21. 母との話し合い
バタバタと急ぎ足で玄関にやってきたお母さんは、私の姿を見るなり目を見開いた。その視線は、私の隣に立つ青い髪の青年……変装したユウトへと移る。
「マーヤ!? どうしてこんなに早く……それに、そちらの方は……もしかしてユウトくん? どうして髪が青いんですか?」
お母さんの困惑は当然だった。修行に出した娘が半年も経たずに戻り、同行していた黒髪の少年が別人のような姿で隣に立っているのだから。私は震える声を抑え、居住まいを正した。
「お母さん、全部含めて話したいことがあるんです。」
私の真剣な表情に、お母さんはただならぬ空気を感じ取ったようだった。彼女は小さく頷くと、「じゃあ奥の部屋で聞きましょう」と、私たちを家の奥へと促した。
通されたのは、四畳半の小さな部屋だった。座布団が三枚並べられ、私とユウトが並んで座り、その正面にお母さんが座る。見慣れたはずの我が家なのに、今はまるで憲兵の詰所にいるような緊張感が漂っていた。
「それで、話って? 何があったのかしら?」
お母さんの優しい問いかけに、私は堰を切ったように話し始めた。ゲリスに到着してから師匠であるガーベラさんに中々弟子として認めてもらえなかったこと、ユウトが家出をして港で働いていたこと、そしてようやく弟子として認められ、二人で街を歩いた楽しい日々のこと……。
もっと話すべき重要なことがあるのに、思い出話は尽きなかった。一日一日、必死だった毎日が、今振り返ればどれほど輝いていたか、言葉にすることで改めて実感していた。お母さんは途中で口を挟むことなく、静かに私の話に耳を傾けてくれた。
そして、私はあの日の出来事に触れる。氷狼が港を襲撃し、ユウトがそれを退けるために、本来キンミ族には使えないはずの、それも火と水という複数の属性の魔法を使ってしまったこと。その結果、彼が「混血」というあらぬ疑いをかけられ、王国から重大犯罪者として追われる身になったこと。
「……私たちは、その手配書を見て逃げる決心をしました。師匠も、私たちが憲兵に捕まるのを防ぐために、逃げるように言ってくれたの。」
震える声で最後まで話し終えたとき、お母さんは唇を噛み締め、眉間に深い皺を寄せていた。それはお母さんが何かを深く考えるときの癖だった。
もしかしたら私は勘当されるかもしれない。ガーベラさんに弟子入りして薬の知識を教えてもらうためにゲリスに行ったのに、半年も経たず帰ってきて、薬の知識をほとんど得ることが出来なかった。しかも犯罪者として追われる男を助けたいから逃げてきたなんて、こんな親不孝な娘にお母さんは幻滅してるだろう。
私は沈黙に耐えきれず、畳に額を擦り付けた。
「お母さん、ごめんなさい! せっかく修行に出してくれたのに、こんな親不孝な形で帰ってきて……」
しかし、返ってきた言葉は予想外のものだった。
「マーヤ、あなたは親不孝なんかじゃないわよ。むしろ、あの気難しいガーベラと心を通わせ、弟子として認められたと聞いて、お母さんは本当に嬉しいわ。」
お母さんは顔を上げ、優しく微笑んだ。彼女の心配は、私とガーベラさんがうまくやっていけるかという点にあったようだ。ガーベラさんとの別れについても、状況が状況だけに仕方ないと理解してくれたようだった。
「それよりも……」
お母さんの表情がさっと真剣なものに変わった瞬間、「ただいまー!」という明るい声が玄関から響いた。
弟のトーヤが遊びから帰ってきたのだ。部屋に駆け込んできたトーヤは、私の姿を見るなり、「え!? お姉ちゃん!?」と驚きに顔を輝かせた。
「ねぇ、お姉ちゃん! 帰ってきたなら一緒に遊んでよ!」
無邪気にせがむトーヤに、私は困り果てた。
「ごめんね、トーヤ。今はお母さんと大事なお話をしてるの。向こうで遊んでいてくれる?」
「えー、つまんないの。」
口を尖らせるトーヤを見て、お母さんが助け舟を出した。
