33. 決戦
俺の前には陣十郎様が片手に木刀を持ち、仁王立ちしていた。 その姿は、まるでこの場所だけ重力が違うのではないかと思わせるほどの威圧感に満ちている。 周囲を囲む観客席からは、数千人の門下生たちの熱気が肌を焼くように伝わってきた。色とりどりの髪色がうねる波のように見え、その中心にある白い砂舞台に俺は立っていた。
俺はこれまでの選手たちの慣習に従って陣十郎様と向かい合い、深々と礼をした。陣十郎様もまた、泰然とした様子で礼を返した。 次に、俺は観客席に向かって礼をしようとした。しかし...
「そちらには頭を下げなくてよい。」
陣十郎様が静かに制した。
「えっ?」
「今、お前の敵は目の前のわし一人だ。わしがお前の正面にいる以上、他に頭を下げる必要などない。」
その言葉に、俺は少しだけ驚いた。これまでの試合では、皆が宗家席に向かって跪いていたからだ。
「……分かりました。」
俺は姿勢を正し、陣十郎様を真っ向から見据えた。
「お前は距離があった方が戦いやすかろう。名前が呼ばれた時にいたところまで下がれ。」
陣十郎様は、あごでトラックの端を指し示した。 わざわざ俺が優位になるようにしてくれるって言うのか?
「……遠慮なく、そうさせてもらいます。」
俺は振り返り、砂を蹴ってトラックの端まで下がった。前を向くと、陣十郎様もまた、反対側の端まで下がっていた。
その距離は120メートル以上はあるだろうか。向こう側に立つ彼の姿は、驚くほど小さく見えた。 だが、俺の心臓はドラムを叩くように激しく脈打っていた。 俺の魔法の飛距離がどこまでなのか、自分でも正確には分かっていない。だが、この広大な空間で、遠距離攻撃を持たない剣士を相手にするなら、俺が圧倒的に有利なのは間違いないはずだった。
陣十郎様は、使い古された一本の木刀をゆったりと構えた。 一方で、俺の腰には里から支給された一振りの真剣が差してあった。これまでの試合も真剣で行われていたから妥当な判断なのだろうが、俺に刀を使うつもりは毛頭なかった。 俺の剣術なんて、素人に毛が生えた程度のものだ。剣術の棟梁である陣十郎様を相手に、刀で戦うなんて自殺行為でしかない。 俺は魔術師なんだ。そう心に強く言い聞かせた。
「両者、準備が整いました!」
司会の男が、地鳴りのような大声をあげる。 会場全体が静まり返る。一瞬の静寂の後、運命の合図が響き渡った。
「それでは本日の最終決戦です! 始め!」
司会の声を合図に、決戦が始まった。
「っ!?」
開始の合図と同時だった。陣十郎様が俺に向かって走り出した。
とんでもないスピードだ。 ただ走っているだけなのに、砂舞台の地面が爆発したかのように土煙が上がる。まるで肉食獣が獲物を狩る際の一瞬の加速を、そのまま持続させているような異常な速さだった。
だが、まだ距離はある。 俺は右手を前に突き出し、イメージを固める。シュトラウスから教わった、想像力の具現化だ。
「火よ、燃え上がれ!」
俺は大火力の炎を、一直線に陣十郎様目掛けてぶっぱなした。 紅蓮の炎が砂を焼きながら進んでいく。
だが、届かない。炎は彼の数メートル手前で、まるで目に見えない壁に阻まれたかのように勢いを失い、霧散した。 くそっ、遠すぎるか。
その間にも、陣十郎様は着実に距離を詰めてくる。魔法はまだ届かない。 だが、俺には現代の知識がある。
俺は右手に魔力を集中させ、野球ボールほどの土の塊を瞬時に作り出した。 そこに風の魔法で強烈な初速と回転をかける。
「行けっ!」
俺は土のボールを斜め上へと射出した。こうすれば放物線を描いて、魔法の射程外からでも奴の元まで届くはずだ。 その玉は期待通りに風に乗り、鋭い軌道を描いて陣十郎様の頭上へと降り注いだ。
陣十郎様は足を止めることなく、手にした木刀を無造作に振り上げた。 パカァン、と乾いた音がして、土のボールは空中で鮮やかに叩き割られた。
玉が割れると同時に、パフっと音がして周囲に白い煙が立ち込める。
「馬鹿め。あのボールの中には、あらかじめ細かい砂をぎっしり詰めておいたのさ。」
これで奴の視界は遮られるはずだ。砂が目に入れば、あの異常な突進スピードも落ちるだろう。 だが、俺の期待は一瞬で打ち砕かれた。
陣十郎様は木刀を横に一振りした。ただそれだけの動作で、周囲に渦巻いていた砂煙が、まるで巨大な扇風機に煽られたかのように一瞬で晴らされたのだ。
マジかよ。なんだあれ。風の魔法でも使ったのか?
