20.おもいをかたちに
「……おもい、を……かたち、に……」
リリスはぽつりと呟き、アイリスの髪を指でとかした。
想いを形にする――フィリシアの言葉がやさしく胸の奥で響いている。
歌はむずかしい。
メイド服は……もう…着ない。
じゃあ、ほかに何があるだろう。
うーんと唸りながら考えていると――
ふっと、紅茶の香りが鼻をくすぐった。
「……んえ?」
視線をあげると、湯気の立つ紅茶カップが、そっと差し出されていた。
その手の持ち主は――いつの間にか、すぐ横に立っているミレーユだった。
「……ミレーユ、さん……?」
「リリス様が真剣にお考えでしたので、邪魔をしないように控えておりました」
微笑む彼女は、いつも通り落ち着いた気品そのもの。
(……びっくりする、ほんとに……影みたいに気配が薄いんだよな……)
内心でため息をつきつつ紅茶を受け取り、一口すすると、体の奥がじんわり温まった。
「……では、こういうのはどうでしょうか」
ミレーユは静かに紙とペンを取り出した。
流れるような手つきでペンを走らせる。
フィリシアとキャロルも身を乗り出す。
「ミレーユ先輩、なに書いてるんですかニャ!?
……あ、フィリシア様ひじがぶつかってますニャ!」
「ぎゃっ、ちょっと押さないでよキャロル〜! 気になるじゃん〜☆」
カリカリ、サラサラと、心地いい音が部屋に響く。
短い時間なのに、ミレーユの手は迷いなく動き続け――やがて、ひとつの絵が完成した。
「……できました」
そう言って紙をふわりとこちらに向ける。
リリスは思わず息をのんだ。
そこには――驚くほど緻密なタッチで描かれたセレヴィアがいた。
凛と立つ姿。
黒ドレスの落ちる布の陰影まで精密に描かれ、
オッドアイの輝きまで丁寧に表現されている。
まるで生きているみたいだった。
「……すごい……」
声が自然に漏れた。
すると、横からフィリシアが身を乗り出してきて、
「うっま……!! ミレーユ、絵描きだったの!?」
と目をキラキラさせる。
キャロルも、尻尾をぶんぶん揺らしながら、
「ミ、ミレーユ先輩っ……! めちゃくちゃ上手いですニャ!! 神絵師ですニャ!?」
と興奮気味に手を叩いていた。
ミレーユはふわりと微笑むだけで、謙遜も誇りも見せない。
ただただ穏やかに、リリスへと絵を差し出した。
「似顔絵でしたら、想いをそのまま形にできます。
手を動かした分だけ、そのまま贈り物になりますよ」
リリスは絵を見つめたまま、胸があたたかくなった。
(……そうか。これなら……僕でも……)
歌よりも、体への負担が少なくて――
しっかり心を込められる。
「……にがおえ……なら……」
リリスは紙をそっと胸に抱きしめた。
「……これなら、ぼく……できる、かも……」
フィリシアがぱぁっと顔を輝かせる。
「いいじゃんいいじゃん! 絶対セレヴィア喜ぶって!
“リリスが描いてくれたの……?”って、顔真っ赤になって喜んじゃうよ〜☆」
キャロルもたまらず尻尾をふりふり。
「リリス様の絵……! か、可愛いのができそうですニャ!!」
リリスは耳元まで熱くなりながら、
それでも胸がふわりと軽くなるのを感じた。
「……うん。がんばって……描いてみます……」
その言葉に、ミレーユは静かに頷いた。
まるで“あなたならできる”と言ってくれているみたいに。
紙とペンを受け取ると、手の中がちょっとだけ震えた。
(……よし。やるだけ、やってみよう……)
セレヴィアに“なにかをしてあげたい”という気持ちは胸の奥で確かにあって、
その気持ちの形にする第一歩が、この紙の上に乗るかもしれない。
そっとペン先を紙に落とし、線をひく。
細く、震える線。
もう一本。
頬の輪郭……のつもりだったけど、妙に丸い。
髪の毛……なんだか爆発している。
目……左右の大きさがぜんぜん違う。
(……あれ? こんな……ひどかったっけ?)
悠斗だった頃でも、ここまでではなかったはずだ。
いや、決して上手かったわけじゃないけど……これは……落書き……?
