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うちの村に異世界から無能がやってきました  作者: 投降の旗印
第三章 逃走編

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18. 新人逃亡者たち

 月明かりの下、私たちはゲリスの静まり返った通りを影のように駆け抜けた。背負った鞄の重みが、現実から切り離されたような私の心を引き戻す。背後に残してきた薬屋の温もり、そして別れ際の師匠の表情が胸の奥に疼いていた。


「マーヤ、こっちだ!」


 ユウトが私の手を引き、人気の途絶えた大通りを避けて裏路地へと誘導する。彼の足取りは、かつての自堕落な暮らしが嘘のように軽やかだった。ゲリスを囲む巨大な城壁が見えてくると、見張りの兵士たちの松明が点々と揺れているのが分かった。正門は固く閉ざされ、検問を抜けるのは不可能だ。


「壁、飛び越えるよ。準備はいい?」


 ユウトが真剣な顔で私を見つめる。


「え、飛び越えるって、この高さを、ですか?」


 見上げるほどの石壁を前に私が絶句していると、ユウトは力強く頷いた。彼は私の腰を片腕で抱き寄せ、もう一方の手を地面に向ける。


「風よ、俺たちを押し上げろ!」


 ユウトが叫ぶと同時に、私たちの足元から凄まじい突風が吹き上がった。重力から解放された体がふわっと浮き上がり、そのまま一気に城壁の頂上へと吸い込まれるように舞い上がる。視界が急激に広がり、眼下には眠るゲリスの街並みが、そして前方には暗い森の海が広がっていた。


「……っ!」


 悲鳴を上げる暇もなく、私たちは壁を越え、城壁の外側へと着地した。ユウトの風魔法がクッションとなり、衝撃はほとんどなかった。着地した場所は、街道から外れた鬱蒼とした森の入り口だった。


「……本当に、魔法が使えるんですね。それも、あんなに自由自在に。」


 私は乱れた髪を整えながら、隣に立つユウトを改めて見た。複数の魔法を使えるのは分かってたけど、人を飛ばすなんてそんな難しいことをこんなすんなりやってのけるなんて。


「言っただろ? 俺の魔法があるから大丈夫だって」


 ユウトは少し得意げに笑ったが、私はすぐに表情を引き締めた。


「笑い事じゃないですよ。ゲリスのすぐ近くのこの森……。師匠から聞いたことがあります。貴重な薬草が沢山あるけれど、その分、凶暴な魔物も多い場所なんです。」


 私の警告に、ユウトは「へー、そうなんだ」と、どこか他人事のような返事をした。魔法を覚えたての全能感に酔っているのかもしれない。しかし、この暗闇の向こうには、氷狼よりも恐ろしい存在が潜んでいる可能性があるのだ。


「今は夜だし、森を奥まで進むのは危険です。ユウト、森の入り口付近に隠れ場所を作ってください。城壁の上から見つからないように。」


 ユウトは私の指示に従い、土魔法を使って地面を盛り上げ、土のかまくらを作り出した。中は狭くて土臭かったが、外の冷気や兵士の目から逃れるには十分だった。私たちはそこで身を寄せ合い、互いの体温で暖を取りながら、一睡もできない夜を過ごした。


 翌朝。木漏れ日が土の隙間から差し込む頃、私たちは行動を開始した。 森の空気はひんやりとしていて、植物の生命力に満ちている。私は師匠に「注意深く見るとそこら中に薬草が生えている」と教わったことを思い出し、周囲の植生に目を配りながら歩みを進めた。すると、巨木の根元に、鮮やかな赤い花を咲かせる植物を見つけた。


「……! これ、もしかして……」


 私は慌てて、師匠から託されたばかりの分厚い植物事典を開いた。ページをめくる手が震える。


 これは、最高級の回復薬の原料になる薬草、『シールローリア』!


 事典には、一部の限られた地域でしか採れない極めて貴重なものだと記されている。そんな幻の薬草が、目の前に惜しげもなく自生しているのだ。


 摘んでいこう。お母さんから教わった治癒魔法もあるけれど、私一人の魔力には限界がある。でもこれで薬を作っておけば、いざという時に助かるはず。


 私は夢中になってシールローリアを摘み取った。少し歩けばまた見つかり、さらに奥へ進めば群生している場所さえあった。気が付けば、私の持っていた袋は真っ赤な花でパンパンに膨れ上がっていた。


「マーヤ、もうそれくらいにしようよ。早く先に進まないと、追っ手が来るかもしれないだろ?」


 ユウトが呆れたように声をかける。私は「これは貴重な薬草なんですよ!」と言い返しながら、最後の一株をもぎ取った。


 その時だった。


 ガサガサッ、と茂みの奥から巨大な音が響いた。


  重い足音と共に現れたのは、私の身長の三倍ほどもある、岩のような肉体を持った猪――大猪(グレーターボア)だった。その鋭い牙は、人間の胴体など容易く貫通してしまいそうなほど長く、狂気に満ちた目が私たちを捉えている。


「やばい! 逃げろ、マーヤ!」


 大猪が地面を猛然と蹴り、私めがけて突進してくる。あまりの威圧感に足が竦み、私は動くことができなかった。死を覚悟したその瞬間、横から飛び込んできたユウトに抱きしめられ、視界が回転した。


 ドゴォォォン!


