第10話 それぞれの一週間
リケーザ領の領都へ来てから、一週間。
市場の調査。
仕入れ先との交渉。
商業ギルドでの手続き。
商品の選定。
そして、初めての仕入れ。
やるべきことを一つずつ終えたレオンは、領都の東門から出る荷馬車の御者台に座り、街道の先を見つめていた。
荷台には、領都で仕入れた商品が積まれている。
農具。
釘。
小さな金具。
農具の交換に使う木柄。
修理用の木材や金属部品。
縄や針、糸といった日用品。
どれも数は多くない。
釘や金具は種類ごとに分けて小箱へ収め、縄は太さが分かるように束ねてある。
鍬や鎌は荷台の端へ固定し、移動中に刃がほかの商品へ触れないよう、布と木板で覆っていた。
ランタンのように壊れやすい品は、麻袋と端材を緩衝材代わりに使い、荷台の中央へ置いている。
最初の仕入れとしては、慎重すぎるほど少ない量だった。
だが、レオンはこれでよいと考えていた。
商品が売れるかどうかは、実際に店頭へ並べてみなければ分からない。
村人から欲しいと聞いた物であっても、値段を見て購入を見送る者もいるだろう。
似た物で代用していたため、急いで買う必要がないと判断する者もいる。
逆に、一人しか必要としていないと思っていた物へ、予想以上の需要が集まる可能性もあった。
最初から大量に仕入れるのは危険だ。
売れ残れば、金が商品へ変わったまま動かなくなる。
保管場所も必要になる。
金属製品は、管理が悪ければ錆びる。
木柄は湿気や乾燥によって反ることがある。
そのため、今回は売れ行きを確認するための試験的な仕入れに徹した。
「まずは、村の反応を見る」
レオンは御者台で小さくつぶやいた。
利益も必要だ。
商売を続ける以上、仕入れ値より安く売るわけにはいかない。
領都までの往復にかかった費用。
宿代。
荷馬車を借りる費用。
商品が壊れたり、売れ残ったりする危険。
それらを考慮して販売価格を決めなければならない。
だが、利益を乗せすぎれば村人に受け入れてもらえない。
領都まで買いに行く費用や時間を考えれば多少高くても構わない、と村人たちは話していた。
しかし、その「多少」がどの程度なのかは、人や商品によって違う。
領都での価格。
運搬にかかった費用。
フィルネ村の住民が支払える金額。
その三つを比べながら、レオンは商品ごとの販売価格を試算していた。
釘や金具のような小さな品は、運搬に場所を取らない。
数をまとめて仕入れたため、一つあたりの負担も小さい。
一方、農具や木柄は大きく、荷台の場所を使う。
商品そのものの仕入れ値だけでなく、運ぶために必要な費用まで考えれば、同じ割合の利益を乗せるわけにはいかなかった。
すべての商品へ一律に値段を足すのではなく、それぞれに合った価格を考える。
前世では当然のように行っていたことだ。
だが、今回は自分の金を使い、自分の判断で仕入れ、自分で売る。
帳面の数字が、そのまま自分の生活へつながる。
その責任は、前世で会社の看板を背負っていたときとは違う重さを持っていた。
荷馬車が石畳から土の街道へ入る。
領都の外壁が少しずつ遠ざかっていった。
レオンは一度振り返った。
一週間前、領都へ来たときには、仕入れ先も商品も決まっていなかった。
商業ギルドの制度さえ詳しく知らなかった。
今、荷台には自分が選んだ商品がある。
市場外れの鍛冶屋バルドから仕入れた鍬と鎌。
雑貨商から買った釘や金具、縄、日用品。
木材商から仕入れた木柄と修理用の部材。
どの相手とも、大きな取引をしたわけではない。
バルドには、まず一本ずつ使ってもらい、村人の反応を伝えると約束した。
雑貨商とは、売れた品と売れなかった品、使用後の評判まで共有することになっている。
木材商からは、今後必要な形や長さをまとめて注文すれば、加工の手間を含めた条件を相談できると言われた。
どれも、まだ始まったばかりの関係だ。
それでも、次につながる話はできた。
約束した代金を払い、条件を記録し、次に会う理由を作った。
信用を築く最初の一歩としては、十分だろう。
街道を進むにつれて、行き交う人や馬車の数が少なくなっていく。
