第7話 商人の決断
レオンがカイの工房を手伝うと決めてから、五日が過ぎた。
その五日間で、工房の景色は大きく変わった。
朝、レオンが工房の扉を開ける。
入口付近を掃き、前日に戻された工具の位置を確認する。
作業台の上には、今から使う物だけを並べる。
修理待ちの品を記録と照らし合わせ、今日進める仕事を選ぶ。
「今日は鎌が二本、木桶が一つ。それから荷車の取っ手ですね」
「椅子は?」
「持ち主から、急がないと聞いています。先に鎌を終わらせましょう。二本とも研ぎと柄の調整だけなので、まとめて進めた方が早いです」
「分かった」
カイは短く答えると、壁に並んだ工具へ手を伸ばす。
やすり。
小槌。
刃を整えるための砥石。
以前のように、工房の中を見回すことはない。
必要な物は、決められた場所にある。
作業を始めて間もなく、村人が壊れた籠を抱えてやってくる。
「カイ、これを直せるかい?」
「見せてくれ」
カイが作業の手を止めようとすると、レオンが先に入口へ向かった。
「僕が確認します。カイさんは、そのまま続けてください」
レオンは籠を受け取り、持ち主の名を尋ねる。
どこが壊れたのか。
いつまでに必要なのか。
予備はあるのか。
どのような用途で使っているのか。
「畑から豆を運ぶのに使ってるんだ。持ち手が切れちまってね」
「明日までに必要ですか?」
「いや、三日くらいなら別の籠で何とかなるよ」
「分かりました。通常の順番でお預かりします。持ち手の交換だけなら、料金はこのくらいです」
入口に貼られた料金表を示すと、村人は安心したようにうなずいた。
「それなら頼むよ」
依頼品へ名前を書いた札を結び、修理待ちの場所へ置く。
レオンが記録を終える頃には、カイが一本目の鎌を仕上げていた。
「次」
「もう終わったんですか?」
「研ぎだけだからな」
「では、同じ持ち主のもう一本を」
品物を受け渡し、必要な工具を準備する。
カイは修理へ集中し、レオンはその前後を整える。
それぞれが自分の役割を理解しているため、長い会話は必要なかった。
カイが手を伸ばす前に、レオンが次の材料を作業台へ置く。
レオンが依頼人の話を聞いている間に、カイは修理を終わらせる。
仕事の流れが止まらない。
最初の頃は、レオンが何かを動かすたびにカイが不安そうな視線を向けていた。
今では、レオンが依頼品を整理しても何も言わない。
修理の順番について提案すれば、理由を一度確認するだけで受け入れる。
逆に、レオンもカイの判断へ余計な口を挟まなくなっていた。
「この鍬、柄だけ交換すれば大丈夫ですか?」
「いや。刃と柄をつなぐ金具も薄くなってる」
「では、持ち主へ追加の材料代がかかると伝えます」
「交換しないと、すぐ緩むとも言ってくれ」
「分かりました」
技術に関する判断はカイ。
依頼人への説明はレオン。
二人の間には、自然な役割分担が生まれていた。
村人たちも、その変化をすぐに感じ取った。
「最近は、待たなくて済むようになったな」
「前は、いつ終わるのか聞いても、カイは『そのうち』としか言わなかったからな」
「うるさい」
「今はレオンが教えてくれるから助かるよ」
修理品を受け取りに来た村人が笑う。
カイは不満そうな顔をするが、言い返す言葉はなかった。
以前は、預かった順番も、完成する時期も、すべてカイの頭の中にしかなかった。
村人が取りに来たとき、まだ手を付けていないこともある。
反対に、修理は終わっているのに、持ち主へ知らせていないため何日も工房へ置かれたままの品もあった。
今は、依頼を預かった日と修理状況が記録されている。
完成した品は一か所へ集め、持ち主へ知らせる。
急ぎなら特急料金。
急がないなら通常の順番。
修理できるか分からない物は、調べる前に条件を説明する。
仕組みは単純だった。
だが、その単純な仕組みが、工房と依頼人の間にあった小さな不安を取り除いていた。
