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うちの村に異世界から無能がやってきました  作者: 投降の旗印
第三章 逃走編

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23. 苦難の旅

「でも今日は休まなきゃね。」


 私の隣でユウトがそう囁いた。 その言葉に、私は深く頷くしかなかった。


 日はすでに西に傾き、今から見知らぬ土地へ旅立つにはあまりに時間が遅すぎる。それに、一晩中歩き続けた疲労は、食事を終えた今、急激に重みを増して私たちの体にのしかかっていた。ユウトだって、道中の魔物を一人で引き受けてくれたのだ。休息が必要なのは、私以上に彼の方だろう。


 私たちはその日、町外れの安宿でもう一泊することにした。


 翌朝。霧雨の混じる冷ややかな空気の中、私たちは再び歩き出した。


 目指すは西だ。パキルという男が言った「眠る霧の里」が本当に存在するのか、そこへ行けば本当に追手から逃れられるのか。確信は持てないけれど、今の私たちにはその希望に縋るしかなかった。


 建物が密集する区域を抜けると、視界が開け、見渡す限りの田んぼが広がった。黄金色の稲穂が風に揺れる間を、細い道がどこまでも続いている。


 しばらく歩くと道は徐々に森へと入り込んでいったが、踏み固められた道はしっかりと続いており、時折すれ違う旅人や商人の姿もあった。右手にはゆったりとした川が流れている。時折、重そうに俵を載せた小舟が、上流から下流……おそらくゲリスの方へと下っていくのが見えた。


「この先には、大きな農村がいくつもあります。シャンドゥーワ山脈からの雪解け水のおかげで、この辺りは米どころとして有名なんです。」

 私は以前聞いたことのある知識をユウトに披露した。 私たちは川沿いに点在するいくつかの宿場町を通り過ぎた。どの町も、森を避けるようにして川岸に張り付くように作られていた。


 さらに森を抜けると、再び視界が急激に広がり、どこまでも続く田んぼの海が現れた。 その真ん中に、家々がぎゅっと固まって並んでいるのが見える。一つ目の村だ。 村といっても、農作業の効率を考えてか住居は中心部に集まり、その周囲を広大な耕作地が取り囲んでいる。


「……静かなところだね。」


 ユウトが呟いた。確かに、ゲリスやバークワクトのような活気はない。旅人が訪れることも稀なのだろう。村に一軒しかない冒険者用の宿屋を訪ねてみたが、設備が貧弱な割に宿泊代は高く、併設された万屋の商品も驚くほど高価だった。


「ちょっと、これじゃあすぐにお金が底をついちゃいますよ。」


 私は財布を片手に眉をひそめた。しかし、宿の片隅にある掲示板を見て、少しだけ胸を撫で下ろした。 そこには私たちの手配書も貼られていたが、ゲリスで見たものよりずっと小さく、薄汚れて目立たない場所に追いやられていた。


「領主さんは、私たちがこっちに逃げるなんて思ってなかったみたいですね。」


「そうだね。追手もこれじゃあ、本気で探してないのかも。」


 村の人々に「重大犯罪者」について尋ねても、首を傾げるばかりだった。さらに「眠る霧の里」についても聞いて回ったが、誰もその名を知る者はいなかった。


 私たちは高価な冒険者向けの店を諦め、村人が通うという路地裏の小さな商店を見つけた。そこには日用品や食料が安く売られており、私たちはそこで今後の旅に必要そうなものを買い揃えた。


 その村で一泊し、翌朝また西へと進む。 二つ目の村はそう遠くない位置にあったが、そこは一つ目の村よりもさらに小さく、店らしい店もなかった。聞き込みをしても「眠る霧の里」の情報は得られず、私たちはそのまま村を通り過ぎた。


 夕暮れ時、三つ目の村に辿り着いた。 ここがこの街道で最も西にある村だという。この先には、険しくそびえ立つ山々が壁のように立ちはだかっている。


「『眠る霧の里』……だすか。いやぁ、聞いたこともねぇ名前だのぉ。」


 村の宿屋で、年老いた主人が首を振った。 けれど、彼が口にした別の名前が、私の耳に止まった。


「ただ、あの北西に見える山は、村の人間からは『霧山』って呼ばれておるよ。一年中、あさこには深い霧が立ち込めてて、一寸先も見えなくなる。……あさこさ入っていった者で、帰ってきた者は一人もおらんじゃ。悪いこたぁ言わねぇ、あさこだけは近づぐんじゃねぇぞ。」


