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8.魔王の座す間ー六魔柱会議ー


――王都ノクタリア、魔王城・黒曜棟第零会議室。


 その場所は、魔王城の中でも選ばれし者のみが足を踏み入れられる特別な空間だった。

 重厚な黒曜石の扉の前に、セレヴィア・ヴァル=ネメシアは立ち止まる。

 息を吸うたびに、魔力の濃い空気が肺に重くのしかかった。


 六魔柱会議――。

 魔王軍の最高決議機関であり、国家の命運を左右する戦略を決める場。

 本来なら六人が座すはずだが、今は四つの椅子しか埋まらない。


 セレヴィアは手袋越しに扉へ触れた。

 冷たい金属の感触と共に、魔力の封印が静かに解ける。


「……入るわ」


 低い音を立てて扉が開く。

 その瞬間、張り詰めた魔力の波が肌を撫でた。


 室内は薄暗く、天井には燭台が並ぶ。

 中央の円卓を囲むように、四人の影が座していた。


 最初に視線を引いたのは――金色の髭をたくわえた巨体。

 鋼のような肉体を持つ男、第一席《鉄鬼》グロズ=ガンベルク。

 2メートルを超える体格に、刻まれた無数の戦傷。

 彼が動くたび、鎧の継ぎ目が鈍く鳴り、威厳そのものが場を支配していた。


 「……お疲れでございますな、セレヴィア様」

 低く響く声は、岩盤のように重い。

 その眼差しは厳格でありながらも、どこか父のような温かさを帯びていた。


 「構わないわ。始めましょう」


 セレヴィアの声は冷静だが、どこか緊張の色を帯びていた。


  「はいはーいっ!」

 高く弾む声が、場の重苦しさを軽く吹き飛ばす。


 明るく笑ったのは第五席《旋律》フィリシア・リュミエール。

 水色の髪をツインテールに結び、胸元には宝石のように光るマイク型の魔導具。

 制服めいた衣装は軍装でありながらも、まるで舞台衣装のように華やかだった。


 「旋律。会議の場だ、少しは静粛に」

 グロズが眉をひそめると、フィリシアは舌を出して笑った。

 「鉄鬼さん怖い〜。でも真面目な顔してるグロズおじさん、好き〜♪」


 彼女の軽口に、セレヴィアはわずかに微笑みを返す。

 この空気を和らげられるのは、彼女しかいない。


 円卓の向こう側――。

 壁際の影から、茶色の尾がゆらりと揺れた。

 その持ち主が姿を現す。


 第六席《幻狐》シオン・イナリガミ。

 糸目の笑顔を崩さず、ひらりと礼をして円卓へ歩み寄る。

 「相変わらず賑やかやなぁ。ほな、ボクはお茶でも持ってきましょか?」


 「……いらないわ、シオン」

 セレヴィアが冷たく返すと、彼は肩をすくめてにこりと笑う。

 「いや〜、冗談や冗談。そない怖い顔せんといてくださいな、魔王代理様」


 軽薄な笑みの奥に、鋭い光が宿っていた。

 その観察眼が何を見抜いているのか、誰にも読めない。


 そして最後の一人――。

 長い赤銅色の髪を背に流し、竜の鱗を部分的に纏った女性が静かに座っていた。

 第四席《灼鱗》カノーネ・リュドラル。

 背中から覗く竜翼は薄く透き通り、赤い瞳は弱々しく伏せられている。

 セレヴィアが入室しても顔を上げず、ただ緊張したように膝の上で手を握っていた。


 彼女の気の弱さは昔からだった。

 だが一度戦場に立てば、その力は誰よりも恐ろしい。

 セレヴィアは小さく頷き、議題の書類を机に広げた。


「北境ルル=フェン地帯にて、強い魔力反応が観測された。偵察部隊が派遣したが、帰還報告はない」


 その言葉に、室内の空気が一瞬で張り詰める。


 「……人間の仕業か」

 グロズの声が地鳴りのように響く。

 その威圧感に、カノーネがびくりと肩を震わせた。


「ひ、ひぃ……っ、そ、そんな……また戦いが……」

 「おちついて、カノーネ」

 セレヴィアがやわらかく言葉をかけると、カノーネは小さく頷いて座り直した。


 セレヴィアは静かに頷く。

 「クラリス聖教会が軍を再編しているとの報告もあります。彼らの動きが本格化する前に、こちらも備えを固める必要があるわ」


 「ふふ、またキナくさい話ですなぁ」

 シオンが目を細める。

 「そろそろ“静かな魔界”ってやつも終わり、かもしれまへんな」


 「軽口はそこまでにしなさい」

 セレヴィアの声は鋭く、しかし冷静だった。

 その眼差しが四人を順に見渡す。


 「――魔王軍の再編を始めます。

  それぞれの部隊を再確認し、二日後に報告を」


 「御意」

 グロズの低い声が響く。


 「りょーかいっ☆ 私も戦歌の調整しとくね〜!」

 フィリシアが軽くウィンクを飛ばす。


 カノーネは小さくうなずき、口を開きかけて――結局、何も言わなかった。

 

