28.リリスちゃんドキドキ誕生日パーティ3
胸元の蒼い宝石にまだ指先の感触を残したまま、リリスはふと視線を上げた。
部屋の入口近くに、見慣れた姿がある。
いつの間にか、フィオレッタが立っていた。
銀の髪越しに目が合うと、彼女は一瞬だけ小さく息を呑んだように見えた。だがすぐに、いつもの落ち着いた微笑みを浮かべ、ゆっくりと歩み出る。
「……本日はお招きいただき、誠に光栄に存じます」
深く、恭しく一礼する。
その所作は、やはり名家の令嬢らしく無駄がない。
続けて、セレヴィアにも丁寧に頭を下げる姿は、気品と礼節そのものだった。
リリスは、少しだけ首を傾げる。
今日のフィオレッタは、いつもよりも華やかに見えた。
淡い色合いのドレスは上品に整えられ、金の髪は丁寧にまとめられている。宝飾も控えめだが、きちんと選ばれていることが分かる。――
自分の誕生日に合わせて、きちんと装ってきてくれたのだろう。
胸の奥が、わずかに温かくなる。
「フィオ……きてくれて、ありがとう」
自然と笑みがこぼれる。
こうして来てくれる人がいるということに、まだ少し慣れない。けれど、嬉しいという感情は確かにあった。
改めて、彼女を見つめる。
整った横顔。
きちんと整えられた髪。
ほんのりと香る香水の気配。
今日は、いつもより少しだけ背筋が伸びている気がする。
「……今日、かわいいね」
何気なく、口に出していた。
特別な意図はなかった。ただ本心を言っただけだ。
その瞬間。
「ぴゃっ――」
かすかな、しかし確かに奇妙な音が部屋に響いた。
リリスは瞬きをする。
フィオレッタは、わずかに肩を震わせたまま固まっていたが、すぐに咳払いをひとつして姿勢を整えた。
「……失礼いたしました。少々、喉が」
何事もなかったかのように微笑む。
だが、頬がほんのりと赤い。
リリスは、首をかしげた。
風邪だろうか。緊張しているのかもしれない。
自分も今日は落ち着かないのだから、人のことは言えない。
「……だいじょうぶ?」
「ええ、問題ございませんわ」
そう言う声は、いつも通り落ち着いている。
貴族らしい整った佇まい。
ほんの一瞬の奇妙な声など、まるでなかったかのようだった。
リリスは、どこか安心したように小さく頷く。
誕生日という日が、少しずつ形を持ちはじめている。
姉がいて。
友人がいて。
自分を祝ってくれる人がいる。
まだ実感は薄い。
けれど、胸元の蒼が静かに光るたびに、今日が特別であることを思い出す。
リリスはもう一度、フィオレッタに視線を向けた。
きちんと整えられた令嬢の姿。
その背後に、微かに緊張が滲んでいるような気もする。
けれど、それが何によるものかまでは分からなかった。
ただ――
こうして隣に立ってくれていることが、素直に嬉しかった。
フィオレッタの挨拶が落ち着くと、部屋の中はひと息ついたような空気に包まれた。
飾り付けはすでに整っている。
花も布も、灯りも位置を変えられ、先ほどまでの慌ただしさは嘘のようだった。
こんなふうに大勢が自分のために動いている光景には、まだ慣れない。
落ち着かないようで、けれどどこか温かい。
そのときだった。
「リリス様〜っ!」
勢いのある声とともに、小柄な影が視界に飛び込んでくる。
キャロルだった。
仕事を終えて手持ちぶさたになったのか、ぱたぱたと駆け寄ってくる。
耳も尻尾も、これ以上ないほど元気に揺れている。
「お誕生日おめでとうございますニャ〜!」
満面の笑みで、ぐいっと身を乗り出す。
その無邪気さに、リリスの頬が緩む。
「……ありがとう、キャロル」
本当に嬉しそうな顔だった。
祝うというより、自分のことのように浮かれている。
そのまま勢い余って抱きついてきそうな気配があった、その瞬間。
空気が変わった。
すっと背後に立つ、静かな影。
ミレーユだった。
笑顔は消えていない。
だが、目が笑っていない。
「キャロル」
低く、落ち着いた声。
「は、はいニャ?」
ぴたり、とキャロルの動きが止まる。
「貴女の担当区域の最終確認は終わりましたか」
「え、えっと……たぶん……」
「“たぶん”では困ります」
穏やかな口調のまま、容赦がない。
次の瞬間、キャロルの首根っこが、ひょいと持ち上げられた。
「ああああっ!? ミレーユ先輩待ってくださいニャ〜! リリス様とまだお話が〜!」
涙目で手を伸ばす。
尻尾がぶんぶんと暴れている。
リリスは思わず身を乗り出しかけたが、そこで止まる。
今日は、みんながそれぞれの役割を持って動いているのだと、なんとなく理解していた。
自分のために、整えてくれている。
「……キャロル、あとでね」
そう言うと、キャロルの耳がぴくりと立つ。
「はいニャ! 絶対ですニャ!」
だがそのまま、ずるずると連れて行かれてしまう。
「ああぁ……」という情けない声が廊下の向こうへ遠ざかっていった。
部屋に、静けさが戻る。
ミレーユは何事もなかったかのように姿勢を正し、リリスへ向き直る。
「申し訳ございません。まだ少々、準備が残っております」
その表情は、いつもの落ち着いたものだ。
