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うちの村に異世界から無能がやってきました  作者: 投降の旗印
第四章 霧の里編

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29. 呼び出し

 次の日も、私は厳しい稽古に明け暮れていた。 斬刃流の訓練は、初日の免除が嘘だったかのように容赦がない。超級剣士であるソクリュウ先生の指導は的確だが、求められる運動量は私の貧弱な体力では到底追いつかないものだった。


 夕方になり、稽古が終わる頃には、私は指一本動かすのも億劫なほど疲弊し、練習部屋の隅に座り込んでいた。


「マーヤさん、大丈夫ですか?」


 コルンさんが声をかけてきた。彼は私の隣で、中級者としての稽古を終えたばかりだが、まだ余裕があるように見える。


「……はい。なんとか、生きてます。」


 私が力なく答えると、コルンは少し困ったように眉を下げた。


「無理もありません。あなたはまだここに来たばかりですから。……それより、セイチョウ様がお呼びです。すぐに部屋へ来るように、と。」


「えっ、セイチョウ様が?」


 私は驚いて顔を上げた。一昨日の尋問会議での、あの傲慢で暴力的な威圧感を放っていたセイチョウの姿が脳裏をよぎる。私は重い腰を上げた。


 コルンさんに案内され、道場の奥にあるセイチョウの私室へと向かった。 道場の熱気とは対照的に、奥へ進むほど廊下は静まり返り、冷ややかな空気が足元を舐める。辿り着いた部屋の前で、コルンさんが声をかけた。


「セイチョウ様。マーヤさんをお連れしました。」


「入れ。」


 中から低く、重みのある声が響いた。 コルンさんは「俺はここで待っています」と小声で言い、私一人を部屋へと促した。


 襖を開けると、そこには寝巻きなのか、ゆったりとした着流し姿のセイチョウがいた。上座に座る彼の前には、一本の蝋燭が頼りなく揺れている。 私は入り口で深く頭を下げた。


「セイチョウ様。お呼びと伺いました。何か御用でしょうか?」


 会議での彼を知っている以上、失礼があってはならない。私は最大限の敬意を払って言葉を選んだ。


「そう畏まるな。君はもうワシの門下生なのだからな。」


 セイチョウは、意外にも穏やかな声でそう言った。その顔には、この前のような刺すような殺気はない。


「それで、君はファミル族だから、相応の治療はできると思っていいのかね?」


「はい。まだ修行中の身ではありますが、大抵の怪我や病気の処置はできるつもりです。」


 私の答えに、セイチョウは満足げに頷いた。


「それでは、疲労を癒すことはできるか?」


「疲労、ですか……。はい、そういった効能のある薬は持ち合わせております。」


 私が事典や救急鞄のことを思い出しながら答えると、セイチョウは少し驚いたような表情を見せた。


「ほう。薬があるのか。」


「はい。ただ、あまり飲みすぎるのは良くありません。成分が強いものもありますので、きちんと間隔を空けて服用を管理する必要があります。」


「ふむ……。ならば、君がその管理をしてくれないかね。ワシの体調を見て、適切な薬を出してほしいのだ。」


「え、私が、ですか……? はい、承知いたしました。」


 思いがけない申し出に戸惑ったが、門下生としての役割を果たす絶好の機会だと思い、私は承諾した。


「それとな、最近、体がこわばってしょうがないのだ。剣を振るう者には宿命のようなものだが、今日は特に酷い。……君、体をほぐすこともやってくれるかね?」


「体をほぐす……身体ほぐしのようなことでしょうか?」


「そうだ。」


「はい。ですが、そういったことはあまり専門的にやったことがないので、下手かもしれません。それでもよろしいでしょうか?」


「構わん。では、今からやってくれるか?」


「はい……」


 セイチョウ様の頼みを断れるはずもなかった。 私の返事を聞くと、セイチョウ様は畳の上に敷かれた布団にうつ伏せになった。


「早くしたまえ。」


「はい!」


 私は緊張で強張る指先を隠しながら、彼の横に膝を突いた。 分厚い筋肉に覆われたセイチョウの背中は、まるで岩のように硬い。私は彼の腰のあたりに手を当て、慎重に揉み始めた。


