27.リリスちゃんドキドキ誕生日パーティ2
鏡の前で顔を赤くしたまま固まっていた、その時だった。扉が、静かに開く。
そこに立っていたのは――セレヴィアだった。
白銀の髪は丹念に編み上げられ、後頭部で低くまとめられたシニヨンへと流れ込んでいる。編み込みは緻密で、まるで繊細な銀糸を幾重にも重ねたかのようだ。こめかみから垂れる細い後れ毛が頬に沿い、冷ややかな印象の中にわずかな柔らかさを残している。黒い角のあいだには、赤い宝石を中心に据えた細身のティアラが輝き、王族としての威厳をさりげなく主張していた。
首元には黒レースのチョーカー。中央には深紅の宝石が揺れ、胸元にも同じ石があしらわれている。黒のドレスはオフショルダー仕様で、鎖骨から肩にかけての白い肌が滑らかに露わになっている。上半身はコルセットで引き締められ、繊細なレース模様が幾重にも重なり、気高い曲線を描く。
袖は透け感のあるシアー素材で、手首へ向かって優雅に広がるベルスリーブ。指先は細く、無駄のない仕草でスカートの裾を軽く持ち上げている。スカートは何層にも重ねられた重厚な黒。段ごとに異なるレース模様が施され、裾へ向かって暗いグラデーションを描いている。
威厳と美しさを同時に纏っているその姿はまるで物語の中の王女のようだった。
思わず、息を呑む。
知っているはずなのに。
いつも近くにいるのに。
今日は、どこか違う。
赤と紫の瞳が、柔らかくこちらを見る。
「……リリス」
名前を呼ばれただけで、胸がきゅっとなる。
セレヴィアはゆっくりと歩み寄った。
その動きひとつひとつが、優雅で、無駄がない。
けれど、リリスの前で立ち止まった瞬間、雰囲気がわずかに変わる。
王族の威厳が、ふわりとほどけた。
「……ふふ」
柔らかい笑み。
「とても、可愛いわ」
「……っ」
また、顔が熱くなる。
さっきまで“女の子すぎる”と自分で思っていた姿を、真正面から肯定される。
逃げ場がない。
心の中で小さく抵抗するが、声にはならない。
次の瞬間、そっと抱きしめられた。
細く見えて、意外としっかりとした腕。
温かい。
「お誕生日、おめでとう。リリス」
耳元で囁かれる。
甘い声だった。
公の場での、冷たい魔王代理の声とは違う。
リリスはぎこちなく、腕の中で固まる。
「……ありがとう、ございます……」
鼓動が、やけにうるさい。
そして――
すっと、首元へ手を伸ばす。
「……?」
何が起きるのか理解するより先に、冷たい感触が鎖骨に触れた。
それは、小さな夜を切り取ったようなペンダントだった。
細い白銀の鎖の先に、三日月がひとつ。
冷たさを感じさせるはずの金属は、不思議とやわらかな光をまとっている。その内側に、雫型の青い宝石が抱かれていた。
青、といっても単純な色ではない。
澄んだ湖面のようでもあり、夜明け前の空のようでもある。光を受けるたび、淡く色を変え、奥のほうで何かがゆっくりと揺れているように見える。
セレヴィアは頬を寄せるようにして、少しだけ離れた。
「……これは」
リリスが呟くと、セレヴィアは微笑む。
「あなたへの贈り物よ」
胸元で揺れる蒼い宝石を、リリスはそっと指先で包んだ。
冷たい。
けれど、その奥にあるものは冷たくない。
(……僕のために)
視線を上げると、セレヴィアが静かにこちらを見つめている。
威厳ある魔王代理の顔ではない。
ただ、妹の反応を気にする姉の表情。
それが、何より胸に刺さる。
「……ありがとうございます」
声は小さく、けれど揺れなかった。
「とても……嬉しいです」
宝石を握る手に、少しだけ力が入る。
「今日という日を、あなたと迎えられることが、何より嬉しい」
まっすぐな視線。
嘘がない。
そんな風に言われたら、
誕生日なんて特別じゃない、なんて思えなくなる。
セレヴィアは、もう一度じっとリリスを見つめる。
「本当に、よく似合っているわ。私の自慢の妹ね」