「レオン、これを持ってきたぞ」
ある日の昼前、農家の男が折れた鍬と一緒に、小さな袋を差し出した。
「これは?」
「畑で採れた豆だ。修理が早く終わった礼だよ」
「修理代はいただいていますから、気を遣わなくてもいいんですよ」
「料金は修理の分だ。これは、待たずに済んだ礼だ」
男はそう言って、レオンへ袋を押しつけた。
「二人で食べてくれ」
男が帰った後、レオンは袋を持ったままカイへ目を向けた。
「二人で、だそうです」
「お前がもらったんだろ」
「工房へ持ってきたんですから、半分ずつです」
「豆なら宿で食える」
「では、僕が全部もらいます」
「好きにしろ」
そう言いながら、カイは袋を置く棚を空けた。
レオンは何も言わず、そこへ豆を置いた。
工房を訪れる村人の表情にも、以前より笑顔が増えていた。
修理を頼みやすくなった。
値段が分かるようになった。
いつ終わるのかを聞けるようになった。
何より、持ち込んだ品がきちんと管理されているという安心感がある。
カイの技術は、以前から変わっていない。
だが、その技術が依頼人へ届くまでの流れが整ったことで、工房全体の評価まで変わり始めていた。
レオンにとって、この五日間は工房を改善するためだけの時間ではなかった。
依頼を受けるたびに、村人の仕事を知る。
修理品を見れば、その家で何が使われているのか分かる。
会話を続ければ、何が足りず、何に困っているのかが見えてくる。
農家は、農具の交換部品が手に入らない。
猟師は、丈夫な縄や刃物が必要なときに買えない。
木こりは、斧や金具が壊れるたび、修理できるかどうかに仕事を左右される。
主婦たちは、針や糸、鍋の取っ手といった小さな日用品が不足している。
雑貨屋にも商品はある。
鍛冶屋も必要な物を作っている。
行商人も村を訪れる。
それでも、必要な物が必要なときに揃うわけではなかった。
レオンは村人と話すたびに、頭の中へ情報を積み重ねた。
何が求められているのか。
どのくらいの頻度で必要になるのか。
どの程度の価格なら買ってもらえるのか。
村の中で作れる物と、外から仕入れなければならない物。
工房で修理できる物と、買い替えるしかない物。
昼間に聞いた話は、宿へ戻ってから紙へ書き出した。
五日目の夜。
レオンは宿屋の小さな机へ向かい、これまでの記録を広げていた。
工房の依頼記録。
村人との会話を書き留めた紙。
村の店や施設、畑の位置を大まかに記した地図。
一枚ずつでは、ただの断片にすぎない。
だが、すべてを並べると、一つの流れが見えてくる。
修理の需要は非常に多い。
農業を中心とする村では、道具が使えなくなることが、そのまま仕事の停止につながる。
カイの工房が忙しいのは、単に物が壊れやすいからではない。
新しい物をすぐに買えないため、修理して使い続けなければならないからだ。
王都までは馬車で二日。
往復だけでも日数がかかる。
商品を買うために王都へ向かえば、その間は仕事を休まなければならない。
馬車代や宿代も必要になる。
釘一本や針一本のために、簡単に行ける距離ではない。
行商人は村へ来る。
だが、訪れる頻度は多くない。
必要な物を必ず持っているわけでもない。
注文を頼んでも、次の訪問まで待たなければならず、そのときに用意されている保証もなかった。
一方、村人たちは価格の安さだけを求めていない。
王都より多少高くても、近くで必要な物を買えるなら、その方がよいと考えている。
商品そのものが少し高くても、王都までの馬車代や時間を考えれば、結果として負担は小さい。
何より、困ったときにすぐ手に入ることへ価値を感じている。
そして、カイの技術は村人から十分に信頼されている。
修理の腕を疑う者はいない。
工房が依頼しやすくなったことで、これまで自分で何とかしていた者まで品物を持ち込むようになった。
