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24.重すぎる肩書き


魔王軍幹部用の居住塔、その上層にある一室。

室内は意外にも柔らかな雰囲気に整えられていた。

角張った家具は少なく、淡い色合いの布張りのソファや、床に置かれた大きなクッションが目立つ。

窓辺には小さな鉢植えが並び、魔導灯は暖色の光を静かに落としている。


その部屋の中央で、カノーネ・リュドラルはクッションに身を預け、上半身を前に倒していた。

 

 赤い髪を短く切りそろえたボブカットの頭部には竜の角があり、背中には翼、腰には長い尾を持つ。

その外見は一目で戦闘種族と分かるもので、初対面の者に威圧感を与えがちだった。

実際、彼女は理由もなく距離を置かれたり、警戒されたりすることが少なくない。


魔王軍における彼女の肩書きは「六魔柱」。

魔王直属の幹部に与えられる、特別な地位である。

通り名は「灼鱗」。

竜の鱗と灼熱の炎を想起させるその名は、恐怖と畏敬を込めて周囲から呼ばれていた。


六魔柱という立場から、多くの者は彼女を多忙な存在だと想像する。

戦場を駆け、戦況を左右し、軍を導く――

そうした役割を担っているはずだと、誰もが思っている。


けれど現実は、彼女が思い描いていたものとはだいぶ違っていた。


魔王軍の大きな方針や軍全体の采配は、ほとんどすべてをグロズが担っている。

長年積み重ねてきた経験と実績は圧倒的で、判断は常に的確だった。

会議の場で彼が口を開けば、それだけで結論が出たような空気になる。

カノーネが意見を挟む前に、話はもう終わっている。


調査や裏の仕事は、いつもシオンが片付けてくる。

気づけば問題は解決済みで、報告書だけが机の上に残されている。

その内容は簡潔で無駄がなく、付け足す余地すら見当たらない。


フィリシアは、軍務と歌の活動を同時にこなしている。

城の内外を忙しなく行き来し、どこにいても場の中心にいる。

周囲を明るくする存在でありながら、成果もきちんと残している。

あれだけ動いて、疲れを見せないのが不思議だった。


それに比べると、カノーネの役割はあまりにも地味だった。


任されているのは、新人兵への簡単な指導と、報告書の取りまとめ。

どれも誰かの代わりが利く仕事で、彼女でなければならない理由は薄い。

六魔柱という肩書きが、場違いにすら感じられることがある。


指導の場でも、彼女は多くを語れない。

人前に立つと、言葉が思うように出てこなくなる。

説明は最低限、質問が来ると頭が真っ白になり、沈黙が長くなる。

結局、示せるのは動きだけで、言葉は後から置いていかれる。


 (……ほんと、向いてない……)

 六魔柱第二席は殆ど姿を見せないし、第三席に至っては現在、失踪中。

 そのせいで、実質的な六魔柱No.2として重くのしかかるプレッシャーにネガティブな妄想が膨らんでいく。


 私なんかが。

 私なんかが、この位置にいていいわけがない。


 今日は特に仕事はなくて。

 魔王城の近くにある、自分の家で、ひとり。

 時計の音だけが、やけに大きく聞こえる。

 椅子に座って、ぼんやりと窓の外を見ながら、

 気づけば、また同じことを考えてた。


 (……私、必要なのかな……)


 戦う場がなければ、何もできず、話すのも下手で、判断も遅く頼りない。


 ……六魔柱なんて、肩書きだけ。


 胸の奥が、じわじわと重くなる。

 こういう考えに入ると、なかなか抜け出せない。


 (……だめだめ……また、自己嫌悪……)


 分かっているのに、止められない。


 そのとき――


 コン、コン。


 静かなノック音が、部屋に響く。


 びくっと、肩が跳ねる。


 (……え? だ、誰……?)


 少しだけ迷ってから、立ち上がり、扉へ向かう。

 深呼吸をひとつ。


「……は、はい……」


 扉の前に立っていたのは、フィオレッタだった。

 金色の髪を夜風に揺らし、いつものように少し緊張した面持ちで、けれどどこか嬉しそうにこちらを見ている。


「……こんばんは、カノーネ様。お邪魔ではありませんか?」


 その言い方だけで分かる。

 ――ああ、今日も、たぶん“あの話”だ。


 「は、はい……だ、大丈夫ですぅ……」


 慌てて首を振り、少し勢いよく扉を開ける。

 フィオレッタがここを訪ねてくることは、もう珍しくない。

 むしろ、最近は定期的と言っていいくらいだった。


 部屋に招き入れると、フィオレッタはいつもの席に腰を下ろす。

 何度も来ているせいで、勝手知ったる様子なのが、少しだけ可笑しい。


 (……私なんかのところに来て、楽しいのかな……)


