23.幻狐の観察
床の隅に溜まった埃を集め、棚の上の小物を一つひとつ丁寧に整え、ベッド脇のテーブルも、元あった位置へと戻す。
その一連の動きの合間に、シオンは何度も、さりげなくリリスの様子を伺っていた。
(……大人しいですなぁ……)
リリスはベッドの上に座ったまま、白い人形を胸の前で大事そう抱えて、ぼーっと虚空を眺めている。
抱き方は慎重で、まるで落としたら壊れてしまうものを扱うみたいだ。
(ほほぅ……)
幻狐の目が、細くなる。
(あそこまで大事に抱いてはるってことは……
やっぱり、ああいう可愛いもんがお好きなんでしょうなぁ)
白くて、やわらかくて、見た目にも“女の子向け”と分かる人形。
どうやら名前まで付けている様子だ。これはもう、趣味嗜好の証拠と言っていい。
(なるほどなるほど……
リリス様のこと大体わかってきましたわ)
そんなことはなく本当のリリスは、
“可愛いものが好きなのではなく、フィオレッタにもらったから大事にしているだけ”。
しかも中身は前世男性で、むしろ可愛いものは得意じゃない。
そんなこと、シオンは露ほども知らない。
シオンは、掃除用の布を持つ手を止めず、あくまで「仕事中のメイド」を装ったまま、思考を巡らせる。
シオンは、視線を“さりげなく”人形へ落とした。
「大変可愛いらしいお人形さんですね。ドールがお好きなんでしょうか?」
再び、リリスがぴくっと反応する。
「……あ……はい……」
大事そうに抱えている人形に話題を振っても芳しくない反応。
むしろ、「どう返事をしたらいいか分からない」そんな顔をする。
(……うーん?)
普通、好きなものの話題になれば、もう少し表情が緩むものではないだろうか。
それとも――
(体調が悪いから、反応が薄いだけ……?)
シオンは、そう結論づけることにした。
ベッドの上のリリスは、顔色が良いとは言い難く、時折、ぼんやりと遠くを見るような目をしている。
元気いっぱいに反応しろ、という方が無理な話だ。
(せやな……。ここで深追いしたら、警戒されるだけや)
シオンは、あくまで自然に、掃除の続きをしながら会話を探る方向へ切り替えた。
「……お部屋、とても綺麗にされていらっしゃいますね。人形も……大事にされているのが、よく分かります」
リリスは一瞬だけこちらを見て、小さく頷いた。
「……はい……」
短い返事。それ以上は語らない。
(……まぁ、ええでしょう)
“可愛いものが好き”この仮説は、まだ十分に使える。
無理に結論を出さず、少しずつ、好みの輪郭をなぞっていくのが得策だ。
(ぬいぐるみ系、やわらかい色合い、小さくて抱けるサイズ……)
シオンは頭の中で、誕生日プレゼント候補を次々と並べていく。
掃除用の布を畳みながら、シオンは内心でうん、と頷いた。
――誕生日調査は、順調。
少なくとも、本人はそう思っている。
シオンは静かに思考を整理していた。
(可愛いもんが好き。これはもう、ほぼ確定でええでしょう)
反応が薄いのは体調のせいか、あるいは内気な性格ゆえの照れだ。
(女の子ってのは、好きなもんほど素直に反応できへんこともありますからなぁ)
うんうん、と心の中で頷く。
ただし。
(……ドール系は、もう埋まってますな)
あれほど大事そうに抱えているものがある以上、同じ系統を贈るのは芸がない。
しかも、下手をすれば
「それより、あっちの方が大事」
という比較が生まれてしまう。
(それはあきまへん。誕生日は、“一番”を更新せな意味がない)
シオンは、掃除用の布を持ったまま、さりげなく部屋全体を見渡した。
棚。机。小物。
――ない。
(……驚くほど、物が少ないですな)
簡素。
必要最低限。
華やかな装飾も、趣味の品もほとんど見当たらない。
(うーん……可愛いもんが好きやのに、部屋は質素……?)