レオンは紙の上へ、分かったことを順番に書き出した。
修理需要――多い。
工具、農具、日用品――不足。
行商人――頻度が低く、品揃えが不安定。
王都――遠い。
村人――近くで買えるなら、多少高くても利用する。
カイ――技術と信用がある。
書き終えた項目を見つめる。
フィルネ村に物がまったく入ってこないわけではない。
だが、村人が必要とする物と、外から届く物がうまく結びついていない。
必要とする人がいる。
商品を売る場所もある。
それなのに、その間をつなぐ者がいない。
「この村には、物を運ぶ人がいないんだ」
レオンは小さくつぶやいた。
行商人は、自分が売りたい商品を積んで村を回る。
村人が必要とする物を細かく聞き取り、安定して届ける者ではない。
雑貨屋は、仕入れた物を村で売る。
だが、店主自身が遠くまで出向き、村の需要に合わせて仕入れ先を開拓しているわけではない。
鍛冶屋やカイは、村にある材料を使って物を作り、直す。
しかし、作るための材料そのものが不足すれば、仕事は止まる。
足りないのは、新しい商品ではない。
必要な場所へ、必要な物を運ぶ流れだった。
レオンは椅子の背へ体を預けた。
前世の記憶が蘇る。
海外の工場。
港へ積まれた貨物。
倉庫に並ぶ商品。
仕入れ先との交渉。
輸送の日程。
売り手と買い手の間に立ち、条件を整える日々。
前世のレオンは、自分で商品を作っていたわけではない。
鉄を加工したこともなければ、布を織ったこともない。
農作物を育てた経験もなかった。
それでも、商社マンとして数多くの商品を扱っていた。
必要としている相手を探す。
商品を用意できる相手を見つける。
価格を交渉する。
運ぶ手段を整える。
期限までに届くよう、進捗を管理する。
問題が起きれば、代わりの方法を考える。
物を作る者と、物を必要とする者。
その間に流れを作ることが、レオンの仕事だった。
世界は変わった。
自動車もなければ、電話もない。
商品を運ぶには馬車が必要で、連絡一つにも時間がかかる。
それでも、商売の本質は変わらない。
必要な人へ、必要な物を届ける。
自分がやるべきことは、前世と同じだった。
「俺にできるのは、卸だ」
レオンは紙へ、その言葉を書いた。
卸商。
外から商品を仕入れ、必要とする店や人へ届ける商人。
自分で物を作らない。
だが、物が届く流れを作る。
フィルネ村には、それが必要とされている。
工具。
農具。
釘。
木材。
針や糸などの日用品。
村人が必要としている物を調べ、まとめて仕入れる。
村まで運び、必要な者へ販売する。
修理で済む物はカイが直す。
新しい物が必要なら、その場で買えるようにする。
さらに、カイが使う材料や部品を安定して確保できれば、これまで直せなかった物も修理できるようになるかもしれない。
問題は、仕入れ先だった。
王都まで戻れば、ハルバート家のつながりを利用できる。
父や兄へ頼めば、取引相手を紹介してもらうこともできるだろう。
だが、それでは家を出た意味が薄れる。
自分の商売を始めるなら、自分の目で市場を見て、自分の足で取引先を探したい。
フィルネ村はリケーザ領にある。
まず向かうべきは、王都ではない。
リケーザ領の領都だ。
領内の商人や職人が集まり、周囲の村や町へ商品が流れる中心地。
そこなら、フィルネ村で必要とされる物も扱われている可能性が高い。
王都より近く、今後継続して仕入れるにも都合がよい。
レオンは紙の最後へ、今後の方針を書き加えた。
リケーザ領の領都へ行く。
市場を調べる。
価格を確認する。
仕入れ先を探す。
工具、農具、釘、木材、日用品を買い付ける。
フィルネ村へ持ち帰り、販売する。
書き終えた瞬間、胸の中にあった迷いが消えた。
店を借りるか。
工房で働くか。
別の仕事を探すか。
この五日間、さまざまな選択肢を考えてきた。
ようやく、自分の進む道が見えた。