 そう思いかけて、すぐに首を振る。

 考えなくていい。

 考えると、また自己嫌悪が始まってしまう。


 「先日は、リリス様へのお人形プレゼント一緒に考えていただき、大変ありがとうございましたわ」


 「……あ、ああ……そ、そうでしたね……」

 

「リリス様も大変お喜びになっておりました」


 嬉しそうに話すフィオレッタの表情を見ていると、

 胸の奥が、ほんの少しだけ静かになる。


 (……私のこと考えてるときより……ずっと、いい……)


 誰かの役に立っている、というより。

 誰かの気持ちを受け止めている、その時間が――楽だった。


 フィオレッタは続ける。


 「それで……その……数日後に、リリス様の誕生日だということでして……」


 「……た、誕生日……ですかぁ……」


 「はい。今日、お会いしに行ったときに、ミレーユさんから教えていただきましたの」


 どうやら、リリスの体調を考えて、

 大きな式や宴ではなく、部屋の中で、ささやかに祝うらしい。


 「豪華なことはしないそうですわ。でも……それでも、とても大切な日だと……」


 フィオレッタの声は、少し弾んでいた。


 「……それで、わたくしも……お誘いを受けまして……」


  フィオレッタは椅子に腰かけたまま、胸の前で指を組み、少し俯きながら考え込んでいた。

 その表情は、先ほどまでの緊張とは違う。

 頬はわずかに紅く、瞳はきらきらと揺れている。


 ――恋する乙女、という言葉が、これほど分かりやすく当てはまる人もいないだろう。


「……あまり騒がしくはできませんし……でも、何もないのも寂しいですわよね……」


 小さく呟きながら、視線が宙をさまよう。

 リリスの誕生日会のことを考えているのだろう。


 「お部屋の中で……お茶と、お菓子くらいなら……体調のご負担にもなりませんわよね……」


 その声は真剣で、けれどどこか楽しそうだった。

 計画というより、想像に近い。

 それでも、彼女の中ではひとつひとつが大切な作戦なのだ。


 (……すごいな……)


 素直に、そう思った。


 私は大した助言なんてできない。

 恋の経験もないし、正解も分からない。

 できるのは、せいぜい「いいと思いますぅ……」と頷くくらいだ。


 それでも。


 フィオレッタがこうして感情を高くして話している姿を見ていると、

 胸の奥が、少しだけ温かくなる。


 同時に――

 自分のことが、ひどく小さく思えた。


 (……私は……何を考えてるんだろ……)


 六魔柱だとか、実質No.2だとか。

 そんな肩書きに押し潰されて、ひとりで勝手に沈んで。


 目の前には、

 たった一人の少女の誕生日を、どうすれば喜ばせられるかを真剣に考えている人がいるのに。


 (……私……ちっぽけだな……)


 感傷的で、臆病で。

 自分のことばかり気にしている。


 フィオレッタは、ふっと顔を上げて、こちらを見た。


 「……あ、すみません。つい、いろいろ考えてしまって……」


 「い、いえ……その……た、楽しそう……」


 本音だった。


 フィオレッタは少し驚いたように瞬きをしてから、

 照れたように微笑んだ。


 「……はい。とても」


 その笑顔に、胸の奥がじんわりと和らぐ。


 紅茶に口をつける。

 温かい液体が喉を通り、身体の力が少し抜けた。


 (……この時間……好きだな……)


 自分の役割とか、期待とか。

 そういう重たいものを考えなくていい時間。


 ただ誰かの話を聞いて、

 相槌を打って、頷いて。


 それだけで、心が少し楽になる。


 ――そのとき。


 コン、コン、と扉が叩かれた。


 フィオレッタが驚いたように肩を跳ねさせ、こちらを見る。

 私は慌てて立ち上がり、扉へ向かった。


 「は、はい……」


 扉を開けると、そこには魔王軍の兵士が立っていた。

 表情は硬く、急ぎの用件であることが一目で分かる。


 「カノーネ様。急報です」


 その声色に、胸がわずかに強張る。


 「グラティオル大陸南方、カルネア瘴地により、

 クラリス聖教会の部隊による襲撃が確認されました」


 空気が、変わった。


 「現在、現地部隊が交戦中ですが、戦力が不足しています。

 至急、援軍として出撃をお願いしたく……!」


 背中の翼が、無意識にぴくりと動く。


 (……ああ……)


 静かな時間は、終わりだ。


 さっきまで感じていた温もりが、遠ざかっていく。

 代わりに、いつもの重たい感覚が、肩にのしかかる。


 私は一度だけ、背後を振り返った。

 フィオレッタは、不安そうにこちらを見ている。


 「……だ、大丈夫……です……」


 自分に言い聞かせるように、そう呟いてから、兵士に向き直った。


 「……す、すぐに……向かいますぅ……」


 役割からは、逃げられない。


 紅茶の温もりが、まだ喉に残っているうちに。

 

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