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うちの村に異世界から無能がやってきました  作者: 投降の旗印
第四章 霧の里編

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37. 里の秘密

 陣十郎様、ユウト、私の三人は、広大な屋敷の奥へと続く長い廊下を歩いていた。

 

 一歩踏み出すごとに、使い込まれた板間が微かに鳴り、静寂を切り裂く。廊下の角を曲がるたび、どこまでこの屋敷は続いているのだろうと不安になる。

 

 けれど、先頭を歩く陣十郎様の背中は迷いがなく、この巨大な迷宮のような建物を完全に把握しているようだった。自分の屋敷なのだから当然かもしれないけれど、暗闇の中でも一寸の狂いもなく進むその姿には、やはり常人離れした凄みを感じる。


 廊下の左右にはいくつもの襖が並んでいるが、そこから人の気配がすることはない。月明かりが差し込む格子窓を通り過ぎ、さらに奥へ、奥へと進む。

 

 やがて外からの光すら届かない、重苦しい静寂が支配する区画へと足を踏み入れた。陣十郎様はずっと黙ったままで、その沈黙がさらに空気を重くしていた。


 すると、陣十郎様がひと際古びた、しかし重厚な造りの襖の前で足を止めた。

 

「入れ。」

 

 短く、低い声が響く。 陣十郎様が襖を開けると、そこは窓一つない、真っ暗な部屋だった。入り口以外に外へ通じる場所はなく、密閉された空間特有の、古い紙と畳の匂いが鼻を突く。見た目こそ普通の和室だが、漂う空気の密度が違うように感じられた。


 陣十郎様は慣れた手つきで部屋の隅にある燭台に火を灯した。揺らめく橙色の炎が、殺風景な部屋を照らし出す。

 

 彼は部屋の隅に置かれていた座布団を無造作に二つ取り、私たちに手渡した。座れということだろう。

 

 私たちが座るのを見届けると、陣十郎様は壁際に置かれた頑丈そうな箪笥から、古びた巻物を取り出した。そして、私たちの正面にどっかと腰を下ろした。膝の上に置かれたその巻物は、長い年月を経て黒ずみ、独特の風格を漂わせている。


 これから、一体何の話が始まるのか。ユウトの方を見ると、彼もまた緊張で顔を強張らせていた。重苦しい空気に、息を吸うのさえ躊躇われる。

 

 そんな中、陣十郎様がぽつりと口を開いた。

 

「我が神後流は二百年前、一人の剣士から始まった。」

 

 それは、里の誰もが知る歴史のはずだった。けれど、陣十郎様の口から語られるそれは、まるで今まで隠されていた真実を紐解くような響きを持っていた。

 

「彼の名は鰐淵平衛門 (わにぶち ひらえもん)。神後流の初代宗家である。」


 陣十郎様は、淡々と平衛門という人物の功績を語り始めた。

 

 彼は歴代屈指の剣術の達人であり、当時まだ誰も知らなかった刀での戦術を体系化し、魔術一辺倒だった時代に剣術の地位を向上させた開祖であること。そして何より、あの有名な『無血の英雄』マリタン様の護衛として世界中を渡り歩き、その盾となった人物であること。


 マリタン様の、護衛……?


 私はその話を聞いて、胸が騒ぐのを感じた。以前、お母さんから聞いた噂、あるいはパキルさんが匂わせていた話が、点と線で繋がっていくような感覚。

 

「陣十郎様……。もしかして、その初代宗家の方も……」

 

 私は溢れそうになる言葉を、必死に喉の奥で形にした。

 

「その方も『異世界人』だったんですか?」


 私の質問に、陣十郎様は鋭い目を見開いた。その反応だけで、答えは明白だった。

 

「そうだ。彼は、異世界から来た人間だ。」

 

 陣十郎様は、驚愕に目を見開くユウトを真っ向から見据えて言い放った。

 

「彼はこの世界に来た当初、周囲に『自分は異世界から来た』と説いていた。だが、そんな突飛な話を誰一人として信じる者はおらず、やがて彼は自らの出自を口にしなくなった。……しかし、彼はその証拠を、後世に託す書物として残していたのだ。」


 陣十郎様は、手元にあった巻物をゆっくりと広げた。 そこには、墨で文字がびっしりと書かれていた。けれど、それは私が知っているホルミ語とも古ファミル語とも違う、見たこともない複雑な記号の羅列だった。

 

「……ユウト。これを読めるか?」

 

 陣十郎様に促され、ユウトが身を乗り出して巻物を覗き込む。

 

「……すみません。達筆すぎて、俺にはちょっと……」

 

 ユウトは困ったように眉を寄せた。どうやら彼と同じ世界の文字であることは間違いないようだが、あまりに古い書き方なのか、すぐには解読できないようだった。

 

 「そうか。ならば、後ろに記された翻訳文を読もう。」


 陣十郎様が、重々しくその文章を読み上げ始めた。


『この土地に来て三十余年、私も大分年をとってしまった。


なぜ私がここに来たのか、今もって見当がつかない。三十年、その謂われを尋ね求め続けたが、ついに拠所へは辿り着けなかった。


思い返せば、故郷の風景が恋しくてたまらない。


父上様、母上様は元気だろうか。妹も無事に縁組みが整っただろうか。家督を継ぐべき私がいなくなったことで、どれほどのご心痛をかけたか……それを思わぬ日は一日たりともなかった。』


 読み上げられる言葉の一つ一つに、深い孤独と望郷の念が宿っていた。剣術の達人で、英雄の盾となった鋼のような人物。そんな平衛門様が、心の奥底では故郷を思い、涙していた。その事実が、私の胸を締め付ける。彼もまた、ユウトと同じように、理由もわからずこの世界に放り出された、ただの一人の人間だったのだ。