一瞬だけ違和感がよぎるが、すぐに別の結論へと滑り込む。
(体が弱いから、物を増やしてへんだけか)
それなら辻褄は合う。
となると――
残る観察ポイントは、一つ。
(……クローゼット)
シオンはあくまで“掃除の流れ”として、ベッド脇のクローゼットに手をかけた。
「……少し、失礼いたしますね」
リリスは人形を抱いたまま、こくりと小さく頷くだけ。
クローゼットの扉を開けた瞬間――
シオンの目が、わずかに見開かれた。
(……ほぉ)
中に並んでいたのは、色とりどりのドレス。
だが、どれも無秩序ではない。
落ち着いた黒。
深い藍。
ワインレッド。
レースやフリルは多めで、
全体としては――
(ゴシック寄り……やな)
可愛い、というより
気品と影を纏った装い。
そして、シオンは気づく。
(……これ、全部……同じブランドや)
タグ。縫製。独特のライン。
どれも、魔界貴族向けの高級服飾ブランド――
《ノクタル・ローゼ》。
(なるほどぉ……!)
思わず、心の中で手を打つ。
(可愛いだけやない。
“ゴシック×上質”が好み……!)
ドールは可愛い系。
ドレスはゴシック系。
(つまり、“可愛いものが好き”+“大人びた趣味”のハイブリッド……!)
シオンは勝手に納得する。
(これはええ情報掴みましたで……セレヴィア様、喜びはりますわ)
クローゼットをそっと閉め、平静を装って布を畳む。
その瞬間。
――コン、コン。
扉を叩く音。
シオンの耳が、ぴくりと動いた。
(……おや?)
「リリス様、失礼します」
(……これは……)
間違いない。
(ミレーユさんや)
一瞬で判断する。
ここで鉢合わせるのは、あまりよろしくない。
いや、非常によろしくない。
(変装は完璧でも、
あの人の“勘”は、術式より厄介やからな……!)
扉が開くよりも早く、シオンは掃除道具を抱え、自然な動きでリリスに一礼した。
「それでは、失礼いたします。後ほど、また参りますね」
「……は、はい……」
「……貴方は?」
扉の前で怪訝な顔をするミレーユに軽く会釈をしてそそくさと部屋を出る。
廊下に出た瞬間、
ふぅ……と、小さく息を吐いた。
(あぶな……)
だが、すぐに口元が緩む。
(とはいえ――)
可愛いものが好き。ゴシックブランド《ノクタル・ローゼ》。
(これは……
相当ええ線、行ってますで)
尾を揺らしながら、シオンは一人、ほくそ笑んだ。
――幻狐シオン・イナリガミ。
誕生日調査は、
本人の中では、順調そのものだった。
―――――――――――――――――――――――――――
夜もすっかり深まり、魔王城の回廊には青白い魔灯だけが静かに揺れていた。
その中を、意気揚々と――
シオン・イナリガミは歩いていた。
狐の耳はぴんと立ち、尾は機嫌よく揺れている。
(いやぁ〜……これは久々に“ええ仕事”しましたなぁ……)
口元が、どうしても緩む。
リリスの部屋。人形。クローゼット。
そして――
(ゴシック寄りのドレス、《ノクタル・ローゼ》……!)
