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7.雪と花の間で

7.雪と花の間で

 ――名門の娘とは、何かと窮屈なものだ。


 静まり返った回廊を歩きながら、フィオレッタ・ガンベルクは小さくため息を漏らした。

 足音が反響するたび、広い魔王城の石壁が冷ややかに音を返す。


「……お祖父様の会議、長いですわ」


 隣には誰もいない。

 けれど自然と独り言が零れる。声を出さなければ、あまりに静かすぎるのだ。


 今日は“稽古の代わり”として、祖父グロズに付き添って王都ノクタリアの中心――魔王城を訪れていた。

 本来ならば作法の稽古を受けている時間である。

 だが、朝のうちに「勉強の一環としてお祖父様に随行したい」と申し出たのだ。


 理由は簡単。

 ――礼儀作法なんて、退屈で息が詰まるからだ。


 「お辞儀の角度が浅い」「言葉遣いが貴族らしくない」――そんな叱責を一日に何度も受ける。

 頭ではわかっているのだ。名門の娘として相応しい態度を身につけねばならない、と。

 けれど体を動かす方が好きな彼女にとって、それはまるで自分を石像に変えるような苦行だった。


 「……あの先生、絶対に楽しんでいらっしゃいますわ」


 唇を尖らせながら、ツインテールの先を指で弄ぶ。

 柔らかく揺れる金髪が肩を滑り、光を受けて煌めいた。

 絹のような髪を結い上げたせいで首筋がやけに冷たい。魔王城の空気は思っていたよりも静かで重たく、

 このまま動かずにいれば本当に石像になってしまいそうだった。


 城の中は荘厳で、けれどどこか寂しい。

 黒と金を基調とした壁、長く続く絨毯、磨き上げられた燭台。

 人の気配は少なく、聞こえてくるのは遠くの魔導通信の声と、

 時折、重い鎧を着た兵士たちが歩く音だけだった。


「魔王城って……もっと賑やかだと思ってたのに」


 心の中でぼやく。

 初めて足を踏み入れる場所だからこそ、もっときらびやかな“魔界の中心”を想像していた。

 けれど現実は違った。威厳と静寂ばかりで、どこか冷たい。


 お祖父様――先代から仕える六魔柱の一人である、"鉄鬼"グロズ=ガンベルク。城の中でも古参中の古参だ。

 そのため彼女が同行を願い出ると、兵たちは一様に敬礼して通してくれた。

 だが、祖父はすぐに「会議がある」と言って執務室へ消え、

 残されたフィオレッタは見知らぬ城の廊下で一人きり。


 「はぁ……退屈」


 口に出した瞬間、胸の奥でその言葉が思ったより重く響いた。

 退屈というより――寂しい、のかもしれない。


 友達なんていない。

 同年代の子たちは皆、彼女を“鉄鬼の孫娘”と敬遠する。

 稽古に明け暮れる日々の中で、誰かと笑い合った記憶はほとんどない。


 「……ほんとは、武芸の話とか、音楽の話とか……そういう話、したいのに」


 無意識に呟いた声は、石壁に吸い込まれて消える。

 そんな時だった。


 ――ひときわ冷たい風が、背後から吹き抜けた。


 はっとして振り返る。

 通路の先、重厚な鉄の扉がひとつだけ開いている。

 そこから、外の光が差し込んでいた。


 「あら……?」


 扉の向こうには、かすかに雪が舞っているのが見えた。

 風に乗って花の香りがする――この匂いは、庭?


