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うちの村に異世界から無能がやってきました  作者: 投降の旗印
第四章 霧の里編

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36. 魔術の稽古

--- (マーヤ視点) ---

 夜の帳が下りた隠れ里を、私はコルンさんと共に歩いていた。 昼間の厳しい稽古で体は悲鳴を上げていたが、心はそれ以上に緊張で張り詰めていた。陣十郎様から言い渡された、ユウトの「魔術の稽古」への同行。それは里の他の誰にも知られてはならない秘密の任務だった。


「では、頑張ってくださいね。マーヤさん。」


 屋敷の門前に着くと、コルンさんはそう言って、どこか心配そうな、けれど私を信頼してくれているような複雑な笑みを浮かべて帰っていった。彼は私が「陣十郎様の屋敷の召使い」として禊の奉公をするのだと信じている。彼に嘘をつき続けるのは心が痛んだが、陣十郎様の命は絶対だった。


 私は一つ深呼吸をして、重厚な門をくぐった。 屋敷の中に入ると、初日に私たちを案内してくれたあのホルミ族の女性が、まるで見計らっていたかのようなタイミングで姿を現した。


「陣十郎様がお待ちでございます。」


 彼女は短くそう告げると、音もなく廊下を歩き出した。私はその後ろを必死についていく。

 

 それにしても、この屋敷はいつ来てもその広大さに圧倒される。廊下はどこまでも続き、いくつもの襖が並んでいるが、案内してくれている女性以外に人の気配は全くない。里の長ともあろうお方が、これほど広い家に一人で住んでいるのだろうか。それとも、この時間は他の者たちを近づけないようにしているだけなのか。


 しばらく歩くと、廊下の先からひんやりとした夜気と共に、抜けるような星空が見えてきた。 「……外?」 つぶやきながら近づくと、そこは縁側になっており、その向こうには広々とした裏庭が広がっていた。庭の周囲は高い石壁に覆われており、外からは中の様子を伺い知ることはできない。


 月明かりの下に二つの影があった。 陣十郎様とユウトだ。二人は縁側に腰を下ろし、何かを静かに話し合っているようだった。


 私が近づく足音に気づくと、陣十郎様がすっと立ち上がった。その一挙手一投足に、周囲の空気が震えるような威圧感が宿る。

 

 「よし、始めるか。」


 陣十郎様は脇に置いていた使い古された木刀を手に取ると、庭の砂舞台の中央へと進み出た。そして、ユウトに顎で合図を送り、自分の正面に立たせた。


「わしが教えるのは、小規模魔法の使い方だ。いいな。こんな狭いところで、あの日見せたような大規模魔法を使われたら、わしの屋敷が粉々になってしまうからな」


 陣十郎様の言葉に、ユウトは顔を引きつらせて力なく笑った。

 

「ははは……そうですよね。気をつけます。」


「それに、ユウト。お前は大規模な魔法で押し切る力はあるようだが、小規模な魔法の扱いは見るに堪えんほど下手だ。昨日の試合でも、貴様の放った小規模魔法は、わしにとっては止まって見えるほど楽勝だったからな」


 容赦のない陣十郎様の指摘に、ユウトは肩を落として悲しそうな顔をした。確かに、あの決戦の際、ユウトが放った数々の礫や火球は、陣十郎様の異常な身のこなしの前には全く無力だった。


「わしは魔術師ではないから、魔力の練り方などというものは知らん。だが、一人の剣士として、いつ、どのような軌道で魔法が飛んでくるのが最も嫌か、それを伝えることはできる。まずはお前の苦手な近距離戦……魔法を盾や牽制として使う術を特訓しよう」


 陣十郎様の呼びかけに、ユウトは意を決したように背筋を伸ばした。

 

 「はい! よろしくお願いします!」


 稽古が始まった。 だが、それは稽古という名の、一方的な叩きに近かった。 陣十郎様の教え方は、徹底した体得だった。ユウトに小規模な魔法――拳大の火球や水の弾丸を放たせ、陣十郎様はそれを紙一重の動きで難なく避けていく。


「遅い! 予備動作が大きすぎるのだ!」


 陣十郎様は魔法を避けると同時に、ユウトの懐に飛び込む。ユウトが慌てて風の魔法で距離を取ろうとした瞬間、陣十郎様の木刀が唸りを上げた。


 ドゴォッ!