商人として生きる。
前世のように、ただ仕事へ追われるのではない。
自分の意思で必要な仕事を選び、無理なく続けられる仕組みを作る。
村人の困りごとを減らし、職人の技術が正しい対価へつながる流れを作る。
それが、二度目の人生でレオンが目指す商売だった。
翌日。
工房を手伝う最後の日。
レオンはいつもどおり、朝から依頼を受け付けた。
修理待ちの品を整理し、料金を説明し、カイへ必要な情報を伝える。
五日間ですっかり慣れた仕事だった。
カイも普段と変わらず、黙々と修理を続けている。
違うのは、二人とも今日が最後だと知っていることだけだった。
「この椅子、終わったぞ」
「では、完成品の場所へ置いてください。持ち主には午後に取りに来るよう伝えてあります」
「ああ」
「次はグレンさんの小刀です」
「昨日、刃を整えた。今日は仕上げだけだ」
「分かりました」
短いやり取り。
それだけで仕事が進む。
カイはときどき、何か言いたそうにレオンを見る。
しかし、結局何も言わず、作業へ戻った。
夕方。
その日に予定していた修理がすべて終わった。
最後の依頼人へ修理品を渡し、料金を受け取る。
「最近、本当に早くなったな」
村人は満足そうに修理された道具を眺めた。
「レオンが受付してくれるから、話も分かりやすいしな」
「直しているのはカイさんです」
「分かってるよ。でも、二人でやるようになってから頼みやすくなった」
そう言い残し、村人は工房を出ていった。
静かになった工房で、レオンは依頼記録を閉じた。
工具を片付けていたカイへ声をかける。
「カイさん」
「何だ」
「今日で、約束の五日です」
カイの手が止まった。
持っていた金槌を、ゆっくりと壁へ戻す。
「そうだったな」
「工房の整理も、依頼の記録も、料金表も、もう問題なく使えると思います」
「まだ紙を書くのには慣れない」
「名前と品物だけなら書けますよね」
「字を書くより、覚えた方が早い」
「忘れたときに困るので、書いてください」
「分かってる」
ぶっきらぼうに答える。
だが、最初の頃のように仕組みそのものを否定することはなかった。
カイは工房の変化を認めている。
レオンがいなくなった後も、続けるつもりでいるのだろう。
「五日後にどうするか、決めたのか?」
「はい」
レオンはうなずいた。
「リケーザ領の領都へ行きます」
カイがわずかに目を見開く。
「領都まで行くのか……」
「村で必要とされている物を仕入れるためです」
「何を買う」
「工具、農具、釘、木材。それから、針や糸、縄などの日用品です」
「そんなに買うのか?」
「最初から全部を大量に買うつもりはありません。まず市場を見ます」
どのような商品が売られているのか。
品質はどうか。
価格はいくらか。
どの商人なら継続して仕入れられるのか。
フィルネ村まで運んでも利益が残るか。
村人が買える価格にできるか。
実際に領都へ足を運び、自分の目で確かめる必要がある。
「誰か、知ってる商人がいるのか?」
「いません」
「なら、どうやって仕入れる」
「市場を歩いて探します」
「それだけか?」
「それだけです」
レオンは笑った。
「店を見て、商品を見て、話を聞く。条件が合いそうな相手がいれば、取引を頼みます」
「断られたら?」
「別の相手を探します」
「紹介は?」
「頼りません」
ハルバート家の名を出せば、話を聞いてくれる者は増えるかもしれない。
兄から紹介状をもらうこともできただろう。
だが、レオンは自分の力で商人としての一歩を踏み出したかった。
「仕入れ先は、自分の足で見つけます」
「面倒じゃないのか」
「面倒ですよ」
レオンは即答した。
「でも、実際に店を見なければ、その相手が信用できるか分かりません。商品が良くても、納期を守らない商人かもしれない。安くても、品質が安定しないかもしれない」
「そこまで見るのか」