領都周辺では、大小さまざまな荷馬車とすれ違った。
穀物を積んだ馬車。
木材を運ぶ荷車。
家畜を連れた商人。
旅人を乗せた乗合馬車。
レオンはすれ違うたび、荷台へ目を向けた。
何を運んでいるのか。
どの方向から来たのか。
積み荷の量はどれほどか。
商人らしき者がいれば、軽く挨拶を交わす。
「領都帰りかい?」
昼前、街道脇で馬を休ませていると、一台の荷馬車が近くへ止まった。
御者台に座っていたのは、日に焼けた顔の行商人だった。
荷台には布で覆われた木箱と、酒樽らしき物が積まれている。
「はい。フィルネ村へ戻るところです」
「フィルネか。あの先の森を抜けた村だな」
「ご存じなんですか?」
「何度か通ったことがある。小さいが、食い物には困らない村だ」
行商人はレオンの荷台へ視線を向けた。
「ずいぶん若いが、商売か?」
「始めたばかりです。領都から道具や日用品を仕入れてきました」
「村で売るのか」
「そのつもりです」
行商人は面白そうに笑った。
「小さい村で商売とは、大変だぞ」
「周辺の村も見てみようと思っています」
「周辺?」
「開拓村と、果樹を育てている村があると聞きました」
「ああ」
行商人は街道の先を指した。
「少し行ったところに、北へ曲がる道がある。そっちが開拓村だ」
「道の状態はどうですか?」
「途中までは悪くない。だが、村へ近づくと狭くなる。雨の後は車輪を取られるぞ」
「荷馬車でも通れますか?」
「小さい馬車ならな。荷を積みすぎると厳しい」
レオンは鞄から紙を取り出し、道の状態を書き留めた。
「果樹の村へ向かう道は?」
「開拓村の分岐を越えて、もう少し進んだ先を南だ。あっちは道幅がある。収穫期には果物を積んだ馬車が何台も通るからな」
「今の時期は?」
「静かなもんだ」
「行商人は、あまり行かないんですか?」
「行っても買う物が少ない。果物がない時期に、わざわざ寄る奴は多くないな」
領都で雑貨商から聞いた話と一致している。
果樹の村と領都を結ぶ物流は、収穫期へ偏っている。
それ以外の時期には、行商人の訪問も減る。
村人は必要な物を買う機会が限られる。
「開拓村には行かれるんですか?」
「たまにな。道具や塩は売れるが、まだ村人の数が少ない。大きな商売にはならん」
「必要としている物は多い?」
「そりゃ多いさ。村を作ってる途中だからな。だが、必要だからといって、金を持ってるとは限らん」
レオンはその言葉を心へ留めた。
需要がある。
それだけで商売が成り立つわけではない。
買う力があるか。
現金で支払えるのか。
物々交換が中心なのか。
支払いまで待つ必要があるのか。
実際に村へ行き、確かめなければならない。
「助かりました。ありがとうございます」
「情報代は?」
行商人が冗談めかして手を差し出す。
レオンは少し考え、自分が領都で聞いた情報を返した。
「南の街道は、雨で一部がぬかるんでいるそうです。陶器や瓶を運ぶなら、西側へ回った方が安全だと商業ギルドで聞きました」
行商人の表情が変わる。
「本当か?」
「二日前の情報ですが」
「俺は南へ行くつもりだった。助かったよ」
「これで情報交換ですね」
「若いのに、商人らしいじゃないか」
行商人は笑い、馬を進ませた。
互いに名乗るほどの関係にはならなかった。
それでも、道の情報を一つ交換した。
商人同士のつながりは、こうした小さなやり取りから始まるのだろう。
昼食を終え、再び荷馬車を進める。
やがて、街道の脇に小さな道標が現れた。
正面はフィルネ村。
北東へ伸びる道の先には、開拓村の名が刻まれている。
レオンは荷馬車を止め、分岐の先へ目を向けた。
道幅は、今走っている街道より明らかに狭い。
車輪の跡はあるものの、深く削れている場所も見える。
周囲には森が広がり、先の様子までは分からなかった。
「ここか」
今すぐ向かうことはできない。
荷台には、フィルネ村で販売するための商品が積まれている。
まずはカイの工房へ戻り、商品を並べ、村人の反応を確かめなければならない。
それでも、道を実際に見ることができた。
地図の上にあった開拓村が、少しだけ現実の場所へ変わった。