「がはっ……!」


 木刀がユウトのみぞおちを正確に捉える。ユウトは呼吸を詰まらせ、砂の上に崩れ落ちた。私は反射的に駆け寄ろうとしたが、陣十郎様の鋭い一喝が私を止めた。


「待て、マーヤ。まだ治療するな。」


「で、でも、陣十郎様! ユウトが……!」


「失敗には、相応の痛みが必要なのだ。その痛みが強烈に記憶に刻まれることで、『次はあんな目には遭いたくない』と本能が叫ぶ。それが、男が強くなるための種になるのだよ。」


 陣十郎様の言葉は冷徹だった。医者を目指す身としては、目の前で苦しむ怪我人を放置するのは耐え難い苦痛だった。けれど、陣十郎様の眼差しには、単なる暴力ではない、厳格な師としての確固たる意志があった。私は唇を噛み締め、ユウトが強くなるために必要なことなのだと自分に言い聞かせるしかなかった。


 ユウトは何度も倒され、何度も砂を噛んだ。木刀が肩を叩き、脚を払い、腹を突く。 その度にユウトは悶絶し、這いつくばりながらも、再び立ち上がって魔法を構えた。 小一時間ほど経っただろうか。ユウトが三度目のみぞおちへの直撃を受け、激しく咳き込んで動けなくなったとき、陣十郎様はようやく木刀を下げた。


「よし、マーヤ。治療してやれ」


 その言葉を待っていた私は、救急鞄を掴んでユウトの元へ走った。

 

「ユウト! 大丈夫ですか!?」


「……うん……大丈夫、だよ……たぶん……」


 全然大丈夫そうではない。ユウトの顔は土色になり、冷や汗が流れている。私は急いで彼の腹部に手をかざし、治癒魔術を唱えた。 淡い緑色の光が私の掌から溢れ出し、ユウトの体へと吸い込まれていく。みるみるうちに彼の表情が和らぎ、荒かった呼吸が整っていった。


「……ふぅ。すごいね、この魔法。痛みがすーっと消えてなくなる...」


 ユウトは感心したように自分の腹をさすった。私は少しだけ得意げになって答える。

 

「当たり前じゃないですか。治癒魔法なんですから。痛みが消えない治癒魔法なんて、偽物ですよ。」


「いや、その当たり前が本当にすごいんだよ。俺のいた世界じゃ、こんなに一瞬で傷が塞がったり痛みが消えたりすることなんて、あり得なかったから。」


 ユウトが感慨深そうに漏らした言葉に、私は首を傾げた。

 

「そうなんですか? じゃあ、ユウトの故郷では怪我をしたらどうするんですか?」


「うーん、擦り傷程度なら絆創膏っていう、ペタッと貼るシールみたいなのを貼っておくだけかな。でも、今みたいにみぞおちに強烈なのを食らったときは……もう、ただ痛みが引くまで、何時間も、何日もじっと待つしかないんだ。自然に治るのをね。」


「えぇ……。それは、ずいぶん不便で痛そうですね。」


「うん。でも、もう痛くない。ありがとう、マーヤ。」


 ユウトに真っ直ぐな目でお礼を言われ、私は少し顔が熱くなるのを感じた。誰かに感謝されるのは、何度経験しても嬉しいものだ。 私は稽古の邪魔にならないよう、縁側の方へ戻ろうとした。その時だった。


「……ちょっと待て。」


 陣十郎様の低く、地を這うような声が響いた。 振り返ると、陣十郎様が射貫くような鋭い視線をユウトに向けていた。庭の空気が一瞬で凍りついたように冷え込む。


「ユウト。……お前、この世界の人間ではないのか?」


 心臓が止まるかと思った。 私とユウトは顔を見合わせ、言葉を失った。やばい。全く無警戒だった。ユウトがうっかり漏らした「俺の世界」という言葉。それを陣十郎様は見逃さなかったのだ。


「ん? 違うのか?」


 陣十郎様が静かに催促する。その圧力に、周囲の木の葉がカサリと音を立てた。

 

 どうしよう……。嘘をつくべきか、それとも。 パキルさんからは、異世界人であることを不用意に話すなと釘を刺されていた。けれど、この陣十郎様の目をごまかすことなど、到底できないことは分かっていた。


