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成り上がり商人の次男はのんびり暮らしたい  作者: キウイボーイ
第1章 始まりの工房編

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10/19

第10話 それぞれの一週間

 リケーザ領の領都へ来てから、一週間。


 市場の調査。


 仕入れ先との交渉。


 商業ギルドでの手続き。


 商品の選定。


 そして、初めての仕入れ。


 やるべきことを一つずつ終えたレオンは、領都の東門から出る荷馬車の御者台に座り、街道の先を見つめていた。


 荷台には、領都で仕入れた商品が積まれている。


 農具。


 釘。


 小さな金具。


 農具の交換に使う木柄。


 修理用の木材や金属部品。


 縄や針、糸といった日用品。


 どれも数は多くない。


 釘や金具は種類ごとに分けて小箱へ収め、縄は太さが分かるように束ねてある。


 鍬や鎌は荷台の端へ固定し、移動中に刃がほかの商品へ触れないよう、布と木板で覆っていた。


 ランタンのように壊れやすい品は、麻袋と端材を緩衝材代わりに使い、荷台の中央へ置いている。


 最初の仕入れとしては、慎重すぎるほど少ない量だった。


 だが、レオンはこれでよいと考えていた。


 商品が売れるかどうかは、実際に店頭へ並べてみなければ分からない。


 村人から欲しいと聞いた物であっても、値段を見て購入を見送る者もいるだろう。


 似た物で代用していたため、急いで買う必要がないと判断する者もいる。


 逆に、一人しか必要としていないと思っていた物へ、予想以上の需要が集まる可能性もあった。


 最初から大量に仕入れるのは危険だ。


 売れ残れば、金が商品へ変わったまま動かなくなる。


 保管場所も必要になる。


 金属製品は、管理が悪ければ錆びる。


 木柄は湿気や乾燥によって反ることがある。


 そのため、今回は売れ行きを確認するための試験的な仕入れに徹した。


「まずは、村の反応を見る」


 レオンは御者台で小さくつぶやいた。


 利益も必要だ。


 商売を続ける以上、仕入れ値より安く売るわけにはいかない。


 領都までの往復にかかった費用。


 宿代。


 荷馬車を借りる費用。


 商品が壊れたり、売れ残ったりする危険。


 それらを考慮して販売価格を決めなければならない。


 だが、利益を乗せすぎれば村人に受け入れてもらえない。


 領都まで買いに行く費用や時間を考えれば多少高くても構わない、と村人たちは話していた。


 しかし、その「多少」がどの程度なのかは、人や商品によって違う。


 領都での価格。


 運搬にかかった費用。


 フィルネ村の住民が支払える金額。


 その三つを比べながら、レオンは商品ごとの販売価格を試算していた。


 釘や金具のような小さな品は、運搬に場所を取らない。


 数をまとめて仕入れたため、一つあたりの負担も小さい。


 一方、農具や木柄は大きく、荷台の場所を使う。


 商品そのものの仕入れ値だけでなく、運ぶために必要な費用まで考えれば、同じ割合の利益を乗せるわけにはいかなかった。


 すべての商品へ一律に値段を足すのではなく、それぞれに合った価格を考える。


 前世では当然のように行っていたことだ。


 だが、今回は自分の金を使い、自分の判断で仕入れ、自分で売る。


 帳面の数字が、そのまま自分の生活へつながる。


 その責任は、前世で会社の看板を背負っていたときとは違う重さを持っていた。


 荷馬車が石畳から土の街道へ入る。


 領都の外壁が少しずつ遠ざかっていった。


 レオンは一度振り返った。


 一週間前、領都へ来たときには、仕入れ先も商品も決まっていなかった。


 商業ギルドの制度さえ詳しく知らなかった。


 今、荷台には自分が選んだ商品がある。


 市場外れの鍛冶屋バルドから仕入れた鍬と鎌。


 雑貨商から買った釘や金具、縄、日用品。


 木材商から仕入れた木柄と修理用の部材。


 どの相手とも、大きな取引をしたわけではない。


 バルドには、まず一本ずつ使ってもらい、村人の反応を伝えると約束した。


 雑貨商とは、売れた品と売れなかった品、使用後の評判まで共有することになっている。


 木材商からは、今後必要な形や長さをまとめて注文すれば、加工の手間を含めた条件を相談できると言われた。


 どれも、まだ始まったばかりの関係だ。


