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4.見えない家族


この部屋に訪れる者は、限られている。

 姉のセレヴィア。専属のメイドミレーユ。そして、ごく稀に入れ替わりでやってくる他のメイドが一人か二人。

 それ以外の顔を見ることはほとんどなかった。


 静かすぎる部屋で過ごしていると、その事実がときどき頭をもたげる。

 ――両親の姿を、まだ一度も見たことがない。


 いや、そもそもいるのだろうか。


 セレヴィアはいつも「魔王代理」と呼ばれている。兵士たちや侍女が頭を下げるとき、口々に「魔王様」とさえ口にすることもある。

 代理、というからには本来その座に就くべき存在がいるのだろう。けれど、今はセレヴィアがその役割を果たしている。


 "そういうこと、なのだろうか"。


 両親は存命ではないのかもしれない。

 けれど、確かめたわけでもない。ただ、見かけないというだけだ。


 ベッドに横たわりながら、ぼんやりと天蓋を見上げる。

 異世界の「子育て」というものがどのようなものか、僕にはわからない。


 もしかすると、貴族や王家の子は侍女に育てられるのが普通で、親と顔を合わせることも稀なのかもしれない。

 それなら、この状況も特に不思議ではないのだろう。


 ……でも。


 セレヴィアが「お姉さま」として毎日のように顔を見せてくれるからこそ、逆に考えてしまう。

 ――もし両親がいるなら、どうして一度も来ないのだろう。


 前世での自分は、家族と疎遠だった。大学進学を機に地元を離れ、社会人になってからは連絡を取ることすらほとんどなくなっていた。

 だから、家族が近くにいるのに顔を見せない、という感覚は理解できなくもない。


 ……だが、この幼い体で「家族がいない」可能性を思うと、妙に心細くなる。


 セレヴィアのことは、信じている。あの胸の温もりに触れたとき、確かに「家族がいる」と思えた。

 けれど、それがすべてなのだろうか。


 枕に沈みながら、もう一度考える。

 ――この部屋に来るのは、セレヴィアか、ミレーユだけ。

 その事実は変わらない。


 もしかしたら、この部屋は「僕のためだけの小さな世界」で、外には想像以上に広くて厳しい現実があるのかもしれない。


 「……さびしいな」

 苦笑を浮かべてそう呟く。


 前世では忙しすぎて、立ち止まる暇もなかった。

 今は逆に、動けないほどに静かすぎる。


 どちらが幸せなのか、判断するのは難しかった。


 ただ一つ確かなのは――この小さな部屋が、僕にとって今の「世界のすべて」だということ。


 両親の姿を見たことがない、その空白を思うたびに、セレヴィアとミレーユの存在の重みが増していくのだった。


―――――――――――――――――――――――――


 セレヴィアやミレーユ以外に、この部屋で顔を合わせる人物がもう一人だけいた。

 ミレーユが不在の日、代わりに世話をしに来る猫耳のメイド。


 初めて見たときは、思わず目を疑った。

 ――猫耳、だ。


 ふわりと揺れる茶色の立ち耳。その先は少しだけ色が濃く、感情が動くたびにピクリと震えていた。背中から伸びる尻尾はふさふさで、彼女の緊張を隠しきれずにぶんぶんと揺れている。


 それだけでも目を引くというのに、彼女はどこか挙動不審だった。

 何もないところで足をもつれさせ、よろめいて転びそうになったかと思えば、持っていたお盆をあわや床に落としかけて慌てふためく。


「……っ」


 リリスは思わず息を呑んだ。

 何か落ちたら危ない、そう思わせるほど危なっかしい動作。


 けれど、どうにか体勢を立て直した彼女は、頬を赤くしながら深くお辞儀をした。

 「し、失礼いたしましたっ!」


 声はまだ耳に残っている。けれど、名前は告げられたことがない。


 ――僕に仕える新人なのだろうか。

 動きからして緊張が見て取れるし、態度もどこかぎこちない。


 ……それもそのはずだ。僕が「魔王の血を継ぐ令嬢」であるなら、下働きの新人にとっては重責以外の何物でもないはずだ。


 そんな風に考えると、転ぶたびに心配になる。

 だが同時に、完璧すぎるミレーユと比べて、どこか親しみやすい空気もあった。


 「……ネコ……」


 小さく呟いた瞬間、不意に胸の奥がざわめく。


 そう、猫耳だ。

 ついこの体に慣れて、病弱で寝たきりの生活に慣れて、ここが「元の世界」ではないことを忘れそうになる。


 だけど、猫耳の彼女を目にすると、はっきりと思い知らされる。

 ここは異世界なのだ、と。


 ……異世界。


 言葉を頭の中で転がす。


 前世で読んだ小説や見た物語を思い出す。異世界といえば――魔法、剣、そして竜。

 ファンタジーを彩るものが数多く浮かんでくる。


 「まほう……あるのかな」


 ぽつりと漏らした声は、自分でも驚くほど子供っぽかった。

 ミレーユの読み聞かせてくれた絵本にも、精霊や剣士が登場していた。寓話とはいえ、まったくの作り話ではないのかもしれない。


 ならば、この城のどこかに――本当に魔法を使う人間がいるのだろうか。

 あるいは、竜の姿で空を翔ける存在がいるのかもしれない。


 病に縛られ、ベッドからほとんど動けない身であっても、想像は自由だった。

 目を閉じると、絵本で見た虹のかかった空を思い出し、そこに竜が舞う姿を勝手に重ねてしまう。


 ――いつか、自分の目で見てみたい。


 ふと胸にそんな願望が芽生えた。

 すぐに「無理だろう」と理性が否定するけれど、心の奥底で消えずに残る。


 そのとき、また廊下からドタドタと慌ただしい足音が近づいてきた。

 ――きっと、猫耳の彼女だ。


 ベッドの上で微笑を漏らしながら、リリスは再び耳と尻尾の動きを想像した。

 転ぶ音が聞こえる前に、なぜか胸の中に少しだけ楽しさが灯っていた。

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