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たかみねベーカリーと迷えるお客さま  作者:


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#1 ぽっかり空いた穴には、まぁるいあんパンをー前編

 普段穏やかなお坊さんすらも走るほど忙しいと言われる十二月の早朝。今日もたかみねベーカリーの朝は、変わらずマイペースに開店準備を進めている。

 店の入り口にある札を「CLOSE」から「OPEN」に返すのは、ひと通りのパンが焼きあがる午前七時。今日も美味そうなパンが並んでいて気分がいい。


「おはようございまーす」


 間の延びた声を出しながら入ってきた、本日の一号――というか、大体毎日開店と同時にくる――の常連客。

 黒川(くろかわ) (けい)は、つい二週間ほど前にこの店の前で声をかけた、当時は死にそうな顔をして笑っていたサラリーマンだ。


「おう、おはよーさん。今日は何の気分だ?」


 すっかり馴染んだ朝の挨拶に、思わず笑みがこぼれる。


「やっぱりカレーパンはマストで。スパイス効いたの食べた後のチョココロネもいいなー……でもクロワッサンも捨てがたい。ただ、今日はあんパンの気分かな。このやさしい甘さ! 食べると安心するんですよね」


 うちの店にある定番商品を全部食べたんじゃないかってくらい通い詰めてくれているだけあって、愛を感じる返しに嬉しくなってしまう。


「疲れた時の糖分補給は大事だからな。……そういや、最近仕事はどうなんだ?」

「最近は少しずつ改善されてますね。もともとブラック気味ではあったんですけど、去年部長がかわってから一気にひどくなっちゃって」

「それで、あの日か」

「そうなんです。高峰さんにパンをもらった後、勇気を出して人事に掛け合ったんです。そうしたら意外なくらいしっかりと監査が入って……その部長が異動になった上に、新しくきた部長が超いい人で。少しずつ業務内容を見直して、改善しているところです!」


 初めて会った時からは想像もできないくらい活き活きとした笑顔で話す啓からは、もう今にも消えてしまいそうな弱さは感じられない。


「……そうか。頑張ってるんだな」


「はい! みんなが疲れ切っていた頃と違って、今は仕事が楽しくって。働き方改革ってやつですね。今残っている同僚たちと、働きやすい会社にしていきたいんです」


「ははっそれはいいな。ただ、楽しいことも頑張ることもいいが、ムリはするなよ? チョココロネ、おまけしといてやるからちゃんと食べて、ちゃんと寝ろ」


 楽しそう、だけどやっぱり少し疲れも見えるその顔を見ながら、釘を刺す。


「わかってますよー。俺も、もうあんな思いはしたくないですもん……わ、やった! ちょっとチョコが溢れてるコロネ、当たりですね。高峰さんのとこの“不格好なパン”を食べられたら百人力です!」


「本当にお前は調子がいいな……まぁ、今日も気をつけて行って来いよ」


「はい! 行ってきます!」


 元気に会社に向かう後ろ姿を見送り、ふと息を吐く。

 ――啓はもう大丈夫そうだな。


 まだ日も出ていない早朝に会った、仕事帰りだと言う青年。人生そのものに疲れたような風体で目に涙を浮かべながら、それを懸命に誤魔化すように笑う表情に湧いてしまったお節介心。

 余計なことをしたか、とも思ったが、翌日に客として来店してくれた顔を見て少しだけ安心した。だが、その後に断片的に聞いた職場の話に、また心配になっていた。


 「辞める」という選択もあったろうに、「闘う」ことを選んだ啓が今ではほぼ毎日のように店に顔を出し、笑顔で仕事に行く姿を見せてくれて、あの日の行動は“余計なこと”ではなかったんだと安堵する。


「――本当に、良かった」


 まだまだ人生これからだっていう若者がボロボロになっている姿は見たくない。――だから。


「あいつも、笑ってくれたらいいんだけどなぁ」


 

*

 ――啓に会うより、二ヶ月ほど前。まだ残暑が残る、九月下旬。いつもよりも早く目が覚めて、二度寝してしまわないようコンビニに向かっていた午前二時頃。

 夜中に人とすれ違うことなんてない閑静な住宅街で、深く帽子を被りマスクをし、うつむきながら歩く男とすれ違った。


「よう、いい月の夜だな」


 ビクッと、大げさに驚く男の様子は、挙動不審――というより、何かに怯えているようだった。挨拶を返すわけでも、こちらを見るわけでもなく、足早に去って行ってしまった。


「声……かけない方が良かったか?」


 少しだけ申し訳なく思いながらも、どうしてもあの様子は気になってしまう。


「……まぁ、また会うことがあれば、な」

 

