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うちの村に異世界から無能がやってきました  作者: 投降の旗印
第四章 霧の里編

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38. 臨戦態勢

 あの衝撃的な夜から、一か月が過ぎた。


 里の日常は、あまり変わらない。

 

 私は朝早くから起きて斬刃流の道場で泥にまみれながら木刀を振り、夕食後には陣十郎様の屋敷へと通い、ユウトの稽古を見守る。私はその毎日の繰り返しに身体に馴染み始めていた。

 

 だが、その平穏な水面下では、確実に何かが動き始めていた。


 きっかけは、里の中央を流れるメディス川を下り、下流の町まで商売に出かけていた商人たちが持ち帰った噂だった。

 

「下流の町に、見たこともない数の武装した兵士が集まっている。」


 その話は、瞬く間に里中に広まった。兵士たちが集結している理由は、近隣で叛乱を企てている不逞の輩を征伐するためだという。


 この噂を耳にしたとき、里の門下生たちの間に動揺が走った。

 

 この里はどの王国にも服従せず、独自の規律と力で自治を守り続けている。外の世界から見れば、私たちは「叛逆者」そのものだ。噂にある征伐の対象が、自分たちのことであるという疑念は、霧のようにじわじわと里の人々の心を侵食していった。


 動揺する里の者たちに対し、陣十郎様や各流派の師範たちは、冷静な態度を崩さなかった。 陣十郎様はすぐに全門下生に向けて声明を出した。

 

「王国側が我々に具体的な攻撃を仕掛けようとしているという前兆は、今のところ見られぬ。仮に魔術師連中がこの霧深い山に攻め込んできたとしても、我が里にはそれを返り討ちにする強力な剣士が山ほどおる。案ずることはない。」


 その威厳に満ちた言葉に、多くの門下生は安堵の溜息をついた。けれど、私は緊張感を肌で感じることになる。


 夜の屋敷で行われるユウトの稽古の内容が、劇的に変化したからだ。


「これまでは一対一の小規模魔法を磨いてきたが、今日からは趣向を変えるぞ。ユウト、お前には、大勢を相手にした戦い方を叩き込む。」


 ある夜、陣十郎様はそう告げ、これまでの実戦形式の稽古を中断した。


 それからの稽古は、広大な庭を使った座学と実験が中心となった。

 

 威力の一点集中よりも、いかに広範囲に魔法を及ぼし、敵の進軍を効果的に足止めするか。あるいは、射程の長い魔術師を相手に、いかに向こうの魔法が届かない位置取りをキープし続けるか。

 

 陣十郎様は剣士の視点から、「集団が最も嫌がるタイミング」をユウトに説き、ユウトはそれに応えるように、現代の知識も交えた突飛な魔法の使い方を次々と提案していった。


「こんなのはどうですか? 地面の土を風で巻き上げて、広範囲の砂嵐を作るんです。目潰しにもなるし、相手の呼吸を乱せます。」


「ふむ、悪くない。だが、味方の剣士が突っ込む隙も奪うことになる。風の向きを一定方向に固定できるか?」


 そんな、具体的で生々しい戦争を見据えた対話が、月明かりの下で幾度となく繰り返された。


 戦闘には疎い私でも、陣十郎様が本気で戦いに備えていることは痛いほど理解できた。ユウトもまた、軽口を叩きながらも、その瞳にはかつての自惚れとは違う、悲壮なまでの決意が宿りつつあった。


 ある日の稽古後、私は我慢できずに陣十郎様に問いかけた。

 

「……陣十郎様。本当に、王国の兵は来るのでしょうか。」


 陣十郎様は夜の静寂を見つめるように目を細め、静かに答えた。

 

「うむ。確かなことはまだ分からん。だがな、マーヤ。来る可能性の方が高いと思っておいた方が、生き残る確率は上がる。わしは最悪を想定して動いておるのだ。」


「……でも、里のみんなには『前兆はない』と仰いましたよね。なぜ、本当のことを伝えないのですか?」


 私の率直な疑問に、陣十郎様は少しだけ声を和らげて説明してくれた。

 

「この里には、外で商売をする商人もおる。彼らは里の経済を支える大事な戦力だが、同時に情報の出入り口でもある。もし、わしが『戦闘準備をしている』と公にすれば、その噂はすぐに商人を通じて王国の耳に入るだろう。」


「そうなれば……」


「そうなれば、向こうは警戒し、より多くの兵を招集するかもしれん。あるいは、準備が整う前に叩こうと、戦闘時期を早めてくる可能性もある。我が里の戦力は精強だが、数には限りがある。王国の物量に押し潰されるような状況だけは、何としても避けねばならんのだよ。」