「商売相手ですから」
仕入れ先は、安ければよいわけではない。
必要な品質の商品を、必要な量、必要なときに用意できるか。
約束を守る相手か。
問題が起きたとき、話し合えるか。
継続して取引できるか。
すべて、自分の目で見極める必要がある。
「この村には、物を運ぶ商人が足りません」
レオンは工房に並ぶ修理品へ視線を向けた。
「村人は、道具が壊れたらカイさんへ持ってくる。でも、直せないほど壊れたとき、新しい物をすぐに買えない」
材料がなければ、カイも修理できない。
部品一つがないだけで、使える道具が捨てられることもある。
必要な物を買うには、行商人を待つか、時間をかけて遠くまで行くしかない。
「だから僕が、その役目をやります」
「商人として?」
「はい」
その言葉を口にしたとき、レオンの中で決意がより確かなものになった。
「僕は卸商として、領都からこの村へ物を運びます」
カイは黙ってレオンを見ていた。
驚いているのか。
考えているのか。
表情からは読み取りにくい。
やがて、カイは工房の中を見回した。
整理された工具。
分類された材料。
依頼記録。
料金表。
この五日間で変わったものすべてに、視線を向ける。
「だったら」
カイが低い声で言った。
「このまま、ここで働かないか」
レオンは一瞬、言葉を失った。
カイが自分から誰かを工房へ誘うとは思っていなかった。
「工房で、ですか?」
「ああ」
「受付として?」
「それだけじゃない」
カイは言葉を探すように、少し間を置いた。
「お前が来てから、仕事が早くなった」
「整理したからですね」
「それだけじゃない」
依頼人の話を聞く。
壊れた原因を整理する。
料金を説明する。
修理の順番を決める。
完成品を管理する。
カイが技術へ集中できるよう、仕事全体の流れを整える。
レオンが引き受けたのは、ただの受付ではなかった。
「俺一人じゃ、また元に戻るかもしれない」
「道具の場所は覚えましたよね?」
「そこじゃない」
カイは少し苛立ったように言った。
「客と話すのも、仕事を分けるのも、お前の方がうまい」
それは、カイなりの最大限の評価なのだろう。
「今なら、少しくらい給料も払える」
「少しくらいですか」
「料金表を作ってから、前より金は残るようになった」
「それはよかったです」
「だから、残ればいい」
カイは視線を逸らした。
「この工房で働け」
命令のような言い方。
だが、その実、レオンを引き止めようとしていることは明らかだった。
レオンは嬉しかった。
数日前まで、自分を工房へ入れることさえ嫌がっていたカイが、今は残ってほしいと言っている。
この五日間の働きを認めてもらえたということだ。
それでも、レオンは笑いながら首を横へ振った。
「ありがとうございます。でも、工房の従業員にはなれません」
「なぜだ」
「僕は職人じゃありません」
「知ってる」
「なら、分かるでしょう?」
「受付と整理ならできる」
「できます。でも、それだけでは、この村の問題は解決しません」
カイの工房を良くすることはできた。
修理の流れを整え、料金を分かりやすくし、依頼人が安心して利用できるようにした。
だが、村全体に不足している物を届けるには、工房の中にいるだけでは足りない。
「商人として、この村に足りないものを届けたいんです」
「工房で売ればいい」
「売る物を、誰が仕入れますか?」
「……お前か」
「はい。そのために、領都へ行きます」
市場を見る。
商品を探す。
取引相手を開拓する。
価格を交渉する。
運ぶ方法を考える。
村人へ売る。
それが、レオンの仕事になる。
「僕は、自分の目で仕入れ先を探します」
「戻ってくるのか?」
カイが尋ねた。
その問いに、レオンは少し驚いた。
「もちろん戻ってきます」
「領都で店をやるかもしれないだろ」
「フィルネ村で商売をするために行くんです。領都へ移るつもりはありません」