 好奇心が勝った。

 フィオレッタは裾を少しつまみ上げ、足を踏み出す。

 お祖父様に叱られるのはわかっている。けれど、それでも――。


 「少しくらい、見ても……いいわよね」


 そう小さく呟いて、鉄の扉を押し開けた。


 外の光が、一気に視界へと溢れ込む。

 それは、彼女がこの世界で“初めて”出会う誰かへとつながる、一歩だった。

 ―――――――――――――――――――――――――――


 ……誰か、来た。


 ギィ、と音を立てて開いた扉の方を見やると、そこに一人の少女が立っていた。

 雪の光を背に、きらきらと舞う白い粒の中で、金色の髪がふわりと揺れる。


 年の頃は、たぶん十歳くらいだろうか。

 ふわりとしたツインテールは絹糸のようで、陽の光を受けて淡く輝いていた。

 裾の広がった白と青のドレスには金糸の縫い模様があり、清楚でありながら気品に満ちている。

 小さなティアラが髪に光を散らし、まるで童話に出てくるお姫様みたいだった。


 少女は扉を開けたまま、ぽかんとこちらを見つめていた。

 目が合った瞬間――なぜか僕の体が、ぴたりと固まる。

 胸が少しきゅっと縮むような、言葉にできない感覚。


 (あれ……なんで、こんなに緊張してるんだろう)


 心の中では落ち着いているつもりなのに、体が思うように動かない。

 顔も上げづらく、目を合わせるのが怖い。

 けれどその理由が自分でもわからない。

 それは――まるで、この小さな体の反応に引っ張られているみたいだった。


 やがて少女ははっとしたように姿勢を正し、

 慌ててスカートの裾を持ち上げて上品にお辞儀をした。


「し、失礼いたしましたわ……! わたくし、フィオレッタ・ガンベルクと申しますの。

  お庭に、どなたかいらっしゃるとは思わず……ご挨拶が遅れてしまいましたわ」


 その仕草は完璧で、まるで貴族の舞踏会で習うような美しい礼だった。

 やわらかく笑む顔は整っていて、声もどこか鈴のように響く。


 ミレーユが落ち着いた声で応える。

 「フィオレッタ・ガンベルク様ですね。お噂は伺っております。

  こちらにおられるのは、魔王代理――セレヴィア様の御妹君、リリス様でございます。

  少々お身体が弱く、療養中のため滅多に外に出ることはありませんが。」


  「まあ……!」

 フィオレッタの目がまんまるになった。

 そしてすぐに表情を引き締め、姿勢を正し直す。

 「それはなんと……お見舞い申し上げますわ。

  まさか、魔王代理殿のご令妹にお目にかかれるなんて光栄ですの」


 思わず顔が熱くなる。

 自分でもわかるくらい頬が赤くなって、視線を下にそらした。

 (う、うぅ……なんか、子ども扱いされてる気がする……)