 陣十郎様の言葉には、一里の長として、数千の命を預かる者の重責が滲んでいた。

 

「では、道場の門下生たちにも、このまま隠し通すのですか?」


「案ずるな。各道場の師範たちには既に根回しをしてある。彼らを通じて、精鋭たちにはそれとなく準備をさせておる。……ユウト、お前もだ。」


 陣十郎様の視線が、横で話を聞いていたユウトに向けられた。

 

「決戦の時までに、どこまでお前を仕上げられるか。それがこの里の命運を左右するかもしれん。」


「はい! ……正直、怖いけど、頑張ります!」


 ユウトは短く答え、拳を握りしめた。


「マーヤ。君もだ。君は貴重な治癒班の要となる。いざという時、動揺して魔法を乱さぬよう、気を引き締めておくんだぞ」


「はい! 分かっています!」


 それから数日経ったある日、その日は斬刃流の稽古が休みの日だった。私はお昼頃にサリアンさんの医局を訪ねた。


「お~! マーヤちゃん! 久しぶり!」


 サリアンさんは、不安な空気を吹き飛ばすような明るい笑顔で出迎えてくれた。私は彼女と軽い雑談を交わした後、本題を切り出した。


「サリアンさん……最近の噂、聞いてますよね? 王国軍が、本当に来るかもしれないって話。」


 サリアンさんの笑顔が、わずかに曇った。

 

「ああ……それね。嫌よね、戦なんて。人と人が傷つけ合うところなんて、本当は見たくないわ。」


 彼女は窓の外、門下生たちが訓練に励む道場の方を悲しげに見つめた。

 

「でも、私もこの里が好きだし、ここにいるみんなが好き。もし誰かがその平穏を奪おうとするなら……私は、許さない。」


 彼女の言葉に、私は深く共感した。

 

「私も同じです。でも、私は剣術もまだ全然だし、体力だって周りの人たちに比べたら……。何か、自分にできることはないかって、ずっと考えてるんです。」


 私の愚痴を聞いたサリアンさんは、ポンと私の肩を叩いた。

 

「マーヤちゃんは戦わなくていいの! 私たちはファミル族でしょ? 戦いは男たちに任せておけばいいのよ。私たちの役割は、傷ついた彼らを治癒魔法で支え、勇気づけること。そうでしょ?」


「それはそうですけど……でも、それだけじゃ足りない気がして。もっと具体的に、準備しておけることはないでしょうか...」


 私の必死な訴えに、サリアンさんは少し考え込み、やがて名案を思いついたように手を叩いた。

 

「……そうね。あ、そうだ! 私たち、二人ともガーベラ師匠の弟子じゃない! 薬の作り方は叩き込まれてるはずよ。今のうちに、実戦で役立つ薬を大量に作っておくのはどう?」


「それです! やりましょう!」


 それから、私たちの共同作業が始まった。休日のたびに私は医局に籠もり、サリアンさんと共に大量の薬草と向き合った。


 私たちは、これまでの経験と植物事典の知識を総動員して、戦場を想定した薬を分類し、調合していった。止血剤や軽い擦り傷の薬はもちろんのこと、魔法攻撃への対策も練った。

 

「王国軍は、各種族の魔法を使ってくるはずです。水魔法による冷えや打撲、火魔法による火傷、風魔法による切り傷……。それぞれのダメージを和らげる特効薬が必要になります。」


「さすがマーヤちゃん、しっかりしてるね。じゃあ、私は保存が効くように練り薬の調整をするよ!」


 私たちは、魔法の属性ごとに色分けした小袋を用意し、門下生たちが戦いの中でも直感的に使えるように工夫した。

 

 袋を一つずつ詰めながら、私は祈っていた。 この薬が使われる日が、本当は来なければいい。けれど、もしその日が来たなら、一人でも多くの仲間を救ってほしい。


 そしてついに、その一報が里に届いた。 王国軍の進軍経路が確定し、彼らの目的地が十中八九、この霧の里であるという知らせだ。


 里の空気は一変した。 これまで不定期に行われていた師範会議は、毎日開催されるようになった。陣十郎様の屋敷の謁見の間では、各流派の役割分担と、里全体を砦に見立てた迎撃作戦が、緻密に練り上げられていった。


 ある日の午後。セイチョウ様は、斬刃流の全門下生を大講堂に集めた。 講堂内には、数百人の門下生たちの熱気と、言葉にならない緊張感が渦巻いている。 教壇に立ったセイチョウ様は、燃えるような紅い着物を翻し、雷鳴のような声で作戦を告げた。