 それでも、次につながる話はできた。


 約束した代金を払い、条件を記録し、次に会う理由を作った。


 信用を築く最初の一歩としては、十分だろう。


 街道を進むにつれて、行き交う人や馬車の数が少なくなっていく。


 領都周辺では、大小さまざまな荷馬車とすれ違った。


 穀物を積んだ馬車。


 木材を運ぶ荷車。


 家畜を連れた商人。


 旅人を乗せた乗合馬車。


 レオンはすれ違うたび、荷台へ目を向けた。


 何を運んでいるのか。


 どの方向から来たのか。


 積み荷の量はどれほどか。


 商人らしき者がいれば、軽く挨拶を交わす。


「領都帰りかい?」


 昼前、街道脇で馬を休ませていると、一台の荷馬車が近くへ止まった。


 御者台に座っていたのは、日に焼けた顔の行商人だった。


 荷台には布で覆われた木箱と、酒樽らしき物が積まれている。


「はい。フィルネ村へ戻るところです」


「フィルネか。あの先の森を抜けた村だな」


「ご存じなんですか?」


「何度か通ったことがある。小さいが、食い物には困らない村だ」


 行商人はレオンの荷台へ視線を向けた。


「ずいぶん若いが、商売か?」


「始めたばかりです。領都から道具や日用品を仕入れてきました」


「村で売るのか」


「そのつもりです」


 行商人は面白そうに笑った。


「小さい村で商売とは、大変だぞ」


「周辺の村も見てみようと思っています」


「周辺?」


「開拓村と、果樹を育てている村があると聞きました」


「ああ」


 行商人は街道の先を指した。


「少し行ったところに、北へ曲がる道がある。そっちが開拓村だ」


「道の状態はどうですか?」


「途中までは悪くない。だが、村へ近づくと狭くなる。雨の後は車輪を取られるぞ」


「荷馬車でも通れますか?」


「小さい馬車ならな。荷を積みすぎると厳しい」


 レオンは鞄から紙を取り出し、道の状態を書き留めた。


「果樹の村へ向かう道は?」


「開拓村の分岐を越えて、もう少し進んだ先を南だ。あっちは道幅がある。収穫期には果物を積んだ馬車が何台も通るからな」


「今の時期は?」


「静かなもんだ」


「行商人は、あまり行かないんですか?」


「行っても買う物が少ない。果物がない時期に、わざわざ寄る奴は多くないな」


 領都で雑貨商から聞いた話と一致している。


 果樹の村と領都を結ぶ物流は、収穫期へ偏っている。


 それ以外の時期には、行商人の訪問も減る。


 村人は必要な物を買う機会が限られる。


「開拓村には行かれるんですか?」


「たまにな。道具や塩は売れるが、まだ村人の数が少ない。大きな商売にはならん」


「必要としている物は多い?」


「そりゃ多いさ。村を作ってる途中だからな。だが、必要だからといって、金を持ってるとは限らん」


 レオンはその言葉を心へ留めた。


 需要がある。


 それだけで商売が成り立つわけではない。


 買う力があるか。


 現金で支払えるのか。


 物々交換が中心なのか。


 支払いまで待つ必要があるのか。


 実際に村へ行き、確かめなければならない。


「助かりました。ありがとうございます」


「情報代は?」


 行商人が冗談めかして手を差し出す。


 レオンは少し考え、自分が領都で聞いた情報を返した。


「南の街道は、雨で一部がぬかるんでいるそうです。陶器や瓶を運ぶなら、西側へ回った方が安全だと商業ギルドで聞きました」


 行商人の表情が変わる。


「本当か?」


「二日前の情報ですが」


「俺は南へ行くつもりだった。助かったよ」


「これで情報交換ですね」


「若いのに、商人らしいじゃないか」


 行商人は笑い、馬を進ませた。


 互いに名乗るほどの関係にはならなかった。


 それでも、道の情報を一つ交換した。


 商人同士のつながりは、こうした小さなやり取りから始まるのだろう。


 昼食を終え、再び荷馬車を進める。


 やがて、街道の脇に小さな道標が現れた。


 正面はフィルネ村。


 北東へ伸びる道の先には、開拓村の名が刻まれている。


 レオンは荷馬車を止め、分岐の先へ目を向けた。


 道幅は、今走っている街道より明らかに狭い。


 車輪の跡はあるものの、深く削れている場所も見える。


 周囲には森が広がり、先の様子までは分からなかった。


「ここか」


 今すぐ向かうことはできない。


 荷台には、フィルネ村で販売するための商品が積まれている。