 霧山……。眠る霧の里という名と、どこか重なる響きがある。 でも、一人も帰ってこないという話を聞くと、背筋に冷たいものが走った。パキルという男は、私たちを死地へ送ろうとしたのだろうか。 しかし、ここで引き返すわけにはいかない。


 私たちは一旦その村で宿を取り、第5回目となる作戦会議を開いた。 議題は「どうやってあの山を越えるか」だ。


「山に慣れた人でさえ危険だという山に、私たちだけで突っ込むのは無謀です。ユウトだって、最近は体力がついてきたけど、登山は初めてでしょう? 私だって、家の裏山を登るのとは訳が違う。」


「そうだね。俺もあの霧の中を一人で歩く自信はないよ。……案内人が必要だね。」


 意見は一致した。翌日から、私たちは村の中で案内人になってくれる人を探して回った。


 けれど、今は収穫の最盛期だ。働き盛りの男たちは皆田んぼに出ていて、見ず知らずの旅人を、しかも悪名高い霧山へ案内しようという奇特な人は現れなかった。


「……もう、無理かも。」


 諦めかけた頃、私たちは山裾に近い場所に建つ、小さな一軒家を訪ねた。 「ごめんくださーい」と声をかけると、一人の若い男性が顔を出した。日に焼けた肌に、逞しい体つきをしている。


「どしたば?」


 この地域独特の訛りで答える彼に、私は必死に山越えの案内を頼み込んだ。


「山越えだぁ? おらも山さ行く気だったじゃ。椎茸採りにな。……だども、本気であの山越えるつもりだの? やめだ方がいいべさ。帰ってこれなぐなるぞ。 」


「どうしても行かなきゃいけないんです。お願いです、途中まででもいいんです。」


 私が何度も頭を下げると、彼は困ったように頭を掻いた。


「……そこまで言うなら止めねぇ。だども、おらが案内するのは途中までだ。おらが帰れなくなったら、笑い話じゃすまねぇからな。それでもいいか?」


「はい! ありがとうございます!」


 彼の名前はジャジといった。ジャジさんは山登りの初心者が霧山を越えようとしていると聞いて、文字通りおったまげていた。なぜそこまでして行くのかと聞かれたけれど、私たちは本当の理由を話すことはできなかった。


「……そこまで秘密にしたいなら、何も聞かねぇ。おらはおらの仕事をするだけだ。」


 ジャジさんはそう言って、私たちを受け入れてくれた。 彼は自分たちの使う「金剛杖」という長い木の棒を私たちにも貸してくれた。さらには、魔除けの鈴を杖に括り付けてくれた。返せないかもしれないから大丈夫ですと断ったが、


「そんなこと言うなじゃ。これ返しに、また戻ってくるべさ?」


 と彼は胸をポンと叩いて笑った。


 彼の優しさに、私は少しだけ勇気を貰えた。 決行までの二日間、私たちはジャジさんの家に泊めてもらい、入念な準備を重ねた。道筋、食料、不測の事態への対処。事細かに決めた計画を胸に、私たちはついに出発の朝を迎えた。


 ジャジさんを先頭に、私、ユウトと一列に並んで森へと足を踏み入れる。 入り口付近の森は、これまでのものとさほど変わらない。ジャジさんの金剛杖から鳴るチリン、チリンという鈴の音が、魔物を遠ざけてくれているようだった。


 けれど、しばらく歩くと勾配は急激にきつくなり、周囲の空気も冷たさを増した。道とは名ばかりの、木の根が剥き出しになった斜面を這うようにして登っていく。


「ふぅ……ふぅ……。ジャジさん、速いですよ……。」


「おら、これくらいが普通だじゃ。ほら、頑張れ!」


 山に慣れたジャジさんは、羽が生えているかのような足取りでスイスイと登っていく。置いていかれそうになるたび、彼は上で足を止め、私たちが追いつくのを待ってくれた。


 さらに登り続けると、周囲が不自然に暗くなってきた。まだ朝のはずなのに、夕暮れ時のような薄暗さだ。


「ジャジさん、なんでこんなに暗いんですか?」


「山の奥さ行ぐほど、木々が密集して葉っぱ重なるんだ。お天道様の光も届がなぐなる。……ここら辺からだじゃ、気ぃ引き締めろよ。」


 そして、標高がかなり上がったところで、ジャジさんは立ち止まった。


「……ここでお別れだ。おらはここの椎茸を採ったら、村へ戻る。これより先は、本当の霧山だ。気ぃ付けるんだぞ。」


 突然の別れだった。わずか数日の付き合いだったけれど、見ず知らずの私たちに尽くしてくれた彼の温かさが身に沁みていた。


「ジャジさん、本当にありがとうございました。いつか、絶対に戻ってきます。」


 私が最大限の感謝を伝えると、ジャジさんは予備だという魔除けの鈴を私に握らせた。


「こんなに貰えません……。」


「そんなこと言うなじゃ。生きて帰るための御守りだ。持っていげ。」


 ジャジさんの頑なな厚意に甘え、私たちは鈴を受け取った。 彼と別れ、私たちは二人だけの道を歩み始めた。ジャジさんがいなくなると、途端に進むペースが落ち、不安が影のように足元にまとわりつく。