 「やれやれ、こりゃまた厄介なことになりそうやなぁ」

 シオンが扇子で口元を隠しながら、目を細める。


 セレヴィアはその様子を見て、胸の奥に一瞬の痛みを覚えた。それでも顔には出さず、会議書類を閉じる。


 「……以上。これより、黒曜棟第零会議室・六魔柱会議を閉会します」


 静寂。

 炎の揺らめきだけが、石の壁を照らしていた。


  会議が終わると同時に、室内の空気は一変した。

 あの張り詰めた重圧はどこへやら、まるで一瞬で緊張の糸が切れたようだった。


「――はぁ〜、やっと終わったぁ!」

 誰よりも早く椅子から立ち上がったのはフィリシアだった。

 両腕をぐいっと伸ばし、背筋を鳴らす。

 その仕草ひとつで、あの軍法会議がただの談笑会のように見えてしまう。


 「いや〜、やっぱ会議って苦手! 数字とか地図とか、眠くなっちゃうんだよね〜☆」

 「……お前は本当に変わらんな」

 グロズが低く呟くと、フィリシアはケラケラと笑って返した。


 そんな中、ひょいっと何かを取り出したのはシオンだった。

 「あー、そうそう。みんなお疲れさんやし、今日はええもん持ってきたんや」

 そう言って机の上にどっさり置かれたのは――包み紙に包まれた白い饅頭。


 「ま、まんじゅう……?」

 カノーネが目を瞬かせる。

 「せや。“人間界名物”ってやつや。裏の商人から譲ってもろたんやで」


 シオンは胸を張って自慢げに言うと、ひょいひょいと器用に包みを放り投げ、

 「ほい、代理様もどうぞ」「はいはい、フィリシアちゃんも」「おっと、グロズさんは二個やなお孫さんにもよろしゅうなぁ」

 と、勝手に配り始めた。


 「……お前、会議室を菓子まきの場と勘違いしていないか」

 セレヴィアが半眼で睨む。

 「ええやないですか、固い話ばっかやと寿命縮みますし」

 シオンは悪びれもせず、にこにこしながら饅頭をひとつ頬張る。


 それだけでは終わらなかった。

 「おっ、そこの嬢ちゃんもどや? 甘いもん、好きやろ?」

 部屋の隅で片付けをしていたメイドにまで声をかけ始めたのだ。


 「……え、あの、わ、私ですか!?」

 「せやせや。えらいべっぴんさんやなこれでも食べてお仕事頑張ってや」

 「え、あ、ありがとうございますぅ……!」

 「ちょ、ちょっとシオン!? ナンパするなっ!」

 セレヴィアの声も空しく、シオンは尻尾を揺らしながら楽しげに談笑を続けていた。


 ――なんだあいつは。


 魔王代理である自分ですら、たまにあの男のペースにはついていけない。

 それを思うと、自然とため息がこぼれた。


 「ねぇセレヴィア〜!」

 背後から、軽快な声が飛ぶ。フィリシアだ。

 「このあと予定ある? せっかくだし、カノーネと三人でショッピング行こうよ!城下に新しい宝飾店ができたんだって!」


 「えっ……わ、わたしもですかっ!?」

 カノーネがきょとんと目を丸くし、尻尾をぱたぱた揺らした。

 「も、もしかして……わたし、人数に入ってるんですか……っ?」

 「もちろんでしょー? ね、セレヴィア?」


 「……悪いけれど、今日はやめておくわ」

 セレヴィアは微笑を浮かべながらも、きっぱりと断った。

 「妹の様子を見に行くつもりなの」


 「そっかぁ〜、残念! でも、また今度ね!」

 フィリシアが軽く手を振る。カノーネは残念そうに肩を落とした。


 会議室を出ると、黒曜棟の長い廊下にひんやりとした風が流れていた。石の壁に埋め込まれた燭台が、柔らかな灯りを揺らす。廊下の先に見慣れた影が歩いていた。


 「グロズ殿」


 「……セレヴィア様」

 いつも通りの重低音。

 それだけで、空気がぴんと張り詰める。


 「さきほどの会議では、助言ありがとうございました」

 「当然の務めです。……しかし、あの幻狐の軽口、まったくもって困ったものですな」


 だが、グロズの声音はいつもより少し柔らかかった。