 まずはカイの工房へ戻り、商品を並べ、村人の反応を確かめなければならない。


 それでも、道を実際に見ることができた。


 地図の上にあった開拓村が、少しだけ現実の場所へ変わった。


 さらに進むと、今度は南へ分かれる道が現れた。


 こちらは開拓村への道より広く、荷馬車が何度も通った跡が残っている。


 道標には、果樹栽培の盛んな村の名が刻まれていた。


 収穫期になれば、リンゴや梨、桃、ベリー類を積んだ荷馬車がここを通るのだろう。


「次は、実際に足を運んでみよう」


 レオンは二つの分岐を紙へ書き加えた。


 道幅。


 街道からの距離。


 周囲の地形。


 今分かる範囲だけを記録する。


 商売を始めたばかりの自分が、一度に三つの村を相手にすることはできない。


 最初はフィルネ村。


 そこで仕入れと販売の流れを作る。


 余裕ができたら開拓村へ行き、何が必要とされているかを確認する。


 果樹の村にも足を運び、果物の生産量や運搬方法を聞く。


 焦る必要はない。


 商圏は、地図に線を引いただけでは作れない。


 実際に人と会い、道を通り、物を動かして初めて形になる。


 夕方が近づく頃。


 森を抜けた先に、見慣れた畑が見えた。


 青々とした作物。


 畑の間を通る細い道。


 煙突から穏やかに立ち上る煙。


 フィルネ村だった。


「戻ってきたな」


 領都で過ごした一週間は、短くも長くも感じられた。


 多くの人と会い、多くの商品を見た。


 常に人と馬車の音が聞こえる領都の生活は、前世を思い出させる部分もあった。


 刺激があり、商人として学ぶことも多い。


 だが、村の景色を見た瞬間、レオンの胸には安堵が広がった。


 自分が商売を始める場所は、領都ではない。


 この村だ。


 荷馬車が村へ入ると、道端にいた子供たちが興味深そうに近づいてきた。


「レオンだ!」


「帰ってきたぞ!」


「その荷物、何?」


「領都から買ってきた物です。危ない物もあるので、荷馬車には触らないでくださいね」


「見てもいい?」


「工房へ並べたら、見に来ても構いません」


 子供たちは嬉しそうに走り去った。


 おそらく、レオンが領都から何かを持ち帰ったという話は、日が暮れる前に村中へ広がるだろう。


 荷馬車を宿へ回すことも考えたが、レオンが最初に向かったのはカイの工房だった。


 村外れへ続く道を進む。


 古びた建物が見えてくると、工房の中から金属を叩く音が聞こえた。


 一定の間隔。


 迷いのない音。


 以前と変わらない、カイの仕事の音だった。


「カイさん」


 荷馬車を工房の前へ止め、レオンが声をかける。


 金属音が止まった。


 しばらくして、革の前掛けを着けたカイが入口へ姿を現す。


 カイはレオンを見る。


 次に、その後ろの荷馬車を見る。


 再びレオンへ視線を戻した。


「……帰ったか」


 短い言葉だった。


 いつもどおり、表情の変化も小さい。


 それでも、声の中にはわずかな安堵が混ざっていた。


 レオンは自然と笑みを浮かべた。


「ただいま」


 一週間ぶりに交わした言葉は、それだけだった。


 だが、不思議とそれで十分だった。


 領都では、多くの商人と会話をした。


 仕入れ条件を聞き、価格を交渉し、自分の商売について説明した。


 どの会話にも意味があり、得るものがあった。


 それでも、カイとの短いやり取りには、それらとは違う安心感があった。


「荷物、下ろすのか?」


「はい。工房で扱う商品ですから」


「多いな」


「これでもかなり減らしました」


「荷台が埋まってる」


「箱が大きいだけです。中身は少量ですよ」


 カイは荷馬車へ近づき、縄で固定された木箱を確認した。


「これは?」


「釘と金具です。こちらが日用品。農具は奥に固定してあります」


「木柄もあるな」


「農具の修理に使えそうな物を選びました。カイさんにも確認してもらいたいです」


 カイはうなずき、荷台へ手をかけた。


 二人で商品を工房へ運び込む。


 重い箱はカイが持ち、レオンは小さな箱や商品を運んだ。


 工房の中には、以前確保していた通路が残っている。


 修理待ち、修理中、完成品の置き場所も守られていた。


 レオンが一週間いなかったにもかかわらず、工具は種類ごとに壁へ並んでいる。


 材料も分類されたままだった。


「元に戻っていませんね」


「何がだ」


「工房です。僕がいない間に、また物が散らばっているかと思っていました」