 陣十郎様はさらに続けた。


『ふと、古の和歌を思い出す。


天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも


今の私も、千年前の古人と少しも変わらぬ心持ちである。』


「……その和歌……」


 ユウトが、震える声で呟いた。彼の顔には、今までに見たこともないような深い衝撃が浮かんでいる。


「陣十郎様。……今の歌、知っていますか?」


「いや、平衛門様が故郷で学んだ古い詩だということ以外、意味までは知らぬ。」


「マーヤは……?」


「……ごめんなさい、私にもさっぱり。」


 ユウトは、何かがカチリと噛み合ったような顔をして、巻物をじっと見つめた。

 

「陣十郎様。彼は……初代宗家の方は、間違いなく俺と同じ世界から来ました。この和歌は、俺のいた世界でもすごく有名なんです。生きた時代は違っても、彼と俺の故郷は同じです。」


 ユウトの言葉に、陣十郎様は満足げに頷いた。

 

「そうか。やはり間違いなかったか。……だが、この書物の終わりに面白い記述がある。」


 陣十郎様が、巻物の末尾にある一節を読み上げた。


『つい数ヶ月前、奇妙な噂を耳にした。


この世界の隅で、人を召喚する秘術が秘密裏に研究されているという話だ。


それが真実ならば、私がこの地へ至った理由とも無関係ではないだろう。


その「世界の隅」がどこなのか、突き止める術はない。


もしあと二十年、この話を聞くのが早ければ、私はすべてを捨ててでも旅立っただろう。しかし、もはやこの老体では叶わぬ。


無念だが、諦めるしかない……』


「人を、召喚する、秘術……」


 ユウトがその言葉を繰り返した。部屋を包む静寂が、以前よりもずっと重く冷たいものに変わったように感じられた。

 

「その秘術は……今も、どこかで行われているんでしょうか?」


「知らんな。少なくともワシの耳には、そのような話は一度も届いておらん。」


 ユウトは目に見えて落胆した。元の世界に帰れるかもしれないという微かな希望が、再び霧の向こうへと消えていく。

 

「……だが、平衛門様がこれほどまでの無念を記されたのだ。当時、何らかの秘術が存在していた可能性は高い。」


 陣十郎様が、ユウトを勇気づけるように言った。

 

「あの……平衛門様は二百年も昔の方ですよね。陣十郎様は、なぜそこまで彼の言葉を信じられるのですか?」


 私は気になっていたことを尋ねた。二百年という月日は、どんな真実をも風化させてしまうほどに長い。


「それはな、マーヤ。平衛門様は、単にこの巻物だけを残したのではないからだ。彼が自らの手で記した膨大な日記、公文書の数々、そして当時の部下たちが残した覚書……それらすべてが、この屋敷の蔵に保管されている。それらを読み解けば、彼がいかに誠実で、情報の精査に長けた人物であったかがわかる。あのお方が『聞いた』と記したことは、単なる妄想などではないのだよ。」


 陣十郎様の言葉には、初代宗家に対する揺るぎない敬意と信頼が満ちていた。里の長である彼がそこまで言うのなら、この話は真実なのだろう。

 

 けれど、二百年も前から研究されていた召喚魔術が、なぜ今、表舞台に出てこないのか。それとも、誰にも知られない場所で、今もなお……。


「……この話は、ここで終わりにしよう。今日はお前が異世界人であると確信できただけでも、十分な収穫だ。お前のこれまでの不可解な言動も、これで説明がつく。」


 陣十郎様はそう言って、巻物を丁寧に巻き取ると、大事そうに箪笥へと戻した。

 

「では、戻るとするか」


 私たちは陣十郎様の後に続き、秘密の部屋を後にした。 裏庭に戻った時、空高くにあった月は、周囲を囲む高い石壁の向こう側へと沈みかけていた。

 

「……もう、このような時間か。すまんな。稽古を続けるつもりだったが、今日はこれで終わりだ。明日からまた、精進せよ。」


 陣十郎様はそう告げると、私たちを帰した。


 屋敷の外に出ると、深夜の隠れ里はひっそりと静まり返っていた。 街灯の代わりに置かれた灯篭の火が、石畳の上で幽霊のように揺れている。私とユウトは、どちらからともなく隣り合って歩き出した。


「……ユウト。まだ、信じられませんね。あなたと同じ世界から来た人が、二百年も前にこの里を作っていたなんて。」


 私が沈黙を破ると、ユウトは夜空を見上げたまま、力なく答えた。

 

「そうだね。俺も、なんだか夢を見ているみたいだよ」


 その後、会話は途切れた。並んで歩く私たちの間に、今までとは違う、どこか気まずい空気が流れる。

 

 ユウトは今、何を考えているのだろう。平衛門様が抱えていた絶望的な孤独を知り、自分も同じ運命を辿るのではないかと、怯えているのだろうか。それとも、召喚の秘術という言葉に、一筋の希望を見出したのか。


「……俺、こっちだから。またね、マーヤ。」


 道場の宿舎へと続く分岐点で、ユウトが足を止めた。

 

「はい。また明日、よろしくお願いします。」


「お願いするのはこっちの方だよ。明日も、怪我したときはよろしくね。」


 ユウトは無理に作ったような笑顔を浮かべると、背中を丸めて歩き出した。


 闇夜に消えていくその背中を、私は動けずに見つめていた。

 

 二百年前にこの地で果てた、一人の異世界人の無念。そして、今目の前にいる、同じ運命に抗おうとする少年。 神後流という剣術の里に隠されていた秘密は、あまりにも重く、私たちの未来を不確かな方向へと押し流そうとしていた。

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