 ふと、彼が脇に持っている書簡の束の間に、小さな花飾りのようなものが見えた。


 「……それは?」

 「ああ、これですか。孫が作ったものでしてな」

 「孫娘さん……?」

 「ええ。今日は連れてきております。まだ幼いですが、鍛錬の見学にと」


 グロズの表情が、わずかに緩んだ。

 「まったく、落ち着きのない子でして。……ですが、見る者の目を惹く、不思議な気品がある」


 「ふふ……可愛らしいお孫さんですね」

 セレヴィアはそう言って微笑む。


 氷のような風が頬を撫でる。


 ――あの子の部屋へ、早く戻らなければ。


―――――――――――――――――――――――――

 

フィオレッタの語り口は、どこか授業めいていた。

 少し緊張した面持ちで背筋を伸ばし、手のひらを胸の前で重ねる。

 その姿勢は、まるで学者の子女が教本を読み聞かせるようだ。


「――というわけでして、魔王陛下に直接仕えている六人の柱を、我々は“六魔柱”と呼びますの」


 「ろく……まちゅう……」

 リリスは小首をかしげながら、その響きを口の中で転がした。

 「はいっ! 六魔柱は、グラティオル大陸の象徴とも言える存在でして。軍、諜報、魔導、……さまざまな役職を担っておりますのよ!」


 フィオレッタは目を輝かせながら続ける。

 「それぞれに異名がございましてね。“鉄鬼”“旋律”“灼鱗”“幻狐”“幽葬””魔導”……といろいろ称号もありますのよ!」


 「ふむふむ……すごい……」

 リリスは、芝生の上で正座のように座りながら頷いた。

 頭の中で一つ一つの言葉を並べてみる。

 どれも壮大で、重々しい響きだ。


 「ええ。そして――そのうちの一人が、わたくしの祖父、“鉄鬼”グロズ=ガンベルクですわ!」


 胸を張るフィオレッタ。

 「お祖父様は、軍の統制を担っておられまして……とても強くて、厳しくて、でも本当は優しいのですの。兵士の誰もが尊敬していて、城下では英雄のように語られておりますのよ!」


 「フィオのおじいさま、つよいんだね」

 「はいっ! もちろんですわ!」

 フィオレッタは頬を赤らめながら笑顔を見せた。


 リリスもつられて微笑む。

 ――そういえば。


 「ねぇ、フィオ」

 「はい?」

 「ろくまちゅうって……6人、いるんだよね。

  でも、さっきおなまえきいたの……4人?」


 フィオレッタは一瞬、言葉を詰まらせた。

 「え、ええと……それは……」

 曖昧に視線を泳がせ、困ったように指先を絡める。


 リリスが首を傾げかけたそのとき。


 「――お時間でございます、リリス様」

 柔らかな声が響いた。


 ミレーユだった。

 整った所作で歩み寄りながら、穏やかに頭を下げる。

 「そろそろお部屋へお戻りくださいませ。今日は長い時間を屋外で過ごされましたので、体に負担がかっております」


 「あ……そう、いえば……」

 言われてみれば、体が少し重い。

 最初は楽しくて気づかなかったけれど、胸の奥がじんと熱く、指先に力が入らない。


 「リ、リリス様!? お顔が……!」

 フィオレッタが慌てて駆け寄る。

 「ご、ごめんなさいですわっ! わたくし、ついお話しすぎて……!」

 焦って両手をわたわたさせる姿が、どこか小動物のようだった。


 ミレーユはそんな二人の間に静かに立ち、しゃがみ込む。

 「無理をさせてしまいましたね……」

 そう言って、そっとリリスの体を抱き上げた。


 お姫様抱っこ。

 突然の感触に、リリスの体がびくりと跳ねる。


 「み、ミレーユさん……あの……っ」

 「大丈夫です。動かなくてよろしいですよ」


 ミレーユの腕の中は、ほんのり温かい。

 彼女の髪からほのかに香るラベンダーの香りが、鼻先をかすめる。リリスは胸の奥で、小さな羞恥心が泡のように弾けるのを感じた。

 (……大人の男だったのに……こうして抱っこされるの、なんだか……)