「急がなくていいよ、マーヤ。自分のペースで行こう。」


 ユウトが背中を押してくれる。私たちは疲れを紛らわすために、思い出話を始めた。 出会った日のこと、バークワクトでの看病、ゲリスでの薬屋の日々。


「あの時、ユウトが港で働いてるって聞いた時は本当に驚きました。自堕落な人だと思ってたから。」


「あはは、ひどいな。でも、あの経験があったから、今こうして山を登れてるのかもね。」


 笑い合いながら、私たちは一歩一歩進んだ。 しかし、その楽しかった時間が途切れるのは、一瞬だった。


「……雨、降ってない?」


 ユウトが空を見上げた。ポツポツと降り始めた雨は、瞬く間に激しい土砂降りへと変わった。霧山を包む深い霧と雨が混ざり合い、視界は完全に閉ざされた。 足元はぬかるみと化し、一歩進むごとに足を取られる。


「ダメだ、これ以上は進めない! ユウト、どこか避難場所を!」


「分かった! ジャジさんに教わった通りに……!」


 ユウトは土魔法を使い、斜面に半地下状の土のかまくらを作り出した。雨が降り込まないよう、入り口を工夫し、床を高くした。 私たちは逃げ込むように中に入った。


 けれど、本当の地獄はそこからだった。 雨は止む気配がなく、気温が急激に下がっていく。濡れた服が体温を奪い、奥歯がガタガタと鳴り出した。


「さ、寒い……。」


「マーヤ、大丈夫か? 火魔法は……いや、この密閉された場所じゃ危ないな。土を温められないか……くそっ、上手くいかない!」


 ユウトも必死に試行錯誤していたが、体力の消耗は激しかった。私たちは濡れた服を絞り、予備の服に着替えたけれど、寒さは骨まで染み通ってくるようだった。


 どうしよう?濡れるのを承知で突き進む?そしたら雨の降ってない区域に行けるかもしれない。いやダメ。あんな地面がぐしょぐしょしていて、少し先も見えない中で山を登れるわけがない。


 じゃあこのままここで待ってるの!?いつ止むか分からない雨の中。寒さに凍えながら。


 あ、眠くなってきた。もう考えるのをやめようかな...


「マーヤ! 寝ちゃダメだ! 寝たら本当に死ぬぞ!!」


 お互いがお互いを襲う眠気を晴らす。でももう限界だ。


 ユウトが私の肩を強く揺らす。意識が遠のく中で、激しい雨の音と、鼻をつく土の匂いだけが鮮明に感じられた。


 私たちは、寄り添い合うようにして土のかまくらの中で意識を失った。


 激しく降りしきる雨の音。鼻をつんざく湿気と土の香り。視界不良。それらが重なり彼女らはすぐ近くを歩く登山着の連隊に気づけなかった。


 彼らは厚い登山着に身を包み、悪天候の中でも迷いのない足取りで進んでいる。


「なんだ、あの丸いものは。」


 一団の先頭にいた初老の男が足を止めた。深い霧と激しい雨に遮られ、普通なら見逃してしまうような小さな不自然。泥の中にポツンと盛り上がった、人工的な土の塊。


「お前、あそこに何かある。見てこい。」


「はい! 分かりました!」


 指示を受けた若い男が泥を撥ねて駆け寄る。彼は土の塊の入り口を覗き込み、驚愕の声を上げた。


「おやっさん! 人がいます! 男の子と女の子です! 凍えて意識がありません!」


「なんだと!? よし、二人を助けるぞ! 全員、手伝え!」


 初老の男の号令が響く。連隊は瞬時に動き、手慣れた手つきで私たちを土の中から引き出した。厚い毛布に包まれ、屈強な男たちの背に背負われる。


「こんな若い子らが、どうしてこんな場所で……。」


 男が独り言を漏らし、再び歩き出した。 降りしきる雨と深い霧の中に、連隊の姿は吸い込まれるように消えていった。

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