アイリスが横からちょこんと覗いているように見えて、
まるで“がんばって”と言ってくれている気がした。
けれど状況はあまり改善しない。
そんな時――横から元気いっぱいの声が飛んだ。
「わたしも描こうかな〜☆」
フィリシアがペンをひょいっと持ち上げ、
さっと席についた。
「わたしも描きますニャ!!」
キャロルも負けじと尻尾をばたつかせながら、紙を構える。
ミレーユも静かに座った。
「……では、私も少しだけ」
彼女は既に姉様を描いたばかりだから、次は違うものを描くつもりらしい。
しばらく部屋にカリカリとペンの音が響く。
フィリシアは歌を鼻で歌いながら、
キャロルは尻尾をぴこぴこ揺らしながら、
ミレーユは落ち着いた呼吸で、
そしてリリスは必死で。
やがて――
「できましたニャ!!」
キャロルが一番にペンを置いた。
その絵は――丸っこいチビキャラで描かれたセレヴィア。
デフォルメされてて、表情もぷにぷにで、妙に可愛い。
「かわいいーっ☆キャロル、上手じゃん!」
フィリシアもすぐに描き終えて紙を掲げる。
そこには――目がやたら大きくてキラキラした、少女漫画の主人公のようなセレヴィアが。
「見て見て!すっごく可愛くかけた
ね、ね、リリスちゃんもこういう感じで描いてみて?」
「……む、むりです……」
そしてミレーユ。
彼女の紙を見ると――
翼の生えた…ウサギ?
細部の描写まで異様に丁寧で、影のつき方もなめらか。
「……ミレーユさん、これ……」
「余暇に、少々嗜んでおりまして」
さらっと言うが、どう考えてもプロ級。
横では、フィリシアとキャロルが「うまっ」「すごっ」と言い合っている。
そして問題は――僕の絵だ。
紙を見下ろす。
……線がガタガタ。
……髪が爆発。
……なんなら、姉様というより“未知のゆるキャラ”みたいな仕上がり。
(……これ、提出しちゃダメなやつでは……?)
他の三人の完成度が高すぎて、
ただの落書きにしか見えないのがつらい。
「リリス様は……どうですか?」
ミレーユが柔らかい声で尋ねる。
「……こ、これ……です……」
おそるおそる紙を差し出す。
キャロルが覗き込み――
「……か、かわいいですニャ!?」
と何故かフォローっぽいことを言う。
フィリシアはというと、
「……これ、味があるっていうか……この線、感情ゆれてる感じがしてエモい…かも!?」
ミレーユはというと、
「……リリス様らしい、素直な線です」
とふんわり微笑む。
その言い方が逆にやさしすぎてちょっと胸が痛い。
(……う、あああ……恥ずかしい……)
枕に顔を押しつけたくなるような恥ずかしさが襲ってきた。
フィリシアとキャロルが帰ってしまうと、部屋の中はすこし静かになった。
ついさっきまで笑い声と褒め声で満たされていた空間に、ふっと静けさが落ちる。
机の上には、みんなの絵が並んでいる。
どれも個性があって、うまくて、見ているだけで楽しい。
……なのに。
自分の描いた紙だけは、どうにも浮いてしまっている気がした。
(……やっぱり、下手だなぁ……)
ペンを握った指先が汗ばんでくる。
それでも、少しでもマシな顔にしようと、もう一度紙に線を重ねる。
けれど――
描けば描くほど、線は迷子になる。
ペンは言うことをきかず、紙の上で震えて、歪んだ丸や、頼りない線ばかりが増えていった。
ぐしゃ……としそうになって、手を止めた。
ぐちゃっと丸めてしまったら、きっともっと後悔する。
そう思って、深呼吸をする。
そのとき。
そっと横から、影が落ちた。
「……リリス様」
ミレーユだった。
いつのまにかすぐそばにいて、心配するように覗き込んでいた。
「まだ描いていらしたのですね」
「……はい。でも……どうしても、うまく……」
言いながら視線が下がる。
紙の上で、セレヴィアのはずの顔はぐにゃりと歪み、髪もぐちゃっと広がっていて……
ミレーユは少し微笑んで、小さく首をふった。
「……絵というのは、気持ちを形にするためのものです。
上手かどうかは、それほど重要ではございません」
「……でも」
「大事なのは、リリス様が“描こうとした”その気持ちです。
たどたどしくても、震えていても……
その線は、リリス様の想いそのものなのです」
静かな声だった。
責めるでも、慰めるでもなく。
ただ、そっと寄り添ってくるような声音。
胸の奥が、ぎゅっとなった。
(……わかってる……そんなことは……)
もちろん、頭では理解している。
絵が上手くなくてもいい。
気持ちが大事――そんなの、前の世界でも聞いたことがある。
でも。
でも……
(……“姉様にあげる絵”なんだ……)
そう思うだけで、妙に胸がきゅうっと縮む。
綺麗に見せたい。
上手く描きたい。
“できない自分”を突きつけられるようで、つらくなる。