さらに進むと、今度は南へ分かれる道が現れた。
こちらは開拓村への道より広く、荷馬車が何度も通った跡が残っている。
道標には、果樹栽培の盛んな村の名が刻まれていた。
収穫期になれば、リンゴや梨、桃、ベリー類を積んだ荷馬車がここを通るのだろう。
「次は、実際に足を運んでみよう」
レオンは二つの分岐を紙へ書き加えた。
道幅。
街道からの距離。
周囲の地形。
今分かる範囲だけを記録する。
商売を始めたばかりの自分が、一度に三つの村を相手にすることはできない。
最初はフィルネ村。
そこで仕入れと販売の流れを作る。
余裕ができたら開拓村へ行き、何が必要とされているかを確認する。
果樹の村にも足を運び、果物の生産量や運搬方法を聞く。
焦る必要はない。
商圏は、地図に線を引いただけでは作れない。
実際に人と会い、道を通り、物を動かして初めて形になる。
夕方が近づく頃。
森を抜けた先に、見慣れた畑が見えた。
青々とした作物。
畑の間を通る細い道。
煙突から穏やかに立ち上る煙。
フィルネ村だった。
「戻ってきたな」
領都で過ごした一週間は、短くも長くも感じられた。
多くの人と会い、多くの商品を見た。
常に人と馬車の音が聞こえる領都の生活は、前世を思い出させる部分もあった。
刺激があり、商人として学ぶことも多い。
だが、村の景色を見た瞬間、レオンの胸には安堵が広がった。
自分が商売を始める場所は、領都ではない。
この村だ。
荷馬車が村へ入ると、道端にいた子供たちが興味深そうに近づいてきた。
「レオンだ!」
「帰ってきたぞ!」
「その荷物、何?」
「領都から買ってきた物です。危ない物もあるので、荷馬車には触らないでくださいね」
「見てもいい?」
「工房へ並べたら、見に来ても構いません」
子供たちは嬉しそうに走り去った。
おそらく、レオンが領都から何かを持ち帰ったという話は、日が暮れる前に村中へ広がるだろう。
荷馬車を宿へ回すことも考えたが、レオンが最初に向かったのはカイの工房だった。
村外れへ続く道を進む。
古びた建物が見えてくると、工房の中から金属を叩く音が聞こえた。
一定の間隔。
迷いのない音。
以前と変わらない、カイの仕事の音だった。
「カイさん」
荷馬車を工房の前へ止め、レオンが声をかける。
金属音が止まった。
しばらくして、革の前掛けを着けたカイが入口へ姿を現す。
カイはレオンを見る。
次に、その後ろの荷馬車を見る。
再びレオンへ視線を戻した。
「……帰ったか」
短い言葉だった。
いつもどおり、表情の変化も小さい。
それでも、声の中にはわずかな安堵が混ざっていた。
レオンは自然と笑みを浮かべた。
「ただいま」
一週間ぶりに交わした言葉は、それだけだった。
だが、不思議とそれで十分だった。
領都では、多くの商人と会話をした。
仕入れ条件を聞き、価格を交渉し、自分の商売について説明した。
どの会話にも意味があり、得るものがあった。
それでも、カイとの短いやり取りには、それらとは違う安心感があった。
「荷物、下ろすのか?」
「はい。工房で扱う商品ですから」
「多いな」
「これでもかなり減らしました」
「荷台が埋まってる」
「箱が大きいだけです。中身は少量ですよ」
カイは荷馬車へ近づき、縄で固定された木箱を確認した。
「これは?」
「釘と金具です。こちらが日用品。農具は奥に固定してあります」
「木柄もあるな」
「農具の修理に使えそうな物を選びました。カイさんにも確認してもらいたいです」
カイはうなずき、荷台へ手をかけた。
二人で商品を工房へ運び込む。
重い箱はカイが持ち、レオンは小さな箱や商品を運んだ。
工房の中には、以前確保していた通路が残っている。
修理待ち、修理中、完成品の置き場所も守られていた。
レオンが一週間いなかったにもかかわらず、工具は種類ごとに壁へ並んでいる。
材料も分類されたままだった。
「元に戻っていませんね」
「何がだ」
「工房です。僕がいない間に、また物が散らばっているかと思っていました」
「戻せと言ったのはお前だろ」
「カイさんは面倒になったらやめるかと思って」