「戻せと言ったのはお前だろ」


「カイさんは面倒になったらやめるかと思って」


「失礼な奴だな」


 一週間前と同じやり取り。


 レオンは笑いながら、持ち込んだ箱を空いている場所へ置いた。


 すべての荷物を工房へ運び終える頃には、日がかなり傾いていた。


「まずは、仕入れた物を見てもらえますか?」


「腹は減ってないのか」


「報告が先です」


「相変わらずだな」


「カイさんも」


 二人は作業台の上へ商品を並べた。


 最初に取り出したのは、バルドから仕入れた鍬と鎌だった。


 布を外し、作業台へ置く。


 カイは無言で鍬を手に取った。


 刃。


 柄。


 接合部の金具。


 重さの偏り。


 実際に使うときのように軽く振り、細部を確認する。


「どうですか?」


「悪くない」


「それだけですか?」


「かなりいい」


 カイが素直に認めた。


「刃が厚い。硬い土でも欠けにくそうだ。柄とのつなぎも丁寧だな」


「市場の外れにある小さな鍛冶屋で作られた物です」


「職人の名前は?」


「バルド」


 カイは覚えるように、鍛冶屋の名を小さく繰り返した。


「安くはありませんでした。でも、長く使えると思います」


「ああ。安い鍬を何度も直すより、こっちの方がいい奴もいる」


「村人の反応を見て、次の仕入れを考えます」


 レオンはバルドとのやり取りを説明した。


 最初は一本ずつ。


 評判がよければ、次は数を増やす。


 まとめて注文すれば、少し価格を下げてもらえる。


 使う者の身長や手の大きさに合わせた注文品も作れる。


 さらに、見本があれば修理用の刃や金具だけを作れる可能性もある。


「部品だけでも?」


「物を見なければ分からないそうですが」


「十分だ」


 カイの目が、少しだけ鋭くなる。


 完成品だけでなく、修理部品を仕入れられれば、これまで材料不足で断っていた仕事も受けられる。


「次に領都へ行くとき、必要な部品の見本を持っていきましょう」


「まとめておく」


「数も記録してくださいね」


「覚えておく」


「紙に書いてください」


「面倒だ」


「一週間で元に戻っていないと褒めたばかりなのに」


 カイは不満そうにしながらも、完全には拒まなかった。


 次に、釘と金具の箱を開く。


 長さや太さごとに小分けされている。


 扉や家具に使う蝶番。


 留め具。


 荷車の補修へ使えそうな金属部品。


 カイは一つずつ手に取り、質を確認した。


「この釘は使える」


「こちらの安い物と比べると?」


「曲がりにくい。頭も揃ってる」


「同じ工房の品を継続して仕入れられるそうです」


「値段は?」


 レオンは仕入れ値を記した紙を見せた。


 カイの視線が数字の上を動く。


「分からん」


「見る前から諦めないでください」


「数字が多い」


「仕入れ値と運搬費を足して、販売価格を出しています」


 レオンは一つずつ説明した。


 釘一箱の仕入れ値。


 領都から運ぶためにかかった費用の一部。


 売れ残りや破損に備える分。


 その上へ、商売を続けるための利益を加える。


「村人が領都へ買いに行くよりは安くなるようにしています」


「領都の店よりは高いのか」


「運んでいますから。その分は必要です」


「売れるか?」


「分かりません」


 レオンは正直に答えた。


「だから少量です」


 次に、木柄と修理用の木材を見せる。


 カイは木柄の太さを測り、表面を手でなぞった。


「そのままでは使えないな」


「駄目ですか?」


「持ち主に合わせて削る必要がある。ただ、最初から形ができてる分、早い」


「領都の木材商から仕入れました。太さや長さを指定すれば、まとめて用意できるそうです」


「木の種類は?」


「こちらが硬めで鍬や斧向け。こちらが軽く、鎌や小さな道具向けです」


 領都で聞いた内容を伝えると、カイは何度かうなずいた。


「悪くない」


「必要な長さや太さを記録すれば、次からもっと使いやすい物を仕入れられます」


「また記録か」


「情報がなければ、同じ失敗を繰り返しますから」


 最後に、縄や針、糸などの日用品を並べる。


 これらはカイの修理とは直接関係がない物も多い。


「こんな物まで売るのか?」


「村人から欲しいと聞いた物です」


「工房が狭くなる」


「棚を一つ作れば置けます」


「誰が作る」


 レオンはカイを見る。