「あの……どこが一番こわばっていますか?」


「うむ。やはり腰のあたりかな。」


「かしこまりました。」


 私は力を込めて、彼の腰を揉んでいく。会議の時の恐ろしいイメージが消えないせいか、指先に余計な力が入ってしまう。


「こんな感じでよろしいでしょうか?」


「もっと強く頼む。遠慮はいらん。」


 言われた通り、今度はぐっと体重をかけて強く揉みほぐした。すると、セイチョウから「あぁ……いい」という、満足げな溜息が漏れた。


 薄暗い部屋の中で、衣擦れの音と私の荒い息遣いだけが響く。蝋燭の炎が壁に映る私たちの影を不気味に揺らしていた。 しばらく黙々と手を動かしていたが、不意にセイチョウが口を開いた。


「……一つ、質問がある。」


「はい。何でしょうか?」


「君たちは、いつからこの里を知っていた? まさか何も知らずに、あの霧山を越えようなどとは思わんはずだ。」


 鋭い質問だった。私は手を止めることなく、慎重に答えを探した。 霧山は「入れば二度と戻れない」という恐ろしい噂がある山だ。それでも登ろうとしたのは、その先に何かがあると知っていた証拠に他ならない。


「……ある人に教えてもらいました。その場所へ行けば、しばらくは追手から逃れられる、と」


「ほう。誰に言われたのだ?」


 セイチョウの問いに、私は詰まった。パキルさんには恩がある。彼の名を出すことで、彼に迷惑がかかるのではないか。そんな不安が胸をよぎる。


「警戒しているのかね? それとも、その者の名を言えばワシらが殺しに行くとでも思っているのか?」


 セイチョウは、背中で私の迷いを読み取ったようだった。


「安心しろ。ワシらは里の外まで行ってわざわざ人を殺すような真似はせん。ただ、興味があるだけだ。」


「……そうですか。」


 彼の言葉が真実かどうかは分からない。けれど、パキルさんは「西の村のさらに奥」と、かなり具体的な場所を教えてくれた。もし彼がこの里の関係者なら、隠し通す方が不自然かもしれない。


「えっと……パキル、という名前の人です。バークワクトの街でお世話になった方で……」


「あぁ……! パキルか!」


 その名を出した瞬間、セイチョウが可笑しそうに声を上げて笑った。


「知っているのですか?」


「知っているどころではない! あやつは昔、うちの道場にいた門下生だ。生意気なやつでな。ワシより強くなると言って何度も斬りかかってきたものだ。……その度に、ワシが叩きのめしてやったがな」


「そ、そうだったんですか……」


 あのパキルさんが、このセイチョウ様に斬りかかっていた。その光景を想像して、私は少しだけ圧倒された。パキルさんのあの不敵な態度は、この斬刃流での修行で培われたものだったのだろうか。