「失礼な奴だな」
一週間前と同じやり取り。
レオンは笑いながら、持ち込んだ箱を空いている場所へ置いた。
すべての荷物を工房へ運び終える頃には、日がかなり傾いていた。
「まずは、仕入れた物を見てもらえますか?」
「腹は減ってないのか」
「報告が先です」
「相変わらずだな」
「カイさんも」
二人は作業台の上へ商品を並べた。
最初に取り出したのは、バルドから仕入れた鍬と鎌だった。
布を外し、作業台へ置く。
カイは無言で鍬を手に取った。
刃。
柄。
接合部の金具。
重さの偏り。
実際に使うときのように軽く振り、細部を確認する。
「どうですか?」
「悪くない」
「それだけですか?」
「かなりいい」
カイが素直に認めた。
「刃が厚い。硬い土でも欠けにくそうだ。柄とのつなぎも丁寧だな」
「市場の外れにある小さな鍛冶屋で作られた物です」
「職人の名前は?」
「バルド」
カイは覚えるように、鍛冶屋の名を小さく繰り返した。
「安くはありませんでした。でも、長く使えると思います」
「ああ。安い鍬を何度も直すより、こっちの方がいい奴もいる」
「村人の反応を見て、次の仕入れを考えます」
レオンはバルドとのやり取りを説明した。
最初は一本ずつ。
評判がよければ、次は数を増やす。
まとめて注文すれば、少し価格を下げてもらえる。
使う者の身長や手の大きさに合わせた注文品も作れる。
さらに、見本があれば修理用の刃や金具だけを作れる可能性もある。
「部品だけでも?」
「物を見なければ分からないそうですが」
「十分だ」
カイの目が、少しだけ鋭くなる。
完成品だけでなく、修理部品を仕入れられれば、これまで材料不足で断っていた仕事も受けられる。
「次に領都へ行くとき、必要な部品の見本を持っていきましょう」
「まとめておく」
「数も記録してくださいね」
「覚えておく」
「紙に書いてください」
「面倒だ」
「一週間で元に戻っていないと褒めたばかりなのに」
カイは不満そうにしながらも、完全には拒まなかった。
次に、釘と金具の箱を開く。
長さや太さごとに小分けされている。
扉や家具に使う蝶番。
留め具。
荷車の補修へ使えそうな金属部品。
カイは一つずつ手に取り、質を確認した。
「この釘は使える」
「こちらの安い物と比べると?」
「曲がりにくい。頭も揃ってる」
「同じ工房の品を継続して仕入れられるそうです」
「値段は?」
レオンは仕入れ値を記した紙を見せた。
カイの視線が数字の上を動く。
「分からん」
「見る前から諦めないでください」
「数字が多い」
「仕入れ値と運搬費を足して、販売価格を出しています」
レオンは一つずつ説明した。
釘一箱の仕入れ値。
領都から運ぶためにかかった費用の一部。
売れ残りや破損に備える分。
その上へ、商売を続けるための利益を加える。
「村人が領都へ買いに行くよりは安くなるようにしています」
「領都の店よりは高いのか」
「運んでいますから。その分は必要です」
「売れるか?」
「分かりません」
レオンは正直に答えた。
「だから少量です」
次に、木柄と修理用の木材を見せる。
カイは木柄の太さを測り、表面を手でなぞった。
「そのままでは使えないな」
「駄目ですか?」
「持ち主に合わせて削る必要がある。ただ、最初から形ができてる分、早い」
「領都の木材商から仕入れました。太さや長さを指定すれば、まとめて用意できるそうです」
「木の種類は?」
「こちらが硬めで鍬や斧向け。こちらが軽く、鎌や小さな道具向けです」
領都で聞いた内容を伝えると、カイは何度かうなずいた。
「悪くない」
「必要な長さや太さを記録すれば、次からもっと使いやすい物を仕入れられます」
「また記録か」
「情報がなければ、同じ失敗を繰り返しますから」
最後に、縄や針、糸などの日用品を並べる。
これらはカイの修理とは直接関係がない物も多い。
「こんな物まで売るのか?」
「村人から欲しいと聞いた物です」
「工房が狭くなる」
「棚を一つ作れば置けます」
「誰が作る」
レオンはカイを見る。
カイもレオンを見る。
「……俺か」
「職人ですから」