 カイもレオンを見る。


「……俺か」


「職人ですから」


「勝手に仕事を増やすな」


「販売用の棚が必要なんです」


「料金は?」


「共同事業に必要な設備です」


「つまり、払わないのか」


「材料費は商売の費用から出します。カイさんの作業分は、利益を分けるときに考えます」


「面倒だな」


 口ではそう言いながら、カイはすでに工房の壁を見ていた。


 どこへ棚を作れば、修理の邪魔にならないかを考えているのだろう。


「領都では、ほかに何があった」


 商品を確認し終えると、カイが尋ねた。


 レオンは市場調査について順番に話した。


 商業ギルドで商人登録や行商許可について確認したこと。


 市場で先輩商人たちから情報を集めたこと。


 不透明な取引を持ちかけられたが断ったこと。


 仕入れ先を価格だけで選ばず、継続して取引できる相手かどうかを見たこと。


 少量から始め、売れ方を確認しながら仕入れ量を増やすこと。


 カイは細かな数字や制度の話になると難しい顔をした。


 だが、話を遮ることはなかった。


「つまり、領都では問題なかったのか」


「今のところは」


「変な奴に絡まれたんだろ」


「怪しい商人に誘われましたが、すぐ離れました」


「一人で行くからだ」


「人と一緒でも、怪しい話は来ますよ」


「次は気をつけろ」


 短い言葉だったが、心配していることは分かった。


「はい」


 レオンは素直にうなずいた。


「それから、近くの村についても調べました」


「近くの村?」


 レオンは領都で写した地図を広げた。


 フィルネ村。


 その北東にある開拓村。


 南側にある、果樹栽培の盛んな村。


「帰り道に、分岐も確認しました」


「開拓村の方は道が悪い」


「知っているんですか?」


「前に壊れた荷車を持ってきた奴がいた。あっちの村の住人だ」


「工房へ来たことがあるんですね」


「たまに来る」


 レオンは初めて知った。


 工房の依頼記録を始める前の客なのだろう。


「何を修理しました?」


「荷車の車輪と、斧」


「ほかに困っていることは?」


「知らん」


「世間話をしないからです」


「修理屋だからな」


「だから僕が必要なんですよ」


 カイは否定せず、地図へ視線を落とした。


「果樹の村は?」


「リンゴ、梨、桃、ベリー類を作っているそうです。収穫期には領都まで売りに行く。でも、運ぶ人手が足りない」


「果物を売るのか?」


「まだ分かりません」


 レオンは首を横へ振った。


「まず、実際に村へ行きます。収穫量や道の状態、今どうやって売っているのかを聞く必要があります」


「フィルネの物を売るだけじゃないのか」


「最初は、そのつもりでした」


 だが、領都で周辺の村について知った。


 場所ごとに足りない物と、余っている物が違う。


 フィルネ村や開拓村へ領都の商品を運ぶ。


 果樹の村から果物を預かり、領都へ届ける。


 行きと帰りの両方で荷物を運べれば、無駄も減る。


「将来的には、フィルネ村だけでなく、近くの村も商売の相手にしたいと思っています」


「大きくするのか?」


「無理に広げるつもりはありません」


 レオンは言った。


「まずは、ここで売れるかを確認します。それができてからです」


 急いで事業を広げれば、前世と同じように仕事へ追われることになる。


 一人で領都と複数の村を回り、仕入れ、販売、在庫管理、営業をすべて抱えれば、いずれ限界が来る。


 人と仕組みを使う。


 自分だけで何でもやろうとしない。


 その方針を忘れるつもりはなかった。


「領都の話は、これくらいです」


 レオンは地図と記録をまとめた。


「今度は、カイさんの一週間を聞かせてください」


「俺の?」


「僕がいない間、工房はどうでした?」


「普通だ」


「普通では分かりません」


「修理した」


「何件ですか?」


 カイは少し考えた。


「……記録を見ろ」


 レオンは一瞬、言葉を失った。


 そして、ゆっくりと依頼記録を手に取る。


 一週間分の依頼が、確かに書き込まれていた。


 字は大きさが揃っておらず、ところどころ読みづらい。


 依頼人の名前だけを書き、修理内容が抜けている箇所もある。


 それでも、預かった品と完成した日、受け取った料金は記録されていた。


「書いたんですね」


「書けと言ったのはお前だ」


「面倒だと言っていたのに」


「後で分からなくなる」