「そういえば、パキルは陣十郎先生にひどく気に入られていたな。……そのあたりの事情は、陣十郎先生に直接聞いた方が早いのではないか?」


「陣十郎様に、ですか……?」


 あの里の最高権力者。立っているだけで周囲を平伏させるような圧力を持った老剣士を思い出し、私は背筋が冷たくなるのを感じた。


「そうだ。ワシから謁見を申し込んでおいてやろう。パキルの紹介で来た遭難者となれば、先生も興味を持たれるはずだ。」


「あ、ありがとうございます……」


 陣十郎様と話すのは正直怖いが、もしそれで信頼を得られれば、この里での私たちの立場も少しは安定するかもしれない。


「よし、もういいぞ。かなり体が軽くなった。礼を言う。明日もまた来てくれないか。」


 セイチョウ様が身を起こし、着物を整えながら私を見た。


「はい。分かりました。……明日また来るときに、疲労回復の薬を持参いたします。」


「おう。明日も待っているぞ。」


「は、はい……」


 私は一礼して、逃げるように部屋を後にしようと、 襖を開けて廊下に出ると、そこにはコルンさんが廊下に座り込んだまま、こっくりこっくりと船を漕いでいた。


「コルンさん。起きてください。こんなところで寝たら風邪をひきますよ。」


 私が肩を揺らすと、彼はハッとして目を覚ました。


「あ、ああ、マーヤさん……。おはようございます……じゃなくて、お疲れ様です。」


 目をこする彼を見て、背後からセイチョウ様の声がかかった。


「すまんなコルン。こんなところまで付き合わせて寝かせてしまったな。明日からは、ワシが彼女を部屋まで届けるから、君はここまで送るだけでいいぞ。」


「……! セイチョウ様にわざわざご足労をかけるのは申し訳ないです。」


 私が慌てて言うと、セイチョウ様は破顔して手を振った。


「そんな、気にするな。あと、そうワシを立てるな。ワシは門下生ともっと気楽な関係を築きたいのだ。」


 セイチョウ様は、まるで見違えるように「いい人」を演じているように見えた。


「せっかく待っていてくれたのだ。今日はコルンが彼女を送ってやれ。」


「……はっ。承知いたしました。」


 コルンさんは深く頭を下げたが、その横顔が一瞬だけ、悲しげに歪んだのを私は見逃さなかった。


 宿舎へ戻る帰り道。月明かりに照らされた石畳を歩きながら、私はコルンさんに話しかけた。


「コルンさん、良かったですね。明日からは、こんな夜遅くまで私を待って部屋まで送る必要はないんですよ。」


 少しでも彼の負担を減らせたことを喜んで言ったのだが、コルンさんの反応は鈍かった。彼は俯いたまま、重い足取りで歩いている。


「どうかしたんですか?」


 私の問いかけに、コルンさんは立ち止まった。彼は周囲に誰もいないことを確認すると、声を潜めて私を覗き込んできた。


「……あの、マーヤさん。セイチョウ様に、何か……何かされませんでしたか?」


「え? いえ、何も。ただ腰のほぐしを頼まれただけで……。あ、パキルさんの話もしましたけど。」


 私が不思議そうに答えると、コルンさんは目に見えて安堵したように、大きな溜息をついた。

「……そうですか。それなら、良かったです。」


「コルンさん……?」


「マーヤさん。……気をつけてくださいね。この里では、自分の身は自分で守らなければならないんです。」


「は、はい。気をつけます……」


 コルンさんの言葉は、単なる忠告以上の、切実な警告のように聞こえた。


— (コルン視点) —

 マーヤさんがセイチョウ様の部屋に呼ばれたとき、俺の胸の中には、言葉にできない嫌な予感が渦巻いていた。


 前にも、同じようなことがあったのだ。 数年前、道場にはもう一人、女性の門下生がいた。彼女もまた、今のマーヤさんのように、夜な夜なセイチョウ様の部屋に呼び出されるようになった。


 最初は、彼女も「師匠に頼りにされている」と嬉しそうに話していた。 けれど、ある日の夜。 部屋から出てきた彼女の顔を、俺は今でも忘れられない。 それは、この世ならざる地獄を見たかのような、絶望に塗りつぶされた顔だった。そのただならぬ雰囲気に気圧され、俺は声をかけることすらできなかった。


 そして次の日、彼女が道場から逃げ出したことが分かった。 それから数週間後……。 彼女の遺体が、霧山の深い谷底で発見されたのだ。


 俺はあの時、なぜ彼女に声をかけなかったのか。 何か助けられることはなかったのか。 ずっと、ずっと悔やんでいる。


 マーヤさんは、まだ何もされていないようだ。 けれど、明日からセイチョウ様が彼女を送り届けることになってしまった。 マズイ。これでは、俺が彼女の異変に気づく機会が失われてしまう。


「大丈夫ですか?」


 俯いたまま動かない俺の顔を、マーヤさんが心配そうに覗き込んでくる。 その無垢な瞳に、俺は胸が締め付けられる思いだった。


「……だ、大丈夫ですよ。」


 俺は一歩下がって、視線を逸らした。 実は、俺は同い年の女性とまともに話したことがない。 この里には女性もいるが、そのほとんどはまだ幼い子供たちだ。大人の女性といえばサリアンさんくらいだが、あの方は俺より年上だし、あんな性格だ。


 マーヤさんのような、柔らかい空気を持った女性にどう接していいか分からない。でも俺も剣士の端くれ、どんな状況でも心を動かされてはならない。


「……部屋に着きましたよ、マーヤさん。」


「ありがとうございます、コルンさん。おやすみなさい。」


 マーヤさんが笑顔で部屋に入っていく。 俺はその背中を見送った。


 俺は隣の部屋に入る。いつもは十人部屋で全員男だからむさくるしいから一人部屋はいい。まあそこでしょうもない話で夜中まで盛り上がってるのも楽しいけどね。


 俺は寝巻に着替えて布団に入る。頭の中はマーヤさんのことでいっぱいだった。何でだろう。昨日からずっとマーヤさんのことを考えてる気がする。そういえば彼女はユウトっていう男と一緒に旅してたんだっけ。彼といるときのマーヤさんはどんな感じなんだろう...


 そんなことを考えていたら俺はいつの間にか眠りに落ちていた。


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