いや、違う。あれは純粋な剣の振りが生み出した風圧だ。魔法を使わずに魔法のような現象を引き起こすなんて、反則だろ。
俺はその後も、ボールを投げる程度の小さな攻撃を次々と繰り出した。 水の弾丸、風の刃、小さな土礫。 だが、陣十郎様はそのすべてを木刀で叩き落とし、あるいは最小限の動きで避けて前進してくる。
落ち着け。今はこれでいい。俺の本領は、俺の絶対的な魔法範囲の中に奴を引きずり込んでからだ。 その範囲は、これまでの戦闘で既に確かめてある。
陣十郎様は俺の細かな攻撃に怯むことなく、着実に距離を詰めてくる。
そろそろだ。 俺は右手で土のボールを射出し続け、陣十郎様の注意を逸らしながら、左手に膨大な魔力を凝縮させていく。 心臓の鼓動が耳元でうるさい。視界の端で、観客席の最前列にいるマーヤが手を握りしめているのが見えた。
よし、入った! 陣十郎様が俺の魔法範囲に一歩踏み込んだ瞬間、俺は溜めていた左手を一気に解放した。
「喰らえっ!」
魔力を限界まで凝縮した巨大な火球が、爆音と共に放たれた。 それだけではない。俺は間髪入れずに特大魔術の連撃を叩き込む。
まず、足元の砂を水魔法で一瞬にして泥濘に変え、彼の動きを鈍らせる。次に、土魔法で左右に巨大な壁を生成し、行く手を極限まで狭める。 そして、その狭い通路状の空間に、風の魔法によって超高速まで加速させた火球を打ち込んだ。
「これならどうだ!」
俺の能力を最大限に引き出した、四属性の複合連撃。いかに里の長といえども、これを無傷で切り抜けることは不可能なはずだ。
轟音が鳴り響き、砂舞台が激しく揺れる。土埃が立ち込め、視界がゼロになる。 やったか……? だが、その期待は絶望へと変わる。
土埃が立ち込める中から、陣十郎様が悠然と姿を現した。
「……なっ!?」
彼はそれまでと変わらぬスピードで走ってきていた。しかも、その着物には焦げ跡一つなく、文字通り無傷だった。
「何で!? きもすぎるだろ!」俺は思わずそう叫んでいた。
俺の魔法が効かない? いや、違う。彼は魔法そのものを「斬って」無効化しているのか、あるいは魔法の隙間を縫うようにして移動しているのか。どちらにせよ、常人の域を遥かに超えている。
俺は半狂乱になりながら、さらに高火力の魔法を次々と打ち込んだ。 直径三メートルを超える巨大な火球、高さ五メートルの土壁、舞台の半分を覆いつくすほどの広範囲の水流。 さらにはその水を瞬時に凍らせて氷の刃に変え、威力を倍増させた風の刃を飛ばす。
「止まれ! 止まれよ!」
だが、どんな魔法を使っても、陣十郎様の進撃スピードは一分たりとも落ちることはなかった。
くそっ、これでもダメか……。
俺は一瞬、肩を落とす。
「……なんてね。」
実は、今の無差別な魔法攻撃はすべて布石だった。 俺は特定の一点に、陣十郎様を誘い込んでいたのだ。 彼がその「地点」に足を踏み入れた瞬間、俺は全魔力を絞り出した。
「閉じ込めろ!」
まずは彼の正面に、これまでで最大級の厚みを持つ土壁を生成した。 次に右、左。そして間髪入れずに、彼の背後にも巨大な壁を生成した。
「よし、チェックメイトだ!」
陣十郎様は、四方を強固な土壁に囲まれた、わずか数メートル四方の檻の中に閉じ込められた。 魔法を使えない剣士にとって、この状況は詰みに等しい。あとはこの檻の中に、上空から特大の火球を放り込めば、すべてが終わる。
俺は右手を高く掲げ、自分自身の身長よりも巨大な火球を作り出していた。
「これでジ・エンドだ!」
勝利を確信し、火球を振り下ろそうとしたその時だった。
――シャキーン!
