鉄壁の意志を感じさせる。私たちはその砦の少し後方、安全な場所に天幕を張り、臨時医局を開設した。
「よし、マーヤちゃん、まずはこの消毒済みの布をこっちに。あと、属性ごとの薬袋もすぐ取り出せるように並べて!」
「はい、サリアンさん!」
サリアンさんは、いつもより一段と声を張り上げていた。不安をかき消そうとしているのかもしれない。私たちは天幕の中に、大量の薬袋や医療器具を整理して並べた。不衛生な環境ではあるが、入念に解毒魔法をかけたし、自分にできる最善は尽くしたつもりだ。
「よし、私は各陣営の隊長さんに、ここに医局を作ったって知らせてくる。マーヤちゃん、ここは頼んだよ!」
「わかりました。気をつけて!」
サリアンさんが走り去り、私は一人天幕に残された。周囲を見渡すと、砦の周辺には各流派がそれぞれの持ち場を固め、臨戦態勢に入っている。
すぐ近くには、師範の一人、ランマ様が率いる岩砕流の部隊が陣を張っていた。
噂によれば、ランマ様は師範たちの中では若く、実戦経験も少ないため、今回は後方で砦をすり抜けてきた敵を叩く役割を負っているらしい。
屋外闘技場の決闘で一度お姿を見たことはあったが、一度も言葉を交わしたことがない。私はこれからの連携のために、挨拶をしておくべきだと思った。
岩砕流の陣を訪ねると、門下生たちは私の髪色を見てすぐに「医局の娘だな」と察したようで、快くランマ様の元へ案内してくれた。中に入ると、どっしりと胡坐をかいた、岩のように強固な意志を感じさせる男性が座っていた。年齢を聞かなければ、とうに四十を越えているのではないかと思えるほどの貫禄だ。
「……あの、初めまして。今回の治療班を担当する、ファミル族のマーヤと申します。」
私は丁寧にお辞儀をした。しかし、ランマ様はじっと私を見たまま、微動だにしない。無視されているのかと思い、私はもう一度、少し大きな声で繰り返した。
「初めまして! マーヤと言います!」
「……さっき、聞いた...」
ぼそり、と地を這うような低い返事が返ってきた。あまりの口数の少なさに、私はたじろいだ。
「あ、すみません。あの、サリアンさんと協力して、すぐ後ろに臨時医局を作りました。もし負傷者が出た場合は、すぐにお越しいただければと……」
「……それも、さっき聞いた。サリアンが、来た」
ランマ様は眉間に皺を寄せ、真顔で私の顔をじっと見つめてくる。
なんだか睨まれているようで、背筋が寒い。私が何か失礼なことでもしただろうか。それとも、私のことが気に入らないのだろうか。重苦しい沈黙が天幕を満たす。
「あ……あの、それと、これをお渡ししたくて。……薬なんですけど。」
私は、自分たちで作った属性別の薬袋を取り出した。
「これを部隊の皆さんに配っていただければ、いざという時の応急処置に役立つかと……」
「……医局、近いでしょ?」
「はい、すぐ後ろですけど……」
「……なら、いらない」
にべもなく断られ、私は言葉を失った。
「で、でも! 私たちが他の負傷者の対応で天幕を空けているかもしれませんし、自分たちで持っておいた方が効率的かと……」
私が食い下がると、ランマ様はふっと鼻を鳴らし、さらに鋭い視線を向けてきた。
「……じゃあ、何で医局を作ったの?」
「えっ、それは……」
「……医局、作ったなら……一人は、いて……」
結局、ランマ様は最後まで愛想を振りまくことはなかった。私は
「……わかりました。必ず一人はいるようにします。」
と告げ、逃げるように彼の天幕を後にした。
医局に戻ると、ちょうどサリアンさんが帰ってきたところだった。
「どうだった、岩砕流の方は?」
「ランマ様……すごく怖い人でした。薬、受け取ってくれませんでしたし...」
私の愚痴を聞いて、サリアンさんは
「あはは! ランマ様はああいう人なのよ」
と笑い飛ばした。
「でも、医局に誰か一人残っておけって言われたのは正論ね。分担しましょう!」
サリアンさんの話によれば、私たちがいた斬刃流の部隊は、砦の西側の険しい斜面を回り込もうとする敵を迎え撃つ予定だという。敵と直接刃を交える最前線。間違いなく負傷者が多くなる。
一方で、ユウトは砦の上から迫り来る敵に魔法を撃つらしい。ユウトは比較的安全ってことかな。
--- (ユウト視点) ---
俺は砦の最上段、石造りの狭間の影から、遥か眼下を流れるメディス川の川下を眺めていた。
今は夜の静寂が世界を覆い、月明かりを反射する川面が銀色の糸のように見えるだけだが、夜が明ければ、川下の全体がよく見えるはずだ。
「……いよいよ、なんだな」
手すりを握る手に力が入る。怖い。逃げ出したい。でも、それ以上に守らなきゃいけないという責任感が、俺の足を踏みとどまらせていた。
「ユウトさん。初めまして。」
不意に後ろから声をかけられ、俺はびくりと肩を揺らした。 振り返ると、そこには緑色の髪を短く刈り込んだ、知的な雰囲気を纏った男性が立っていた。