「そうか」
カイの表情が、ほんの少し緩んだように見えた。
レオンはその変化を見ながら、一つの考えを口にするべきか迷った。
工房の従業員になるつもりはない。
だが、カイと離れて別々に商売をする必要もない。
フィルネ村で商品を売るなら、信用のある場所が必要になる。
レオンはまだ、自分の店を持っていない。
一方、カイの工房には村人が集まり、修理の相談が持ち込まれる。
道具が壊れた者は、修理できるなら直してほしいと考える。
修理できないなら、新しい物を必要とする。
修理と販売。
二つを同じ場所で行えば、村人にとっても便利になる。
「カイさん」
「何だ」
「だったら、一緒に商売をしませんか?」
カイが眉を寄せる。
「今も一緒に仕事してるだろ」
「手伝いではなく、正式にです」
レオンは工房の中央へ立ち、二人の役割を一つずつ説明した。
「カイさんは、これまでどおり修理を担当してください」
「それしかできない」
「それでいいんです。それから、必要なら新しい物も作ってもらいます」
「製作か」
「はい。村人の希望に合う物を、カイさんが作れるなら作る」
そして、レオンは自分の役割を告げた。
「僕は領都へ行き、商品と材料を仕入れます」
工具。
農具。
釘や金具。
修理に使う木材。
針や糸、縄などの日用品。
村人の需要を見ながら、必要な物を買い付ける。
「仕入れた商品を、この工房で売りましょう」
「ここで?」
「はい」
入口側の壁には、少し空いている場所がある。
依頼品の動線を邪魔しないように棚を置けば、商品を並べることもできるだろう。
大量に置く必要はない。
最初は、需要の多い小さな物から始めればよい。
「道具が壊れた人は、まずカイさんへ修理を頼む」
「直せるなら直す」
「直せないなら、新しい物を買えるようにする」
村人は、修理と買い物を別々の場所で行く必要がなくなる。
修理した方が安いのか。
新しい物へ替えた方がよいのか。
カイの技術で状態を判断し、レオンが価格や入荷予定を説明する。
「新品を売ったら、修理が減るんじゃないか?」
「直せる物まで新品を勧めるつもりはありません」
「商人なら、高い物を売りたいんじゃないのか」
「一度だけなら、それで儲かるかもしれません」
レオンは首を横へ振った。
「でも、必要のない物を売れば信用を失います。長く商売をするなら、相手にとって一番良い方法を提案した方がいい」
修理で十分なら修理する。
買い替えた方が長く使えるなら、新品を勧める。
カイが作った方がよい物なら、注文を受けて製作する。
一つの方法へ無理に誘導するのではなく、依頼人が選べるようにする。
「カイさんは、修理と製作」
レオンは自分を指す。
「僕は、領都での仕入れ、商品の販売、それから営業です」
「営業?」
「村人が何を必要としているのかを聞く仕事です。将来は、近くの村にも売りに行けるかもしれません」
「忙しくならないか?」
「最初から広げすぎるつもりはありません」
レオンの目的は、前世のように仕事だけへ追われることではない。
まずはフィルネ村。
村の需要を満たし、無理なく続けられる形を作る。
その後、余裕があれば近隣へ広げればよい。
「売る物を増やすんじゃありません」
レオンは言った。
「必要な人へ届く流れを作るんです」
カイは黙って考えていた。
工房の外では、夕暮れの光が畑を赤く染めている。
遠くから、仕事を終えて帰る村人の声が聞こえる。
「俺は商売のことは分からない」
しばらくして、カイが言った。
「知っています」
「お前は、すぐ金の話をする」
「仕事には必要です」
「勝手に料金表も作る」
「結果的に便利だったでしょう?」
「工房の物も動かす」
「使いやすくなりました」
「俺が断っても、何度も言う」
「納得してもらうまで説明しただけです」
「やっぱり変な奴だ」