 カイ自身が、記録の必要性を認めたのだ。


 レオンは嬉しくなった。


「これなら十分です。少し抜けていますけど」


「分かればいいだろ」


「次からは、修理内容も書いてください。どの仕事が多いか調べられます」


「やっぱり面倒だ」


「慣れます」


 レオンは記録を見ながら、一週間の仕事を確認した。


 鍬。


 鎌。


 木桶。


 椅子。


 荷車の部品。


 刃物研ぎ。


 依頼の数は、レオンが領都へ行く前と比べても多い。


 それでも、未完成の品は想像より少なかった。


「かなり片付いていますね」


「工具を探さなくなったからな」


「依頼の順番は?」


「古い物からやった。急ぎなら、特急料金を説明した」


「揉めませんでしたか?」


「なかった」


 カイは壁に貼られた料金表を見る。


「値段を聞かれたら、あれを見せた。材料が増えるときは、先に言った」


「村人の反応は?」


「分かりやすいと言ってた」


 料金表は、レオンがいなくても機能した。


 依頼人は修理の目安を確認できる。


 カイも、毎回一から料金を考えずに済む。


 材料費や特急料金を加える場合も、理由を説明しやすい。


 仕組みは、作った本人がいなければ動かないのでは意味がない。


 カイ一人でも運用できたことは、工房改革が成功している証拠だった。


「仕事が早くなったとも言われた」


 カイが付け加える。


「誰にですか?」


「何人かに」


「嬉しかったですか?」


「別に」


「顔が少し嬉しそうです」


「見間違いだ」


 カイは顔を背けた。


「受付は、どうでした?」


「品物を預かって、名前を書いただけだ」


「依頼人と話は?」


「壊れた場所は聞いた」


「それ以外は?」


「必要ないだろ」


「世間話です」


「しなかった」


 レオンは予想どおりだと思った。


「困りませんでしたか?」


「少し」


 カイが珍しく素直に認めた。


「どういう場面で?」


「話が長い客がいる」


「誰ですか?」


「ミラ」


 籠を修理へ持ってきた主婦の名だった。


「何を話されたんです?」


「家の裏で育ててる野菜の話。隣の家の鶏の話。宿屋の飯の話」


「それで?」


「いつ修理の話になるのか分からなかった」


 レオンは想像し、思わず笑った。


「笑うな」


「すみません。でも、ミラさんらしいと思って」


「最後には、鍋の取っ手を直してほしいと言われた」


「世間話の中にも情報はありますよ」


「鶏の話が何の役に立つ」


「卵の値段や数が分かるかもしれません」


「鍋の修理に関係ない」


「今はなくても、将来は分かりません」


 カイは納得していない顔をする。


 それでも、レオンが村人との会話を重視する理由を、以前よりは理解しているはずだ。


「ほかには?」


「完成した品を取りに来ない奴がいた」


「知らせましたか?」


「畑にいると聞いたから、近くの奴に伝えた」


「それで来ました?」


「ああ」


「十分できていますね」


「だが、面倒だった」


 カイは少し間を置き、レオンを見た。


「やっぱり、お前がいた方が楽だ」


 一週間前にも、似た言葉を聞いた。


 あのときのカイは、すぐに否定しようとしていた。


 今回は、照れたように視線を逸らしながらも、言葉そのものは撤回しなかった。


「それは褒め言葉ですね」


「違う」


「まだ否定するんですか?」


「受付と話をする奴がいると、修理に集中できるだけだ」


「十分褒めています」


「うるさい」


 カイの耳が、わずかに赤くなっている。


 レオンはからかうのをやめ、工房を見回した。


 自分がいなくても、仕組みは動いていた。


 カイは道具を戻し、依頼を記録し、料金表を使い、修理を進めた。


 それは喜ばしいことだ。


 一方で、依頼人との会話や受付を負担に感じていた。


 カイには、修理へ集中した方がよい。


 そしてレオンには、仕入れや販売、依頼人とのやり取りを担う役割がある。


 領都での一週間と、フィルネ村での一週間。


 二人は離れた場所で、それぞれの仕事を進めていた。


 どちらも一人で何もできなかったわけではない。


 レオンは一人で領都を歩き、仕入れ先を見つけ、商品を選んだ。


 カイも一人で工房を開け、村人の依頼を受け、修理を続けた。


 それでも、二人で行った方が仕事はうまく進む。


 レオンだけでは、商品の品質や修理部品の使い道を正確に判断できない。