「仕事が終わり次第、改めてお祝いに参ります」
そう告げる声音には、どこか柔らかさがあった。
リリスは小さく頷く。
今日は、ひとりではない。
胸の奥に、じんわりとした温もりが広がった。
やがて、廊下の向こうから静かな足音がいくつも近づいてきた。
扉が開かれ、次々と料理が運び込まれていく。
銀の盆に並ぶ色とりどりの皿。
香辛料の香りがふわりと広がり、甘い匂いと混ざり合う。
異世界情緒に満ちた料理だった。
卓のまんなかには、大きな魔獣の丸焼きが置かれている。
丸くて、つやつやしていて、皮はきれいな茶色に焼けている。ところどころ少しだけ割れていて、そこから白い湯気が出ていた。
切り分けられた中身はやわらかそうな色をしていて、見ているだけであたたかそうだと思った。皿の上に落ちた汁が、灯りを受けてきらっと光っている。
その横には、たくさんの葉っぱが盛られたサラダ。
濃い緑や、少し紫っぽい色もあって、形もばらばらだ。上からかけられている透明な雫は、ただの水みたいなのに、少しだけ光って見える。
細長い焼き魚みたいなものもある。
皮にはきれいな焼き目が並んでいて、少し青っぽい光が残っているように見えた。中は白くて、やわらかそうだ。横に添えられた薄い色の液体には、小さな光の粒が浮かんでいて、ちょっと不思議だった。
小さな硝子の器には、ぷるぷるしたゼリー。
淡い青や紫で、灯りを受けると中がふわっと明るくなる。上に乗っている銀色のかけらが、細かく光っている。
ゆらすと小さく震えて、きれいだなと思った。
けれど、その並びはどこか懐かしい。
誕生日という行事に相応しい、祝福の食卓。
リリスは思わず目を丸くする。
「……すごい」
ぽつりと漏れた声に、ミレーユが静かに微笑んだ。
「本日は特別でございますから」
そして。
最後に運ばれてきたそれに、視線が釘付けになった。
巨大なケーキだった。
土台は真っ白で、なめらかな表面は灯りを受けてやわらかく光っていた。側面には細い波のような模様がぐるりと巡っていて、きれいに整えられているのが分かる。
その上には、赤い果実と青い果実が、まんべんなく並べられていた。
赤いほうは苺に似ているけれど、少し丸みが強くて、表面がつやつやと濡れたように光っている。
青いほうは深い蒼色で、ところどころに淡い光を含んでいるように見えた。どちらも宝石みたいにきらきらしていて、白いクリームの上でよく目立つ。
果実は規則正しく並んでいるわけではなく、けれど不思議と整っていて、どこから見てもきれいに見えるように配置されている。
そして、中央には一輪の青い花。
砂糖細工で作られたそれは、本物の花みたいに薄く透けていて、花弁の先がほんの少し反っている。
淡い青から深い蒼へ、色がゆるやかに変わっていて、中心には小さな銀の粒がきらりと光っている。
花は派手ではないのに、自然と目がいく。
まわりの果実よりも少しだけ高く飾られていて、まるで静かに咲いているみたいだった。
灯りが揺れるたび、赤と青の実がきらめき、
白い土台と青い花がやわらかく光る。
甘い香りがふわりと広がっていて、
なんだか、触れたら壊れてしまいそうなくらいきれいだと思った。
――大きい。
素直に、そう思う。
自分の誕生日に、こんなものが用意されるなど、想像もしていなかった。
ミレーユがナイフを手に取り、慎重に切り分けようとした、そのとき。
「ここは、わたくしが」
凛とした声が響いた。
フィオレッタだった。
すっと一歩前に出ると、包丁を受け取る。
その動きは優雅で、まるで剣を扱うときのようだった。
ひと振り。
刃が空気を切る。
……いや、実際に切ったのはケーキだ。
しかし、その包丁さばきは見事だった。
均等に、美しく、迷いなく。
思わずリリスは目を瞬く。
(すごい……)
ケーキは、見事な断面を見せて並べられていく。
満足げに息を整えるフィオレッタ。
その隙を、逃さなかった者がいる。
「リリス」
甘く、低い声。
振り向くと、セレヴィアが皿を手にしていた。
小さく切り分けられたケーキをフォークで刺し、こちらへ差し出している。
「はい、あーん」
微笑みは、完全に姉のそれだった。
周囲には、メイドたちもいる。
フィオレッタもいる。
みんなが、見ている。
(やめて……恥ずかしい……)
胸の奥がじわりと熱くなる。
けれど。
断れない。
そっと口を開く。
「あ、あーん」
甘いクリームの味が、舌に広がった。
「……おいしい」
そう呟くと、セレヴィアは満足げに目を細める。
だが、そこで終わらなかった。
「わ、わたくしも」
フィオレッタが、素早く皿を手に取る。
負けじとフォークを差し出す。
距離が、近い。
リリスは固まる。
左右から差し出される甘味。
(なんでこうなるの……)
顔が熱い。
けれど、逃げ場はない。
そっと、もう一度口を開く。
視界の端で、誰かが微笑んでいる気配がした。
祝福の笑い声が、部屋に満ちる。
リリスは、両手を膝の上でぎゅっと握る。
今日は、自分の誕生日。
――でも。
こんなにも注目されるのは、やっぱり慣れないなと思いながら苦笑するしかなかった。