カイは小さく息を吐いた。
そして、レオンへ向き直る。
「……好きにしろ」
数日前にも聞いた言葉だった。
あのときは、工房を整理することを許しただけ。
今回は違う。
二人で商売をすることへの了承だった。
レオンは自然と笑顔になる。
「もちろん、好きにさせてもらいます」
「勝手に全部決めるな」
「大事なことは相談します」
「本当か?」
「たぶん」
「おい」
カイの声に、レオンは笑った。
「冗談です。それから、利益はちゃんと分けます」
「利益?」
「一緒に商売をするんですから当然です」
仕入れた商品の売上。
修理や製作の料金。
工房の材料費。
領都までの交通費や運搬費。
どこまでを共同の利益とし、どのように分けるか。
決めるべきことは多い。
「詳しい分け方は、仕入れの費用と販売価格を確認してから考えます」
「任せる」
「任せきりは駄目です。カイさんにも説明します」
「数字は苦手だ」
「だから僕が分かるように説明します」
「面倒だ」
「自分の金のことですよ」
「お前がごまかさなければいい」
その言葉に、レオンは一瞬黙った。
カイは商売の知識がない。
それでも、レオンなら任せられると言っている。
出会ってから、それほど長い時間は経っていない。
だが、この数日間の働きを通して、カイはレオンを信用し始めていた。
「ごまかしません」
レオンは真剣な声で答えた。
「全部、分かる形にします」
料金表と同じだ。
金の流れを見えるようにする。
仕入れにいくら使い、いくらで売り、どれだけ残ったのか。
数字を共有することで、不信や揉め事を防ぐ。
「なら、好きにしろ」
カイはもう一度言った。
今度は、ほんのわずかに笑っていた。
二人は並んで、工房の中を見渡した。
壁に並ぶ工具。
種類ごとに分けられた材料。
入口近くに置かれた修理待ちの品。
奥に並ぶ完成品。
料金表と依頼記録。
以前より使いやすくなったとはいえ、まだ古びた小さな工房であることに変わりはない。
立派な商品棚はない。
仕入れた商品もない。
商会の看板もなければ、正式な名前さえ決まっていない。
今あるのは、カイの技術と、小さな工房。
そして、レオンが集めた村人たちの声だけだった。
「ここから始めましょう」
レオンが呟く。
「何を」
「僕たちの商売です」
カイは工房を見回した。
「まだ、売る物もないぞ」
「これから探しに行きます」
「本当に領都へ行くんだな」
「はい」
「いつ出る」
「準備ができ次第です。まずは宿屋の主人に道と馬車について聞きます」
「一人で大丈夫か?」
「王都からここまで来られたんです。領都にも行けますよ」
「そうか」
カイは短く答えた。
だが、その声にはまだ心配が残っているようだった。
「必ず戻ってきます」
レオンが言うと、カイは顔を背けた。
「別に聞いてない」
「顔に書いてありました」
「書いてない」
「人の顔を見るのも仕事ですから」
「やっぱり商人は面倒だな」
夕暮れの光が、開いた扉から工房の中へ差し込む。
二人の影が、長く床へ伸びていた。
この場所は、まだ一軒の修理工房にすぎない。
壊れた農具や家具を預かり、一人の職人が直すだけの小さな仕事場。
レオンとカイも、ようやく共同で商売を始める約束を交わしたばかりだった。
卸商としての実績もない。
仕入れ先もない。
売る商品もない。
この先、どれだけの困難が待っているのか、二人は知らない。
それでも、最初の一歩は確かに踏み出された。
技術を持つ職人と、流れを作る商人。
修理する場所から、必要な物が集まる場所へ。
やがてフィルネ村を代表する商会へと発展していく物語は、この小さな工房から始まった。
評価やブックマークをいただけて、とても嬉しかったです。
読んでくださるだけでもありがたいのに、応援までしていただけて創作の励みになっています。
これからも楽しんでいただけるよう頑張ります!