 カイだけでは、仕入れや販売、依頼人との細かなやり取りに時間を取られる。


 互いに不足している部分を補える。


 一人ではなく、二人だから前へ進める。


「思ったより順調ですね」


 レオンが言う。


「何がだ」


「工房も、領都での仕入れもです」


「お前が作った仕組みのおかげだ」


 カイが静かに答えた。


 これまでなら、整理したから、道具が見つかるから、と別の理由を挙げていたはずだ。


 今回は、はっきりとレオンの働きを認めた。


「ありがとうございます」


「事実を言っただけだ」


「それでも嬉しいですよ」


「変な奴だな」


「よく言われます」


 工房の外は、すでに暗くなり始めていた。


 商品を棚へ並べる作業は、明日に回してもよい。


 だが、レオンは仕入れた品を箱へ戻さず、工房の壁際へ仮に並べた。


「今後の方針を確認しておきましょう」


「今からか?」


「忘れないうちに」


「腹が減った」


「短く済ませます」


 レオンは指を一本立てた。


「新品の販売は、少量から始めます」


「ああ」


「売れた物は次の仕入れを増やす。売れない物は、理由を考えて減らします」


「次」


「修理は、これまでどおり丁寧に行います」


「当たり前だ」


「新品を売りたいからといって、直せる物へ買い替えを勧めません」


「それも当たり前だ」


「商人にとっては、意外と難しいことなんです」


 売上だけを考えれば、高価な新品を売った方がよい。


 だが、それで村人の信用を失えば、長く商売はできない。


「三つ目。急に事業を広げません」


「さっき、ほかの村の話をしてたぞ」


「将来の話です。まずはフィルネ村で流れを作ります」


「分かった」


「最後に、村人の信頼を一番にします」


「それも、今までどおりだ」


「はい」


 レオンは笑った。


 カイにとっては、どれも当然のことなのだろう。


 壊れた物は丁寧に直す。


 必要のない作業は勧めない。


 できないことを、できるとは言わない。


 職人としてのカイの姿勢は、そのまま商売の信用へつながる。


「修理工房だけではなく、これからは村の道具屋としても営業します」


「道具屋」


「修理もできる道具屋です」


「日用品もあるぞ」


「村の道具と生活用品を扱う店ですね」


「長い」


「では、村の道具屋で」


 正式な店名ではない。


 商会の名も、まだ決まっていない。


 それでも、これまで修理だけをしていた工房が、新しい役割を持つことになる。


 壊れた物を直す場所。


 新しい道具を買える場所。


 修理に必要な部品を相談できる場所。


 生活に必要な小さな品を手に入れられる場所。


「明日、棚を作ってください」


「もう決まってるのか」


「売る商品を床へ置くわけにはいきません」


「どのくらいの大きさだ」


 カイは文句を言いながら、壁の空いている場所を測り始めた。


 レオンも隣に立ち、商品の大きさと数を確認する。


「釘と金具は小箱ごと並べたいです。縄は棚の下へ掛けられるようにしましょう」


「農具は?」


「壁へ立てかけるか、専用の台を作ります」


「倒れるぞ」


「では、柄を固定できる形にしてください」


「日用品は?」


「手に取りやすい高さへ」


「修理の邪魔になる」


「入口側ではなく、こちらの壁ならどうですか?」


 二人で相談しながら、工房の一角へ商品の置き場所を決める。


 以前、使えない材料や依頼品が山積みになっていた場所。


 工房改革で空いた場所が、今度は販売のための空間へ変わろうとしていた。


 翌朝。


 カイは早くから棚作りを始めた。


 領都から仕入れた木材ではなく、工房に残っていた板と端材を使う。


 カイは板の長さを測り、必要な大きさへ切る。


 壁へ取り付けるための支えを作り、重い金具を置いても傾かないよう補強する。


 レオンはその横で、商品ごとの販売価格を書いた紙を準備していた。


 釘。


 金具。


 縄。


 木柄。


 日用品。


 農具。


 同じ種類でも大きさや品質が違う物には、別の値段を付ける。


「また料金表か」


 棚を作りながら、カイが言った。


「値段が分からないと、買いにくいでしょう?」


「聞けばいい」


「第6話で同じ話をしましたよ」


「何の話だ」


「こちらの話です」


 レオンは笑い、価格札を書き続けた。