 「えっと……こんにちは……」


そう言うのが精一杯だった。

 声が小さくて、少しかすれていた。

 自分ではちゃんと話しているつもりなのに、体がこわばって、うまく笑えない。


 ――なんでだろう。

 怖いわけじゃないのに、心がぎゅっと縮む。

 頭の中では落ち着こうと思っても、体が言うことを聞かない。

 気づかぬうちに、指先がミレーユの服をつまんでいた。


 フィオレッタは、そんな僕を見てふわりと微笑んだ。


「ええ、ご機嫌ようリリス様。お加減は、少しよろしいのですの?」


「え、えっと……うん……だいじょうぶ、です……」

 やっとのことで答えると、フィオレッタの瞳がぱっと柔らかく光った。

 「ねぇ、もしよろしければ……ご一緒しても?」


 ミレーユが一瞬こちらを見た。

 その視線に気づき、僕は小さくうなずく。


 「……はい。いっしょに……」


 「まぁ! うれしいですわ」

 ぱっと咲いたその笑顔に、雪の庭が少しだけ明るく見えた。


「リリス様は……外に出られること、あまりないのですの?」


 隣に座るフィオレッタが、そっと問いかける。

 その声は雪解けの水みたいに澄んでいて、聞いているだけで穏やかになれる。


「えっと……あんまり。体が、弱いので……」


 フィオレッタは少しだけ目を伏せたが、すぐに顔を上げてにこりと微笑んだ。

 「でも、こうしてお会いできてとても嬉しいですわ。

  いつもは稽古とお勉強ばかりで、なかなかお話できる方がいませんの」


 「けいこ……ですか?」


 「ええ。剣術や作法などですわ」

 その言葉に、リリスの瞳がわずかに輝いた。


 「……けん、です?」

 「そうですの。刃を扱う稽古――でも、力任せではありませんのよ。

  剣は、舞のように優雅であってこそ美しいのですわ」


 そう言ってフィオレッタは、腰に提げていた小ぶりの剣を静かに抜いた。

 細身で光沢のある刃は、雪明かりを受けて青く光る。


 「……ご覧になります?」


 リリスがうなずくと、フィオレッタは軽く笑って立ち上がった。

 その動きには、一片の迷いもなかった。


 風が静まり、庭園に張りつめた空気が走る。

 フィオレッタは軽やかに一歩踏み込み、

 ひらりとドレスの裾を翻しながら、優雅に剣を振るった。


 ――す、と風が鳴る。


 その刃はまるで舞のよう。

 白い雪を切り裂くことなく、むしろ一緒に踊るように軌跡を描いた。

 金の髪が宙に揺れ、薄い唇が凛と結ばれている。

 力強くも、どこか儚い――

 そんな不思議な美しさがそこにあった。


 「……すごい……!」


 リリスの口から、思わず声が漏れた。

 その言葉には、打算も気遣いもなかった。

 ただ純粋な感嘆がこもっていた。


 「きれい、です……」


 フィオレッタは、ぴたりと動きを止めた。

 息が白く、頬が少し紅潮している。

 彼女は剣を納めながら、ゆっくりとリリスの方を振り返った。


 「まぁ……きれい、だなんて……そんなふうに言われたのは初めてですわ」


 「ほんとに、すごかったです。ゆきが、いっしょにおどってるみたいで……」


 小さな声。

 けれど、その響きはまっすぐにフィオレッタの胸に届いた。


 多くの者は、彼女を見るたびにこう言う。

 “鉄鬼の孫娘らしいな”“あの名家の期待を背負っている”――と。

 けれど、誰も「きれい」とは言ってくれなかった。

 強さばかりを求められ、名に縛られてきた日々。


 そんな中で、いま目の前の小さな少女が、

 ただ“フィオレッタ”として自分を見てくれている。


 胸の奥が、ふっと温かくなった。

 剣を握る手が少しだけ震える。


 「ふふ……ありがとうございますわ、リリス様。

  お褒めいただけるなんて光栄ですの。

  わたくし、これでも祖父に鍛えられておりますのよ?」


 得意げに胸を張るその姿に、リリスは思わず笑ってしまった。


 「おじいさま、つよいんですか?」

 「ええ、とっても。わたくしの剣はまだまだ未熟ですわ。

  でも……強くなるのです。わたくしの力で、誰かを守れるように」


 その言葉に、リリスは目を瞬かせた。

 “守る”――その響きが、どこか胸に刺さる。


 「……すてき、です」


 「まぁ……」

 フィオレッタがそっと微笑んだ。

 その笑みは、雪よりもやわらかくて、春の陽だまりのように優しかった。

 

 雪は静かに降り続けていた。

 先ほどまで剣を振っていたフィオレッタの頬には、まだわずかな紅が残っている。

 その顔を見つめていると、こちらまで少し息が詰まるような気がした。


「……リリス様」


 呼ばれて、顔を上げる。

 フィオレッタは、胸の前で両手をぎゅっと握りしめていた。

 いつも優雅なその姿が、今はどこかぎこちない。


「わたくし……少し、おかしなことを申しますけれど」


 金のまつげが伏せられ、雪の上に影を落とす。

 耳の先まで、ほんのり赤い。

 リリスは首をかしげた。


「おかしなこと……ですか?」


 「ええ……その……」

 フィオレッタは視線を彷徨わせ、言葉を探すように唇を震わせる。

「わたくし、ずっと、お友達というものに憧れておりましたの」


 リリスは瞬きをした。

 おともだち――

 その言葉はどこか懐かしくて、胸の奥が少しあたたかくなった。


「幼いころから“鉄鬼の孫娘”として育てられてきましたの。

  誰もわたくしを“わたくし”として見てくださらなくて……。だから、リリス様のようにまっすぐに話しかけてくださる方は初めてですの」

 