「そうだ、トーヤ。こちらのユウトお兄ちゃんと遊んできなさい。」
「え!? ユウトなの!? 髪の毛、青いよ!」
ユウトは戸惑いながらも、「まかせろ」と言わんばかりにトーヤの手を取り、外へと連れ出してくれた。後ろから「ユウトってホルミ族になったの?」と可愛い質問をする声が聞こえてきた。二人が家を出ていく背中を見送ると、お母さんは再び私に向き直った。
「マーヤ。ユウトくんがいなくなったから、本当のことを話しなさい。」
お母さんの声には、先ほどまでの優しさとは違う、鋭い響きがあった。
「私は疑っているの。あなたがそのユウトくんに騙されているのではないかと。」
私は何度も「そんなことはない」と否定したが、お母さんは納得しなかった。どこからともなく現れた謎の少年。その彼のために、私が今まで築き上げてきた地位も、将来の夢もすべて投げ出して逃亡者になる道を選んだことが、母にはどうしても信じられなかったのだ。
私も分かっている。お母さんの言葉が、私を思うがゆえだということを。平行線のまま進まない会話の中で、お母さんはふと私を真っ直ぐに見つめた。
「それで、マーヤ。あなたはこの選択を後悔していないの?」
私は言葉に詰まった。正直に言えば、今でも自分の選択が正しかったのか、自信があるわけではない。けれど、あの日、月明かりの下でユウトの手を取ったあの瞬間に戻れたとしても、私はきっと同じ選択をするだろうという確信だけはあった。
「……後悔してるかって聞かれると、正直自分でもまだ分からない。でも……」
私は母の目をじっと見つめ返し、一文字ずつ噛みしめるように続けた。
「将来、この選択をして良かったと思えるようになりたい。そう思えるような生き方をしていきたいと思ってるの。」
私の言葉を聞いたお母さんは、一瞬だけ驚いたように目を見開き、やがてふっと表情を和らげた。
「……いつの間にか、随分と大きくなったのね。」
お母さんの微笑みに、張り詰めていた心の糸がふっと解けるのを感じた。
「分かったわ。マーヤの気持ちは伝わった。お母さんは、あなたが決めたことにこれ以上口を出さないと約束する。」
「お母さん……」
「今日は家でゆっくり休みましょう。これからのことは、明日またユウトくんを交えて話しましょうね」
その晩、お母さんと一緒に晩御飯を作った。私とお母さん、ユウトとトーヤの四人で食卓を囲む。おばあちゃんは農家をまとめる大庄屋の集まりで不在だったが、久しぶりの家族の団欒は、逃亡生活で荒みかけていた心を温かく包み込んでくれた。
懐かしいお母さんの料理の味。弟の笑い声。ここには私が愛したすべてがある。このまま時が止まってしまえばいいのに……そんな甘い考えが頭をよぎる。
楽しい晩御飯は一瞬で終わり、私は慣れた手つきで布団を敷いていた。寝巻に着替え布団にもぐると懐かしい香りが漂ってきた。
しかし、布団に入った私の心は、何故かモヤモヤとして晴れなかった。何か重大なことを見落としているような、嫌な予感が消えない。何を見落としてるんだろう?
暗闇の中で目を閉じていると、隣の部屋から微かな話し声が聞こえてきた。
こんな時間に誰だろう。襖に耳を近づけて聞いてみる。
「ユウトくん、あなたにも聞きたいことがあります。」
お母さんの声だ。
「はい。」
答えるのはユウトだった。お母さんはまだ、彼を問いただすことを諦めていなかったのだ。私は襖に耳を押し当て、息を潜めて二人の会話を盗み聞きした。
「隠してもすぐに気づくでしょうから、正直に言います。私はあなたを疑っています。あなたがマーヤを騙しているのではないかと。」
お母さんの厳しい追及に、私の心臓が跳ね上がる。それに対するユウトの返答は、あまりにも意外なものだった。
「……はい。そう思われても仕方ないと思っています。」
私は耳を疑った。ユウト、あなた何を言ってるの……? まさか、本当にお母さんの言う通り、私を騙していたの?