「勝手に仕事を増やすな」
「販売用の棚が必要なんです」
「料金は?」
「共同事業に必要な設備です」
「つまり、払わないのか」
「材料費は商売の費用から出します。カイさんの作業分は、利益を分けるときに考えます」
「面倒だな」
口ではそう言いながら、カイはすでに工房の壁を見ていた。
どこへ棚を作れば、修理の邪魔にならないかを考えているのだろう。
「領都では、ほかに何があった」
商品を確認し終えると、カイが尋ねた。
レオンは市場調査について順番に話した。
商業ギルドで商人登録や行商許可について確認したこと。
市場で先輩商人たちから情報を集めたこと。
不透明な取引を持ちかけられたが断ったこと。
仕入れ先を価格だけで選ばず、継続して取引できる相手かどうかを見たこと。
少量から始め、売れ方を確認しながら仕入れ量を増やすこと。
カイは細かな数字や制度の話になると難しい顔をした。
だが、話を遮ることはなかった。
「つまり、領都では問題なかったのか」
「今のところは」
「変な奴に絡まれたんだろ」
「怪しい商人に誘われましたが、すぐ離れました」
「一人で行くからだ」
「人と一緒でも、怪しい話は来ますよ」
「次は気をつけろ」
短い言葉だったが、心配していることは分かった。
「はい」
レオンは素直にうなずいた。
「それから、近くの村についても調べました」
「近くの村?」
レオンは領都で写した地図を広げた。
フィルネ村。
その北東にある開拓村。
南側にある、果樹栽培の盛んな村。
「帰り道に、分岐も確認しました」
「開拓村の方は道が悪い」
「知っているんですか?」
「前に壊れた荷車を持ってきた奴がいた。あっちの村の住人だ」
「工房へ来たことがあるんですね」
「たまに来る」
レオンは初めて知った。
工房の依頼記録を始める前の客なのだろう。
「何を修理しました?」
「荷車の車輪と、斧」
「ほかに困っていることは?」
「知らん」
「世間話をしないからです」
「修理屋だからな」
「だから僕が必要なんですよ」
カイは否定せず、地図へ視線を落とした。
「果樹の村は?」
「リンゴ、梨、桃、ベリー類を作っているそうです。収穫期には領都まで売りに行く。でも、運ぶ人手が足りない」
「果物を売るのか?」
「まだ分かりません」
レオンは首を横へ振った。
「まず、実際に村へ行きます。収穫量や道の状態、今どうやって売っているのかを聞く必要があります」
「フィルネの物を売るだけじゃないのか」
「最初は、そのつもりでした」
だが、領都で周辺の村について知った。
場所ごとに足りない物と、余っている物が違う。
フィルネ村や開拓村へ領都の商品を運ぶ。
果樹の村から果物を預かり、領都へ届ける。
行きと帰りの両方で荷物を運べれば、無駄も減る。
「将来的には、フィルネ村だけでなく、近くの村も商売の相手にしたいと思っています」
「大きくするのか?」
「無理に広げるつもりはありません」
レオンは言った。
「まずは、ここで売れるかを確認します。それができてからです」
急いで事業を広げれば、前世と同じように仕事へ追われることになる。
一人で領都と複数の村を回り、仕入れ、販売、在庫管理、営業をすべて抱えれば、いずれ限界が来る。
人と仕組みを使う。
自分だけで何でもやろうとしない。
その方針を忘れるつもりはなかった。
「領都の話は、これくらいです」
レオンは地図と記録をまとめた。
「今度は、カイさんの一週間を聞かせてください」
「俺の?」
「僕がいない間、工房はどうでした?」
「普通だ」
「普通では分かりません」
「修理した」
「何件ですか?」
カイは少し考えた。
「……記録を見ろ」
レオンは一瞬、言葉を失った。
そして、ゆっくりと依頼記録を手に取る。
一週間分の依頼が、確かに書き込まれていた。
字は大きさが揃っておらず、ところどころ読みづらい。
依頼人の名前だけを書き、修理内容が抜けている箇所もある。
それでも、預かった品と完成した日、受け取った料金は記録されていた。
「書いたんですね」
「書けと言ったのはお前だ」
「面倒だと言っていたのに」
