26.リリスちゃんドキドキ誕生日パーティ1
朝の光は、いつもよりやわらかく部屋に差し込んでいた。
カーテン越しに滲む白い光が、ベッドの端を淡く照らしている。
リリスがうっすらと目を開けると、すぐそばに気配があった。
「……おはよう、ございます……」
掠れた声で返すと、ミレーユはいつも通り、静かに微笑んだ。
「おはようございます。
本日は、お誕生日おめでとうございます」
その一言に、リリスは一瞬、瞬きをした。
誕生日。
そういえば――と、遅れて思い出す。
数日前から何度か聞かされていたはずだ。
「もうすぐ誕生日ですね」「大切な日ですよ」と。
けれど、心のどこかで、どこか他人事だった。
転生前。
二十歳を過ぎたあたりから、誕生日というものは、ただ年を重ねるだけの日になっていた。
祝われることも、期待することもなくなって、
「ああ、そうか」
それだけで終わる日。
その感覚が、まだ体の奥に残っている。
だから今も、祝福の言葉を聞いても、胸が大きく跳ねることはなかった。
ただ、少しだけ不思議な気持ちになる。
「……ありがとう、ございます……」
礼儀としての言葉は、自然に出た。
ミレーユは淡々と続ける。
「では、すぐにお着替えをいたしましょう。
本日は特別な日ですので」
その言葉に、リリスは微かに身構えた。
嫌な予感がする。
「……あの……今日は、体調も……」
「こちらです」
差し出されたドレスを見て、リリスは息を呑んだ。
いつも身に着けているものより、少しだけ――いや、はっきりと豪華だ。
布地は柔らかく光を含み、細やかな刺繍が随所に施されている。
フリルも控えめながら、品よく重なり合っていた。
可愛らしい。
間違いなく、可愛い。
そして――
(……着たくない……)
心の中で、正直にそう思う。
こういう“いかにも”な服を前にすると、どうしても引っかかる。
「……あの……」
言いかけた声は、最後まで形にならなかった。
ミレーユはすでに手際よく準備を整え、
反論の余地を与えない速度で、着替えを進めていく。
上着を外され、袖を通され、
気づけば、柔らかな布に包まれていた。
「……はやい……」
ぽつりと漏れた呟きに、ミレーユはわずかに口元を緩めただけだった。
「お似合いでございます」
鏡に映る姿を見る。
黒を基調としたドレスは、肩を隠す慎ましいデザインで、胸元には小さな赤いリボン。幾層にも重ねられたスカートの裾には繊細なレースが施され、歩けばふわりと波打ちそうだ。袖口のフリルも柔らかく、指先まで小さく見せる。
両手を胸の前で重ねると、ドレスの黒と肌の白さの対比がいっそう際立つ。
小さな黒い角のあいだには、いつのまにか赤い宝石をあしらった控えめなティアラが乗っかっている。主張しすぎないのに、確かに“特別な夜”だと告げている。
……間違いなく、“お姫様”だ。
胸の奥が、むず痒くなる。
(……恥ずかしい……)
自分がどう見られるかを意識してしまう。
それ自体が、少しずつ“この世界に馴染んでいる”証拠なのかもしれない。
ミレーユは最後に髪を整え、静かに一歩下がった。
「本日は、皆様がお祝いに参られます。
どうか、無理はなさらずに」
リリスは、小さく頷いた。
ドレスに着替え終わった直後だった。
コン、コン、と控えめなノックが響いたかと思うと、扉が次々と開き――数人のメイドが部屋へと入ってきた。
「リリス様、失礼致します」
リリスは思わず目を瞬かせる。
白と黒を基調としたメイド服が、部屋の中に一気に増えた。
布の擦れる音、軽い足音、囁くような声。
「こちらのテーブルを中央へ」
「飾り布はこちらでよろしいですか」
手際よく家具が動かされ、花が飾られ、簡素だった部屋が少しずつ“お祝いの場”へと変わっていく。
ミレーユはすでに指揮役に回っていた。
「窓際は開けすぎないように。
リリス様が冷えます」
リリスはベッドの端にちょこんと座ったまま、その光景をぽかんと見つめていた。
(……すごい……)
こんなにメイドが部屋に集まるのは、初めてだ。
普段はミレーユと、せいぜいキャロルくらい。
そのキャロルも、今日は大忙しらしく、尻尾をぴこぴこ揺らしながら小走りで布を運んでいる。