これはもう、
誕生日調査としては満点回答と言っていい。
(可愛いものが好き。でも安っぽいのは違う。上質で、少し大人びたやつ……)
頭の中でプレゼン用の言葉を整えながら、シオンは執務室の扉の前に立った。
ノック。
「失礼しますわ〜」
扉を開けると、そこには書類を片付け終えたばかりのセレヴィアがいた。
銀髪を揺らし、いつもの“魔王代理の顔”より、ほんの少しだけ柔らかい表情をしている。
――それもそのはず。
シオンのこの意気揚々とした態度を見た瞬間、セレヴィアは察していた。
「……随分と、ご機嫌ね」
「ええ、まぁ。これはもう、胸張って報告できる案件ですわ」
シオンは自信満々に一礼する。
セレヴィアは椅子に腰掛け、指を組みながら微笑んだ。
「そう。ということは……いい報告が聞けるのね?」
(ほらきた)
シオンは内心でガッツポーズを決める。
「任せといてください。リリス様の好み、かなり絞り込めましたで」
セレヴィアの瞳が、期待でわずかに輝いた。
「まず前提として――
やはり“可愛いもの”はお好きですな」
「ええ」
「ただし、単純に可愛いだけではあきません」
シオンは歩きながら語る。
「質が良くて、少し大人びていて、でも可憐さの残るもの」
セレヴィアは、何度か頷いていた。
(うん……いい線いってる……)
シオンは、満を持して続ける。
「で、決定打がクローゼットでして」
「……クローゼット?」
「はい。中に並んでいたドレスを拝見しましてな」
ここで、シオンはドヤ顔になる。
「ほぼ例外なく――《ノクタル・ローゼ》で統一されてました」
――その瞬間。
空気が、変わった。
セレヴィアの微笑みが、ぴたり、と止まる。
次の瞬間、頬が、すうっと赤く染まった。
「………………」
(……ん?)
シオンは、違和感を覚える。
「ですから、誕生日の贈り物としては同ブランドの新作か、
限定ラインあたりが――」
「……シオン」
低い声。
いつもの冷静な声音だが、
どこか、温度が違う。
「はい?」
「……そのドレスたち、
誰が贈ったものだと思う?」
セレヴィアの声は、低かった。
いつもの冷静な声音――
だが、その奥に、確実に苛立ちが混じっている。
「……え?」
シオンが間抜けな声を出した、その次の瞬間。
「――私よ」
ぴしゃり、と空気が裂けた。
シオンの尾が固まる。
「リリスが幼い頃から、“似合うと思ったもの”を、私が一着ずつ選んで贈ったドレス」
セレヴィアの拳が、ぎゅっと握られる。
「なのに……なのに、よ?」
机の上を、ばんっと叩く音。
シオンが思わず背筋を伸ばす。
「ほとんど着てくれなかったわ!!」
怒声――とまではいかない。
だが、抑えきれなかった感情が、確実に表に出ていた。
「クローゼットに入れたまま!結局、私の前では一度も!!」
頬は赤い。怒りと、悔しさと、情けなさがない交ぜになった色。
「……それを、
“好んでいるブランド”ですって?」
セレヴィアの視線が、
鋭く――完全にシオンを射抜いた。
「……お、お気に召しているように見えましたので……」
「見えた!?あなたは“見えた”だけで判断したの!?」
完全に、八つ当たりである。
だが、止まらない。
唇を噛み、一度だけ、言葉に詰まる。
その一瞬の沈黙が、かえって怒りを増幅させた。
「それをあなたは!
誕生日プレゼントのヒントだと!?
調査だなんて言って、
クローゼットまで覗いて!!」
「い、いや、業務上必要な確認でして……!」
「業務!?
妹の服装を覗くのを“業務”だと思っているの!?」
「思ってません!!」
完全に理不尽だが、
シオンは反論できない。
セレヴィアは机から離れ、ぐるりと一度歩き、最後に深く息を吐いた。
「……もういいわ」
肩が、小さく上下する。
「誕生日調査なんて……まかせるべきじゃなかった」
それは、自分への怒りでもあった。
だが。
最後に、視線だけをシオンへ戻す。
「――あなたは、しばらくこの件には関わらないで」
「……はい……」
しおしおと返事をするシオン。
セレヴィアは額に手を当て、
低く唸った。
「……はぁ……」
怒りの熱が残ったまま、
部屋には重い沈黙が落ちる。
――幻狐シオン・イナリガミ。
その夜、彼は深く理解した。
“妹の誕生日”という任務は、国家諜報より遥かに危険である。