鋭く、しかし重厚な音が響き渡った。
何重にも塗り固めて硬度を高めたはずの土壁に、一本の光り輝く直線の亀裂が走った。
「え……?」
次の瞬間、巨大な土の檻は音を立てて真っ二つに裂け、ボロボロと崩れ落ちていった。
その崩れ落ちる瓦礫の隙間を、陣十郎様が軽いステップで駆け登ってくるのが見えた。 彼は何事もなかったかのように頂上に達すると、そのままふわりと地面に降り立ち、再びこちらへ向かって走り出した。
「……嘘だろ。まさか、あの土の壁を斬ったのか!?」
俺は驚愕のあまり、魔法を維持するのさえ忘れそうになった。 あの壁は、並の真剣でも刃こぼれするほどの硬度を持たせていたはずだ。 それを、ただの木刀一本で斬るなんて、そんな物理法則、この世界のどこにあるんだよ?
「あの手に持ってるの、本当にただの木刀だよな?」
俺の混乱を余所に、陣十郎様は着実に俺との距離を詰めてくる。
もはや、広域魔法を撃つ時間は残されていない。 俺は大型魔法から、出の早い小型魔法へと切り替えた。至近距離で大型魔法を使えば、俺自身もその爆発に巻き込まれてしまうからだ。 だが、魔法の規模が小さくなったことで、陣十郎様はより楽々と魔法を避けていくようになった。
「くそっ、質でダメなら量で勝負だ!」
俺は小さく尖った土の礫を数千個作り出した。
「行けええぇぇ!」
全方位から降り注ぐ土の雨。これなら避ける隙間などないはずだ。
だが、陣十郎様はその土の雨の中を、まるでダンスでも踊るかのような優雅な動きで、右に左にと避けていく。
信じられないことに、数千の礫のうち、ただの一つも彼の体に触れることはなかった。
「全く、当たらねぇ……。」
陣十郎様との距離は、もう十メートルを切っている。
やばい、もうすぐ刀が届く範囲だ!
陣十郎様の手が、木刀の柄のあたりへと動いた。
斬られる! 本能的な恐怖に突き動かされ、俺は風の魔法を自分自身の背中に向けて放った。
「緊急脱出!」
爆風のような風に押され、俺の体は後ろへと大きく吹き飛んだ。 着地の準備もできず、俺は砂舞台の上をごろごろと無様に転がった。
「痛ぇ……!」
全身に砂が入り込み、打ち身の衝撃で視界がチカチカする。だが、止まっている暇はない。 早く立たなきゃ、追撃が来る!
俺は必死に砂を払い、素早く立ち上がった。
だが、顔を上げた瞬間、視界は巨大な影に覆われていた。 陣十郎様は、既に目の前にいた。
「……あ」
あまりの速さに、魔法を発動する暇さえない。 避けられない。
ドゴぉっ!
重い衝撃と共に、腹部に凄まじい衝撃が走った。 陣十郎様の木刀が、俺のみぞおちを正確に捉えていた。
「ぐはっ……あ、が……っ!」
肺の中の空気がすべて押し出され、視界が真っ白になる。
俺の体は木の葉のように宙を舞い、数メートル後ろの砂の上に叩きつけられた。
腹の奥からせり上がる吐き気と激痛に、指先一つ動かすことができない。呼吸をしようとしても、喉がひきつって音しか出ない。 視界の隅で、空がぐるぐると回っている。
……ああ、ダメだ。もう立てない。 これが、本物の強さか。 俺は掠れた声で、ようやくそれだけを口にした。
「……こ、降参、です……。」
一瞬の静寂の後、会場を切り裂くような絶叫が響いた。
「なんと! ユウトが降参しました! よって勝者は我らが長、鰐淵~陣十郎!!!」
司会の男が狂ったように叫び、同時に会場はどっと沸き立った。 何千人もの門下生たちが立ち上がり、地鳴りのような歓声を上げている。
だが、俺にはその歓声が遠い世界の出来事のように感じられた。 砂舞台に横たわったまま、俺はただ、空を見上げていた。俺はただ、圧倒的な敗北感に包まれていた。
砂の匂いと、腹部の鈍い痛み。 俺の、里を賭けた無謀な挑戦は、幕を閉じた。