なんだか、自分の部屋じゃないみたいだ。
(誕生日って……こんな感じなんだ……)
どこか他人事のように、ぼんやりと思う。
そのとき。
「……あのぉ……リリス様ぁ……」
間延びした、やわらかい声が近くで響いた。
視線を上げると、そこに立っていたのは見慣れないメイドだった。
黒髪のボブカット。
前髪がやや長く、片目を隠すように垂れている。
覗く瞳は赤みを帯びていて、どこか人懐こい。
頭部には小さな角。
そして背中からは――
蜘蛛の脚。
漆黒で細長い脚が、左右に数本、静かに揺れている。
しかし不気味さよりも、どこか控えめでおどおどした雰囲気の方が勝っていた。
クラシカルな黒のメイド服に白いエプロン。
胸元のリボンもきちんと整えられている。
その姿は、意外にも可憐だった。
「……本日……ヘアアレンジを担当させていただきます……」
ぺこり、と深くお辞儀をする。
蜘蛛脚も一緒にぴくりと揺れた。
リリスは一瞬だけ固まり、それから小さく頷く。
「……よろしく、お願いします……」
蜘蛛メイドは口元を緩め、ほわりと微笑んだ。
細い指が、そっとリリスの銀髪に触れる。
鏡越しに映るのは、ふりふりドレスを着た自分と、蜘蛛脚を持つメイド。
(……なんか、すごい光景だな……)
男の理性が、遠くで冷静にツッコミを入れる。
けれど、部屋の中はどこかあたたかい。
忙しく動くメイドたちの足音。
キャロルの元気な声。
ミレーユの的確な指示。
その中心に、自分がいる。
蜘蛛メイドは丁寧に髪をすくい、柔らかく編み込んでいく。
「……今日はぁ……大切な日ですからぁ……
とびきり可愛く、いたしますねぇ……」
その言葉に、リリスは思わず耳まで赤くなる。
(とびきり可愛くって……)
けれど、否定する声は出なかった。
「んひひ……リリス様ぁ……本当に可愛いですねぇ……」
背後から、楽しそうな声が響く。
蜘蛛の脚がかすかに揺れ、器用な指先で銀髪を編み込んでいく。
「んひひ……この髪質……とっても素直でぇ……
少し触るだけで、ふわっと形が整います……」
リリスは鏡越しに、その様子を見つめていた。
くすぐったい。
そして、妙に落ち着かない。
「……あ、あの……」
「動かないでくださいねぇ……もう少しで完成ですからぁ……」
指先が耳の横をなぞるたび、ぞわりと感覚が走る。
(なんでこんなに楽しそうなんだろう……)
蜘蛛メイドは本気で嬉しそうだった。
ふと、部屋の方へ視線を向ける。
さっきまで慌ただしかったはずなのに、いつの間にか空間はすっかり様変わりしていた。
白いレース布が壁を飾り、窓辺には淡い花。
中央のテーブルには小さなリボン装飾。
まるで、小さな祝祭の部屋だ。
「あわわっ……にゃああっ!?」
視界の端で、キャロルが盛大に転ぶ。
ガシャン、と軽い音。
「ご、ごめんなさいですニャ〜!」
「もう少し落ち着いて、静かに動きなさい」
尻尾をしょんぼりさせるキャロル。
そのやり取りを、リリスはぼんやりと眺める。
蜘蛛メイドが、そっと手を離す。
「完成ですぅ……」
鏡の中の姿を見て、リリスは息を呑んだ。
柔らかな銀の髪は、足元近くまで流れるほど長く、細かな縦ロールが幾重にも重なっている。揺れるたびに光を拾い、淡くきらめく。額のあたりは軽く分けられ、頬を包む髪はふわりと丸みを帯びて、幼い輪郭をやさしく縁取っていた。
鏡の中の少女は、あまりにも“女の子”だった。
白い肌。
繊細な首元。
長い睫毛。
ふわりと整えられた髪。
胸の奥が一気に熱くなる。
完全に、可愛い女の子だ。
「んひひ……どうですかぁ……?」
蜘蛛メイドは嬉しそうに身を乗り出す。
「とびきり、可愛いですよぉ……」
「……っ」
顔が一気に熱を持つ。
「ぼ、僕……その……」
言葉が続かない。
鏡に映る自分から、目を逸らしたくなる。
(こんなの……女の子すぎる……)
元成人男性の意識が、必死に抗議する。
蜘蛛メイドは、くすくすと笑った。
「照れてますねぇ……んひひ……」
リリスは両手で頬を隠した。
どうしようもなく、恥ずかしかった。
こうして“特別扱い”されると、
逃げ場のない現実を突きつけられる。
少しだけ、落ち着かない朝だった。