「後で分からなくなる」
カイ自身が、記録の必要性を認めたのだ。
レオンは嬉しくなった。
「これなら十分です。少し抜けていますけど」
「分かればいいだろ」
「次からは、修理内容も書いてください。どの仕事が多いか調べられます」
「やっぱり面倒だ」
「慣れます」
レオンは記録を見ながら、一週間の仕事を確認した。
鍬。
鎌。
木桶。
椅子。
荷車の部品。
刃物研ぎ。
依頼の数は、レオンが領都へ行く前と比べても多い。
それでも、未完成の品は想像より少なかった。
「かなり片付いていますね」
「工具を探さなくなったからな」
「依頼の順番は?」
「古い物からやった。急ぎなら、特急料金を説明した」
「揉めませんでしたか?」
「なかった」
カイは壁に貼られた料金表を見る。
「値段を聞かれたら、あれを見せた。材料が増えるときは、先に言った」
「村人の反応は?」
「分かりやすいと言ってた」
料金表は、レオンがいなくても機能した。
依頼人は修理の目安を確認できる。
カイも、毎回一から料金を考えずに済む。
材料費や特急料金を加える場合も、理由を説明しやすい。
仕組みは、作った本人がいなければ動かないのでは意味がない。
カイ一人でも運用できたことは、工房改革が成功している証拠だった。
「仕事が早くなったとも言われた」
カイが付け加える。
「誰にですか?」
「何人かに」
「嬉しかったですか?」
「別に」
「顔が少し嬉しそうです」
「見間違いだ」
カイは顔を背けた。
「受付は、どうでした?」
「品物を預かって、名前を書いただけだ」
「依頼人と話は?」
「壊れた場所は聞いた」
「それ以外は?」
「必要ないだろ」
「世間話です」
「しなかった」
レオンは予想どおりだと思った。
「困りませんでしたか?」
「少し」
カイが珍しく素直に認めた。
「どういう場面で?」
「話が長い客がいる」
「誰ですか?」
「ミラ」
籠を修理へ持ってきた主婦の名だった。
「何を話されたんです?」
「家の裏で育ててる野菜の話。隣の家の鶏の話。宿屋の飯の話」
「それで?」
「いつ修理の話になるのか分からなかった」
レオンは想像し、思わず笑った。
「笑うな」
「すみません。でも、ミラさんらしいと思って」
「最後には、鍋の取っ手を直してほしいと言われた」
「世間話の中にも情報はありますよ」
「鶏の話が何の役に立つ」
「卵の値段や数が分かるかもしれません」
「鍋の修理に関係ない」
「今はなくても、将来は分かりません」
カイは納得していない顔をする。
それでも、レオンが村人との会話を重視する理由を、以前よりは理解しているはずだ。
「ほかには?」
「完成した品を取りに来ない奴がいた」
「知らせましたか?」
「畑にいると聞いたから、近くの奴に伝えた」
「それで来ました?」
「ああ」
「十分できていますね」
「だが、面倒だった」
カイは少し間を置き、レオンを見た。
「やっぱり、お前がいた方が楽だ」
一週間前にも、似た言葉を聞いた。
あのときのカイは、すぐに否定しようとしていた。
今回は、照れたように視線を逸らしながらも、言葉そのものは撤回しなかった。
「それは褒め言葉ですね」
「違う」
「まだ否定するんですか?」
「受付と話をする奴がいると、修理に集中できるだけだ」
「十分褒めています」
「うるさい」
カイの耳が、わずかに赤くなっている。
レオンはからかうのをやめ、工房を見回した。
自分がいなくても、仕組みは動いていた。
カイは道具を戻し、依頼を記録し、料金表を使い、修理を進めた。
それは喜ばしいことだ。
一方で、依頼人との会話や受付を負担に感じていた。
カイには、修理へ集中した方がよい。
そしてレオンには、仕入れや販売、依頼人とのやり取りを担う役割がある。
領都での一週間と、フィルネ村での一週間。
二人は離れた場所で、それぞれの仕事を進めていた。
どちらも一人で何もできなかったわけではない。
レオンは一人で領都を歩き、仕入れ先を見つけ、商品を選んだ。
カイも一人で工房を開け、村人の依頼を受け、修理を続けた。
それでも、二人で行った方が仕事はうまく進む。