「いいか、野郎ども! 地の利は我らにある! 王国の腰抜け魔術師どもが、この峻烈な霧山でまともに戦えると思うな!」


 門下生たちから、野太い歓声が上がる。

 

「作戦を伝える。敵は北の山の向こうで陣を張るだろう。だからまず、敵襲に遭うのは、里と北側の町の間にある砦だ。あの上からオウゼン殿の弓部隊と、魔法に心得のある者たちが、敵の陣形を散らす。……そして、あの『混血のユウト』もそこに参加する。奴の広範囲魔法で、敵の初動を挫くのだ!」


 ユウトの名前が出た瞬間、門下生たちの間に驚きと、そして微かな期待が混ざったざわめきが起きた。あの日、陣十郎様を追い詰めた魔法の力を、誰もが認めていた。


「我ら斬刃流は、シュハク殿率いる水鏡流と協力し、砦の横を回り込もうとする軍勢を山中で各個撃破する! 奴らの遠距離魔法は厄介だが、遮蔽物の多い山の中では、その威力を発揮できぬ。接近戦に持ち込めば、我ら神後流の剣の敵ではない!」


 セイチョウ様は一呼吸置くと、鋭い眼光で門下生一人ひとりの顔を見渡した。

 

「……それとだ。これだけは肝に銘じておけ。陣十郎先生は、我ら全員の生存を望んでいらっしゃる。決して、無理な特攻はするな! 危ないと思ったら、迷わず引け! 戦術的撤退は負けではない! 生きて戻り、再び剣を握ることこそが勝利なのだ! いいか!」


「「はい!!」」


 地響きのような返答が講堂を震わせた。その熱狂の中で、セイチョウ様が私に目線を移す。


「マーヤ! お前はサリアンと共に、後方の安全な場所に野営の治療所を構えてもらう。分かったな。」


「はい!」


 私は元気よく返事をした。


「野郎ども、よく聞け! 怪我をしたら遠慮なく、マーヤとサリアンのところへ行け。彼女たちがいる限り、お前たちは何度でも立ち上がれる! そうだろ!」


「「はい!!」」


 門下生たちの顔が、一気に明るくなった。

 

「マーヤちゃんがいるなら安心だぜ。」 「すぐに完治しちまうから、傷つくのも怖くないな。」


 そこかしこから聞こえてくる信頼の言葉に、私は胸が熱くなった。いつの間にか、私はこの里の一員として、彼らに必要とされる存在になっていたのだ。


 私は深呼吸をして、一歩前へ出た。

 

「あ、あの……セイチョウ様。皆さんにお伝えしたいことがあります。」


「ん? なんだ、マーヤ。」


 私は用意していた大きな風呂敷包みを抱え、壇上へと上がった。

 

「……サリアンさんと協力して、皆さんのための薬を作ってきました! 一人ひとりに渡せるように準備したので、出陣の前に受け取ってください!」


 私がそう宣言すると、講堂内には先ほどの戦意高揚とは違う、温かな歓声が沸き起こった。私は色分けされた小袋の中身を、丁寧に説明した。


「青い袋は水魔法、赤い袋は火魔法、緑は風、黄色は土……魔法のダメージを受けたときにすぐに使ってください。白い袋は軽い擦り傷、そして黒い袋には……私が調合した、とっておきの重傷用の練り薬が入っています。」


 私は黒い袋を高く掲げた。

 

「黒い袋の薬を使っても治らなかったら、あるいは使い切ってしまったら、すぐに私のところへ来てください。全力で治療しますから!」


「やったー!」「最高だ、マーヤちゃん!」「これで百人力だぜ!」


 門下生たちが拳を突き上げ、口々に賛辞を送ってくれる。その笑顔を見ていると、寝る間を惜しんで薬草を擦り続けた疲れも、どこかへ吹き飛んでしまうようだった。


「……ありがとう、マーヤ。素晴らしい心遣いだ。門下生たちの士気も、これ以上ないほどに高まったぞ。」


 セイチョウ様が、優しく私の頭に手を置いた。

 

「いえ……。皆さんが命懸けで戦っている中で、私にできることを探しただけですから...」


「よし! これで準備はすべて整った!」


 セイチョウ様が再び講堂の中央に立ち、天に向かって拳を突き上げた。

 

「野郎ども、行くぞ! 我が里の意地を見せてやれ!」


「「おぉぉぉぉぉぉぉ!!」」


 地を揺らすような勝鬨の声が、講堂の壁を突き抜け、霧深い山々に、そしてどこまでも続く青い空の果てまで響き渡った。 里全体が、一つの巨大な意志となって、迫りくる嵐を迎え撃とうとしていた。

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