「でも、俺は騙してません。マーヤには本当のことを伝えていますし、カーラさんにも本当のことしか言わないつもりです。」
ユウトの声は、震えてはいたが、そこには揺るぎない誠実さが宿っていた。
お母さんはしばらく沈黙した後、再び口を開いた。
「ユウトくん。あなたが『混血』として追われているのは事実なんですか? 複数の魔法が使えるという、あの手配書の内容は?」
「……俺は、混血ではありません。でも、魔法を複数使えるようになったのは本当です。それがこの世界でどれほど異常なことか、後になってマーヤから聞きました。」
ユウトは、あの地下室で出会った「覚醒の導師シュトラウス」から魔法を教わった経緯を話し始めた。想像力があれば複数の魔法を使えるという、この世界の常識では考えられない話をお母さんに伝えたのだ。
「なんですか、その話は。”想像力” なんて曖昧なもので魔法が使えるようになるなんて、ユウトくんは嘘が下手なようですね。」
「嘘じゃないですよ。ほら見てください。ちゃんと魔法を使えますから。」
ユウトはそう言いながら私に見せたように次々と違う魔法を出して見せたようだ。
それでもお母さんの追及は終わらなかった。
「あなたが複数魔法が使えることは分かりました。しかし問題はそこじゃありません。あなたが「混血」かどうかです。」
「混血かどうかって、そんなに重要なんですか?」
「はい。とても重要です。......はぁ、分かりました。私に本当のことを教えてくれないんですね。」
「だから、本当のことしか言ってないんですって!」
「はいはい、じゃあこうしましょう。もう一日時間をあげます。それまでに本当のことを話してください。もしあなたが言っていることが本当だと言うのでしたら、その証拠を持ってきてください。あなたが「混血ではない」という証拠を。」
その提案にユウトは困惑しているようだ。でもお母さんの圧に押され、小さく「はい...」と答えた。
話し合いが終わった気配がし、私は慌てて襖から離れ、布団の中に潜り込んだ。お母さんは別の襖から、トーヤが寝ている部屋へ移動したらしい。
私は少しむかむかしていた。さっき、お母さんは「これ以上口出しはしない」って言ってたのに、何で私のいないところでユウトと勝手に話を進めてるの?
しかもお母さんはユウトのことを信用していないようだし、ユウトを試すようなことも言っていた。「混血じゃない」証拠ってどうやって出せばいいの?
何であんな無理難題を言うの?お母さんを嫌いになりそう...
とあれこれ考えていると、目の前の襖が開いた。
「あ。」
そこにはユウトが立っていた。
「マーヤ、起きてたんだね。もしかして、さっきの話聞こえてた?」
「え、ああ、はい。」
「ごめんね。カーラさんを説得できなくて、何か俺のことすごく疑ってるみたい...」
「いえ、ユウトは包み隠さずに全てを話していました。ユウトが謝ることはありません。」
「でも「混血じゃない」証明ってどうすればいいんだろう?」
「無理ですよ。そんなの!お母さんは、ああいう風にユウトに無理難題を言って、ユウトを私から遠ざけようとしてるんです!」
「マーヤ、もしかして怒ってる?」
「...す、少しですけどね!」
自分の話だというのに、何でこんなに他人事でいられるの。この人は。
いつも通りのユウトの軽さに少し心が落ち着いた。
でも、まだイライラは収まらない。
お母さんは私の言うことは信じてくれたのに、ユウトのことは信じなかった。なんでなの?ほとんど同じことを言ってたのに。
「ユウト、旅支度をしてください。」
「え!?今!?」
「はい。早くしてください。」
「は、はい。」
もうこの家にはいたくない。というかお母さんと話したくない。この感情を持ったまま、明日お母さんと話してしまったら、すごく酷いことを言いそうな気がしたから。
私は素早く旅装に着替えて、自分の荷物をまとめた。同じく旅装に着替えたユウトが襖を開け
「準備できたよ。」
と言ってきた。
「では私の部屋の方から出ましょう。」
二人は庭へ出る裏口からこっそりと抜け出し、暗い夜の山に入っていった。




