19.何かできること
癒し作戦(猫耳メイド姿でミレーユを撃沈した事件)から、数日が経った。
姉様にはまだ見せていない。というか、もう二度と見せられない気がする。
ミレーユは何事もなかったような顔で毎日やってきて、まるであの日のことが存在しなかったかのように完璧に振る舞っていた。
……逆に怖い。
「うーん……」
リリスはベッドの上で膝を抱え、考え込んでいた。
天井の模様をぼんやりと見つめながら、ずっと頭の中をぐるぐる回っているのは――「ねえさまに、なにかしてあげたい」という気持ちだった。
あの日からずっと、姉様の忙しそうな背中ばかり見ている。
朝から晩まで執務、報告、会議……。
たまに部屋に来ても、目の下にはうっすらと影ができている。
そんな姿を見るたびに、胸がきゅっと痛む。
(……僕、ほんとに何もできてないな)
考えるほどに情けなくなる。
それでも、なにか――ほんの少しでも、彼女の役に立ちたい。
その気持ちだけは、本物だった。
ベッドの横の机には、いつものように“アイリス”が座っている。
銀色の髪に、つぶらな瞳。
ふわふわのドレスを着た、小さな人形。
膝に手をのせて、まるで「どうしたの?」と首をかしげているようだった。
「アイリス……どうしたら、ねえさまによろこんでもらえるかな……?」
もちろん返事はない。
けれど、妙にあの丸い瞳がきらっと光った気がした。
それを見て、ふとひらめく。
「……そうだ、プレゼント……!」
自分でも驚くほど声が出た。
思わず胸の前で手をぎゅっと握る。
「プレゼントなら、ねえさまも……よろこんでくれるかも……」
だが、次の瞬間に現実が脳裏を突き刺した。
(でも……どうやって?)
お金なんて、持ってない。
そもそもお城の外に出たことがない。
歩くのだって、まだやっと隣の部屋までが限界。
ミレーユさんに頼んで買ってきてもらう?
――ううん、それは違う気がする。
自分で考えて、選んで、渡したい。
それじゃなきゃ、気持ちが伝わらない。
「……でも、僕ができることって……なんだろ……」
声に出した途端、胸の奥が少し重くなる。
窓の外を見れば、今日も空は薄暗い。
グラティオルの夜は長く、昼が短い。
遠くの塔の上に灯る光だけが、かろうじて時の流れを教えてくれる。
(日本にいたころは、季節が変わったり、買い物に行ったり、そんなことも普通だったのにな……)
当たり前だったことが、いまはぜんぶ遠い世界みたいだ。
ため息をつくと、アイリスがぽすっと倒れた。
慌てて拾い上げて、膝の上に乗せる。
「ごめんね……」と撫でながら、ふと思う。
(……僕が、姉様にしてもらってうれしかったこと……)
頭に浮かんだのは、あの手のぬくもりだった。
髪を撫でてくれたとき、優しい声で名前を呼んでくれたとき――
その全部が、嬉しかった。
(だったら……僕も、姉様に“なにかをしてあげる”ことができれば……)
――コン、コン。
小さく、扉が叩かれた音がした。
返事をしようとした瞬間、ゆっくりと取っ手が回る。
扉の隙間から入ってきたのは、水色の髪に金の瞳――六魔柱の“旋律”、フィリシアだった。
ふわりと漂う甘い香りとともに、部屋の空気が一気に明るくなる。
「リリスちゃ〜ん! また来たよ〜☆」
軽やかな声とともに手を振る彼女に、リリスは目を瞬かせた。
「……フィリシア、さん……」
「今日もおじゃましま〜すっ☆」
フィリシアはリリスの許可を待つ前に、ひょいっと部屋に入ってくる。
ドレスの裾をひらめかせ、ベッドの脇の椅子に腰を下ろすと、にっこり笑った。
「体調はどう? お顔の色、前よりいいね〜。やっぱり、あたしの歌のおかげかなぁ〜☆」
「……う、うた……のおかげ、です……」
言葉を詰まらせながらも、リリスは苦笑した。