紙を見下ろす。
黒い線が、ぐにゃぐにゃと絡まっている。
なんだか、自分の気持ちみたいだ。
「……うまく、できないと……やっぱり、かなしい……です……」
声に出した途端、胸の奥が一気に熱くなった。
涙こそ出ないけれど、感情がぐっと押し寄せてくる。
ミレーユはそんなリリスを静かに見つめ、ゆっくりと膝をついた。
ちょうどリリスと視線の高さが合うように。
「リリス様」
その声音はいつもの冷静さの奥に、柔らかい温度を含んでいた。
「――不器用でも、少しずつでも、“想い”は必ず伝わります」
リリスは顔を上げる。
ミレーユの瞳は、澄んだ水のように揺れていた。
「リリス様がこの絵を描こうとしたこと……
その事実だけで、セレヴィア様はきっと何よりお喜びになります」
胸が、またきゅっとなる。
嬉しくて、苦しくて、どうしようもない気持ち。
描けない悔しさもある。
でも——描きたい気持ちの方が、もっと大きい。
リリスはぎゅっとペンを握りしめた。
「……もうちょっとだけ、がんばります……」
その言葉に、ミレーユはそっと微笑んだ。
その微笑みが、絵よりもずっと優しくて、あたたかかった。
ペンを紙に向けると、先ほどより手が軽くなった気がした。
線は震えていて、ぎこちなくて、上手ではない。
でも――そこには確かに、“想い”が宿っていた。
リリスはもう一度、そっと線を引いた。
心の奥から湧いてくる温度を、今度こそ形にしたくて。
――――――――――――――――――――――――――
セレヴィアは、執務室の扉を静かに閉じた。
夜は深く、廊下の燭台は青白く揺れている。
ようやく一段落ついた書類の山を後にして、足は自然とリリスの部屋へ向かっていた。
(……また、数日会えていなかったわね。
本当は毎日でも顔を見たいのに……)
せめて少しだけでも、眠っている姿を見るだけでも。
その思いに突き動かされるように、セレヴィアは扉の前に立ち、軽くノックをした。
返事はない。
静かな寝息が、厚い扉越しにほんのり伝わってくる。
(そう……もう眠っているのね)
少しだけ残念。
けれど、眠っているリリスも好きだった。
あの安らかな寝顔を見ると、胸のざわつきが少しだけ溶ける。
セレヴィアはそっと扉を開けた。
魔王城の冷気を和らげる魔灯の光が、ベッドに沈む小さな銀髪を照らす。
毛布からのぞく頬はわずかに赤く、規則正しい寝息が呼吸に合わせて布を揺らしていた。
(……かわいい)
胸がぎゅ、と音を立てるように締めつけられる。
ほんの数日会えなかっただけなのに、どうしてこんなにも恋しいのか。
自分でも呆れる。
そっと歩み寄り、ベッドの脇に腰を下ろす。
触れたい。抱きしめたい。髪を撫でたい。
でも――起こしたくはなかった。
その代わりに、視線をゆっくり部屋の中へ巡らせる。
すると、机の上に数枚の紙が置かれているのに気づいた。
セレヴィアはそっと近づいた。
「……お待ちしておりました、セレヴィア様」
静かな声が背後から響く。
ミレーユだ。
灯りが落とされた部屋でも、彼女の佇まいは凛としている。
「ミレーユ。これは……?」
「リリス様が、セレヴィア様に差し上げるために描いていた絵です。完成したものの、渡すのは……と悩まれて、そのままお眠りになりました」
セレヴィアはそっと紙に触れる。
線は震えていた。歪んでいて、バランスも悪く、どこかぎこちない。
だが――
その幼い線の中に、不思議な温かさがあった。
(……ああ。これは)
胸がじわりと熱くなる。
セレヴィアは絵をそっと胸に抱き、ふっと微笑んだ。
「……ありがとう、リリス」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟き、ベッドへ戻る。
眠るリリスのそばに膝をつき、そっと顔を覗き込んだ。
睫毛が長く、唇は薄く震えている。
なんて、弱々しくて、なんて愛しい。
指先がわずかに触れそうになって止まる。
起こしたらいけない。
でも、触れたい。
胸の奥で二つの想いが揺れながら、セレヴィアはそっと耳元へ顔を近づけた。
「あなたが私のために描いてくれたこと……忘れないわ」
ゆっくり顔を離し、額へそっと唇を落とす。
触れた瞬間、リリスは小さく身じろぎし、指をぎゅっと握った。
セレヴィアは一瞬息を止めたが――またすぐに、安らかな寝息に戻る。
(……愛おしい)
囁くようにそう心の中で呟き、セレヴィアは立ち上がった。
灯りをひとつ落とし、静かに扉へ向かう。
去り際、もう一度ベッドを振り返った。
その寝顔は、たしかにそこにあって――彼女を支える唯一の光だった。
セレヴィアはそっと微笑んだ。
「……おやすみなさい、リリス」
扉が静かに閉じ、夜の廊下に音が溶けていった。