「は、はじめまして……」
「私は蕉風流師範のオウゼンと申します。この、砦の防衛部隊の指揮を任されております。」
「俺なんかに、そんな丁寧にしなくて大丈夫ですよ……。」
「いえいえ、陣十郎様との戦いを見て、あなたの魔法の力には心から感嘆したのです。」
オウゼンさんは、俺の隣に並び、川下を見つめた。
「一撃でやられたのに、ですか?」
と俺は聞く。
「その前の猛攻は素晴らしかった。今回は、その魔法が味方として間近に見られる。実に楽しみですよ。」
オウゼンさんの背後では、数十人の彼の門下生っぽい人たちが準備を始めていた。だが、彼らが手にしているのは刀ではない。巨大な長弓だ。
「あの人たちは、剣術じゃないんですか?」
「はい。我が蕉風流は、遠距離の敵を射抜くための弓術も訓練させているのです。」
なるほど。この砦の高さと射程を活かすなら、弓は最強の武器になる。
さらにその奥には、髪色の異なる男女の集団が控えていた。
「……魔法使い、ですか?」
「はい。里に住む、魔法に心得のある者たちを集めました。ユウトさんほどの火力はありませんが、彼らもまた、この里を守る大事な戦力です」
里には、俺やマーヤのような余所者だけでなく、色んな種族がそれぞれの理由で身を寄せているんだな。彼らを見ていると、俺だけが特別じゃないんだと少し勇気が湧いてきた。
「では、全員集まりましたね。作戦を伝えます」
オウゼンさんが部隊を見渡し、凛とした声を張り上げた。
「我々の役割は、正面から砦を突き崩そうとする軍勢を、一歩も寄せ付けないことです。無理に下へ降りる必要はありません。相手が射程に入るのを待ち、上から徹底的に攻撃を加える。……そして、この部隊には、あの宗家を追い詰めた魔術師ユウトさんも参加します!」
「おぉ……!」
と門下生たちの間でどよめきが起きる。なんだか、英雄扱いされてるみたいでこそばゆい。
「魔法部隊は、風の魔法使いと二人一組になってください。相手が範囲に入り次第、順次攻撃。弓部隊は、私の号令で一斉に放ってください!」
「陣形は中心に私とユウトさん。その両翼を魔法部隊が固め、さらに外側に弓部隊を配置します。……里の入り口は、我々が死守する。いいですね!」
「「「おぉぉぉぉぉ!!!」」」
地鳴りのような勝鬨が砦に響く。俺もつられて拳を突き上げた。 こういうものは少し心が沸き立つ。
作戦説明が終わり、各自が配置につく中、俺は気になっていたことをオウゼンさんに尋ねた。
「あの、なぜ魔法使いを風の人とペアにするんですか?」
「ぺあ?ああ、風の魔法を使えば、他の魔法の飛距離を劇的に伸ばせるからです。魔法を風に乗せて遠くへ飛ばす……これは我が里の基本的な連携術ですよ。」
「そういえば、俺もそうやって飛距離を伸ばしてた気がします。」
と俺は言った。無意識にやってたことだけど現代での知識が活きたのかな。
「ユウトさんはそれを一人でやられているんですね。それは、何というか。凄まじいですね。」
オウゼンさんは感心したように、でもどこか得体の知れないものを見るような目で俺を見た。 一人で複数属性を使える俺は、この世界の魔法の常識からすれば、それだけ異常なことなんだな。
「敵が来るのは日の出の頃でしょう。ユウトさん、今のうちに休んでおいてください。二階に駐屯兵用の寝室があります。狭いですが、今は体力を温存するのが先決です。」
「……ありがとうございます。お言葉に甘えます。」
なんか気を使わせちゃってるな。俺は彼に感謝し、砦の内部へと降りた。
その寝室は3段ベットが6個あって一人のスペースがかなり狭かったけど、まあここしかないならしょうがないか。
俺は薄暗い寝室の三段ベッドの一つに潜り込んだ。外では兵士たちの警戒する足音が聞こえる。 疲れていたのか、すぐに眠りに入った。
『……優斗! 起きなさい! 今日も学校行かないつもり!?』
ヒステリックなお袋の声。部屋に閉じこもり、スマホだけを眺めていた、あのどうしようもない日々。
『あんた、いつまで意地張ってるの! 学校行くにもお金かかるんだからね!』
うるさいな……俺には関係ないだろ……
夢の中で、俺は布団を被って耳を塞ごうとした。 けれど、その声は不意に、全く別の、凛とした若い少年の声に切り替わった。
「ユウト……ユウトさん! 起きてください! 敵が近づいています!!」
俺はガバッと身を起こした。 目の前には、オウゼンさんの息子だという、緑色の髪の少年が俺の肩を揺すっていた。
「……っ、夢か。」
額を伝う汗を拭い、私は大きく息を吐いた。あんな過去、今はどうでもいい。
「お父様は既に城壁の上で指揮を執っておられます! 早く来てください!」
「わかった、すぐ行く!」
少年はすぐに部屋を飛び出していった。
俺は枕元に置いてあった里の支給品の刀を手に取った。
そして砦の屋上へ続く、階段を駆け上っていった。