 販売価格は、仕入れ値へ単純に同じ割合を足したものではない。


 領都での相場。


 運搬費。


 商品が占める荷台の広さ。


 保管中に傷む危険。


 フィルネ村で同じ品を手に入れるために必要な費用と時間。


 それらを考慮して決めた。


 村人が受け入れられるかどうかは、まだ分からない。


 売れなければ、値段だけでなく、商品そのものや売り方を見直す。


「できたぞ」


 昼前には、棚が完成した。


 装飾のない簡素な木の棚。


 それでも、カイが作っただけあって、ぐらつきはない。


 小箱を並べても傾かず、下の部分には縄や木柄を置ける空間がある。


 二人は領都から仕入れた商品を、一つずつ棚へ並べた。


 上段には針や糸、細かな日用品。


 中段には釘と金具。


 下段には縄や修理用の部材。


 木柄は棚の横へ種類ごとに立て、倒れないよう固定する。


 鍬と鎌は、入口近くの壁へ専用の台を置いて並べた。


 商品数は少ない。


 棚の空いている場所の方が多かった。


 同じ品も、一つか二つしかない。


 領都の市場にある店と比べれば、品揃えと呼べるほどの量ではないだろう。


 それでも、これまで修理品と材料しかなかった工房に、初めて販売するための商品が並んだ。


 カイは少し離れた場所へ立ち、完成した棚を眺めた。


「なんか……店らしくなってきたな」


 レオンも隣へ並ぶ。


 壁にかけられた工具。


 整理された材料。


 修理待ちの依頼品。


 完成品。


 料金表。


 依頼記録。


 そして、新しく加わった商品棚。


 一週間前までは、壊れた物を直すだけの工房だった。


 今はまだ小さい。


 正式な店名もない。


 売上も、客の反応も分からない。


 だが、確かに新しい商売の形が生まれていた。


「ここからが本当のスタートです」


 レオンは笑みを浮かべた。


「今までのは始まってなかったのか?」


「準備です」


「長い準備だな」


「商売は準備が大事なんですよ」


「面倒だ」


「でも、楽になったでしょう?」


「……まあな」


 カイは棚の上の鍬へ手を伸ばし、柄の固定を確認した。


 レオンは価格札が見やすい位置にあるかを確かめる。


 二人が作業をしていると、工房の外から声が聞こえた。


「本当に商品が並んでるぞ!」


 昨日、村の入口でレオンを見つけた子供たちだった。


 その後ろには、興味を持った村人たちの姿もある。


「この釘、売ってるのか?」


「新しい鎌もあるぞ」


「縄は丈夫なのかい?」


「針もあるじゃないか」


 一人、また一人と、工房の入口へ村人が集まり始める。


 まだ営業を始めると正式に知らせてはいない。


 それでも、新しい商品への興味は予想以上に大きかった。


 レオンは村人たちへ向き直った。


「今日から、修理品だけでなく、領都で仕入れた道具や日用品も販売します」


「値段は?」


「商品ごとに札を付けています。分からないことがあれば聞いてください」


「この鍬は、カイが作ったのか?」


「領都の鍛冶屋が作った物です。ただ、買う前にカイさんが状態を確認します」


「修理もしてもらえる?」


「もちろんです」


 村人たちの質問へ、レオンが一つずつ答える。


 カイは少し離れた作業台へ戻りながら、その様子を見ていた。


 売る物を選び、仕入れる。


 値段を考え、説明する。


 村人の話を聞き、必要な物を探す。


 それはレオンの仕事だ。


 一方、商品の品質を確認し、壊れた物を直し、必要なら新しい物を作る。


 それはカイの仕事だった。


 領都とフィルネ村。


 仕入れと修理。


 商人と職人。


 離れて過ごした一週間によって、二人の役割は以前よりはっきりした。


 一人でも進めることはできる。


 だが、二人なら、より遠くまで進める。


 レオンが領都で見つけた商品と情報を持ち帰り、カイが工房と村人の信頼を守る。


 その二つが重なり、修理工房は村の道具屋へ変わり始めた。


 商品棚は、まだ半分以上が空いている。


 店名もない。


 商会と呼ぶには、あまりにも小さい。


 それでも、この棚へ並んだわずかな商品こそが、二人の商売の原点だった。


 やがてフィルネ村を代表し、周辺の村々と領都を結ぶことになる商会。


 その始まりは、古びた修理工房の壁際に作られた、一つの小さな棚だった。


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