レオンだけでは、商品の品質や修理部品の使い道を正確に判断できない。
カイだけでは、仕入れや販売、依頼人との細かなやり取りに時間を取られる。
互いに不足している部分を補える。
一人ではなく、二人だから前へ進める。
「思ったより順調ですね」
レオンが言う。
「何がだ」
「工房も、領都での仕入れもです」
「お前が作った仕組みのおかげだ」
カイが静かに答えた。
これまでなら、整理したから、道具が見つかるから、と別の理由を挙げていたはずだ。
今回は、はっきりとレオンの働きを認めた。
「ありがとうございます」
「事実を言っただけだ」
「それでも嬉しいですよ」
「変な奴だな」
「よく言われます」
工房の外は、すでに暗くなり始めていた。
商品を棚へ並べる作業は、明日に回してもよい。
だが、レオンは仕入れた品を箱へ戻さず、工房の壁際へ仮に並べた。
「今後の方針を確認しておきましょう」
「今からか?」
「忘れないうちに」
「腹が減った」
「短く済ませます」
レオンは指を一本立てた。
「新品の販売は、少量から始めます」
「ああ」
「売れた物は次の仕入れを増やす。売れない物は、理由を考えて減らします」
「次」
「修理は、これまでどおり丁寧に行います」
「当たり前だ」
「新品を売りたいからといって、直せる物へ買い替えを勧めません」
「それも当たり前だ」
「商人にとっては、意外と難しいことなんです」
売上だけを考えれば、高価な新品を売った方がよい。
だが、それで村人の信用を失えば、長く商売はできない。
「三つ目。急に事業を広げません」
「さっき、ほかの村の話をしてたぞ」
「将来の話です。まずはフィルネ村で流れを作ります」
「分かった」
「最後に、村人の信頼を一番にします」
「それも、今までどおりだ」
「はい」
レオンは笑った。
カイにとっては、どれも当然のことなのだろう。
壊れた物は丁寧に直す。
必要のない作業は勧めない。
できないことを、できるとは言わない。
職人としてのカイの姿勢は、そのまま商売の信用へつながる。
「修理工房だけではなく、これからは村の道具屋としても営業します」
「道具屋」
「修理もできる道具屋です」
「日用品もあるぞ」
「村の道具と生活用品を扱う店ですね」
「長い」
「では、村の道具屋で」
正式な店名ではない。
商会の名も、まだ決まっていない。
それでも、これまで修理だけをしていた工房が、新しい役割を持つことになる。
壊れた物を直す場所。
新しい道具を買える場所。
修理に必要な部品を相談できる場所。
生活に必要な小さな品を手に入れられる場所。
「明日、棚を作ってください」
「もう決まってるのか」
「売る商品を床へ置くわけにはいきません」
「どのくらいの大きさだ」
カイは文句を言いながら、壁の空いている場所を測り始めた。
レオンも隣に立ち、商品の大きさと数を確認する。
「釘と金具は小箱ごと並べたいです。縄は棚の下へ掛けられるようにしましょう」
「農具は?」
「壁へ立てかけるか、専用の台を作ります」
「倒れるぞ」
「では、柄を固定できる形にしてください」
「日用品は?」
「手に取りやすい高さへ」
「修理の邪魔になる」
「入口側ではなく、こちらの壁ならどうですか?」
二人で相談しながら、工房の一角へ商品の置き場所を決める。
以前、使えない材料や依頼品が山積みになっていた場所。
工房改革で空いた場所が、今度は販売のための空間へ変わろうとしていた。
翌朝。
カイは早くから棚作りを始めた。
領都から仕入れた木材ではなく、工房に残っていた板と端材を使う。
カイは板の長さを測り、必要な大きさへ切る。
壁へ取り付けるための支えを作り、重い金具を置いても傾かないよう補強する。
レオンはその横で、商品ごとの販売価格を書いた紙を準備していた。
釘。
金具。
縄。
木柄。
日用品。
農具。
同じ種類でも大きさや品質が違う物には、別の値段を付ける。
「また料金表か」
棚を作りながら、カイが言った。
「値段が分からないと、買いにくいでしょう?」
「聞けばいい」
「第6話で同じ話をしましたよ」
「何の話だ」
「こちらの話です」