実際、フィリシアの歌を聴くと、体の奥の重さがほんの少しだけ軽くなる気がする。
「えへへ〜、でしょでしょっ!」
そんなふうに弾む声を聞いているだけで、部屋の寒気が和らぐようだった。
しかし、次の瞬間――
「リリス様〜っ!!」
勢いよく扉が開いた。
茶色の耳とふわふわの尻尾を揺らしながら、キャロルが滑り込んでくる。
「ひゃ、ひゃいっ!? フ、フィリシア様!? ぐ、偶然ですニャ!」
「そんなこと言って〜☆私の歌を聴きにきてるくせに〜☆」
「にゃ、にゃはは……そ、それは……」
キャロルは気まずそうに耳を伏せ、尻尾をくねらせた。
どうも、最近この二人はセットでやってくる。
主に、キャロルがフィリシアの歌を聴きにきているのだが…
「今日も、リリスちゃんと可愛いファンのために歌っちゃおうかなぁ〜☆」
「ニャニャ!ミレーユ先輩にバレる前に、何曲か聞きたいニャ…」
ドタバタと賑やかなやり取りを見ていると、なんだか笑ってしまう。
(……こういう時間も、悪くないな)
けれど、今日のリリスには考えがあった。
小さく息を吸い込み、二人に視線を向ける。
「……あの、フィリシアさん、キャロルさん……そうだん、しても、いいですか……?」
ふたりが同時にこちらを向いた。
フィリシアはぱっと笑みを浮かべ、キャロルは耳をぴんと立てた。
「どうしたの、リリスちゃん?」
「こ、こまってることですかニャ? なんでもきいてくださいニャ!」
リリスは少し躊躇してから、言葉を紡いだ。
「……ねえさまに、なにか……プレゼントをしたいんです。でも……どうすればいいか、わからなくて……」
その一言に、二人は同時に「なるほど〜!」と声を上げた。
「セレヴィアに愛のこもったプレゼント、かぁ。ロマンチックな響きね〜☆」
「リ、リリス様……えらいですニャ! おねえさま想いなんですニャ!」
ふたりの反応に、リリスは少し恥ずかしくなって頬を染める。
少し、考えた顔をした後、フィリシアが楽しげに指を立てた。
「歌、っていうのはどう? 気持ちを込めて歌うプレゼント!」
「う、た……ですか……?」
「そう! “言葉にできない想いを旋律にのせて〜”ってやつよ! リリスちゃんが歌えば、セレヴィアも絶対メロメロだゾ☆」
「……でも、僕……あまり長くしゃべると、いきがつづかなくて……」
リリスは小さく首を振った。
言葉を続けるたびに、胸の奥の痛みが少しずつ蘇る。
「たぶん、うたも……むずかしい、かも……」
「そっかぁ……」
フィリシアは頬に手を当てて、少し残念そうに呟いた。
すると、隣でキャロルが勢いよく手を上げた。
「は、はいっ! わたし、思いついたですニャ!!」
「なになに〜?」
「リリス様が……一日だけメイドさんになって、セレヴィア様のお世話をするのはどうですかニャっ!!」
「……え?」
「だって、ほら! 前に着てた猫耳メイド服! すっごく可愛かったですニャ!!!」
「キャロルさん?……それは……」
「ミレーユ先輩も見て倒れ……い、いえっ、感動してたからニャっ!!!」
「……」
リリスはゆっくりと目を閉じた。
(……またその話かぁ……)
キャロルの瞳はキラキラと輝き、まるで希望に満ちた子猫のようだ。
だが、リリスの心の声は静かに嘆いていた。
「……はずかしいから、もうきないです……」
そう言った瞬間、キャロルの耳がしゅんと垂れた。
キャロルはあの姿を異様に気に入っているらしい。
尻尾だけは名残惜しそうにぱたぱた動いている。
フィリシアはその様子を見て、くすっと笑った。
「歌にしても服にしても、“想いを形にする”のが一番大事だよ☆」
「……おもい、を……」
リリスはその言葉を繰り返し、小さく頷いた。
(そうだ……僕ができることは、きっとまだあるはず)