 私が冷や汗を流しながらユウトの顔を伺うと、彼は一度だけ深く息を吐き、覚悟を決めたように口を開いた。


「……はい。仰る通りです。実は、俺はこの世界の人間じゃありません。異世界から来たんです」


 言っちゃった……。 私は目を見開いて固まった。これからどうなるのだろう。異端者として、即座に斬り捨てられるのだろうか。それとも……。最悪の想像が頭をよぎる。


 だが、陣十郎様の反応は意外なものだった。彼は驚く風でもなく、ただ深く興味を惹かれたように眉を寄せた。


「ほう。やはりそうか。……ユウト。お前の本名は何だったか?」


「ユウトですけど……」


ユウトが困惑しながら答えると、陣十郎様は首を振った。


「そうではない。お前の故郷での、本名だ。」


「あ……高橋優斗です。」


 ユウトが答えたその名を、陣十郎様は「たかはしゆうと……か」と、不思議な響きを味わうように繰り返した。


「ほう。……では、お前が住んでいたのは、何という国の、どこの都市だ?」


「日本の、東京という街です」


 ユウトが答える。私とお母さんはその地名を聞いてもピンとこなかったが、陣十郎様なら何か知っているのかもしれない。私は固唾を飲んで陣十郎様の顔を見つめた。

 

 しかし、陣十郎様の表情はすぐれなかった。まるで、期待していた答えとは少し違う、といったような、微かな落胆と戸惑いが混ざった顔をしていた。


 沈黙が流れる。庭を吹き抜ける風が、ユウトの黒髪を揺らした。 やがて、陣十郎様が再び口を開いた。その問いは、これまでのどんな言葉よりも衝撃的なものだった。


「では、ユウト。……お前は『江戸』という言葉を知っているか?」


 えど? 聞いたこともない単語に、私は小首を傾げた。古ファミル語の類だろうか。 だが、ユウトの反応は違った。


「えっ……!? 江戸!? 知ってます! 知ってますよ、江戸!」


 ユウトは椅子から転げ落ちんばかりの勢いで身を乗り出した。その顔は興奮で真っ赤になり、目を見開いている。


「あの……ユウト。江戸って、何ですか?」


 仲間外れにされたような気分になり、私は思わず話を遮った。


「江戸は、東京の古い呼び名だよ! 俺たちの国の、昔の都の名前なんだ!」


 ユウトがまくしたてるように教えてくれた。つまり、東京という故郷の町の、昔の呼び方ということだろうか。ユウトがこれほどまでに興奮するということは、彼にとって特別な意味を持つ言葉なのだろう。


 しかし、なぜ、陣十郎様がその言葉を知っているのか。 昔の異世界の地名を。


「……ふむ。そうか。江戸を知っておるか。」


 陣十郎様は独り言のように呟くと、空を見上げた。その横顔には、これまでの威厳とは別の、どこか遠い過去を追うような、哀愁に満ちた色が浮かんでいた。


「……これは、稽古どころではないな。」


 陣十郎様の纏う空気が、一瞬で変わった。張り詰めていた武人の殺気が消え、代わりに重苦しい、秘密の重圧が場を支配する。


「ユウト。……少し、来い。」


 陣十郎様はユウトに向かってそう言った。そして、縁側に座ったままの私に一瞥をくれる。


「あの……陣十郎様。私も、ついていって良いでしょうか?」


 仲間外れにされるのが怖くて、そしてユウトが一人でどこかへ連れていかれるのが不安で、私は思わず口を挟んだ。陣十郎様は少しの間、私を値踏みするようにじっと見つめていたが、やがて短く息を吐いた。


「……良いだろう。だが、マーヤ。この先で見る物、そしてこれから話すことは、たとえ親兄弟であろうとも、決して誰にも漏らしてはならぬ。神後流の名に懸けて誓えるか?」


 陣十郎様の声は、これまでにないほど低く、重かった。冗談で言っているのではない。もしこの約束を破れば、文字通り命はないだろう。その確信が、私の背筋を震わせた。


「はい……。誓います。」


 私は声を震わせながらも、はっきりと答えた。 陣十郎様は無言で頷くと、立ち上がり、屋敷の奥へと歩き出した。ユウトが私の顔を不安げに見つめてきたが、私は首を振って、ただ彼の手を握った。


 私たちは、陣十郎様の大きな背中を追い、屋敷の最深部へと足を踏み入れた。 月明かりの裏庭を後にし、私たちは薄暗い廊下を進んでいく。陣十郎様がどこへ向かっているのか、そこで何が語られるのか、私には想像もつかなかった。


 けれど、一つだけ確かなことがあった。 この里には、そして陣十郎様という人物には、私たちが想像もできないほどの深い、そして奇妙な謎が眠っている。


 ユウトの故郷と、この霧の里を結ぶ、見えない糸。 それが今、陣十郎様の手によって、ゆっくりと手繰り寄せられようとしていた。


 屋敷の奥から漂ってくる、古い紙と香の匂い。 足音だけが響く静寂の中で、私はユウトの手を強く握りしめ、自分たちの運命が大きく変わりつつあることを予感していた。

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