 大猪が先ほどまで私がいた場所を突き抜け、背後の大木を粉砕した。ユウトの風を纏った跳躍が、間一髪で私たちを救ったのだ。しかし、大猪はその巨体に似つかわしくない俊敏さで向きを変え、再びこちらを睨みつける。


 ユウトはさっと立ち上がり、右手を突き出した。


「燃え上がれ! ファイアーボール!」


 ユウトの叫びと共に、巨大な火の玉が放たれた。それは正確に大猪の眉間に命中し、激しい爆発を起こした。大猪は断末魔の悲鳴を上げながら暴れ狂い、やがて地面を揺らして息絶えた。


「よっしゃ! 見たか!」


 ユウトが拳を突き上げた。私は腰を抜かしたまま、激しく打つ心臓をなだめるのが精一杯だった。


「……本当に、死ぬかと思った……」


 安堵の溜息をついたのも束の間、嫌な臭いが鼻を突いた。大猪を包んでいた火が、周囲の乾いた草木に燃え移っていたのだ。


「ユウト、火が! 燃え移ってます!」


「わ、わわっ、分かってる!」


 ユウトは慌てて水魔法を放ち、鎮火を試みる。しかし、一度勢いづいた火はしぶとく、消し止めるまでにかなりの時間を要してしまった。


 私は地面に座った。辺りには真っ白な煙が立ち込め、空高くへと立ち上っていく。


「……まずい。これじゃあ、ここにいますって言ってるようなものじゃないですか。」


 私は立ち上る煙を見上げ、冷や汗が流れるのを感じた。城壁の上からでも、この煙ははっきりと見えるはずだ。


「すぐにここを離れます! ユウト、肉と皮だけ剥ぎ取って! 食料になりますから!」


 私たちは大猪の死体から手早く肉を切り出し、袋に詰め込むと、逃げるようにその場を後にした。


「もう、森の中で火魔法を使うのは絶対にやめてくださいね。煙で居場所がバレるし、山火事にでもなったら私たちが逃げ場を失いますよ。」


 歩きながら私が小言を言うと、ユウトは「わかった、わかった。次からは水か土にするよ」と気まずそうに答えた。本当に分かっているのか怪しいところだが、今は信じるしかない。


 その後も、私たちの逃避行は困難を極めた。 大蛇(ビックスネイク)の縄張りに入り込み、猛毒の牙から必死に逃げ回ったり、意思を持つ木、妖木トゥレントの枝に捕らえられそうになったりと、生きた心地のしない時間が続いた。ユウトがその都度、水や土の魔法を駆使して切り抜けてくれたが、私の精神と体力は限界に近づいていた。


 ようやく森を抜け、視界が開けたのは日が傾き始めた頃だった。 目の前にはどこまでも続く青々とした草原が広がっている。振り返っても、ゲリスの城壁はもう見えなかった。


「……ここまで来れば、少しは安心。ですね。」


 私たちは草の上に座り込み、作戦会議をすることにした。 これ以上森を進むのは、魔物の危険が大きすぎる。基本的には整備された街道を歩くことに決まったが、問題は私たちの格好だ。


「ユウトはキンミ族に見えるけれど、複数の魔法を使える『混血』として追われています。なので、宿場町や村に入るのは私だけにするのはどうでしょう。で、ユウトは近くの森や草むらに潜んで待っている。」


「分かった。マーヤの方が顔が利くし、その方が安全だね」


 ゲリスから続く街道は、西へ向かう道と南へ向かう道の二つがある。西は再び険しい森を抜けなければならないため、私たちは南の街道を進むことにした。


 私たちはラーリ川という大きな川に辿り着いた。そこには人一人がやっと通れるほどの心許ない細い吊り橋が架かっている。ユウトが先に渡り、私がその後に続く。足元を流れる激流の音に怯えながら、何とか橋を渡りきり、南への街道へと足を踏み入れた。


 街道には、交易を行う商人や旅人の姿がまばらに見えた。 「……ねぇ、さっきからすれ違う人とよく目が合う気がしません?」


 私が不安げに尋ねると、ユウトも「俺もそう思ってた。やっぱり俺の格好、目立つのかな」と眉をひそめた。私たちは努めて自然を装い、一つ目の宿場町を目指した。


 夕暮れ時、宿場町の入り口が見えてきた。予定通り、ユウトには町外れの森に隠れてもらい、私だけが町の中へと入った。


 町は活気に溢れていたが、どこかピリピリとした空気が漂っている。私は広場にある瓦版をチェックしたが、氷狼の件以上の事件は載っていないようだった。 しかし、領主の命令などが張り出される「高札場」に目が止まった。


 そこには、私の微かな希望を粉々に打ち砕く文言が並んでいた。


『重大犯罪者捜索届:ファミル族の少女とキンミ族の青年の二人組。見つけ次第、直ちに憲兵隊へ報告せよ。隠匿する者は同罪と見なす』


 私の手足から血の気が引いていくのが分かった。 師匠は「何とかする」と言ってくれたけれど、現実は無情だった。私たちはもう、ただの家出人ではない。国を挙げて追われる、重大な犯罪者になってしまったのだ。


 私は震える足を叱咤し、ユウトの待つ森へと引き返した。これを彼にどう伝えればいいのか、答えは出ないままだった。

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