「……そ、そんな……」
視線を逸らす。
ドレスも、髪も、全部が“特別”だ。
その隣に立つセレヴィアも、普段より眩しい。
(……きれいだな……)
無意識に、そう思ってしまう。
王族としての威厳と、姉としての優しさ。
その両方を持っている人。
胸の奥が、少しだけ熱を持つ。
セレヴィアは、再び優しくリリスの頬に触れた。
「今日は、あなたのための日よ。遠慮なんていらない」
その言葉は、柔らかく、強い。
部屋の飾り付けも、豪華な装いも、
全部が、この瞬間のためにあるのだと。
リリスは、小さく息を吸う。
恥ずかしい。
落ち着かない。
元・男の意識は、まだどこかでざわついている。
それでも。
姉の腕の中は、あまりにも温かかった。
誕生日という日が、
ほんの少しだけ――
特別に思えた瞬間だった。
―――――――――――――――――――――――――
落ち着きなさい、わたくし。
フィオレッタ・ガンベルクは、リリスの部屋の前で両手を胸の前に組み、深呼吸をした。
一回。
二回。
鼓動がうるさい。
今日が何の日か分かっているからこそ、心が暴れている。
リリス様の誕生日。
胸の奥がふわっと温かくなる。
いや、温かいを通り越して、じわじわ熱い。
朝から準備は万端だった。
髪は完璧。
衣装も抜かりなし。
鏡の前で三回は最終確認した。
(よし、自然。自然体。余裕の微笑み。落ち着いた令嬢)
心の中ではそう唱えているのに、手のひらは汗ばんでいる。
どうしてただ会うだけでこんなに緊張するのか。
答えは簡単だ。
好きな人に会うからである。
深呼吸。
そっと扉に手をかける。
失礼します、と小さく呟き、静かに開けた。
心臓が爆発した。
目の前の光景。
セレヴィアが、リリスを抱きしめている。
距離、ゼロ。
密着。
(ち、近い近い近い近い!!)
頭の中で鐘が鳴る。
あんな距離、許されるのは家族だけ。
羨ましい。
いや、羨ましいを通り越して尊い。
だがそれよりも――
リリス様。
今日のリリス様。
いつもより豪華なドレス。
丁寧に編み込まれた銀髪。
胸元に揺れる蒼い宝石。
そして、ほんのり赤い頬。
脳が一瞬停止する。
可愛い。
いや、可愛いでは足りない。
可愛いの暴力。
可愛いの権化。
可愛いが過剰供給。
破壊力が違う。
あれは危険だ。
心臓に悪い。
リリスが少し困ったように目を伏せている。
抱きしめられて照れている。
その顔。その顔はだめ。
(素敵ですわ……!!)
理性が溶ける音がする。
どうしてあんな表情をするのか。
どうしてそんなに柔らかい目をするのか。
わたくしを見てほしい。
いや、今は見なくていい。
見られたら爆発する。
頭の中が大混乱だ。
羨望もある。
あの位置に立てるセレヴィア様が羨ましい。
あんな距離で触れられるのが羨ましい。
けれど同時に、安心もある。
リリスがあんなに穏やかに笑っている。
守られている。
大切にされている。
それが分かるからこそ、胸が温かい。
でも。
(可愛い……)
結局そこに戻る。
あんな姿を見せられて、どうしろというのか。
今日は誕生日。
祝う日。
落ち着いた態度で入室する予定だった。
今のわたくしはどうだ。
扉の前で立ち尽くし、内心で大騒ぎしている。
理性、仕事をしなさい。
けれど目が離せない。
リリスの髪が光を受けてきらめく。
ほんの少し唇が動く。
(ああもう……)
好きだ。
可愛い。
尊い。
フィオレッタは、静かに息を整えた。
浮かれていた心が、別の意味で落ち着かなくなっている。
自分が今どんな顔をしているのか、想像するだけで恐ろしい。
それでも。
今日という日に立ち会えたことが、嬉しかった。
リリスが笑っている。
それだけで、胸の奥が温かくなる。
――どうしようもなく、好きだ。
フィオレッタは、必死に呼吸を整えながら、
なんとか“冷静な令嬢”の仮面を被ろうとした。
内面では、完全に崩壊していたけれど。