レオンは笑い、価格札を書き続けた。
販売価格は、仕入れ値へ単純に同じ割合を足したものではない。
領都での相場。
運搬費。
商品が占める荷台の広さ。
保管中に傷む危険。
フィルネ村で同じ品を手に入れるために必要な費用と時間。
それらを考慮して決めた。
村人が受け入れられるかどうかは、まだ分からない。
売れなければ、値段だけでなく、商品そのものや売り方を見直す。
「できたぞ」
昼前には、棚が完成した。
装飾のない簡素な木の棚。
それでも、カイが作っただけあって、ぐらつきはない。
小箱を並べても傾かず、下の部分には縄や木柄を置ける空間がある。
二人は領都から仕入れた商品を、一つずつ棚へ並べた。
上段には針や糸、細かな日用品。
中段には釘と金具。
下段には縄や修理用の部材。
木柄は棚の横へ種類ごとに立て、倒れないよう固定する。
鍬と鎌は、入口近くの壁へ専用の台を置いて並べた。
商品数は少ない。
棚の空いている場所の方が多かった。
同じ品も、一つか二つしかない。
領都の市場にある店と比べれば、品揃えと呼べるほどの量ではないだろう。
それでも、これまで修理品と材料しかなかった工房に、初めて販売するための商品が並んだ。
カイは少し離れた場所へ立ち、完成した棚を眺めた。
「なんか……店らしくなってきたな」
レオンも隣へ並ぶ。
壁にかけられた工具。
整理された材料。
修理待ちの依頼品。
完成品。
料金表。
依頼記録。
そして、新しく加わった商品棚。
一週間前までは、壊れた物を直すだけの工房だった。
今はまだ小さい。
正式な店名もない。
売上も、客の反応も分からない。
だが、確かに新しい商売の形が生まれていた。
「ここからが本当のスタートです」
レオンは笑みを浮かべた。
「今までのは始まってなかったのか?」
「準備です」
「長い準備だな」
「商売は準備が大事なんですよ」
「面倒だ」
「でも、楽になったでしょう?」
「……まあな」
カイは棚の上の鍬へ手を伸ばし、柄の固定を確認した。
レオンは価格札が見やすい位置にあるかを確かめる。
二人が作業をしていると、工房の外から声が聞こえた。
「本当に商品が並んでるぞ!」
昨日、村の入口でレオンを見つけた子供たちだった。
その後ろには、興味を持った村人たちの姿もある。
「この釘、売ってるのか?」
「新しい鎌もあるぞ」
「縄は丈夫なのかい?」
「針もあるじゃないか」
一人、また一人と、工房の入口へ村人が集まり始める。
まだ営業を始めると正式に知らせてはいない。
それでも、新しい商品への興味は予想以上に大きかった。
レオンは村人たちへ向き直った。
「今日から、修理品だけでなく、領都で仕入れた道具や日用品も販売します」
「値段は?」
「商品ごとに札を付けています。分からないことがあれば聞いてください」
「この鍬は、カイが作ったのか?」
「領都の鍛冶屋が作った物です。ただ、買う前にカイさんが状態を確認します」
「修理もしてもらえる?」
「もちろんです」
村人たちの質問へ、レオンが一つずつ答える。
カイは少し離れた作業台へ戻りながら、その様子を見ていた。
売る物を選び、仕入れる。
値段を考え、説明する。
村人の話を聞き、必要な物を探す。
それはレオンの仕事だ。
一方、商品の品質を確認し、壊れた物を直し、必要なら新しい物を作る。
それはカイの仕事だった。
領都とフィルネ村。
仕入れと修理。
商人と職人。
離れて過ごした一週間によって、二人の役割は以前よりはっきりした。
一人でも進めることはできる。
だが、二人なら、より遠くまで進める。
レオンが領都で見つけた商品と情報を持ち帰り、カイが工房と村人の信頼を守る。
その二つが重なり、修理工房は村の道具屋へ変わり始めた。
商品棚は、まだ半分以上が空いている。
店名もない。
商会と呼ぶには、あまりにも小さい。
それでも、この棚へ並んだわずかな商品こそが、二人の商売の原点だった。
やがてフィルネ村を代表し、周辺の村々と領都を結ぶことになる商会。
その始まりは、古びた修理工房の壁際に作られた、一つの小さな棚だった。