 こんな時間に外を出歩くことはほとんどないし、もう会うこともないだろう。――なんて、知らずに立ててしまっていたフラグを回収する機会は、意外とすぐにやってきた。


「よう。また会ったな」


 それから数日後の、午前四時前。仕込み前にゴミを出すため、店舗の裏口から外に出たところで、この前のうつむき男に会った。

 人の姿を見るや否や、来た道を引き返そうとする男の腕を反射的に掴み、声を掛ける。


「っ、な、なんですか……っ」

「おっ 声出せるんじゃないか。おはよーさん。すまんな、お前さんと話してみたくてよ」


 せっかく声が聞けたのに、また黙ってしまった。でも、手を放しても、今度は逃げない。警戒心全開でこちらを見てくる仔猫のように固まってしまったが。


「ここな、俺のパン屋なんだ。一応もう何十年もここでやってるんだが……知ってるか?」

「……知ってる。子供の頃、来たことある。元気でやさしいおばあちゃんがいた」

「おお! 来てくれたことあったかー。それな、俺のばあちゃんだ」


 来たことがある、ということは昔からここらへんに住んでるやつだったっていうことか。思わぬことが分かった上に、昔の店を知っていると言われて嬉しくなった。


「こんな朝早くから、どこか行くのか?」

「……いや、ただの散歩」

「散歩か。この時間は静かで気持ちいいもんな」

「……じゃあ、もう行くんで」

「あ、ちょっとだけ待っててくれ」


 小さな小さな声、だけど言葉を返してくれることへの喜びを顔に出さないようにしながら、帰ろうとする男を引き留め店に入る。

 昨日、少しだけ残っていたパンを袋に入れて、ちゃんと待っていてくれているのを確認しながら外に戻る。


「これ、良かったら食ってくれ。昨日の売れ残りで悪いけど」

「えっ」

「ばあちゃんの味を、上手く引き継げてるといいんだがな」


 ハハッと笑い、袋を手渡す。


「気をつけて帰れよー」


 そのまま、断る隙を与える前に送り出す。男は戸惑ったように袋を見つめ、それから小さく頷いた。そして、きちんと会釈をして去っていく後ろ姿を見えなくなるまで見送る。――おいしく食べられるといいな。


「さて、今日も美味いパンを作るか」


 何だかいい気分のまま鼻歌交じりに仕込みを始める。今日は楽しい一日になりそうだ。


 

*

 ――あれから、二ヶ月とちょっと。あの後も何度か道端で会い、少しずつだが雑談ができるようになった。

 岡本(おかもと) 優介(ゆうすけ)、三十歳。この近所にある実家で、いわゆる“引きこもり”をしているらしい。引きこもり歴十年越え、もはやベテランの域だ。


 詳しくは聞いていないが、「人がこわい」と言っていたから、何かトラブルがあったのだろう。初対面の時に異様に怯えていた理由が、ようやくわかった。……「人がこわい」と思っている相手に、夜道で声を掛けてしまったことは反省しなければならないな。申し訳ない。


「こ、こんにちは……っ」

「ん? お、優介じゃないか。昼間に会うのは初めてだな」


 そんなことを考えていた、クリスマス直前の日曜日。定休日恒例の買い出しに向かう途中の道で、偶然優介に会う。夜中から朝方にかけての時間帯はちょくちょく会うが、こんなに明るい時間に会うのは初めてだ。ついでに声を掛けられるのも初めてだ。嬉しい。子どもの頃、人見知りの仔猫が初めてすり寄ってくれた、あの時の高揚感が胸に宿る。


「何かあったか?」


 だが、心もとないその佇まいに、嬉しさよりも心配の比率が高くなる。


「い、いえ、あの、……っ!」

「ん?」

「お礼を、……何か、渡したくて。でも、思っていたよりも人が多くて、……すみません」


 ――何やら、俺への“お礼”を買いに、わざわざここの大型スーパーに来てくれたらしい。まぁ確かに、いつもの時間だとコンビニくらいしか開いてないからな。

 その気持ちが嬉しくて、ついつい緩んでしまいそうな頬を引き締める。


「そんなこと、気にしなくていいのに。でもありがとうな、素直に嬉しいわ。」

 

 そう言うと、先ほどまでの強張った表情が、少し緩む。それを見て、俺はひとつやりたいことを思いついてしまった。


「優介、お前この後は時間あるか?“お礼”、してくれるなら、ちょっと付き合ってくれよ」

「え?」

「ケーキ、一緒に作ろうぜ」

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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