 彼女の声は小さく、雪に溶けるようだった。

少し唇を噛みしめ、

 けれど次の瞬間、ふっと顔を上げて、真っ直ぐにリリスを見つめた。


  「ですから……お願いですわ。

  わたくしと、お友達になってください」


 息が止まる。

 真っ赤な頬、揺れるまつげ。

 その瞳の中に、雪明かりが映ってきらめいていた。


 「わたくし、リリス様とお話していると……心が、あたたかくなるのですの。

  貴族としてでも、“鉄鬼の孫娘”としてでもなく……ただの、フィオレッタとして」


 胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚。

 僕――リリスは、何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。


 こんなふうに、まっすぐに求められたのは、いつ以来だろう。

 前の世界でも、こんな出会いはなかった気がする。


 「……ぼ、ぼくでよければ……」


 言った瞬間、フィオレッタの瞳がぱあっと輝いた。

 雪が光に変わったような笑顔だった。


 「まぁっ……! 本当に? 本当にですのね!?」

 「う、うん……」


 「うれしいですわっ!」


 フィオレッタは両手を胸の前で組んで、ぴょん、と軽く跳ねた。

 スカートの裾がふわりと揺れて、金の髪が雪の粒を弾く。


 その姿があまりに楽しげで、思わず笑ってしまった。

 「ふふ……フィオレッタさん、すごくうれしそう」


 「だって……! だって、リリス様が、わたくしのお友達になってくださるなんて!夢のようですわ!」


 満面の笑みで、両手をそっと握ってくる。

 彼女の指は冷たくもなく、あたたかすぎるわけでもない。

 それでも、胸の奥がじんわりと温かくなった。


 しばらくはしゃいだあと、フィオレッタは小さく咳払いをして、

 少しだけ照れたように視線をそらした。


 「……あの。

 その……“フィオレッタ”では少し長いですわよね?」


 「え?」

 「ですから、リリス様が呼びやすいように――あだ名でも構いませんの。

  お祖父様や従者の方々からは“お嬢様”としか呼ばれませんけれど……」


 指先でツインテールをくるくると弄びながら、恥ずかしそうに笑う。

 「……“フィオ”なんて、どうでしょう?」


 「……フィオ?」

 「ええ、そうですわ。可愛らしい響きでしょう?」


 リリスは小さく考え込んでから、勇気を出して口を開いた。

 「……じゃあ……フィオ、ってよんでもいいですか?」


 その瞬間、フィオレッタの瞳がぱっと輝く。

 まるで夜空に星が瞬いたようだった。


 「まぁっ……! はいっ、ぜひそう呼んでくださいまし!」


 顔を真っ赤にして笑うその姿に、リリスの胸がくすぐったくなる。

 呼び慣れない名を、もう一度確かめるように口にした。


 「……フィオ」


 「……♡」

 フィオレッタは目を細め、頬に手を当てながら、まるで夢を見ているかのように微笑んだ。


 「リリス様にそう呼ばれるなんて……本当に、うれしいですの」


 その声音は甘く、雪の上に溶けて消えていくようだった。


 ふたりの間の距離は、もう息をすれば触れそうなほど近い。

 リリスは無意識に目をそらしたけれど、手はまだ繋いだままだった。


 ――この温かさが、友達というものなのかな。

 そう思うと、胸の奥がぽっと灯るように熱くなった。


 雪がひとひら、ふたりの髪に落ちる。

 その瞬間、フィオが笑いながらそっとリリスの頬に触れた。


 「リリス様……これから、たくさんお話しましょうね」


 「……うん、フィオ」


 呼び慣れないその名が、やさしく唇に溶けていく。

 空中庭園に、雪と花と笑顔がひとつに混ざっていた。

 

 

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