 視線を泳がせながら頬を赤く染めるリリスを見て、フィオレッタが慌てて手を振った。

 「ご、ごめんなさいですわ! やっぱり無理をさせてしまいましたわね……!」

 「フィオレッタ様のせいではございません」

 ミレーユが落ち着いた声で返す。

 「リリス様少しお部屋でお休みになりましょう」


 そう言って立ち上がると、廊下の扉を開いた。

 廊下には、夕暮れの魔灯が灯りはじめていた。

 光がミレーユの髪を淡く照らし、銀白の輝きを帯びる。


 「ミレーユさんっ! わ、わたくしも――!」

 フィオレッタも慌てて後を追って出てきた。


  ミレーユの腕の中で、リリスは静かに揺られていた。

 長い廊下の先から流れてくる冷たい風が、頬を撫でる。


 廊下の果てには、金と黒の紋章が彫り込まれた大扉。

 その前に、二つの影が立っていた。


 ひとりは見慣れた銀髪の少女――セレヴィア。

 もうひとりは、リリスにとって初めて見る人物だった。


 それは、“圧”の塊のような存在。


 鎧の上からでも分かるほどの巨体。

 鋼のような筋肉に覆われた腕、そして肩から垂れる深紅のマント。髭をたくわえた金髪の男は、動かずとも威圧感を放っていた。頭部には白を基調とした大きな角が生えている。

 赤黒い魔紋が鎧の縁に刻まれており、それが呼吸のたびに淡く脈打つ。


 (……で、でかい……!)


 見上げるというより、まるで見上げきれない。

 廊下の灯火が彼の背で割れ、影が天井まで伸びていた。

 その男――グロズ=ガンベルクは、こちらを一瞥すると低い声を漏らした。


 「……その腕の中の子は」


 「妹です」

 セレヴィアが静かに答える。

 その瞬間、グロズの表情がわずかに和らいだ。


 「なるほど……噂に聞く“リリス様”でございますか」


 ミレーユが静かに膝を折り、恭しく頭を下げる。

 「グロズ様、いつもお世話になっております」


 「うむ。そなたも変わらず勤勉なようで何よりだ」


 低い声。

 地鳴りのように響き、廊下の空気が震えた。

 その圧だけで、息が詰まりそうになる。

 けれど不思議と――怖くはなかった。


 彼の瞳は、どこか優しい色をしていたから。


 (……この人が……フィオのおじいさま……?)


 ミレーユの背後で立ち尽くしていたフィオレッタが、ハッとしたように姿勢を正した。

 「セ、セレヴィア様!?」


 「えっ、えっと、そのっ……お初お目にかかりますわ!グロズ=ガンベルクが孫娘フィオレッタ=ガンベルクと申しますわ。以後お見知り置きを」

 まるで小動物のように緊張した声で言いながら、

 フィオレッタは背筋をぴんと伸ばして深くお辞儀をした。


 その様子に、セレヴィアが小さく微笑む。

 「あなたが……グロズ殿のお孫さんね」


 「は、はいっ! そ、そうでございますっ!」

 顔を真っ赤にしながら返すフィオレッタ。


 グロズは深く頷き、孫娘を一瞥してから。

 「……面倒をかけておらぬだろうな」


 わたわたと両手を振るフィオレッタ。

 そんな彼女を見て、グロズはほんのわずかに口の端を上げた。


 (……笑った……?)

 リリスは思わず目を瞬かせた。

 あの厳つい顔に、優しい笑みが浮かぶなんて想像もしていなかった。


 「リリス様の具合は?」

 グロズの問いに、セレヴィアは少し表情を曇らせた。

 「……あまり良くはありません。体が弱いのです」

 「そうか。……大事にしてやるとよい」

 その声には、鉄を溶かすような温かさがあった。


 ミレーユはリリスを抱いたまま、静かに一礼する。

 「では、このままお部屋に戻ります」


 セレヴィアが一歩前に出て、リリスの髪をそっと撫でた。

 「私も行くわ。少しだけ待っていて」

 「……うん」


 その声を聞いて、フィオレッタもおずおずと一礼する。

 「そ、それではわたくしもご一緒いたしますわっ!」


 「今日はもう帰るぞ、フィオレッタ」

 「ま、まだリリス様とお話がしたいですのに〜。リリス様また遊びきてもよろしいでしょうか!?」


 グロズに腕を引かれたフィオを見送りながら、

「また、きてね」と手を振る。

 

 

 

 

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